「ふう……」
一仕事終えたような面持ちで、賢は煙草に火を点けた。
彼女・桜は、まだ助手席ですやすや寝息を立てている。
まったく呆れたものだ。
夜景が見たいと言うものだから、真夜中に車を出して、こんな所まで登って来たものの、着いたら熟睡している。
呼びかけても、肩を揺すっても一向に起きなかった。
ためしにキスをしてみた。
それでも桜は起きなかった。
賢の行動は徐々にエスカレートしていき、桜のシートベルトを外すと、ブラウスのボタンを上から四つ、五つと外してみたが、それでも彼女は目を覚ます気配がなかった。
デニムミニのスカートが大好きな桜は今日もデニムミニを穿いて来ていたが、今日のスカートはまた、らせん状にフリルをあしらった一段とかわいらしいデザインで、その裾からすらりと伸びた足が月明かりに照らされ、賢の目にはとてもなまめかしく映った。
まだ二十代半ば、元気な盛りの賢だった。
「ふはぁ……」
賢は満足げな面持ちで煙を吐き出した。
結局、彼女は終始、熟睡しっぱなしだったが。
まったく呆れたものだ。
ちょっと外の空気を入れようと、パワーウィンドウを下ろした。
ひんやりとした空気が車内に流れ込んできた。
「!」
開いたパワーウインドウのすぐ外、暗闇の中に、まっしろい少女の顔が浮かび上がっており、ちょっぴり吊り上った目で車内をじっと凝視していた。
「ゆ、幽霊!」
賢はあわててギアをDに入れると、車を急発進させた。
+++++
「何よあれ、感じわるぅ~い。」
去っていく白のシビックを見送りながら、アタシは一人つぶやいた。
まあいい、たとえビビって逃げたのだろうと、すんなり去っていってくれたのだから、こちらとしては助かった。
それにしても熊ちゃんはどこに居るのだろう。アタシはスマホのスカイプアプリを起動し、『ベアーボーグ・ムーンライトリング寒冷地仕様』のアカウントを呼び出した。
「んのわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
林の中から悲鳴。
「呼び出しを止めろ! 頭の中に直接響いて、すごぉーく嫌な感じなのだ。」
熊ちゃんが、ほうほうの体で木々の間から現れた。
「着のみ着のままで出ていくんだもの、夜まで隠れてなきゃならないってなると、色々と困るんじゃないかと思って。
だってアンタ、食料探しに下りて来たんでしょ? 探した食料持って帰るのにバッグ、要るよね。」
ドンキで二千円だったから買ったけど、結局使ってないベージュ色のショルダーバッグに、家の冷蔵庫にあった適当なものを放り込んできた。
「アンタの場合は肩よりも、ウェストポーチにした方がしっくりきそうね。ちょっとバンザーイして。」
熊ちゃんに両手を上げさせ、シャックルで着脱式になってるベルトを一旦外すと、熊ちゃんのお腹周りに巻いて再び留めた。うん、ぴったり。
「バッグもなしに、探した食料どうやって持って帰るつもりだったの? ってか、いつもどうしてんの?」
「手に抱えて普通に持って帰るに決まっておろう。」
「それだと両手ふさがっちゃうじゃん。」
「それが何か?」
「え?」
アタシは驚いて聞き返した。
「え?」
すると熊ちゃんも聞き返してくる。まるで、アタシが驚いている事の方が、彼にはむしろ意外に感じたかのように。
「ええ?」
「ええ?」
「熊ってそういう感覚なの? 面白いね。
でもでも、こういうの持ってた方が、たくさん持って帰れるよ。」
「たくさん採るまで、帰れないと云う事か?」
なるほど。
「あとね、あとね、少しだけど、ここに隠れてる間に食べるものも入れてきたから。」
そういってアタシは、熊ちゃんの腰のバッグから、ホタルイカの沖漬けのビン詰めを出して見せた。
「熊って魚食べるでしょ? でも魚、冷蔵庫にはなかったからさ、似たような海鮮系、持ってきたんだけど。」
熊ちゃんはビン詰めを受け取ると、右手、左手と交互に持ち替えながら、まじまじと見つめていた。
「もしかして開け方、わかんない?」
「うむ。」
「じゃあまずガラスのところ、左手に乗せてしっかりつかむ。
右手で蓋つかんで、左に回す。」
バリン!
熊ちゃん、力が入りすぎたのか、ビンごと握りつぶしてしまった。
そっか・・・・・・サイボーグとして、強化されてるんだもんね。
それでも爪に引っかかっていたホタルイカを口に運んだ熊ちゃんは、
「美味い!」
と、歓喜の声を上げた。
「ホタルイカ食べたの、初めて?」
「初めてだな。いったいこれは、何処に行ったら獲れるのだ?」
「海・・・・・・かな?
水橋とか、滑川とか、魚津とか。」
「海までは、さすがに行かないからな。」
「だよね。
熊ちゃんさ、海って実際見たことないでしょ。」
「ドゥカティだ。」
「え?」
「我輩の名はドゥカティと云う、今後はそう呼んでくれ。
お主だって、レナと云う名前があるのに“人間ちゃん”とか呼ばれたらイヤだろう。」
「そうだけど・・・・・・あんま日本人っぽくない名前だね。」
「当たり前だ。
我輩は熊なのだから。
本州に住むツキノワグマの間では、比較的スタンダードな部類に入る名だ。」
「発音しにくい! もっと呼びやすい名前決めない?」
「あの長いやつは、嫌だぞ。」
あ~、パパの付けた、ベアーボーグなんちゃらって名前ね。あれはアタシだって嫌だわ。
「ふむ。」
アタシは熊ちゃんのいでたちを上から下まで、改めてまじまじと見た。
白いヘルメットには半透明の円柱がくっついてて、まるでつららが刺さってるように見えなくもない。
白いアーマーも何やら中で熱交換でもしているのだろう、表面で結露した水分が流れ落ちる途中で凍結し、やっぱりつららが出来ている。
「“つららん”って云うのはどう?」
「却下だ!」
う~ん。
“寒冷地仕様”ってなってるだけあって、見た目もズバリ雪、冬、氷のイメージなんだよね~。
そして足に履いてるのは、わらぐつ。いまどき、わらぐつ。
あまつさえ、かんじきまでも着けている!
『豪雪地帯の活動には、わらぐつが一番動きやすいのじゃ。これはな、向かいの沢田さんちのジサマのアドバイスじゃ。』
と、彼が逃げ出した直後、パパにいろいろツッコミいれたらそう弁明していた。
そういえばわらぐつを黄緑色の紐で結わえてあるのも、かんじきの紐が赤いのも、沢田のおじいちゃんの作品であるという、言ってみればトレードマークだ。
沢田のおじいちゃんは、県内でも有名な、わらぐつ作りの名人なのだ。
だけど、サイボーグだよ。ちょ~科学な存在なんだよ。
それが、向かいのおじいちゃんのわらぐつって、どうなの?
アタシは熊ちゃんの写メを撮り、スカイプ経由でリサに送った。
続いて音声呼び出しをかけると、ほどなくリサが出る。
「アンタまだエロゲーやってたの?」
「エロゲーじゃないもん! 乙女ゲーだもん。」
「似たようなもんでしょ。
それよりさ、この熊ちゃんに名前つけるとしたら、どんな名前がいいと思う?」
「何これ、ゆるキャラ?」
「うんまあ、似たようなもん。」
「なんか、いかにも冬って感じのデザインだけど、夏はどうするの? 冬場限定のゆるキャラなの?」
「……さあ……」
その発想はなかった。
「逆プーさん……」
「は? 何それ。」
「くまのプーさんって、上だけ服着てて下何も穿いてないでしょ?
この熊さんは反対に、ズボンしか穿いてないから、だから逆プーさん。」
アタシは熊ちゃんの方を見た。
「逆プーさんだって。」
「断固拒否する!
我輩の名は、ドィカティだ。」
「だからそれ、発音しにくいんだって。」
何か呼びやすくて語呂もいい呼び方はないものか、ドゥカティ、ドカティ、雪、冬……雪、そうだドカ雪!
「決まった! アンタの名前はドカユキン。」
うん、気に入った!
「なん……だと。」
「はい決定~。」
「横暴だ!」
「あっ、じゃあアタシもう行くね。気を付けて帰んのよ。」
「ちょっと待て。」
「じゃ~ね。」
達成感に包まれ、アタシは意気揚々と家路についた。
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