アバン
ごぽりと大きく水泡が浮き上がる音が響く。
琵琶湖底よりもさらに底、深海のように暗いその水の中で、彼らはニヤニヤと笑みを浮かべていた。
その肌には鱗のようなものがあり、手には短く水掻のようなものもある。
明らかに普通の人間とは思えないぬっとりとした瞳で、彼らは頭上に空いた穴の先に見える、かすかな光を見上げた。
「ついに侵攻の時は来た」
歓喜に震えるような声だった。
声の主はぬらぬらと大きな体躯をしており、黒く、得体が知れない不気味さを持ち合わせている。
さらにその声は水の中ですら地を揺らすかと思うほど低く、雄々しさよりも怨念を感じさせた。
彼の眼前には、数人の人影が跪いているのが見える。
やがて彼はぬらりと光る指先で眼前に居並ぶ数人をぐるりと指さすと、彼らはその指先に、ぐっと喉元を見せることで敬意を示した。
その姿を見止め、彼は歓喜のままに巨大な口を開く。
「今や地上は暖気を増し、海の上昇と空からの水責めに喘いでおる。哀れ陸上生物たちは沈む足場に嘆き、自らの無力さを痛感するばかりよ。今こそ我らニホウミトが地上に出でて、奴らに代わり光と空気を我らが手中にしようではないか!」
荒ぶる声色に、おぉと大きな歓声が上がる。
その中で上から頭部を押し潰されたようなシルエットの男が、意を決した様子で立ち上がった。
「ビワエンシス様、どうか先兵の誉れは私に! 必ずや晴れ晴れしい功績を献上致します」
喉元を見せる敬礼の姿勢を保ったまま進言する男に、周囲からは小さな舌打ちすら聞こえる。
しかしそれを無視し、ビワエンシスと呼ばれた大男はふむと頷いて見せた。
「イサダか。ここより上の水域では無法者共によってお前の仲間が虐げられていると聞く。良かろう、存分に力を振るうがいい」
「ありがたき幸せ! すぐに侵攻の準備に入ります! たゆたいと安寧を我らに!!」
許可を得た喜びに目を輝かせ、一礼して踵を返す。
その背中に、どこかから小さな嘲笑が落ちた。
「なんとも勇ましい。イサダのような小者にもあのような抜け駆け精神があったとは」
途端、周囲からは押し殺したような忍び笑いがあふれ出る。
ただしビワエンシスはそれを一瞥し、眼光のみで沈黙を強いた。
「抜け駆けようとする気概もない者どもが、軽々に同志を嘲笑うでないわ」
沈黙の中、再びごぽりと水泡が上がる。
身動き一つできないほどの緊張感で全員が身を強ばらせる中、ビワエンシスはその目をじっとりと細めた。
「だが今は機嫌が良い、お前たちの心なさを赦そう。たゆたいと安寧を我らに」
「たゆたいと安寧を我らに!」
ビワエンシスの声に唱和が続き、以降、湖底は再び暗いよどみの中に静まりかえっていく。
湖岸には薄紅の花が咲き誇り、風に舞い散る水温む季節。
穏やかな陽気と裏腹に、その水底は粘つくようななにかが動き始めていた。