お湯はいい
山那ココは水が苦手だ、だから学校の水泳の授業はかなり嫌がる。
「私水が苦手だから」
「それでよね」
「今日も見学ね」
「どうしても駄目だから」
「ええ、それでね」
幼い頃溺れたトラウマから言うのだった。
「いいから」
「じゃあ先生に言って」
「それでなのね」
「今日も見学するのね」
「そうするのね」
「どうしても駄目だから」
それ故にというのだ。
「見学よ」
「他のことはよくてもね」
「ココちゃん本当にお水苦手よね」
「どうしても無理なのね」
「そうなのよ、体育は好きだけれど」
それでもとだ、猫の様な可愛らしい顔で言うのだった。内緒であるが実は猫の血を引いているせいでその顔になっている。
「それでもね」
「お水が苦手で」
「水泳もよね」
「駄目なのよね」
「どうしても」
「ええ、絶対にね」
まさにとだ、ココは答えてだ。
実際に水泳はせず水も避けるばかりだった、しかし。
朝は毎日顔を洗っていた、それで父にも言うのだった。
「女の子だからね」
「奇麗にしないとな」
「ええ、だから毎日ね」
欠かさずにというのだ。
「洗ってるわ」
「そうしないとな」
「駄目だしね、これはね」
水が苦手でもというのだ。
「やるわ、というかね」
「しないとだな」
「いられないわ」
こう父に言うのだった。
「本当に」
「それはいいことだ、あと夜にはな」
「お風呂もね」
こちらもというのだ。
「入らないとね」
「そっちはいいんだな」
「お湯だから」
それでというのだ。
「だからよ」
「いいんだな」
「それにお風呂で溺れたことはね」
ココはだ。
「ないしね」
「うちの風呂で溺れるか?」
「ないわね、うちのお風呂小さいからね」
「そうだろ、だからだな」
「お風呂ではね」
本当にというのだ。
「溺れないし」
「銭湯でもだな」
「溺れないしね」
「風呂だって溺れる人いるけれどな」
ごく稀にそうした話があることをだ、父は娘に話した。
「それでもだな」
「ええ、私はなかったから」
それでというのだ。
「別にね」
「苦手じゃないんだな」
「そうなの、それじゃあね」
「ああ、今夜もな」
「入るわ、それで今度はね」
ココは父に笑顔で話した。
「クラスの皆とスーパー銭湯行って来るから」
「近所のあそこにか」
「そう、あそこに行ってね」
「サウナとか入ってか」
「楽しんでくるから」
「そうか、そうしてこいよ」
父は笑顔で語る娘に自分も笑顔で返した、そうしてだった。
実際に日曜にクラスメイト達とスーパー銭湯に行った、そこでココは普通のお湯のおお風呂やジェットバス、屋外風呂、ワイン風呂にサウナも楽しんだ。
そのココを見てだ、クラスメイト達は言った。
「ココちゃんってお風呂はいいのね」
「サウナはわかるけれど」
「お湯はいいのね」
「そっちは」
「そうなの、お湯は大丈夫なの」
ココは友人達に笑顔で答えた。
「私はね、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「お風呂でもね」
つまりこうしたスーパー銭湯でもというのだ。
「水風呂は駄目だから」
「そういえば水風呂入ってないわね」
「そっちは」
「サウナの後も」
「ええ、サウナに入った後はね」
普通は水風呂に入るがココの場合はというと。
「冷たいシャワーを浴びるの」
「そうして身体を冷やして」
「汗も落として」
「そうしてるのね」
「とにかくお水じゃなかったら」
その中に身体を入れなければというのだ。
「私は大丈夫なのよ」
「そうなのね」
「だからこうした場所も大丈夫なのね」
「スーパー銭湯も」
「ええ、水風呂以外だとね」
大丈夫だとだ、ココは身体を洗いながら友人達に答えた。その洗い方は隅から隅まで洗う丁寧なものだった。
髪の毛も洗った、そしてだった。
身体を徹底的に奇麗にしてだ、ココはお風呂を出た時に言った。
「やっぱりお風呂っていいわね」
「お水は駄目でお風呂はいい」
「矛盾してる様な気がするけれど」
「それでもいいのね」
「ココちゃんの場合は」
「そうなの、お湯はいいの」
やはりこう言うのだった、そうして満足して家に帰った。ついつい満足し過ぎたあまりその顔が猫の様になりかけて自分で慌てて元に戻した位に。
お湯はいい 完
2018・9・22
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