一・夢のお話。夢は夢。
人生で成功するなんて簡単だ。諦めなければ、それで良い。あぁ。何て簡単なんだ。ビックリだ。
だけどそれが上手くいかないことなんて誰もが証明してら。誰もが負ける。続ける前に負けてる。続けられなくなっていく。負け続けてく。負け続けてる。
それが決定事項。凡人共のなれの果て。
アスファルトの路上を滑りながら。
しゃー、しゃりー。しゃー、しゃぎりっ。
アスファルトの路上を削るように、摩擦なんてない道を滑る。あぁ。こんなもんなんだって。おーい。おーい。お前さーん。お前さーん。
声がハッキリ聞こえた。あいつの声。彼女の声。
お前……ん。今度の声は遠い。おま……。ほらまた遠く。
しゃー。しゃきー。
氷のように滑るアスファルトがまた見える。
おい、お前さん。
叫び声にも、怒鳴り声にも聞こえる声で目がパッチリ開く。あぁ。アスファルトを滑っていたぜ。氷のように。靴も普通の靴だった癖によ。意味わかんねぇ。なんだこりゃ。そう思いながら、
「あぁ。……なんだ。こんな朝早くから」
俺は電話口に向かって呻いた。ハンズフリーで通話するのがデフォルトのケータイからは、ふざけんなと憤慨し俺を怒鳴りつけるやかましい女の声。
たく。お前さんの方から電話かけてきたってのに、こっちはこれから電車に乗るぞって時なのに。どうしてアタシの方がお前さんを怒鳴って起こしてやらんといかんのかね。
こっちが起きているのを確認してからはそういう小言がまくしたてられていく。
「んあぁ。はいはい。今から仕事なん」
俺はその一切をスルーして話を切り出す。当たり前でしょと声が返る。そっか。こっちの返事はそんなもん。
こんな時間から大変だな。頭の御固い仕事場は、大変だろう。そんな時に電話かけてきやがって、そしてアタシはお前さんの目覚まし時計。
軽口のやり取り。電車は六時十八分だから、あと四分くらいで来るだろう。
俺が寝ている布団を見やる。掛け布団が踊っている。
しゃー。しゃきっ。しゃぎっ。
あぁ。あの時のターンの時かい。ありゃ傑作だった。傍を歩いていた連中がもうビックリ仰天。マジかよ。スゲエ。俺の後ろから聞こえたその声に、もう俺は上機嫌だった。だったなぁ。
ねぇ。アタシもう時間無いんだけど。用ないなら切るわよ。
待てよ。まだあと三分もあるじゃねぇか。
「なぁ。俺凄い夢見てたわ」
そう。アタシを待たせている間に。もう良いだろ。終わったことじゃねぇのさ。穿り返しているのはお前さんよね。あぁ聞いてくれよ。何よ。俺アスファルト滑ってたんだぜ。走るんじゃなくてさ。滑るんだ。アイススケートなんかもう目じゃないぜってくらいにさ。速かったな。ありゃもう最高だった。周りの連中なんてもう目が点ってな感じだったんだぜ。凄いよな。スゲーだろ。
俺は饒舌に語っていた。頭の片隅じゃ、何を興奮してんだと冷たく言い放つ俺が白眼視して俺を見てる。のに、なんでこんなに俺は、俺の口は止まらず動くかね。
そう。良かったじゃない。掛け布団がどこかに吹っ飛んでるんでしょ。ちゃんと綺麗にしておかないと、不潔な男は嫌われるぞ。お前さん。
彼女の返事はその冷徹な俺が思うよりも、ずっと暖かい言葉だった。
「お前さん。何で俺が布団飛ばしたの分かるんだよ。見てたのかよ」
俺がそう言って笑うと、お前さんはバカだね、と返ってきた。お前さんはこの前アタシに電話をかけてきたわ。今日と同じこの時間。今日と同じでアタシは目覚まし時計。その日お前さんは窓の外に飛んで行ったわ。それで、無傷だったんだぜって、自慢げに語ってた。その日のお前さんは、布団を完全に被って、丸まって寝ていたそうだわ。
彼女の言葉はそこで切れた。つまり発言は終わったってことだ。あぁ。そういやそんなこともあったけな。
お前さん。部屋を綺麗に。彼女ができたらお前さんもちっとは変わるからさ。んじゃ、行ってきます。
彼女の言葉を聞いて、電話がプツッと切れたいつもの音を聞いてから。
「俺、何で生きてんだっけ」
今更そんなことを思ってしまった。