夕焼けの、空
いつだったか、彼女と僕の二人だけ夕暮れの図書室に残った日があった。
「ねぇ」
話しかけてきたのは、桐野のほうだった。
「あそこの文庫本……百年文庫の『闇』って、この図書室には無いのかしら?」
「ああ、それならもうずっと誰かが借りているよ」
「誰かって、誰」
「誰かだよ。そういうことは教えられない。そういう決まりになっているんだ。」
「そう……」
それだけ言って桐野は、残念そうな瞳でそのシリーズの本が並べられている棚を一瞥した。
「あと、一冊なの」
ぽつりとこぼれた言葉は、重い思いの塊だった。
「あと一冊、その本を読んだら私は死ぬわ」
聞こえた言葉を反芻し、何度も繰り返して、それから僕は尋ねた。
「君、死ぬつもりなの?」
「そうよ。私は死ぬの」
「何故?」
「生きている理由が、見つからないから」
さらりと、夜風に変わりかけている風が桐野の長い黒髪を撫でる。木々がざわめいて、僕たちの空白の時間を掻き消した。
「今まで生きていても、どれだけ考えても、どんな本を読んでも、生きる理由が見つからなかった。その最後の『闇』って本に何が書いてあるかは見当がつかないけれど、今まで読んだ本には『生きていることはそれだけで美しい』だとか『生とは一輪の花のようなものだ』とかって書いてあったわ。そんなこと言われても、私の胸にはちっとも届かないの。心の隙間が埋まらないのよ。もう、生きていることに疲れたの」
「―――死ぬ理由は?」
「え?」
「君が死ぬ理由は?」
「……何を言っているの?」
「『生きていたくない理由』は聞いたけれど、『死ぬ理由』は、まだ聞いてない」
「…………」
そのまま桐野は何も言わず、寂しそうな顔で俯いてしまった。そのまま幾何かの時間が過ぎた。やがて完全下校のチャイムが鳴り響き、僕たちは各々の鞄を持って図書室を後にした。