ようやくまどろみ始めたころ、一発の銃声で一気に醒めてしまった。
「熊さん、今銃声が!」
ナダレが洞穴を覗き込んできた。
「うむ。」
我輩もあわてて洞穴から這い出る。
「樹氷のゲートの方です。」
ナダレがこの森の、入り口のある方角を指さす。
「我輩が行ってみよう、お前は念のため、この洞穴に隠れておるのだ。」
ナダレを残して鳥居をくぐると、あたりはすっかり快晴だった。
日が高い、ちょうど正午ぐらいだろうか。
『十一時二十九分』
と、視界の隅に時刻が、続いて寒冷地仕様モード・オフを示すサインがそれぞれ表示された。
いやな胸騒ぎがした。
樹氷のゲート方面から、百足獅子が蛇行しながら飛んでくるのが見えた。その前半身に、黒い人影が取りついている。
我輩の胸騒ぎは最高潮に達した。なぜならその黒い人影は、リリィとは別個体のメイドだったからだ。
「新手か!」
茶色の戦闘服に白い前掛けを巻きつけたリリィに対し、この“第二のメイド”は黒い戦闘服に、血のような真紅の前掛けを巻きつけていた。そしてよく見ると、百足獅子の頸部にかみついているではないか。
「気をつけろ、こやつ、血を吸うぞい。ぐはっ!」
黒いメイドは一旦百足獅子の頸部から牙を抜き、キッと、空中から我輩をにらみつけた。
この顔、見覚えがある。
不意にメイドが、何か棒のようなものを投げつけ、それが我輩の足元の地面に突き刺さった。
三日月形の装飾。それは、昨日出会った“イッタンモメン”の憑代となっていた人間のメスが持っていた、あの笛だ。
そうだ、このメイド、あの憑代だ!
「どういう事だ。」
「に、人間のメスがいきなり暴れ込んできて、一反木綿の壺を、短筒で破壊しおったのじゃ。
一反木綿は気絶し、それで憑代はこの服に、乗っ取られてしもうた!」
その時、ズシン、ズシンという大きな音とともに、岩石巨人ダライダラが現れた。
「うう……すまぬ、この人間に、俺自身が乗っ取られてしまった。体の自由が、全然利かぬのだ。」
見ると、ダライダラの頭部の亀裂に挟まるかのように、リリィが搭乗している。
リリィは亀裂の内側に二本の楔のようなものを打ち込み、それを握って力を加減する事により、ダライダラの体を操っているかに見えた。
「さあもういい加減に観念なさいませ、ベアーボーグ・ムーンライトリング寒冷地仕様。」
「長い!
それにだ、お前の狙いは我輩一頭だけであろう。望み通り決着をつけてやるから、まずは森から出ろ。
これ以上、この森の者たちに危害を加える事は許さん!」
「よろしいですわ、ついていらっしゃいな。」
リリィに操られたダライダラは、ズシン、ズシンと大きな足音を響かせながら、樹氷のゲートに向かって歩き始めた。
我輩もそのあとをついてゆく。もう逃げも隠れもせぬ。
ダライダラの巨体は樹氷のゲートを蹴散らし、砕きながら外界の吹雪の中へと出て行った。
「ああ~やめろ~!」
百足獅子が悲痛の叫びをあげた。
「すまぬぅ~、体の自由が利かんのだぁ~!」
ダライダラも涙声である。
ダダダダダ!
ダライダラがバルカンを発射した。
いや違う、ダライダラの頭部から、リリィがマシンガンを連射したのだ。
「くそ、人間め。」
我輩は悪態をつきながら、当たらぬように積雪の上を走り回った。
「ああ~すまぬぅ~!」
ダライダラの半泣き声とともに、その右足が頭上に迫る。
我輩はほうほうの体でかわした。
ダダダダダ!
間髪を入れずに銃弾の雨が降り注ぐ。
チュィーン、バリン!
かんじきが爆ぜた。
「しまった!」
かんじきを失った我輩の左足が積雪にめり込み、移動できなくなったところへダライダラの左足の裏が迫る。
もはやこれまでか。
そう覚悟した時、我輩の頭上でダライダラの左足が、砕け散った。
ズドン!
ヒューン、ドカッ!
「なん、だと。」
崩れ落ちた氷のゲートがあった場所、その残骸の上空に浮かぶ百足獅子の背に、赤黒の戦闘服を着たあの憑代の人間が立ち、何か1メートル程度の筒状のものを、肩に担いでいた。
あれは・・・・・・
あれは(外観解析中)
あれは(検索中)
あれは、RPG(対戦車ロケット砲)という殺戮兵器だ。
「何処から出したんだ、そんなもの。」
「あなた、どちらの味方をなさってますの!」
リリィが顔を真っ赤にし、憑代の人間を問い詰めた。
すると憑代の人間は、百足獅子のたてがみを静かになでながら答えた。
「血をいただきました。
百ccいただきましたので六時間、こちらのライオンちゃまがご主人様です。」
リリィが舌打ちするのが聞こえた。
「迂闊でしたわ。」
「どういう事だ。」
我輩は真上を見上げ、リリィに問うた。
「あなたに説明する必要はございません!」
さもありなん。
「くきききき、ならば彼女に説明させようぞ。
おい、ニナピー。状況をあやつに説明してやってくれ。」
「かしこまりました、むかぴょんご主人様。
とう!」
憑代の人間が、いきなり百足獅子の背からダイブした。相当な高さがあるのにだ!
「ニャンパラリン!」
珍妙な掛け声とともに、三回転して見事に足から着地はしたが、その体は積雪の中へ深くめり込んでしまった。
「とう!」
そして我輩の背後の積雪の中から、雪を巻き上げながら彼女は飛び出した。なぜわざわざ背後から?
あっけに取られて見上げる我輩の頭上を、これまた一回転して飛び越えると、先ほどのRPGで砕いたダライダラの左足の破片の上に着地した。そしてスカートの左右のすそをつまみあげ、深々と頭を垂れる。
「ご挨拶が遅れました、私、人間だった頃の名をニナコと申します、ニナピーとお呼び下さい。」
わざわざご丁寧に恐れ入る。
「我輩は熊だった頃の名をドゥカティという、ドカユキンと呼んでくれ。」
「よろしくお願いいたします、ドカユキン様。
それではご説明いたしましょう。
まず私の着ておりますこのメイド服、これは血を吸うメイド服と申しまして、これを着せられた人間はヴァンパイアメイドとなります。」
「ヴァンパイア・・・・・・なるほど、人間の吸血種族か、で、オスもその、メイドになってしまうのか?」
「モチのロンちゃんでございます。」
恐ろしい。
「ヴァンパイアメイドに血を吸われると男はみんなご主人様、女はみんなお嬢様になってしまい、吸われた血液の量に応じて百ccあたり6時間のご奉仕を強制的に受けさせられる決まりとなっております。
たとえば血を吸われたのが母親と小さな子供であっても容赦なく、母親がお嬢様、子供がご主人様として扱われるのでございます。
なお血小板と血漿のみを吸い取る『成分吸血』の場合、ご奉仕内容は料理とお給仕に限定され、無料オプションは付きませんのであしからず。」
「決まりとなっておりますって、誰が決めたのだ?」
「もちろん、この、血を吸うメイド服です。」
「くきききき、そういう事じゃ。」
ダライダラの頭の上で、リリィは終始、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「ええい忌々しい! ここは一旦、出直しですわね。」
リリィが、ダライダラの頭に打ち込んだ右手の楔を、ぐりっと大きくひねる。するとダライダラは我輩たちに背を向けてしゃがみこみ、右腕の衝角を回転させて地面を穿ち始めた。
「おのれ、地中を掘って逃げる気ぞい!」
ダライダラの巨体ごと通れる穴をか? それ一体何時間かかるのだ。
「ニナピー逃がすな、追え!」
「がってん承知の助でございます。」
ダライダラの頭に飛び移ったニナピー、リリィを背中から羽交い絞めにしようとする。
「お放しなさい! あなた一体どちらの味方ですの?」
「むかぴょん様の血をいただきましたので。」
「でしたら私の血をお吸いなさい!」
「恐れ入ります、六時間経つまで他の方の血は・・・・・・」
リリィの舌打ちが我輩のところまで聞こえた。
「超めんどくさ。」
そうつぶやくとリリィは、ニナピーに羽交い絞めされながらも両手を頭上で、ぱん! と打ち鳴らした。
「!」
ニナピーの気がそれた一瞬の隙を突き、身を沈めたリリィは、その着ていたメイド服だけをニナピーの腕の中に残し、ロングスカートの下から脱出、ダライダラからひらりと飛び降りた。
水色のナース服だった。
リリィが降りても、ダライダラは地面を掘り続けていたため、その巨体に阻まれ誰も追う事ができず、瞬く間に走り去っていくのを、ただ見送る事しかできなかった。
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