五十年先の長浜観光ガイド‘浜さん`

長浜未来観光

 JRリニア長浜駅の大時計は九時半を指している。広々とした駅舎にはこの時間帯でも沢山の人達が行き交いしていて賑やかである。
それもこの駅の屋上が展望台や管制塔になっていて、ジェット飛行船の空港になっていて、短距飛行の離着陸が可能になっていること。それに駅舎の南側が琵琶湖汽船の船着き場となっていて、クルーズ船での遊覧や、京都まで直行できる高速ジェット船が就航していて、陸と湖と空の交通の要がこの駅舎にある。
 長浜市観光ボランティアガイドの浜坂浜子が、到着時間のデスプレーを見ながら今日の来客を待っている。
しばらくすると、今日同行するエアーカーのドライバー、石田三右衛門がやって来た。
今日の訪問者は長浜市に転入希望者の中から、抽選で選ばれた四名の者で、今日一日市内を観光することになっている。
長浜市の人口は現在百五十万人余り。五十年前の十倍以にも膨れ上がっている。それは西暦二千二十二年に発見された、[フナーズ菌]と云う健康媒体によるもので、今では市の平均寿命も百三十歳に達している。
フナーズ菌は観光ガイドの浜子が、長浜観音の暗示を享けて、数ある食べ物の中でも、早くから「鮒ずし説」を進言していたところであった。
誰もが知っての通り、近江の腐り寿司で有名な[鮒ずし]は、食すると腐ったような異臭に、鼻が曲がってしまうと噂されて、食した事のない人には毛嫌いされてきた食品でもる。
しかし一旦食べてしまうと、大抵の人は病みつきになって仕舞うのも、この鮒ずしの特徴である。
長浜市醗酵研究所は重い腰を上げて、この研究に取り掛かかって三年、鮒ずしから培養した「フナーズ菌」が、人間の細胞の寿命を飛躍的に伸ばすことを突き止めたのだ。
ちなみに市の職員の定年は八十歳で、年金や健康保険料、それに市内大学までの授業料は無償である。それらは市がフナーズ菌の使用権利を保有していることから、特定の外部から莫大な収入が得られているからだ。
ここでは秘密にしておいた方がいいのだが、ガイドの浜子は御年八十八歳。このとおり若々しくて元気そのもので色気まで備わっている。
また嬉しい悲鳴だが、長浜市へは日本の内外から転入者が増え続けて、市はその対応に苦慮しており、近年になって転入希望者を少数ではあるが、抽選で選ぶようにして人口調整を図っている。
「ああ、おはようございます。もしかして見学ツアーの方ですか?」
「ええ、北海道から来ました長淵淳です」
参加者名簿を見ながら浜子は
「ようー来てくれやはったわ」
「初めまして、どうぞ宜しくお願いします」軽く会釈した。
 浜子は少し俯き加減の長淵淳の顔を見て、
「早よう着かはったんですね、何で来やはったんですか」間をおいて長淵は、
「昨日、網走空港から羽田に着きましてね、東京の豊洲市場に立ち寄って、今朝のジェット飛行船で着きました」と云って顔を上げた。
「何んで豊洲市場なんかに寄られたんですか」
「うちの家は代々漁師をしていたので、鰯や秋刀魚なんかを豊洲市場まで送っていたのですよ」
「長淵さんは漁師さんなんですね」浜子は親しみを込めて返した。
「さあー。ここにお掛けなって」と浜子は、いつものようにお客には優しく接している。
 浜子は何故網走の漁師さんが、故郷を離れてこの地を求めたのかを知りたかった。
「いきなり失礼なんですが、どうして長浜を希望されたんですか」
「ええ、鮒ずしが好きでして・・」
「ええーっ面白い、ほんでもあんたは漁師さんやし、美味しい魚いっぱい食べてやはるやないの」
長淵はちょっと当惑しながら、
「ええー、皆からはゲテモノ喰いとか云われていますけど・・」
「長淵さんって北海道みたいな所で、どうして鮒ずしをお知りになったんですか?」
「ええ、それがお話すると長くなるのですが、家の近くに専教寺というお寺がありましてね、そこのご院主さんが毎年暮れになると、近江の腐り寿司や!儂の代わりに喰え!と云って下さるので、食べている内にだんだん好きになりまして、今では病み付きになってしまったのですわ」とはにかむ。
「そうよ、うちみたいに後になるほど味が出てくるのよ!」
「そうだと思います。するめみたいに噛めば噛むほど味が出ますから・・」
長淵は安心したような顔になって続ける、
「長浜に残景寺というお寺があるのは、知って居られますか?」
「ええ、これから皆さんと行く余呉湖の近くあるお寺で、おもろいご院主さんよ・・」
「その残景寺というお寺のご院主さんが漬けた鮒ずしを、さっきの専教寺に毎年送って下さるのですわ、勿論それを食べているのは俺なんですが、できたら一度その方にお目にかかって、お礼を申し上げたいと思いましてね」
 話のやり取りが面白くなってきたところへ、石田ドライバーは三人の参加者を連れてラウンジに上がってきた。浜子は二三歩前に踏み出して
「いらっしゃいませ」と笑顔で迎える。
石田は「ではここにお掛けください」とラウンジの一角のソフアーに案内した。浜子は「疲れやはりましたやろ」と云いながら先に着いている長淵を紹介している。
卵型のテーブルに六名が座って落ち着いたところへ、天井からウエルカムコヒーが員数分だけ下りてきた。皆はこの自動おもてなしに驚きながら、そっとカップに手を伸ばした。
浜子は「どうぞお飲みになってね」と云いながら、鞄から参加者名簿や視察日程を取り出して「これ配ってんか」と石田に渡す。皆はやや緊張しながら資料を受け取っている。
「みなさん改めまして、おはようございます。今日一日お世話役させて頂く、浜坂浜子と申します。よろしくお願いします。うちのことはみーんな[浜さん]って呼んで呉れるの。そしてこの人は今日の乗り物、エアーカーのドライバーさんです」
「私がエアーカードラバー兼小使役の石田三右衛門と云います。この名前は長浜市を代表する、戦国の武将[石田三成]から取って、付けてもらったんです。ですさかいミッチーとか呼んでもらっても構いませんし」
四名のゲストは少し気が和らいたのか、にっこり笑った。
 「では、お着きになったばかりですが、皆様方の自己紹介といきましょうか。
そうですねー、席の順からお願いしていいでしょうか」
やや初老の男性を指して紹介を促す。彼はすぐに起立して姿勢を正す。
「みなさんお先です。ええ私は石川県の小松市から来ました藤原正一です。どうぞよろしくお願いします。それに・・七十八と歳は取っていますが、今日は夢の長寿都市長浜に降り立って、心がうきうきしています」
なかなか出だしが好印象だったので、浜子はテンションを上げ気味で、
「もしよかったら、ご家族とかご趣味なんかも・・」
「ええ、趣味は昔レーサーをやっていましたので、今でもモータースポーツが好きです。家内は家で留守番をしております。」 乗り物好きの石田は、
「レーサーしてやはったんですか!スポーツカーは何んですか?」
「ええ最初はフェラリーだったのですが、カーブなんかはポルシェの方が良かったですね」
「今もポルシェは持っておられるんですか?」
「もうかれこれ六十年も前の空冷のポルシェですから、よろしければ乗って貰っても構いませんよ・・」
「有難うございました。ではお隣さんよろしくお願いします」と掌で促す。
「ええ・・席の順ですと私なんですね。愛媛県の松山から来ました足立利子です。道後温泉の近くに住んでいますが、昨年連れ合いを亡くしましたので、これからは長浜で、好きなお茶でも点てて暮らそうかなー、と思ってやって参りました。長浜には茶道の[遠州流]の本家もありますし、お茶々様の故郷でもありますから、何となく嬉しい気分ですわ・・、どうぞ宜しくお願いします」
初老の美しい足立利子の顔を見上げた藤原正一は、
「ここに来たら足立さんは、倍の百四十歳まで生きられるのと違いますやろか!と構う。
足立はすかさず「よく私の歳が分かりましたわね・・ガイドさんと同じくらいですかね?」と、話をガイドに振り向けた。
 「そらー、私よりだいぶ若いのと違いますか・・ では次の方どうぞ」
「すみません、私は杉並玲子と云います。東京は調布から参加させて頂きました。この前の東京大震災で家を失い、仕事場も無くなり、新天地を求めて長浜移住を希望していましたが、運よく当選しましたので、皆さんと仲間入りさせて頂きました。よろしくお願いします・・それに、ここに来たのはもう一つ理由がありますの、浜子さんに会いたかったんです」
石田は少し驚いて「ええっ、浜さんを知ってたんですか?」と訊く。
「ええ、家にある16Kテレビで、浜さんのことは知っていました。長浜の名物ガイドさんって聞いていましたからね。それに以前は[ミス鮒ずし]もなさっていたとか聞いていましわ。 私もこのような素晴らしい方がいらっしゃる長浜で、暮らせたらいいなーと思うようになったのです」
浜子は急に顔を和らげて玲子に寄って「うれしいわ!・・でも臭くない?」と苦笑いしてハグをしている。
「来てよかった!嬉しいです。全然臭くなんかありませんよ・・冗談を・・」玲子はもう一度浜子をギューッと抱きしめる、
「実は俺もそうなんですわ、浜さんは長浜市の産みのお母さんみたいな人やと、聞いていましたからね」
浜子は「えーえー、貴男も知ってましたの、なんか恥ずかしいやおせんか。そうそう一番最後になりましたが、この方は北海道からお越しになられた長淵淳さんです。一言お願いします」
 「北海道から来ました長淵淳です。仕事は漁師です。よろしくお願いします。いや、漁師と云いましても鮒を釣ったことはありませんが、長浜では鮒の養
殖でもできたらと思いましてね」
「そうすると奥様と一緒にやられるんですか?」と石田は訊ねると、長淵はバツが悪そうな顔つきになって
「ええー、バツイチなもんでして・・」
 大時計は十時前を指し、外は快晴である。ガイドの浜子は一行を連れて[駅タワー]の二十八回の展望台に案内した。
皆なから「わーっ凄い!」と歓声が上がる。
 「この下の方を見て下さい、遊覧船が見えるでしょう、駅舎の中に琵琶湖汽船の乗り場があるって珍しいでしょう。水陸両用車や丸木舟なんかも浮かんでいるの見えますか。 そら向こうから入ってきた派手な船は何か分かりますか? ショーボートです。船内では毎晩ミユージカルなどの催し物をやってるので、皆様も是非乗ってみてくださいね」
参加者たちは琵琶湖が見える西側に移動しながら説明を受けている。
「あそこが官庁街でして、滋賀県庁や首都移転で建てられた環境省と生命科学庁でしてね、・その隣がデパート群なの・・」
 湖岸の南側には他の町では見かけない、風変わりなマンションのような建物が沢山建てられている。十階までが黄金色をしていて、それより上の階はバラ色の美しい居住階になっている。浜子は質問を受ける前にこの建物の説明をしている。
「あの建物はとてもユニークでしてね、バラ色の階は温泉付きマンションでして、黄金色の階はバイテクによる水耕栽培棟になってるの、主に日常食べる野菜を育てています」
藤原は思わず「そうすると野菜などは、買いに行くじゃなくて、採りに行った方が早くて新鮮なんだね」と、足立もいろいろ聞きたいことが多くて、質問の機会を狙っているように、
「長浜では主食はパンなのですか? それとも宇宙食みたいなものですか?」「いいえ、長浜と云えば昔から近江米の産地なんですよ、でなかったらうまい鮒ずしなんか作れませんからね」
長淵淳も興味が湧いてきたのか、朴訥な話し方で、
「鮒ずしからフナーズ菌を培養する施設は何処かにあるのですかね?」と訊ねた。「ええ、それは午後に行く処にあるわ・・」
「じゃー楽しみです」と長淵は微笑んだ。
「そーらこちら側に見えますのは、有名な黒壁ガラス館ですよ・・、皆さん聞いたことありますか・・?」杉並玲子は、
「ええ、聞いたことありますが、なぜ黒壁なのですか?」
「あれは銀行の建物で、白い壁だったんだけど、第二次世界大戦時に、アメリカ軍の飛行機から目に付きやすいから、この辺の白壁はみーんな、黒い墨で塗ってしまったんよ。そして戦争が終わったら黒壁は水で流して落したんですが、この建物だけがズルこいて落さんかったんよ。それが今有名になるなんってね!」
 「へー、そうでしたか、ガラスって云うのは信長や秀吉が、西洋から取り寄せて愛したからなのですね?」
「ええー、それは新説やわ! うちもこれから玲子さんの説を採用するわ・・」新しい発想を気に入った。
「ではみなさ~ん、屋上に昇りますよ、こちらでーす」
 伊吹山連山に向かって広がる、超近代的な街の景色が一望できて、まさに二十二世紀の様相を呈している。
中でも一際目立つのがアンパン型の屋根をした長浜フナーズミュージアムであり、後ほど行く見学先である。その南側に天まで届くような鋭い尖がり屋根は、かの有名なヤンマーミュウジアムだ。今は船舶エンジンと宇宙遊覧用のロケットエンジンを製造している。
それにフランスのミラノ市との合弁企業で、シルクフアッションコロシアムが華やかに建っていて、着物ファアッションショーや園遊会、ゆかた夕涼み会などが行われており、世界に繊維文化を発信している。
浜子は汗をかきながら案内を続けている。ゲスト達は想像をはるかに超える市街の素晴らしさに、驚きと溜息を衝いて見学している。
「幸せが押し寄せてくるようですわ、もうどこに行くでもなく、もう暫らくここにこのまま居たいわ」と足立利子は呟いた。
十人乗りのエアーカーは駅前から、路上を這うように走って長浜ご坊(長浜東別院)の境内に着いた。
この辺りは特別旧市街地区に指定されており、その周りを高僧ビルが取り巻いている。ここは浄土真宗のお寺で、この境内では長浜着物大園遊会が毎年開かれている。
その隣には子供歌舞伎で有名な、長浜曳山祭りの山鉾十三基が揃うお旅所と呼んでいる広場と、曳山会館が並んで建っており、市の風格ある街並みを漂わせている処なのだ。
再びエアーカーに乗り込んだ。国友鉄砲資料館の建物を通り過ぎて、東の山裾を眺めると、浅井長政の居城があった小谷山が見えてきた。その麓にお城の形をした戦国歴史館が建っている。
 館内に入ると長淵淳は、豊臣秀吉と石田三成のレプリカの前に立って、興味深かそうに見つめている。そこえ杉並玲子が近寄って来て、
「このお茶碗で何をしているのでしょうね」と訊ねる。
長淵は「何か前に聞いたことがあるのですが、秀吉の懐のわらじと同じように、三成もお茶椀で秀吉に認められたのだとかね・・」
玲子が神妙に聞いているところへ、浜子が助け船を出す。
「それを三献の茶と云うの。戦陣の合間に鷹狩りに来ていた秀吉に、三成は最初にぬるいお茶を、中ほどを過ぎたところで、温かいお茶を出して、秀吉が去る直前には熱いお茶を献上したことが、秀吉様の眼に停まったのよ! わかる?」
 長淵は思い出したように肯いた。玲子は三成が長浜の武将で有ることは、テレビの戦国ドラマで知っていたが。彼はイケメンで頭が良くて、やり手の冷たい男のイメージ持っていたので、安心したように、
「そんな人とは知りませんでしたわ、三成も今見直されて有名になるのも、今になって分かることもあるのですね」と浜子に向かって話しかけている。
玲子も優しくて強い三成が好きだったので、
「う-ん、このレプリカだけ見ていると、惚れ直してもいいかなー」
「俺にはちょっと及ばんけど、長浜の若い女性は皆な三成が好きなんだよ・・」と石田が言う。
 北側の展示棚には、色とりどりの豪華な着物が掛かっている。浅井三姉妹の茶々、初、江の人物レプリカは一際目を惹く。
そうして再びエアーカーに乗り込み、賤ヶ岳を目指して飛行した。
しばらく経つと、エアーカーの車内からリズミカルな曲が流れてきた。ガイドの浜さんは、身ぶり手ぶりよろしく踊り始めた。
〽 きゃんせ きゃんせ きゃんせ   ここは長浜城下町
  三成フアンが集まれば       祭り囃子で盛り上がり
  フナーズ酒も身に沁みる      きゃんせ きゃんせ きゃんせ
  ここは長浜ロマンのまち  〽
狭い車内で踊るガイドの姿に、ゲストらは喜びの拍手が湧いて、快いサービスのうちにエアーカーは快適に飛行した。
暫くすると眼下に北びわこの景観が見えてきた。藤原正一は窓から身を乗り出すように、
「ここら辺りは自然がそのまま残っているのだね!」と杉並玲子に投げかけている。
「もうー東京にはこのように美しい処は無くなってしまったわ、あそこに見える形のいい島はなんという島なのですか?」と浜さんに訊ねる。
「あれはね、西国三十三番札所のお寺のある竹生島なの、長浜港から出ているジェット船や、遊びたいのなら昔の丸子舟でも行けるわ、弁天さんが祀ってあるから拝んでくるといいのよ・・」
玲子は思った、長浜は超近代都市に発展したのに、自然や歴史をうまく融和させていると・・。
水鳥センターの前に広がる水中林は、細い枝の葉っぱが、そのまま湖面に映し出されて、一枚の絵を見ているようである。この湖に夕日が沈むと絶妙に景色に変わり、日本夕景百選に選ばれている処なのだ。
うっとり眺めていると、眼下に山本山が見えてくる、辺り一帯は桑畑が広がっている。三十年ほど前からシルクが見直されて、養蚕が長浜の主力産業の一つになっている。
「間もなく賤ヶ岳の頂上に到着します。足元に気を付けて降りてくださいね・・」
賤ヶ岳は豊臣秀吉と柴田勝家が戦った古戦場である、南には琵琶湖、北側には余呉湖が見える市内随一の景観である。浜子は賤ヶ岳合戦の謂われを、ゲストらに説明している。
 石田ドライバーは晴れやかな声で「みなさーん こちらへ来てくださーい、こちらの茶屋で昼飯にしますから・・」
修学旅行の生徒のように、あちこちをキョロキョロしながら、店に入って来る。食卓には長浜名物の鯖ソーメンが運ばれてきた。
食前酒は長浜でしか飲めないフナーズ水が置いてある。お腹が空いているゲストらは、鯖ソーメンを不思議そうに見ながら箸をとった。
藤原正一も「うん、ウマいなあー、見かけに寄らんもんなー」と言いながら箸でソーメンを掬い上げている。
 足立利子も「ソーメンかお酒か分からないけど、胸やら頭なんかがスーッとして来たわ。いい気分・・!」  
 食事を終わって軽快になったゲストは、琵琶湖岸に伸びている景色に見入っている。さっき見ていた竹生島が湖面に浮いているように見える。
帆掛け船や丸太舟なども浮かんでいるのとは対照的に、空にはエアーカーや有人ドローンや飛行船などが空を舞っている。もうここで、じっとしていたい気分になる。
 「空を飛び交っている乗り物同士が、よーう衝突しないですね!」と長淵淳が感心して眺めている。
 「あれはね、スーパークラウドシステムによってコントロールされてるさかい、どーもあらへんのよ・・」
 「スーパークラウドですか、つまり空のネットワークみたいなものですね」
 そうして北側には琵琶湖より水面差が五十メートルも上にある余呉湖、波一つない湖面は鏡のようだ。我々のエアーカーはそこを目指して急降下している。湖畔には色とりどりに別荘が取り巻いている。
藤原正一は「ああーここが羽衣伝説で有名な余呉の湖ですなー」
足立利子もこの湖に引き込まれるように・・、
「長浜にはこんな美しい飛び地みたいな所もあるのね、余生はこんな所で暮らせたらいいのにね・・!」
杉並玲子も肯いて「私も同感だわ、でもお金持ちでなきゃ住めないしね」
すると浜子は、こことばかりに声を大きくして「みなさーん聞いて、問題はそこなの、さっき云わなかった? 市はフナーズ菌の莫大な権利収入を、市民に還元してますさかい、分譲地などは無茶苦茶安くなってるのよ、皆さんだってちょっと辛抱したらこの別荘が持てるのよ、頑張りましょう!」
湖畔の南側には天女の衣掛け柳が、太古の民話を偲ばせて佇んでいる。
長淵はこの柳の傍に寄ってきて、今日のために買ってきたという、キャノン製の4Dカメラで撮影している。
石田が面白い質問を投げかける。
「天女伝説は美しくも悲しい物語です。物語の最後で天女は自分の産んだ子どもを地上に残したまま、天上に舞い上がってしまったのは、どうしてでしょうか・・?」と。
杉並は思わぬ回答を出した。「それは、桐畑太夫が天女さまに無理矢理に産ませた子だから・・、つまり強姦とまではならなくても、愛情の中で産まれた子では無かったからなのですか?」
「ブーッ 不正解です」
「地球の子が天に行ったとしても、学校がありませんわね・・」と云う足立。
石田は得意気な顔になって正解を云う。
「・・答えは重量オーバーでした!・・」バカにされた玲子は、
「重量オーバーって、それは運転手さんのお腹のことじゃないの?」と苦笑いした
歩きながら会話をしていると、いつの間にかフナーズ菌醗酵研究所に着いた。
 移住希望ゲストのお目当てはフナーズ菌だ。世にも知れ亘った長浜市が発見した健康長寿酵母菌である。
湖北地方では昔から多くの家庭が‘鮒ずし‘を漬けて保存食にして、大切に食べてきた歴史がある。
ガイドの浜子は長寿の素は、この鮒ずしに有るのではないかと推測していたので、これの分析研究を長浜バイオ大学に依頼してきた経緯がある。
それが平成三十年になって初めて、鮒ずしから培養した‘フナーズ菌‘が誕生したのだ。
浜子は館内の試飲コナーで、ゲストらにフナーズ菌入りコーラーの飲み方を教えている。
分厚い長浜グラスに注いだコーラーを一人ずつ手渡していく。皆はやや緊張しながら飲み始めた。
「私みたいに若い者が飲んでもいいのかしら」と、玲子はグラスに半分ほど飲んでガイド言った。
「いいのよ!うちもあんたに負けんほど若いけど、この通り毎日飲んでるさかい・・ほーら、お肌もすべすべよ! 触ってみて・・」
「ウッフーフー、浜さんは確かに気は若いですけど、黒髪に二三本白髪が見えていますわ!」
「別にそんなとこ見んでもいいやんか!もう歳やさかいなー・・」
「そんなことありませんわ。浜さんだって弱音吐くこともあるのですねー」
 長淵淳は「ところで原材料の鮒はどこにおるのですか」と訊ねる。
この研究所の奥の方に、余呉川から引き込んだ大きな池が幾つもあり、そこでにごろ鮒と云う種類の鮒が数万匹ほど養殖されている。鰻やハマチの養殖とは違って、餌さえ与えればいいのではなく、水のアルカリ度や鮮度などの要件が整っている必要がある。しかも産卵前のメスの鮒に限られている。
 その説明を聞いた長淵は、
「中々面白そうだね、オホーツク海の鰊や鰯漁とは違って、獲るのではなくて育てるのだから、やり甲斐があるかもね」と頼もしそうな立派な体を揺すって呟いた。
「さっき言ってたように、長淵さんは長浜でこの仕事がしたかったん違いますか?」と浜子は訊ねた。
「ええ、まあーもう少し勉強しないと、自分でできるかどうか分かりませんがね、これが健康長寿のお役に立つのなら、懸けてみたいですね」ときっぱり言い切った。
 係員の丁寧な長い説明が続く。
「では出来上がった鮒ずしから、フナーズ菌を抽出する部位について説明します。皆さんその菌はどこから取ると思いますか?・・それはね卵からなんですよ!卵巣にはアセトアブラジオという酵素が含有していていますので、産卵前の雌の鮒だけから採取することができるのです」
 すると誰かが「プーッ」とオナラをこいた!
「誰やねん・・!」藤原正一はズケーと言った。すると浜子は・・
「誰でもいいやーん、フナーズ水を飲むと、初めての人はガスが出てね・・それは身体に効いているちゅうことなんや・・」
皆は爆笑して、眠気がら覚めたようだった。
 クロームメッキで輝く様々な機械類が、ガラス越しに複雑に動いていて、何か特別なものを作っているという感じがする。
「この液体を見て下さい、これが発酵菌の培養が終わった段階の、無色透明の液体ですが、このままだと水と間違えられますので、ここにあるように薄い青色に染めています。
細胞の活性化のために飲むには、このグラスに半分程度を入れて毎朝一回飲むのがいいのです。さらに脳細胞や五感の良好な保持には、先に説明しました鮒の頭から抽出した、この菌と併合して就寝前に飲むと翌朝から効果が期待できます。ただし午後に飲むとオナラが出やすくなりますので、ご注意なさってください」と面白く締めくくった。
長い説明が終わると浜子はレストルームに案内した。
美しいおもてなし嬢が菌入りコーヒーを運んでくれた。皆はカップを手にして、薬を飲むように丁寧に飲んだ。飲み終わるとサロンロボットが後片附けをしてくれている。
 「あのー、この水は分けてもらえるのですかねー」と藤原正一が、もてなし嬢に訊ねている。
「申し訳ないんですが、この製品の販売は長浜市内だけとなってましてね。フナーズ菌の培養は地場産業で、数量にも限りがあるのです。なんせ一匹の鮒ずしから、耳かき一杯分しか取れんのですしね・・」と弁解するように話した。そこで浜子は、
「そらー、この方達のように、暫らくでもいいから長浜市に転入してきたらどうなの?」
「ううーん、長浜市外ではこの水は求めにくいし、そうするしか無いかもね・・さっき一杯飲んだだけでも、気分が良くなるのですからね」
「ええ、私も長浜にしばらく逗留して、フナーズ療法を受けたいし・・景色もみられたら元気になれるかも・・、早くスチュアーデスに復帰したいから・・」
ゲストらは将来の過ごし方を、真剣に考え始めた。   
約一時間に及ぶ見学が終わって、三度エアーカーに乗り込んだ。
長浜市は中心部より北に長く広がる地形で、北部は森林地帯になっていて、余呉川、高時川、姉川などは淀川水系の源流になっているので、水源の郷とも呼ばれている。
様々な栄養分を含んだ水は美味しくて、健康に良いと云われている。だから湖北の奥地に住む人が長命であることを、浜子は大きな声で力説している。
もう目の前には千メートル級の横山岳から、己高山にかけての連山が見えてきた。
 目の前には千三百年もの歴史を持つ、菅山寺や己高閣などの仏閣が建ち並んでいる。またこの辺りには北国脇往還が走っていて、随所に観音菩薩像の御堂が建っている。
つまり観音の里の全景が広がっていて、何となく清浄な空気が漂ってくる。同乗者もさっきとは違って少し神妙な顔つきになっている。
「今ご覧頂いてますように、この辺りは全国的にも知られる観音様の聖地で御座います。間もなく国宝の十一面観音像が居られます境内に着地します。お気をつけてお降り下さいね」
世界一美しい観音様と云われるだけあって、その優美なお顔に腰をくびらせた色っぽいお姿、皆はただただ吸い込まれるように見とれている。
「戦国時代にこの辺りは兵火に見舞われてね、建物が焼かれるのを免れよとして、村人が土の中にこの観音様を埋めておいたのよ。そして後で掘りだしたんですが、傷一つ付かなかったんですから不思議よね・・」浜子は力んで話している。
「井上靖の小説で`星と祭り`に出て来る観音様なのでしょね?」読書家の足立が補足すよとうに述べた。
「そーなの、これから行く石道の観音様も、その小説に出て来るのよ・・では、次はそこえ向かいましょう・・」
五分もすると山の斜面に建っている、可愛らしい御堂の境内に着いた。
「おー、この方が石道の十一面観音様だね!これはなんと可愛らしい佛さんだ!」藤原はとても気に入った様子で、浜子に喋り掛ける。
「うちも何べん来ても、この観音さんに会えるのが楽しみなのよ」
足立利子は肯くように、
「ええ、口紅の赤いのが残っていいて、可愛いい観音様だこと」
「そうでしょう!千年も前にここに住んでいた村娘をモデルにしたと、伝わっているの」
「ええそうなの、何だか愛情が伝わって来るみたいね」浜子と足立利子は、くっついて拝観している。、
「そして近くには魚甕観音って云って、漁師さんが獲る魚の供養をなさってい観音さんもいらっしゃるのよ」 漁師の長淵は興味を示した。
「だけどこんな山の中でも、漁師をやっている人が居られるのですか?」
「それは無いですけど、元はこの観音様はね、大阪湾の魚場の近くのお寺に居られたらしいのですが、そこの和尚さんが貧乏して売って仕舞われたのですよ。ところが不思議なことに淀川を遡って、長浜市内の古道具屋さんのお出でになられたの。それを見つけた村の人がここに買い戻されたと云うことなんです」「ううーんそうなんですか、と云うことは大阪湾の漁師さんの供養佛だったのですね」納得するように肯いた。
そこえ一人のお坊さんがやって来られた。黒衣に輪袈裟を架けて琥珀の数珠を手にしながら、
「この団体さんの中に、長淵淳さんと云うお方はいらっしゃいますかいな」と浜子の前に立って訊ねられた。
「はい、一緒に来ておりますわ」と、長淵の方向を指しながら返答した。
長淵は小走りで坊さんに近づいて来て、
「ああー、いつも鮒ずしを送って下さる残景寺のご住職さんですか」
「そうじゃ・・儂が專教寺さんと知り合いの残景寺の住職ですわ。昨夜住職からメールが届いていたもんやさかい来たのじゃ・・」長淵は嬉しそうに、
「ええ、今朝ここに着いた時から、もしかしてお会い出来るかと思っておったのです・・その節は專教寺さんの鮒ずしをみな横取りしおりまして、申し訳ございません、お陰で鮒ずしが病みつきになって、長浜に来てしまいました」
「ううーん、それでいいのじゃ。寺でも鮒ずしを漬けているので、また食いに来るといいのじゃよ」
「ええ、また是非ともお願いしたいです。ご住職さんもまた網走に来てください」と深々と頭を下げて敬意を払っている。
すると住職は手に持っていた小包を、
「これはあんたが長浜に来てくれたお礼の品だよ、受け取っておくれ」と差し出した。
長淵は小包を見つめながら「もしや鮒ずしではありませんか?」と問うたが住職は、「いいや、北海道では中々手に入らんものじゃ」と、はっきり中身を云おうとしない。
皆はじっと小包に目を遣っている処へ浜子は、
「ごえんさん(御院主)、もしかして、あの水ですか?」すぐに反応したのが杉並玲子だ。
「浜さん解ったわ! そらーあのフナーズ水のことでしょう?」
「ブー、外れですねーごえんさん」と振り向ける。住職は
「外れるのもしょうがないですなー。これは[八功徳水]と謂われる観音様に差し上げる特別な水でな、観音水とも云うておるがな・・これを專教寺に持ち帰って、お供えすると観音信仰が深まるのじゃよ・・」長淵は、
「ええ、解りました。帰りましたら必ず先方のご住職さんに渡しますから・・」
残景寺の住職は「じゃ私はこの寺でお説教が始まるので、失礼するよ・・」
「ご住職様有難うございました。この長浜に住むようになりましたら、何とぞよろしくお願いもうします、では失礼します」
エアーカーはゆっくり飛び立った。低空を維持しながら、市の主要な建物が集合している南部の地域に近づいてきた。
眼下には長浜ドーム、長浜バイオ大学、浜縮緬会館、江州図書館、高齢者学習塾アンタレス、桑蚕の館、私立生態研究所と湖岸寄りには、長浜大仏、鉄道博物館や長浜盆梅展で有名な慶雲館が、それに世界の音楽アーティスト達が集まって来る、長浜オペラハウスなどが立ち並んでいる。ただしカジノは取り入れていない。
建物と建物の間のアメニティは広くて、木々の下にはベンチやテーブルが置いてある。今日はお天気が良くてこの時間でも、人々が散策したり行き交ったりして、全体が公園のような様相だ。
そうしてフナーズミュージアムの前庭に着いた。
「ではみなさん、これから屋上のパーティー会場に参ります」
屋上のパーティー会場から外を眺めると、夕日が湖上に落ちてゆくのが見える。形の変わった建物群が影法師のように逆光の中にある。都会と自然が一体となる瞬間だ。
やがて夕日が沈むと、次第に照明が明るくなってきた。案内されるままにテーブルの席に腰かけると、既にセレモニーの出席者が二百人余り席を埋めていた。
配布された名簿を見ると、市内の偉いさん達がずらりと並んでいる。国や県や市の面々の他、商工会や観光協会それに、市民らでつくる振興グループの代表者らの名前が挙がっている。
「私たちこんな席に出席してよろしいのですか?」と杉並玲子が怪訝そうに浜子に問いかける。
「ううーん、うちらも偉そうにしてたらええやんか!」と図太い態度を見せた。だがゲストらは服装も軽装だし、履いているスニーカーだって、この席に似合わないので恐縮して、椅子に浅く腰掛けて成り行きを見守っている。
 浜子はセレモニーが始まるまでに時間があるので、彼らの気分を和らげるために、パーティーの夜会食を見に案内した。
 テーブルの上には、見たこともない珍しい料理が並べられている。
鯉の煮付け、ビワマスのお刺身、鮒の田楽、鰻サンド、鯰の氷漬け、海老豆の盛り付け、浜寿司などが所狭ましと並んでいる。
杉並玲子は料理を覗き込みながら、
「これは見たことのない魚ですね、琵琶湖の淡水魚ですか?」と浜子に目を遣る。
「こちらはねぎんぎの蒲焼でね、その隣がナマズの髭入りスープなの、珍しいでしょう」
セレモニーはまだ始まっていないので、隣のテーブルにも目を遣った。
そこには山の幸が沢山並べられている。鹿肉、熊肉、イノシシのボタン鍋に鳥肉も、様々な料理に姿を変えているのだ。キノコ類やタケノコに、蕨やゼンマイ、山蕗、それに余呉の名物赤カブの漬物や山椒の佃煮、などが並べられて、その合間は新鮮な野菜が添えてある。
会場の照明が徐々に暗くなり、正面に広がるステージが明るくなると、生演奏で[長浜祝典序曲]が流れてきた。長浜フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによる演奏だ。ステージの上には特殊発光体で書かれた看板に長浜市健康長寿推進功労者表彰式典とある。そうしてステージを取り囲むようにフラワーアートが飾られ、演台の横には燦然と輝く、トロフイーや記念品のようなものが置かれている。
藤原は辺りを見回してから、
「この服装じゃ恥ずかしいし、もっと後ろに下がった方がいいかも・・」
「いいじゃないの、一応ご招待を受けたんやし、ひょっとして紹介があるかも知れへさかいなー」持ち前の図太い性格で、相手を安心させている。
暫らく経つと壇上には十名程の白足袋族が上がって来て椅子に腰かけた。おそらく市内の有力者で伝統を重んじてはいるが、羽振りは良さそうに見える。
小声で杉並玲子は
「この町は超未来都市なのに、やっていることは超古臭いね」隣の長淵淳に囁く、長淵は一瞬どう応えていいのやら迷ったが
「そこがね、この町の‘ゆとり‘で奥ゆかしいところなんだろうね」
「そうかなー、でもこれから何が起こるのか楽しみだわ。特にこの後の食事がね・・」と笑った。
司会者が登場してスピーチが始まった。
「皆さまようこそご出席下さいました。ただ今から、当市の健康長寿に寄与されました功労者の表彰式を挙行いたします。では被表彰者の方々は、壇上にお上がりになって下さい」
女性が二名と男性が三名、正装して姿勢正しく椅子に座った。そこえ市長がおもむろにステージの中ほどに歩み出ると、同時にミス長浜の美しい女性と共に、アシスタントロボの茶々ちゃんと初ちゃんと江ちゃんが登場して花を添える。茶々ちゃんは賞状を載せた広蓋を、初ちゃんはトロフィー、江ちゃんは大きな記念品を抱えて歩み出た。
市長から順に表彰が始められた。
最初に表彰された女性は、バレエ組曲小白鳥の湖を作詞作曲して、長浜の新しい文化芸術に貢献されたと紹介している。
ちょっと変わり種としては、長浜市の姉妹都市である、イタリアのボローニア市から移住して来たミケロッティさんだ。この地がお気に入りなのか、ボローニアから十七世帯を連れてきて、長浜市場の横にボローニア横丁を作ってしまったそうだ。
 中々面白味のある受賞者たちで、会場は和やかなムードになってきている。表彰が終わって市長のお祝いの言葉が始まっている。
 「・・と言うことでして、これからの長浜市の発展は、住んで楽しくわくわくする町に育て上げたいと思いますので、皆様方のますますのご研鑽を念じて止みません。
今日はお列席の皆様の他に特別ゲストとしまして、当市移住希望者四名の方々をお迎えしております。後ほど紹介致しますので、ご参会の皆さまとの温かい交流をお願いしたいと思います・・」
「それでは皆さま、表彰式も終わりましたので、お楽しみのパーティーに移らせて頂きたいと思います。どうぞお近くのテーブルにお付きください、お願いします」
 よく見るとテーブルは、長浜市の紋章である瓢箪形をしている。ガラス張りの下に並べてあった、さっきのご馳走が一挙にガラスの上に現れるという、サプライズな演出だ。
 乾杯の音頭が終わると、サルーン音楽が演奏される中で食事は始められた。
暫らく経つと、天井から笹の葉っぱがはみ出した籠が降りてきた。言うまでも無く、メインデッシユの鮒ずしにフナーズ酒が添えてある。
 待ちきれないように手を伸ばした藤原正一、鮒ずしを口に入れてもぐもぐしている。無我夢中で食っているのか、鮒の子が口からぼろぼろとこぼれ落ちている。
 「これこれ正一さん、そんな餓鬼みたいに食べんでも、何ぼでもあるんやさかい!」浜子は膝に落ちこぼれた子を、ナプキンで拭ってたっている。
 他の参加者も「先ずはこれを頂戴します・・」とか言って、フナーズ酒を飲みながら鮒ずしをつついている。
 「ああー、これやったら、体によー効きますわ」顔をほころばせる長淵に足立利子は、
「あんたさんが鮒の漁師さんになったら、もっと沢山食べられるようになるわね!」お互いに喜び合っている・・。 司会者は・・
「お食事が始まったばかりではありますが、お酒がまわらない間に、先ほど紹介の有りました、本日この席に参加してくださいました、移住希望者の方々をご紹介させて頂きたいと思いますので、皆様方の温かい拍手をお願いしたいと思います」
会場から拍手が上がる中、長淵は年長の藤原を先頭に立たせてステージに上がった。
 司会者のスピーチの後、ステージの上手から、立派な髭を生やした長浜市観光協会会長が登場。
 「本日はようこそ健康長寿の町、長浜にお出で下さいました。ご承知のとおりフナーズ菌の発見から五十年、その効果は絶大でして、今や世界一長生きで住みやすい都市になりました。しかしながら、市立宇宙科学研究所の発表によりますと、五千億光年先の星の中には、当市より五十歳も上回る宇宙人がいるそうなので、まだまだ負けてはおれないのであります。皆様こそ二ユー市民として、この菌の絶大なる体現者となって、さらなる長寿を全うして頂きたいと願うものであります・・」
 司会者「ではここで大勢の移住希望者の中から選ばれました、この四名様に対しまして、記念品の贈呈を行います」
 彼らはこの予期せぬスピーチに戸惑いながらも、一層緊張して身体を強張らせている。ピンク色の包装紙に包まれた大きな箱が、ゴーロボちゃんから一人ずつ手渡された。
 「では、ここで移住希望者を代表されまして、一言ご挨拶をお願いしたいと思います」
四名は互いに目を配らせながら、代表者の選出に難儀しているようだ。そこでガイドは小さな声で、
「日本の一番高いところからきゃんした、長淵さんでどうや?」
三人は肯いたが、長淵はちょっと躊躇した様子だったが、観念したのか席を離れて起立した。
「私は北海道の網走で漁師をしております長淵淳と申します。歳は二十八歳です。長浜で育てておられる‘にごろ鮒‘の養殖に興味がありまして、できたらこの地で働きたいと思いまして、やって参りました。
ただ今は、心温まる歓迎をして下さって、その上このようなお品まで頂き、どうお礼申していいか分かりません。有難うございました。
本当は今直ぐにでも中が見たいのでありますが、後ほどの楽しみにしたいと思います。
僕は今日一日市内を見学させて貰いましたけれど、目を見張るような近代的な街並みと設備に驚きました。そして案内される先々で出会った方々の、親切で楽しいコミュニケーションは、初訪問の私たちの緊張を快くほぐして呉れました。
中でもガイドの浜崎浜子さんは最高でした・・こうした人柄がいらっしゃる長浜に、一刻も早く住みたいと思いました・・」 大きな拍手が会場から沸き起こる。
一見朴訥な彼であったが、話が進むにつれて高揚してきて、代表者のお礼の言葉としては、それに相応しい内容だった。
今度は司会者の指示で、後三名の者にも感想を聞かれた。彼らは暫しもじもじしていたが、急に足立利子が起立して、
「では失礼いたします。私は愛媛県の松山市から参りました足立利子と申します。松山も道後温泉があって大変いい処なんですが、何故か平均寿命は百十歳で止まっておりまして、全国的にも低い方になっているのです。
今日はその原因が知りたくて、あちこち見学させて頂きましたが、フナーズ菌の効果は勿論、この都市の雰囲気と申しますか、観音さまや、浜崎ガイドさんらに出会いまして、心の奥から救われたように思います・・一日も早くこの長浜で暮らしたいと思っていますので、宜しくお願い申し上げます」
 一層大きな拍手が会場に響く中、足立は目頭が熱くなったのか目にハンケチを当てている。
 感激して顔を赤らめている藤原正一は、
 「私はただ今八十八歳でございます・・えーっと・・何か緊張しまして言う言葉が出てきませんが・・」浜子は藤原の裾を引っ張って、
「所と名前よ!」と促した。
「ええ失礼しました、私は石川県から来ました藤原正一と申します。えーっと・・山中温泉の近くでして・・湯で体は温かくなりますが、長浜は人情の町ですから、心が温まるのが何とも云えないほど、有り難いと思いました」
 道中の会話は流暢だった藤原正一も、この場ではえらく緊張してしまったようだ。
もじもじしながら聞いていた杉並玲子にも、紹介の番が回ってきた。
 「東京から参加させていただきました杉並玲子と申します。私は商社マンとして、世界の国々を回ってきて思いますことは、文明の発展とは反対に心の豊かさが痩せてきている様に感じております。
 例えば以前ブータン国は‘幸せの国‘と謂われていましたが、経済が豊かになった今では、経済戦争が激化して不幸せな国に堕ちました。
 長浜市は超近代的な都市に生まれ変わっていますが、心はとても豊かだと思います。例えばロボットとの会話にも心が通じ合って楽しいし、まして生身のガイドの浜さんは、おもてなしの標本のように優しくて面白くて最高でした・・。
きっとこれからも、世界の都市のモデルになるに違いありません・・」
 割れんばかりの拍手と歓声が渦を巻く。そこえ手を叩きながら市長が近づいてきて、握手を求めながら感激の言葉を交わしている、その隣に居たミス長浜も、思わず杉並玲子に感動のハグをした。
 会場の興奮と歓声の中、司会者は
「皆さま有難うございます。では今度はステージを入れ替わって頂きまして、お待ちかねの長浜音頭「きゃんせ長浜」を皆さまと一緒に踊りたいと思いますので、宜しくお願いします」
 長浜フィルハーモニー管弦楽団が‘きゃんせ長浜‘音頭を奏でると、いつの間にかガイドの浜さんがステージに立って、歌手のように唄い始めたではないか!
 〽 きゃんせ きゃんせ きゃんせ  ここは黒壁ガラスの町
   行楽の人集まれば        ご坊さん参りは後にして
   ガラス細工に酔いしれる     きゃんせ きゃんせ きゃんせ
   ここは長浜 きれいな町

  きゃんせ きゃんせ きゃんせ  ここはフナーズ長寿町
  倖せ求めて集まれば       みんな仲良くなごやかに
  働く笑顔が町に満つ       きゃんせ きゃんせ きゃんせ
  ここは長浜 長寿町 〽

ステージには浜縮緬を着こなした女性らが踊り、会場の人らも箸を放して踊り始めた。日本調のリズミカルなメロディーには、訪問者にも苦痛なく踊れて、楽しそうにしている。
やはり何と言ってもアシスタントの、二人のロボちゃんの踊りに目が行ってしまう。まー可愛い・・し ばらく歌うと、ガイドはロボちゃんと手を繋いで、唄いながら踊り、会場はさらに盛り上がってくる。
 その時司会者は突然、
「では皆さん宴も酣ではありますが、ここで長浜市長から、みなさまへ特別な提案があるそうです。踊りもちょっとの間休んで頂いて、発表をお聞きなってください、お願いします」
 市長はステージの上から、
「皆さん盛り上がっているところですが、ちょっとこの機会にご提案したいことがあります。よろしいでしょうか・・ 実はガイドの浜坂浜子さんに就いてでありますが、この町でもう六十年もボランティア観光ガイドをして貰っています。
 それに皆様もよくご存じの通り、フナーズ菌発見の契機を与えて下さったのは、紛れも無くこの彼女でありましたし、数多のガイド活動を通して、この菌を市の内外に啓発して頂いのも、大きな功績ではなかったかと思うのであります。
 従いまして、彼女を当市の‘名誉市民‘に推薦したいと思うのですが、みなさんのご意見は如何なものでしょうか!」
 会場はどよめきと拍手が沸き起こって、「いいぞー やったぞー・・」など賛同のヤジが飛び交う。
 一方で浜子は手も振らず、ただ頭を垂れている。ロボが近づいてきて、
「イイコトナンダカラ アタマヲ アゲテイイノヨ」と気を遣かう一場面もあった。
 かくして、浜坂浜子は市内で三番目の名誉市民になるチャンスを掴んだ。
司会者は「じゃ皆さまここで、浜坂浜子さんから一言コメントを貰ってよろしいでしょうか」
 暫くして浜子は声援や拍手の中から、自分に目覚めて姿勢を正した。
「みなさん すみません。あのー 名誉市民なんて飛んでもないことですわ。そらー、みんなを驚かせたり、騒がせたりしましたさかい、迷惑市民やったら当たってるかも知れへんけど、そんな~んオーバーですわ。
 長浜ってね、昔から日本のお臍みたいな所やったさかい、戦国時代よりもっと昔から栄えていたんですよ。
そんな中で私たち先祖さんの偉いのは、観音様から鮒ずしまで、沢山の‘幸せ遺産‘を残しておいて下さったことですわ。それをお借りしてちょっと、いじってみたのがこの町じゃないかと思ってるんです。
お蔭さんで市民の年齢は、千年も生きておられる観音様に、ちょっと近づけたでしょうか、そおして、観音様の優しい御心も少しは戴くことができたでしょか?
長浜の街並みは、ドバイやパリや香港などにも負けない、独特の発展を遂げましたが、体と心に優しい長浜の科学と気風が、さらに新しい人生を生み出してくれたのだと、感謝しながらお客様をお迎えしています。
大分前に長浜を訪れたある方が「ここに来て心身共に人間が変わった!」と云われたんです。今日のお客様もそんな風に仰るんです。うちはその言葉を胸に秘めて、お客さんに接しています・・」
ここで拍手が聞こえてくるのを感じて、一息入れてから、
「そらー、ここは古いものを土台にして再生した町ですさかい、古臭いところは有りますけれど、それを肥やしにして美しい花の咲く、長浜でありたいと願っています・・」 さらに拍手が大きくなる。
「また騒がしてしまいました。ではお言葉に甘えまして [迷惑市民賞]を戴くことにさして頂きますわ。有難うございました」
ステージには市長やロボちゃん、四名のゲストらも駆け上がってきて、ガイドの浜子を抱きしめた。
会場は歓喜の波が押し寄せる中で、再び浜子は、
「ゲストの皆さんが貰った玉手箱、あれ何が入ってるのか? 今ここで開けて見せてくれませんか・・」
 演題の上に乗せていた玉手箱を、四名は一斉に開け始めた。
一瞬場内は緊張した。
 蓋が開く、中から虹のような七色の煙が出た。 煙は天上高く昇り始めると、何とその中には余呉の天女らが舞っているではないか・・するとまた箱の中から、ピカピカに輝くクリスタル ガラス製の十一面観世音菩薩像が飛び出した。
 浜子に向かって司会者は「ご感想を一言お願いします」
「うーんっと、うち長浜太郎になったみたいやわ!」                       完

横山義淳
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横山義淳

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