変化
私は何者なのだろうかと不思議に思うことがある。今考えている私。何者にもなれない私。流れていく日常の中でふと気が付いた時に、これでよかったのかと自問自答する瞬間がある。アイデンティティ。日本人の私には少し馴染みがなく考えづらい言葉ではあるが、『自己同一性』と訳すよりはしっくりとくる表現だ。自らが何者であるのか考える。心理学的に見ても自分がそのような時期にいることはわかっているが、それでも問い続けてしまうのはそういう性なのか。ふとした瞬間に考える。
夏だ。うだるような暑さがじっとりと肌にへばりつく。けたたましい蝉の声。木立の陰にいても降り注ぐ日差しは空気を温め、私の体から水分を奪う。
滴り落ちる汗が額を流れる。
眼前に広がる琵琶湖は暑さとは対照的に涼しげに青色をたたえている。より返す波の白、光を反射してキラキラとゆらめいている。
なぜこんなにも暑い日にわざわざ琵琶湖のプランクトンの採集などをしようと思ったのか。授業計画にもの言いたくなる。同じ班の学生たちも暑さからか気だるげな顔をしているように思う。
「棚橋くん、次お願い。」
バケツを渡される。うだるような暑さの中直射日光の元へ出ていくのは気が重いが、これも授業の一環、やらなければならない。
刻一刻と変わって行く波間の様子を眺めながら、私は昔のことを思い出していた。幼少の自分よりずっとこの滋賀県で生きる自分にとって琵琶湖は慣れ親しんだものであり、同時に何か特別な感情を抱く対象でもある。一歩踏み出す。熱く焼けた砂が肌を刺す。
何度か歩を進めれば波打際だ。熱い砂が纏わり付いて不快な足を冷たい琵琶湖の水が洗い流して行く。
冷たい。草が生えた砂浜はあまり裸足で歩くのには適さない。折れた茎が足の裏を刺すが、あまり気にはならなかった
適当に琵琶湖の水をすくう。こんなぐらいでいいだろうか。こういったものの手の抜きかたも少しづつわかるようになってきた。
さあ戻らなければ。
「―――であるからして、ーーー細胞はーーー。」
昼過ぎの講義はどうしてこうも眠たくなってしまうのか。疲れとスライドを写すために薄暗い教室の明かりがなんとも眠気を誘う。教授の声が少しづつ遠のき、聞こえる言葉が言葉ではなく意味を持たぬ音へと変化してゆく。
眠い。周りを見渡せば所々で船をこく頭が見える。今朝提出のレポートがあったからなのかいつにもまして講義室には眠たいぼうっとした空気が流れている。必死になってノートを取ろうとはするものの、すでに数分前からノートに書かれた文字はミミズが這ったようになっており、後から判別できそうにない。
きちんとノートをとってそうな友人を見回して確かめる。後で見せてもらおう。菓子の好きな友人のことだ、チョコでも持っていけば快く見せてくれることだろう。もうそろそろいいか。あらがいきれず、徐々に落ちて行くまぶたの重さに身を委ねた。
大学生になって数ヶ月が経った。新しい生活にも慣れ、充実した日々を送っている。講義も私にとって興味深くはあるが難しすぎるということはなく、日々自分自身の知識が増えていく感覚が心地良い。
まれに寝てしまうこともあるが一般的な大学生として少々の居眠りは許容範囲内だろう。言い訳にすぎないことは理解しているが、眠い時はどうあがいても眠たいものだと思う。中学、高校ではよく居眠りをして怒られてしまったものだが、大学ではそうはなりたくはないものだとは思う。琵琶湖の辺境の地の大学に決まったときは一体どのような生活になるのかと不安半分だったが、実際生活をしてみると図書館の蔵書があまり多くないことは少しの不満だが今はインターネット等もあり、特に不自由をしているわけではなく概ね満足いく生活をしてるといって問題ない。
専門に特化した大学という特徴もあり、集うのは気の合う人々。昔からよく見知ったように気心の知れた人間がいることは好ましいことだと思う。かねてより理系の考え方を持つ自分には文系の人間とはー恐らくは多分に偏見が含まれているのだがー合わないと感じることが少なくなかった。様々な人間と交流することの大切さは理解していても、気の合う人間といる方が心地よいのは事実であり、そういう意味でも大学の選択は間違っていなかったとは思う。
昔から私はなにかを「知る」ことが好きだった。幼少期の愛読書は図鑑。分からないことがあるとすぐに周りの大人たちに質問して、困らせていたような記憶がある。
もしかすると知るとこが好きなのではなく知らないことがあることが怖かったのかもしれない。
どちらにしても、結果、私は好奇心と知識欲の塊として育ち、興味のあることは徹底的に調べるといった習慣ができた。少し大人になると、知らないことを知るより、それにかけるための手間と努力の方にばかり目がいってしまい、純真にただ知識を追い求めることは少なくなった。
だが昔ほどではないが知識を身につけていくことを好ましく思うのは今も変わらない。故にこの琵琶湖のほとりの大学に来ることになったのかもしれない。
「なあ、棚橋、何読んでんの?」
図書館で本を読む私に声をかけてくる影が1つ。いつもながらこいつは遠慮や躊躇という言葉を知っているのかすらあやしいほど馴れ馴れしく声をかけてくる。私自身が嫌というわけではないが、そのメンタルの強さは見習いたいものがある。
「…歴史だけど…。」
「あれ、お前そんなの読むっけ?いつもTOEICや数学の本しか読んでないよな。」
意外とこの男は人が読んでいるものを覚えているらしい。たしかに数ある学問の中でも最も苦手と言っても過言でない歴史の分野の本を読むことは私にとって珍しいことだというのは間違いない。
「まあ、なんというか、目に付いたから。」
「へぇ…。」
納得したのか納得していないのか。適当な返事だな、と思わないでもない。適当にごまかしたが、自分でも何故この本を読もうと思ったのか満足いく説明ができないのだから仕方ないのだろう。
「にしても…『長浜の歴史と文化』か…。」
講義で使うわけでもないのによく読むよ、と独り言のようにあいつは呟く。実際べつに私に聞こえようが聞こえなかろうがどうでもよかったに違いない。現にこちらの反応を伺うような様子もないので、私もそう思うよ、と心の中でのみ返事を返した。
長浜。私自身はこの場所の出身ではないが関わりが深い土地であるというのは間違いない。
私にとって長浜といえば、幼少期の記憶が一番にくる。あまり体の強い子供ではなかった私は詳しい理由こそ忘れ、恐らくは聞かされても幼い私には理解できなかったのだろうが、とにかく数ヶ月に一度長浜赤十字病院に通っていた。
私の身の回りの病院の中では一際大きな病院であり、まだ幼かった私はそこを訪れることに少しの恐怖を感じていた。
その小さな恐怖をきっと母は知っていたのだろう。そこを訪れるとき母は私を連れて長浜の街を歩くのだ。
病院を出て駐輪場の横を通り、駅の方へ向かう。母はいつも歩みの遅い私に合わせて歩を進める。手を引かれて歩けば、古い街並みが見えてくる。黒壁スクエア。当時はその名は知らなかったが、憂鬱だった病院行きが好きになる瞬間だった。
広い道、見知らぬものを売る店。私はここにくるのが本当に楽しみだった。アーチの屋根は、強い日差しを柔らかく、暖かな日差しに変える。規則的に並んだ石のタイル。少しずつ歩みを進めれば活気ある店の喧騒が耳に入る。
ここまでとは逆に、早くいこうと手を引く私に笑いながら母が付いてくるのだ。ぼんやりとした記憶の中で覚えていることはそう多くない。それでもそのとき感じていた色を、匂いを、ワクワクする感情を、私は覚えている。
特別変わった思い出ではない。ありきたりの誰もが経験するような思い出だろう。それでも今もあざやかに思い出すことができるのはそれが私にとって特別な記憶であるからなのかもしれない。長浜、この土地に少し特別な思いを抱いてしまうのはこの記憶が原因の一端なのだろうか。
「明日からの夏休みどうすんの?」
いつもながらこいつの話は脈絡がないなと思う。今は別に図書館にいるわけでも本を読んでいるわけでもないのだから別にいいのだが。
「どうするってな…まあ実家には顔出すよ。」
「お前の実家彦根じゃなかったっけ…めちゃくちゃ近いのに『顔出す』程度なのかよ…第一なんでこの距離で一人暮らしするんだよ…」
どう考えても呆れられている。京都から通うこいつにとっては心底理解できないのだろう。実際問題、実家からでも三十分程度で通えるのに、大学近くで一人暮らしをする、なんていうのは無駄なことでしかないのだろう。
「まあ…一人暮らし、してみたかったからかな。」
嘘はいっていない。言っていないことは多いが。そうかよ、と少しむくれる彼はきっと一人暮らしに憧れている。そんなにいいもんでもないぞとは思うが口には出さなかった。
「とにかく、暇だろ?遊ぼうぜ。やっとテストも終わったしな。」
強引だとは思うが特に拒否する意味もないので承諾すれば途端に嬉しそうな顔をする。わかりやすすぎる。犬か、と思ったが言わない方が賢明な判断だろう。
「じゃあさ、先輩に割引券貰ったし、黒壁スクエア行かね?」
「…近いな、てっきり遠出するのかと。」
「そうしたいけど、そんな金ねぇよ…」
違いない。バイトはしていても大学生というものは何だかんだ金がかかるものだ。先月、彼女へのプレゼントを奮発しすぎたと嘆いていたこいつであればなおさらだろう。そこまでではないものの一人暮らしをする自分も金銭的余裕があるわけではない。無論、近場で済ませることに異論はなかった。
「それじゃ3日後、十時集合な。」
言いたいことだけ言ってまた去って行く。忙しいやつだ。慣れてはいるがどうしても振り回されている感じが否めない。仕方がないか、とすでに別の友人に声をかけている背中を見て思う。
問いかけられたからだろうか、自分が一人暮らしを選んだ理由を考える。なんとなくしてみたかった。それも理由の一端であることは間違いないが、大きな理由は親の庇護下から抜け出したかったということが大きいのだろう。
私の親は非常に素晴らしい人間であるとは思う。今まで何不自由なく育ててもらった。だからこそ少し怖くなってしまったのかもしれない。ろくに苦労もしていない人間がたどり着くかもしれない可能性の一つに。苦労、苦難を経験した人間はそうでない人間と比べ何かしら『違う』ものであると思う。それには良い面も悪い面もあるのだろうが、その違いを経験してみたいと思ってしまった。それは一種の羞恥心であるのかもしれない。周りの人間には学費を全て自分で賄っている人もいれば、親の不仲が原因で結局大学に行けなかった人もいた。そういった一種の苦労、苦難を聞くたびに私の中の何も苦労していない自分を恥じる気持ちが急速に成長していったのだ。故に、少しでも恵まれた環境から抜け出したいと望んでしまったことが一人暮らしを始めた要因なのだろう。
黒壁スクエアを訪れるのは何年ぶりだろうか。幼少期の記憶と変わらず…いや、その頃よりは屋根は低く、道は狭くなったように感じるのだが、香る美味しそうな食べ物の匂いも、キラキラとかがやく日差し、観光客の興奮する感情も、あの頃のままだ。あの頃のようにゆっくりと歩みを進める。
親子だろう、母親の手を引く子供。笑みが零れる。あの頃先行く私は知らなかった母の顔。この親子の母のように優しく慈しむような顔をしていたのだろうか。
「どうかしたのか?」
先行くあいつから声がかかる。知らない間に立ち止まっていたらしい。8月、夏真っ盛りの今は直射日光は当たらないといっても非常に暑い。立ち止まっている間にも額から汗が滴り落ちる。今日の最高気温は何度だっただろうか。
「…あれ、こんな店あったっけな。」
足を止めてしまったのはガラスのアクセサリー屋。比較的最近できたものなのか綺麗な店構えでピアスやブレスレットが売られてるのが目に入る。客も若い女性客がメインのようで楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてきた。
「へぇ、いいな。棚橋はピアスとか開けねぇの?」
「…痛そうだし怖いからやめとく。」
「別にそんなに痛くはなかったけどな。ま、そっちの方がお前らしいよ。」
笑う声。興味がないわけではないが、手間や痛みのことを考えると面倒だという感情のほうが勝ってしまう。私らしいとはなんだと思うが、こいつの思う『私』はどうやらピアスをしない方が良いらしい。
歩いているとアーチ型の屋根が途切れ、不意に周りが明るくなる。キラキラと美しく光を反射するガラスがいくつも並べられているのが目に入り、この暑さでも涼しげな雰囲気を作り出している。風鈴といい、ガラスがなぜこんなにも涼しさをイメージさせるのかということは疑問の1つだ。とはいえ、いきなり直に直射日光を浴びるのだ。今日のようにジリジリと照りつける太陽の元ではガラスの涼しさもあまり効力を発揮しないように思う。
「なあ、大通寺行ってみようぜ。」
いつものことだがこの男は唐突だ。この男はこの暑さにもかかわらず年甲斐もなくワクワクとしているらしい。無論それに付き合うのはやぶさかではないし、コロコロと表情を変えるのを見ているのは小動物のペットを愛でるような面白さがある。
というか今言うのか。黒壁のガラス館と大通寺は黒壁の中では比較的遠い。この暑い中、移動するのに少し気持ちが萎えるが、割引券を譲ってもらっている以上付き合わなければならないだろう。
大通寺へ向かう道も幼い私が何度も通った道だ。黒壁のメインストリートの派手な店を外れ、昔からあるのであろう店や家屋が立ち並ぶ。一体いつからこの街はこうあるのだろうか。元は長浜城の城下町。そういえば教授が楽市楽座の原型ができた場所などと言っていた気がする。
ふと目に入った大通寺前の角のお菓子屋。まだ営業していたのか。鮮やかな過去の情景が眼前に広がる。母に手を引かれ何十年も前から営業しているであろうお菓子屋に幼い子供が入っていく。こういった形式の店に慣れていない子供は緊張しているが、あまり見慣れないお菓子に目を輝かせている。
そんな子供の様子に笑いながら母が買ったのは普通のお菓子ではなくハトの餌。大通寺にはハトが多くおり、そのハトたちに餌をやるのがこの黒壁観光の楽しみの一つだった 。
ふと現実に帰る。鮮やかな記憶の店よりは少しくたびれたようにも見えるが、おそらくは昔からそうだったのだろう。そしてこれからも。店の端に「ハトの餌」と書かれた段ボールが見えてふっと頰が綻ぶ。変わらないことは時としてよくないことのように扱われるが、私はこの町には変わらないでほしいと思う。今も、これからも。なぜ昔と変わらないものを見つけるとこんなにも嬉しくなるのか。まだ子供の端くれから抜け出せない私に『郷愁』などという言葉は実感がないし、故郷でもないのだが、この懐かしさのような暖かな感情に名をつけるのならば、そのような言葉が当てはまるのかもしれない。
向き直って目に入る大きな大通寺の門。両脇に並んだ古い街並みの真正面に見えるその門は古き良き趣を感じさせる。
「なんか、この門って長浜城にあったものらしくて戦の時の後とか残ってるらしいぜ。」
「…しっかり下調べしてたんだな。」
「黒壁について調べてたら出てきたわ。」
性格に似合わず勉学が得意な彼の秘訣はこの辺りにあるのか、と思う。だからこそ、内向的な自分と馬が合うのかもしれない。
門を通って境内へ。目に入る鳩の群れ。懐かしさにそっと頰が綻ぶ。
ふと見渡して気がつく。遊具がない。おさない記憶では確かいくつかの遊具が置いてあり、長い間遊んでいたような気がしたのだが。
最近は公園等でも遊具の撤去が進んでいるらしい。確かにあそびかたによっては危険なものも少なくはないということは事実だ。実際、公園の遊具で適切ではない遊び方をして怪我をしたことは1度や2度ではないが、子供の頃は怪我をしても当たり前に思っていた。
これも時代の流れかと納得する気持ちと少しの寂しさが胸を締め付ける。
変わらぬ物などないのかもしれない。
「一通り見たし、そろそろ帰るか。」
「…案外あっさりなんだな。」
「近いんだし何度でも来れるだろ?今端から端まで見たら楽しみがなくるだろうが。」
「お前結構女々しいな。」
長浜駅への帰路を歩きながらいくつか考えることがあった。いつでも来れる。あいつはそういったが果たして本当にそうなのだろうか。次に来た時は私の知っている黒壁なのだろうか。何が変わり何が変わらないのか。街は変わる。人も変わる。時代に合わせて、人に合わせて。全てが変質し、そのもの自体ではなくなってしまうかもしれないことはなによりも怖いことだが、きっと変わりゆく中で決して変わらないものもある。
この街は穏やかに変わっていく。
人を変え形を変え。
けれどそこが黒壁である以上、決して変わらないものもある。
一つ、一つだけ芯になり、そのものであると定義できることがあるのならば、変化もまた許容できるのかもしれない。
私もまた変化していく。何者でもなく何者でもある私に。何者だろうかと考えてみても私は私以外の何者でもなく。私という生を生きるほかない。たとえ私が私で無くなるほどに変質し、私が私であったことを忘れてしまっても、生きて行ける。私個人を示す名がある限り。
変わらない、変わりゆく街のように。