英傑

                ◇ ◆ ◇


「何故だ!」と、青年は叫んだ。
「何故、このような真似をする! クラウス!!」
 青年は目の前にいる男に問い掛ける。
「『何故』? ──決まっている。これが、王女の命だからだ」
 クラウスと呼ばれた男は、無表情のままに返答した。強風が吹き荒れ、彼がいつも着用しているダッフルコートが揺れていた。
「そうじゃねぇよ! 何故ここまで徹底的に潰さなくちゃいけなかったのかと、そう聞いているんだ!!」
 青年の後ろには、煌々と燃え盛る火柱が。豊かだった村は見る影もなく、そこにあるのはただ、荒れ果てた村の残骸のみ。
 突風に揺れる帽子を抑えながら、クラウスは冷たく青年を見据える。
「この村の住人は不遜にも王女に対して反乱を企てた。当然の報い」
「だからって、ここまでやらなくても……」
 悔しそうに、青年は歯軋り。
 ──俺の親も妹も友達も、皆死んでしまった。
 ──とても、良い奴等だったのに。
 のしかかる悲しみと後悔に耐えるかのように、青年は拳をぎゅっと握りしめた。
 酷い話だ。不合理だ! 青年は心の中で叫んだ。何故、皆は死ななければならなかったのか。今迄全うに生きてきたというのに。間違っているのは、どう考えても暴君王女のリーゼロッテのはずなのに。
「……おかしいと、思わねぇのかよ」と、青年は呟いた。
「王女リーゼロッテの暴君ぶりは、お前が一番分かってるはずだろうが! なのに、何で従ってるんだよ!!」
 するとクラウスは、すっとそのインディゴの瞳を細めた。
「──貴様に、教える義理はない」
 ジャキン、と。クラウスは片鎌槍を青年に向ける。そして、クラウスは突進した。


                ◇ ◆ ◇


「あらクラウス、もう終わったの?」
 ここは王都セレスティア。その中央には贅の限りを尽くした城、ラスタ城が鎮座している。
 その城内にある玉座の間にて、クラウスは任務を終えた事を報告すべく、王女リーゼロッテに謁見していた。彼は片膝をつき、トレードマークの帽子を取って頭を垂れる。
「はい。仰せの通り、王女に刃向かった東の村の殲・滅・作・業・、終了致しました」
「そう。それは良かったわ」
 クラウスはリーゼロッテの手の甲に口づけをした。彼女は満足そうに微笑む。
「ほら、ご褒美よ」
 そう言って、リーゼロッテは何かをクラウスの後方に投げた。ボスッと、低い音が鳴る。
 それは、袋だった。僅かに解けた口から大量の金貨が見え隠れ。
「私からじきじきの褒美よ。光栄でしょ?」
 リーゼロッテは口の端を釣り上げる。プラチナブロンドの髪が仄かに揺れた。
「……有難き、仕合わせ」と、クラウスは金貨がぎっしり詰まった金袋を胸に抱え、目を瞑る。
 確かに、王女が自ら褒美を渡すというのは滅多にある事ではなく、平民貴族問わず、非常に光栄であり名誉な事だ。──尤も、クラウスがどう思っているかは不明ではあるが。
「ふぅー、それにしても暑いわね」
 ぱたぱたと、リーゼロッテは扇子で仰ぐ。真夏なのにドレスを着ているのだから、当然と言えば当然だが。
「そうだ!」と、リーゼロッテは立ち上がった。そしてクラウスに近付いていく。
「クラウス、一緒にお風呂に入りましょ? 良いでしょ??」
 クラウスの目前まで迫り、彼女は無垢な瞳をインディゴの瞳に向ける。
 リーゼロッテは御嬢様であり箱入り娘だ。一人では何も出来ない。無論、自分の身体を洗う事すらも。
 勿論、クラウスの返事は決まっていて。
 「──畏まりました。王女、リーゼロッテ」と、恭しく彼は頭を下げた。

 
                ◇ ◆ ◇

 
 透き通るようなプラチナブロンドの長髪。水を弾く乳白色の肌は、麗しく瑞々しい。
 クラウスはリーゼロッテの身体を丹念に洗っていた。リーゼロッテは肌が弱いので、傷つけないように優しく洗うのがコツ。
「前の方、失礼致します」と前置きし、クラウスはリーゼロッテの身・体・の・前・も洗う。「え、えぇ……」と、いつもの事ではあるのだが、羞恥心からか彼女は少しその頬を桃色に染めた。無論、自分で洗うという考えは彼女には無い。
「ん……ふぅ…………っ」と、リーゼロッテの口から艶めかしい吐息が漏れ出た。身体がやや火照る。だが、クラウスはあくまで冷静に、機械的に彼女の身体を洗っていった。無心になる事。それも彼女の身体を洗う際に必要な事である。下手をやらかして首が飛んでしまうのも頂けない。


 身体を洗った後、風呂から上がって脱衣所でリーゼロッテの身体を拭く。ドレスを着せると、彼女は「ん、ありがと……」とだけ言って、脱衣所を去った。
「………………」
 リーゼロッテの後ろ姿を見送って、クラウスは彼女が歩いた方向とは逆の方へと向かって歩き出した。彼は王女リーゼロッテの護衛という重要な役目を仰せつかってはいるが、城内では常にメイドが彼女の傍に控えているので、案外やる事は少ない。まぁ、彼は皇国軍の総隊長も務めているので、時間などあったものでは無いのだが。
 鍛錬でも積もうかと思いながら歩いていると、ふと彼の視界の隅に人影が映った。
 視線を向ける。その人影は、よく知る女のものだった。
「こんな時間に姫とお風呂かい? 盛んだねぇ~」と、女はからかうような口調で話しかけてきた。
「そのような不遜な振舞、出来るはずがなかろう。ローゼ」
「っかー! お硬いねぇ~。ちゃんと男やってんのかい」
 視線を前方へと戻し、クラウスは平坦な声音をもって返答する。ローゼと呼ばれたその女は、手を上げ肩をすくめ、やれやれとばかりに頭を横に振った。
「そんな調子じゃあいつまで経っても結婚出来ないんじゃないかい? えぇ??」
 クラウスの顔を覗きこむローゼ。燃えるように赤い髪がクラウスの視界を埋める。
「余計なお世話だ。王女に仕えるだけでも畏れ多い程。滅多な事を言うな」と、クラウスは冷たく言い放った。
「……うへぇ。さすが、当代最強の英傑と呼ばれるだけの事はあるねぇ。プライベートでも隙も何もありゃしない」
 ローゼはニヤニヤと笑っていた。が、ふとその笑みを消して言う。
「……ところで、また、反乱分子を潰したのかい? 東部の村を一つ消したそうだねぇ?」
「王女の命だ」と、クラウスは即座に返答をした。
「……ハァ。また、命が消えたのかい。命が、力が。………………ッ」
 ローゼは嘆息。そして歯軋り。彼女が軽く舌打ちをしたのもクラウスは見逃さなかった。その身体の中に孕んでいる思いが何なのかも、彼は勘づいていた。
「……そろそろ、貴様も仕事に戻れ。時間の無駄だ」
 だが、クラウスは彼女の思いについては見て見ぬ振りをして、歩くスピードを早める。ローゼは、ついては来なかった。

 
                ◇ ◆ ◇

 
 リーゼロッテは、俗に言う『暴君』だ。税金は過剰に取るわ勝手に法律は決めるわ民を平気で虐げるわ。その暴虐・残虐ぶりは、上げていけばキリが無い。
 だが彼女が在位して早五年。未だに王都セレスティアにおいて革命が成功したという事例は無い。──何故なら、リーゼロッテの傍には最強の戦士、クラウスが控えているから。
 傲慢なリーゼロッテから全幅の信頼を寄せられている唯一の人間である彼は、当代最強の英傑とも呼ばれる戦士である。彼の手にかかれば、幾千幾万の雑兵など相手にはならない。そう思わせる程の武技を彼は有している。
 その上クラウスは鼻・が・利・く・。何処から情報を仕入れているのか、反乱分子を見つければすぐさま王女リーゼロッテに報告し、彼女の命を承り、正・当・な・手・続・き・を・も・っ・て・し・て・、殲滅に向かう。無論、一人で。
 特殊な能力を持っている訳ではない。ただ、彼が強すぎる。それだけの事。どうすれば敵の本拠地が陥落するかを、彼は良く知っているのだ。

 
 今日もまた、小さな反乱分子を見つけた彼は殲滅に向かう。今回も難なく片付く。
 ──はずだった。
「伝令! クラウス殿! 王都より緊急連絡です!!」
 村の陥落まで後一歩という所で、クラウスの所に伝令がやってきた。伝令の男は焦った様子で馬から降りる。
「む……何だ」「こちらをご覧下さい!」
 渡されたのは一枚の文書。クラウスはそれを確認する。
 絶句した。
「ッ! ローゼ……、なんと不躾な事を!!」
 クラウスは怒りを顕わにし、受け取った紙をぐしゃりと握り潰す。
 その紙には、恐れていた事が、彼が必死に防ごうとしていた事が、書かれてあったのだ。
『王都セレスティアにて、セレスティア皇国軍第二部隊長ローゼ率いる民衆達が蜂起』、と──────……


                ◇ ◆ ◇

 
 ──間に合え! ローゼに、王女を殺させる訳にはいかぬ!!

 馬を走らせながら、クラウスは冷や汗を流した。
 気付いていた。ローゼが王女リーゼロッテに反抗心を持っているのを。
 だが、彼は予測出来なかった。まさか、民衆を率いて蜂起するとまでは。そして、彼女にそこまでの統率力、人脈、決断力があるとは。
 瞬速で走る愛馬。クラウスが当代最強ならば、その馬は当代最速と言えよう。彼の頼れる相棒である。
 恐るべきスピードで彼は王都まで帰還する。王都は既に混乱状態にあり、幾つかの場所で火柱が上がっていた。かくいうラスタ城も炎に包まれている。街では皇国軍と民衆、名付けるなら『革命軍』が戦闘を繰り広げていた。ざっと見るに、略奪等も行われているようだ。混乱に乗じて民衆の一部が暴徒化したのだろう。──戦争では、良くある光景。
 ふと、クラウスが何かに気づき、馬を止めた。
 前方には、革命軍と思しき兵士達。ざっと見積もって五十人。
 彼は、ゆっくりと馬を降り、兵士達を睨んだ。彼らの目には憤怒の炎が宿っている。
 クラウスは背中に背負った二対の槍の、片方を抜いた。
「一応、警告させて頂こう。かつての同胞を、守るべきだった者を手に掛けるのは本意では無いのでな」
 三叉槍、英語で言うところのトライデントを構え、クラウスは告げる。
「我が名はクラウス・アーレルスマイアー。不本意ではあるが、当代最強の英傑と呼ばれている。貴様らより、腕は立つぞ」
 別に自慢でも思い上がっている訳でもない。
 ただ、彼は善意で言っているのだ。──自分と戦えば、必ず相手は負けるから。
 だから、彼は告げる。
「心に思う人間がいる者、帰る場所がある者」

「その身が可愛いと思う者は、今すぐ退けッ!!」

 彼は一喝。殺気を込めて放った言葉は、兵士達の戦意を削ぐ。
 だが、兵士達にもプライドというものがあった。明らかに自分達よりも強い相手を前にし、手が震え膝が笑いながらも、それでも武器を離さない。
 離せない。この手で、自由を勝ち取る為に。
 そんな様子を見て、クラウスは静かに溜息を吐き、そしてぽつりと呟いた。

「──どうなっても、知らんぞ」


                ◇ ◆ ◇

                
 刃が目前に迫る。ローゼは首を折ってそれを躱し、敵の胴体に自らの得物、レイピアを突き刺した。そのまま敵を蹴り飛ばし、彼女はどっと息を吐き出す。
 ──くッ。クラウスがいないのに、思いの外持ちこたえる……。
 彼さえいなければ、王都セレスティアの奪還など容易いと、ローゼは甘く見ていた。
 だが現状は違う。皇国軍は意外にも耐えていた。数は圧倒的にこちら、革命軍に分があるというのに。地形や装備、更には経験という点でこちらが不利である分、押しきれないのだ。
 ──早くしないと、奴が来る……!
 クラウスの力は本物だ。彼が敵対した時点でこちらの負けは決まったようなもの。だから、彼が来る前に城を突破し、王女を殺害せねばならない。
 ──諦める訳には、いかないんだよ。
 ──この手で、自由を勝ち取る為に! 子供達の、笑顔の為に!!
 と、その時だ。
「なッ、お前……まさか……!!」「嘘だろ、こんなに早──ぎゃあぁぁああああぁぁああぁああっっっあああああああ!!」
 突如、後方より聞こえた困惑の声と断末魔。
 ローゼは急いで振り返る。
 ──あぁ、遅かったか。
 ローゼは後悔した。
 目の前には、確かにその姿があったのだ。──当代最強の、英傑の姿が。
「不遜にも王女に仇なす不届き者共よ。我が武技をもって成敗してくれよう」
 彼は、静かに口を開く。
「我は──」
「王女リーゼロッテ直属の護衛騎士でありセレスティア皇国軍総隊長、クラウス・アーレルスマイアー」
 ジャキンッと、彼は自身が最も得意とする得物、片鎌槍を抜いた。

「見参!!」

 目に見えそうな程強烈な殺気。思わず尻もちをついてしまいそうな程激烈なオーラ。
 それは、最早こちらに勝機が無いと証明しているかのようだった。
 ──いや。まだだ。
 ──あたしだって皇国軍では実質No.2。それに兵士も相当数いる。
 ──諦めるな!!
「予想外に早かったねぇ。どういう事だい?」と、動揺を包み隠し、彼女は尋ねる。
「我が愛馬は千里の道を走る事すら厭わない。そういう事だ」と、トレードマークの帽子を深く被りながらクラウスは答えた。
「そうかい。まぁ、遅かれ早かれ、どっちにしろ対決する事にはなってただろうねぇ。一応そっちが自己紹介したんなら、こちらもやっておこうか」
 彼女はもう一本のレイピアを抜き、構えた。
「あたしの名はローゼ=バウムガルト。セレスティア皇国軍第二部隊長」

「今ここをもって、暴君王女リーゼロッテに謀反を実行する!」

 ローゼは言い放った。相対するクラウスは、ギリッと歯軋りをする。
「──ならば、やってみせよ。但し、我を超えていけ」
「ハン! 言わずもがなってやつだ!!」
 その瞬間、ローゼ率いる反乱軍の兵士達が、一斉にクラウスに襲いかかった。

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