野村橋  再生

滋賀県の長浜市、琵琶湖に流れ込む川の中に姉川があります。歴史で聞いたことがあると思いますが織田信長と浅井長政との戦場で有名な姉川の戦いが行われた場所です。その川に架かる野村橋。大阪から嫁いだ佐和子は通勤のたびにこの橋を渡っていました。姉川の古戦場として観光の河原でしたが、春には桜の花が満開に咲き乱れ夏には涼しさを川の流れに感じ、秋には美しい月を、冬にはまっ白に凍てついた世界が広がっていました。野村橋は老朽化が進んで、数年前から車で通行出来なくなっています。その石の橋に佐和子は長い時間欄干の傍に立っていました。
今は初秋、酷暑だった季節を過ぎて暑くもなく寒くも無い、ちょうど川の流れる先の山々に日が沈もうとする時刻でした。今は河原の草は伸び放題、姉川の周囲に植えられた桜の木も葉が茂り夕日にきらめいていました。川の水は留まる事をしらずに次から次へと流れていきます。佐和子がそれを見ているか見ていないかはおかまいなしに。ピ~ヒョロロと姿は見えないが声だけが聞こえる鳥のさえずりがひびきます。
 あれは同じ佐和子だったのでしょうか。三年ほど前のおはなしになります。銀色の全身が映る鏡の前で彼女は上から下まで何度も見返していました、左右に体の向きをかえながら。顔を近づけては口元のしわを延ばしたりもしていました。50歳というきりの良い年
齢を目指して佐和子が卒業した中学校の同窓会が開かれることになったのでした。LINEが出回っているので、友達の友達は皆友達だとゆうかたちでで、いわゆるねずみこう式で、アッという間に五十人を超えるグループLINEができていました。佐和子も昔からの友人久美子に招待されて大阪中学卒業生というLINEの仲間に参加していました。
 佐和子にとって一番うれしかったことは、そのグループの中に中学時代に好きだった川崎遼太がいたことでした。決してこの三十年以上の間彼を思い続けたわけではありません、結婚もして子供も三人育ててきました。でも彼と再会できると知ってからアルバムをめくるように色々な記憶があふれて来たのです。
女子からは人気のでなさそうなゴリラを思わせる見た目の彼に佐和子が恋心を抱いたのはいつからだったのでしょう。中学三年生の新しいクラスで席に着いたとき前に座っていたのが川崎遼太でした。身長が165センチの女子だった佐和子にとっては180センチ以上の見上げる大きな男子だっただけでうれしくなる存在でした。でかさと睨みが効いたせいでジャイアン的存在になっていた少年でした。たぶん女嫌いではないにせよ女性と口をきいたこともないシャイなタイプだったように思いました。
美人とはいえない様姿でしたが、誰とでも気さくにしゃべる佐和子と口下手だけど男気あふれる遼太は毎日一緒に過ごす内に何でも笑いあえる仲になって行きました。
同じバスケット部でも運動神経が良く男子部のエースだった遼太と運痴で試合にも出られない補欠の佐和子でしたが見ている世界は同じでした。中学の修学旅行は九州の旅、
観光バスの中で歌ったりクイズしたり、場面が写真のようにはっきりと思い出されました。夏休みにはお互いの友達と遊んだり受験生らしく勉強したりまるでグループ交際のように出かけたり・お互いの家に遊びに行ったりしたものでした。遼太は佐和子の連れてくる美人の友達に緊張して、会話がしどろもどろになりました。佐和子には面白い出来事でした。夏の夕暮れを遼太のこぐ自転車の後ろに乗って背中にくっついてはしりぬけたこともありました。秋の気配を感じ始めたころ、塾でお泊りの勉強会がありました。眠れなかった佐和子が外の空気を吸いに行ったとき、夜中の静まりきったひんやりとした空気の中で遼太と出会って道端に腰掛けて月を見ながらゆっくりと二人で時間を過ごしたことが佐和子の恋の始まりだったのでしょうか。運動会の練習、受験中学三年生の秋は彼らにとっては一度しかない時間でした。成績が良くて難関校を受験する遼太の悩みの種になってはいけないと勉強の方も平均点だった佐和子は真剣に考えて振られる覚悟で告白したのでした。彼らが通っていた小学校の校庭に呼び出して思い切ったことをする自分に戸惑いながら当時一番のおしゃれをして大きな柿の木の幹の傍にたっていました。三十五年経っても思い出しただけで、恥ずかしくなるシチュエーション。そして以外にも遼太は二人の友情を大切に思ってくれたのか付き合おうと言ってくれたのでした。あまりにも意外で振られることしか考えていなかった佐和子はその日以降、彼を素で見ることが出来ませんでした。彼の姿が目に入ると心臓が飛び出るほどドキドキ打って顔が真っ赤に染まりました。あの頃もっと佐和子自身に自分を誇れるところがあったならちゃんと遼太の顔を見てはなせたのでしょうが佐和子には話す勇気もありませんでした。付き合えることになって幸せな気分だった時、友人とふざけていた佐和子は、突然中学校の壁に笑いながらぶつかって前歯二本の半分ずつを失ってしまいました。人の顔から前歯がなくなるとびっくりするほど人相がかわるのです。毎日マスクをして、しゃべれなくなった佐和子に遼太は優しく見せてごらんって言いました。それを信じてマスクを外した時、佐和子は終わったーと感じました。それ以降くちもきけないまま卒業してしまったのでした。平凡な公立高校から短大に進み、就職して人並みに恋愛も経験して、25歳で結婚三人の子供も自立して行った今。長年仕えた舅も昨年見送り肩の荷を下ろした気分の時にこのLINEに参加することになったのでした。目いっぱいのおしゃれをして大阪の同窓会に出席した佐和子には出会う懐かしい顔に感動を覚えました。もちろん皆それぞれに年月は経っていましたが以外にも年輪を重ねた女性陣の美しさに驚きました。男性陣の歩いてきた人生を感じさせる風貌にも。佐和子がのほほんと刺激もなく田舎で暮らしている自分を少し恥ずかしく思ったりしました。
いよいよ遼太の姿を見つけた時には申し訳ないくらいのおもいでした。彼は東京で友人と会社を起業した成功者の風でした。懐かしくそばにビールを注ぎに行った佐和子にマジマジと見つめた後「卒業アルバムにはかわいく写ってたのにね」優しい口調で告げられました。彼もきっと再会を楽しみにしていたのに違いない、彼の期待に応えられなかった佐和子は大きくへこみました。
50歳の集団は子育てに一段落して、やっと自分の時間を持つことのできた大人の集まりでした。結婚している者、していない者,離婚した者、仕事も様々だけど同窓会の中では上も下もなく嫌な者はやめればいい気楽なグループLINE、そして少人数で飲み会が大阪。東京で開催されるようになりました。佐和子は携帯の中の会話から登場人物の人となりを想像して楽しみました。そして半年に一度程度の飲み会を楽しみにしていました。
もともと明るくて同性の友達は多かった佐和子は年月を重ねてますます魅力的になった新しくも古い友情を飲み会で育み、たまにしか会えない遼太には中学三年生の当時の緊張感を感じて話すことのできない初々しい自分の気持ちを持て余していました。35年ぶりの再会は15歳の時の恥ずかしくて緊張する感情が蘇るのです。始めの頃はただ遠くから口もきけずに見ているだけでドギマギしていました。昔からの友人に五〇にもなる女は気持ち悪いと言われ。うきうきする気持ちに年齢は関係ないと今なら大きな声で言える佐和子も当時、自分を見るのも恥ずかしかった気がしました。大人を過ぎた女にとって、恋は遠いものでした。遼太を目で追う飲み会に何度か出ました。東京の夜,少し遠目に遼太を見ながら、別世界のおしゃれな店に感動を覚えました。女友達と沢山の旧交を温めながら遼太に少しだけ近づいて彼が恥ずかしがり屋の男だったと気がついて昔の性格を思い出しました。大阪の千里中央の夜では、初めて目の前の席に座って二人しか知らなかった懐かしい話をしました。人生も後半にさしかかり、子育ても一段落した女性の佐和子にとって遼太との再会はとてもいい学びになりました。家庭を持ちながら、テニスにランニング、スポーツ観戦と沢山の趣味を持ちそれを心から楽しんでいる姿は輝いていました。そして東京を訪れる旧友をフットワーク軽く歓待していました。子離れした寂しさを佐和子は遼太を見習って趣味や行動することで埋めていきました。半年も過ぎると佐和子も少しずつ自分を取り戻し気さくな女性になっていきました。大阪LINEの中で遼太は子供も三人、嫁とは上手くいってない風でしたが、佐和子と共通する趣味を持っていて彼女もたくさんの楽しみを知りました。何より遼太の行動力には一目置きました。東京で人を集めるのには先ず自分が動く事それは家族に縛られていなかった故にできたことかもしれませんが、他の人はしりませんが佐和子の眼には良く写ったのです。一年もたつと遼太の欠点もみえてきました、おんな好きなところ酒におぼれるところ、すぐにものを無くすところ泥酔して口を開けて寝ているところなど百年の恋も覚めました。始めはときめいていた佐和子も長年連れ添った主人である和行と変わらない遼太に緊張の糸もほぐれていきました。佐和子の肩の力が抜けてほがらかにしゃべれる佐和子がもどってきました。何事も隠せない彼女は昔の懐かしい思い出を遼太に話しました。だれも振り向かなかった彼の良さを初めに気付けたのが少し自信になりました。佐和子にとって一年に数度しか会わない彼が女を磨く材料としてとても素晴らしい目標になったことは人生の楽しみを見つけられて、きらめいていました。滋賀の美しい自然の中で和行と過ごし、都会に巣立った子供たちを思い、仕事も順調でした。
お盆と正月には大阪に帰ってくる遼太を始めとするみんなとの飲み会に着ていく洋服を選ぶ楽しさ。
 そして、何が起こるかも知らないまま新しい年を迎え新年会に参加していました。いつものように飲んで歌って気分よく過ごしていた時、珍しくマイクを持った遼太は佐和子の肩に手をかけました周りには酒に酔った男友達がたくさんいたのに佐和子には違う世界にワープしたような気分でいました。自分からは手を出さないはずの遼太だったから、たった一曲分の時間でした。遼太は佐和子に告げました。昔も結婚相手も、そして今も女を見る目ないんだよな。外見や周りの評判で好きになって本質を見抜けない。美人の奥様に食事も作ってもらえないなんてちょっと笑えます。佐和子はこの年になって、なんでも話せそうな、好ましい人ができて本当によかったと思いました。今日こそ今までの事をたくさんしゃべろうと心に決めていました。けれど女友達が携帯を忘れてしまい、それを届ける為にその場で別れることになったのです。まさかそれが一生の別れになるなんて思いもせず。
しばらくして、体調を崩した佐和子は突然倒れました。入院生活をすることになったのですが、その時でも遼太はLINEでいつも励ましてくれていました。元気になったら飲み会をするぞ、快気祝いはいつにしようかと。佐和子は健康な体を取り戻すためにまだ寒い時分から散歩を始めました。毎日、日の沈む前に長浜の田んぼが目に入る景色いっぱいに広がる道を一時間くらいかけて歩きました。めったに誰ともすれ違わないので携帯の音楽をイヤホンにする必要もなく流しっぱなしで。季節は毎日進んで行きました。日の沈む時間はどんどん遅くなり日が短くなっていったと思ったら銀世界になったり、着る服も一枚ずつ増えて、手袋にマフラーみみあてまで。でも世界中で佐和子しか見ていない、見ることのできない美しさでした。遠くの山々に囲まれた滋賀独特の広がる田園風景は彼女一人のものでした。春の気配を感じたころに突然遼太の訃報が伝わりました。まるでしみいるように佐和子の心を蝕んでいきました。川崎遼太はとても健康を気にしている人でした。運動も人一倍していました、そんな彼は5キロほど走った後携帯を持ったまま亡くなっていたそうです。たぶん心筋梗塞だったのでしょうか。彼女の生活は何一つ変わるわけではなく。同じように毎日が過ぎるだけでした。
佐和子の夫である和行は絵にかいたようなまじめな男でした。自由気ままな大阪おんなと結婚したという以外は田舎の長男、いえ長浜の長男らしく、義父が生きている間は義父の言うことを守り長浜の人づきあいを何より大切にして仕事に励むひとでした。だから妻である佐和子や子供のことには手が回らなくても家のことは佐和子がしっかりと守っていたので何の支障もありませんでした。もちろん結婚当初は家族を大切にしてほしいとケンカもしましたが結婚生活が長年続くとあきらめ半分、慣れが半分で不満を見せなくなる夫婦が多いのではないでしょうか。もちろん夫婦がお互いを理解して相手を思いやっている関係のとてもうらやましいところもたくさん知っています。佐和子の夫は妻を自分の半身だと思うのか他人には気を使うのに妻には横柄な態度をみせることもありました。律義な性格は入院中も例え5分でも毎日顔を見せるところに出ていました。佐和子は毎日じゃなくても時間を気にせずゆっくりしてほしかったのに。佐和子は自分が恵まれていることを知っていました。真面目な夫、かわいい子供たち、田舎の持ち家。少しずつ治っていくからだ
なのになぜ涙がこぼれるのか。まるで愛する人を失ったみたいに。佐和子が心から愛しているのは子供たちなのに大切にしなければいけないのは和行なのに。
佐和子は体を壊して、初めて滋賀の美しさに気がつきました。毎日仕事と子育てに追われていたころはまわりを診る余裕さえなかった。和行はこんなにきれいな自然に囲まれて育ったのにきっとこの感動すら知ないにちがいない。たくさんの人々は忙しい。それを全てのいいわけにしています。忙しい理由が仕事だったり子育てだったり。それを盾に毎日が過ぎていく人のなんと多いことでしょか。和行の全てをそれで許して認めて来た佐和子自身もそうでした。でもそれも自分が選んだことだと知っていたのでしょうか。生まれてから死ぬまで運命は決められているわけではなく一つ一つの道を選んで今ここに立っているのです。
そして病と遼太の突然の死によって、佐和子は美しい自然に囲まれた景色の中で動けなくなってしまった自分を感じていたのでした。
人生が八十年だとしたら、山を登りきって後は降りるだけの後半の人生、思うように体が動かなくて、気分も優れず、同い年の友人を失い、悲しみの中にいる佐和子はそれでも前を向いて生きなければいけないのでしょうか。佐和子には先に進む人々がまぶしく写りました。たとえばリハビリセンターで隣に座る八〇歳のおばあちゃん、笑顔の彼女もたぶん
友人の死や夫の死を乗り越えているはず、なのに明るく生きている・なんて強い人のでしょう。
佐和子は前に進むために目の前にある小さな喜びを見つけようとしました。少しでも笑えるように。足を鍛える為に十月にあるお市マラソンに参加することに決めました。病の前に十キロで参加したのですが今回は三キロでも走ってみようとおもいました。そしてもう一つは息子がくれた一枚のコンサートのチケットでした。それは息子が中学校の時からファンだった滋賀出身のロックバンドのものでした。九月にコンサート、大好きな息子とでかけられる。それを目標に目の前の悲しみから逃れたかったのです。
佐和子は毎日歩き続けました。田んぼの中のあぜ道を色々な音楽を聴きながら流れる音楽の歌詞に涙あふれる時もぬぐうことなくあるきました。
息子が好きなロックバンドの歌詞に佐和子の心は大きく揺れました。この音楽に共感する若者がたくさんいるこの世界に安心感をもらったのも本当の話です。
両親の死を乗り越えて来た佐和子でしたが、遼太の死は彼女が初めて経験する近い同年代の突然の死でした。予期しない事は人が歩く道のどこかで急にやってくるのです。毎日の生活当たり前の日常がどれほど貴重で大切なことなのか、天災や人災己では防ぎようのない一瞬の出来事で失ったり、壊されたりして、初めて気がつくものなのです。

人生の後半にさしかかった佐和子に振り掛かったできごとでした。この年まで知らなかった事が今までが恵まれた人生だったと気づかされ、先に生きている人々は強い人だとゆうことも学びました。
歌を聴いて佐和子は遼太が仲間だったと気がつきました中学の時代に出会い再会して会えることを楽しみにしていた友。振りかえると佐和子には沢山の大切な友がいました。学生時代の友、子育てを一緒にしてきた友、LINEで再会した友。そして何よりそばにいる家族。止まっていた佐和子は動き始めなければ、まだまだ止まっていられません。
沢山の友を持つとゆうことは沢山の別れも経験するとゆうことなのでしょうか。昨日までの佐和子はハッピーエンドが大好きで幸せに暮らしました。と物語は終わると思っていました。そこからまた物語が始まることに気付かないまま。
川の流れは止まる事を知らず、悲しみも持ったまま流れていくものなのです。
暑かった夏が過ぎて、残暑の残る九月に息子がロックバンドのコンサートに連れ出してくれました。体を壊さなければこんなに優しい息子とコンサートに行くことなど無かったでしょう。佐和子は負の呼び起こす幸せもあることを知りました。楽しみが終わったらどうしようと心配していましたが、次の目標になるマラソンのウエアを購入して、また今度はお市マラソンに向けてスタートしている佐和子がそこに居ました。

佐和子は色々な悲しみや痛みをこれから経験していくのでしょう。今までの恋愛や結婚や子育てで味わった楽しさや幸せ。それと同じだけの、もしくはそれ以上の痛みを。突然の別れで感じた悲しみの前に遼太が教えてくれた三十年以上前のドキドキ感や切なさも全てセットにして佐和子は受け取るものなのです。もちろん遼太だけではなく、家族や友達一人ひとり全ての。悲しみも喜びもこれからひとつひとつを大切に想おうと佐和子は決めました。
野村橋にもう一度でかけます。川の流れを見つめる為に。

くくるん
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くくるん

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