悪魔のクッキング!
ピピピ ピピピ ピピピ ピピピ
カチっとうるさい目覚ましを止める。午前4時……やはり早過ぎると思うが、ルシフの料理に付き合わなければならない。ついでに普段は皆が帰った後にやるケーキの仕込みもやっておこうと思ったのだ。昨日はルシフがいたからできなかったし。
眠いまぶたをこすって起き上がり、洗面所で顔を洗う。適当に部屋を回ってみたが、ルシフが起きた形跡は無いのでまだ寝ているのだろう。僕は母さんの寝室へと向かった。
一応3回ノックして、返事がないのを確認した後扉を開ける。案の定、羽を生やした見た目も完全に悪魔な彼女はぐっすりと眠っていた。さて、彼女も女の子……だよな。どうやって起こせばいいのだろう。しばらく考えたが、結局体を揺すったりはせず、声だけかけて起こそうということに決めた。
「お~い!朝だぞ~」
反応はない。
「おいルシフ!お~い」
彼女は寝返りを1つ。というかルシフの悪魔状態のときの服、露出が少し多い様な気がする……。公園の時は暗くて気が付かなかったが、少しだけ目のやり場に困るような……困らないような……外国の人ならこれくらい普通かもしれないが、日本人ではあまり見かけ無い服装だ。
「ルシフ、ケーキ作るんじゃなかったのか~起きろ~」
ケーキという発言に彼女の体が反応した。彼女はのっそりと起き上がるが、その赤い目はほとんど開かれていない。
「あんた……誰?」
彼女は僕にグッと顔を近づける。近い近い近い!ほのかな甘い匂いがした。ドクンと心臓が跳ねる。
「なんだぁ……健介か~」
バタン。スー……スー……。
「おい、2度寝するな!ケーキ作るぞ」
「あ、そうだったわね」
彼女は目を見開き、飛び起きた。
「ベッドって思いの外気持ちいいものね。夜なのにぐっすり寝入っちゃったわよ」
夜なのにって……やはり悪魔は昼寝夜型だったのか。
「ベッドで寝たことなかったのか?」
「無いわよ。いつもは人間の家に忍び込んで隠れて寝ているの」
「家に帰って寝ればいいのに」
「何言ってるの。悪魔に家なんてないわよ。集団行動すらしないし、居候した方がいろいろ便利なのよ」
ルシフはなんでもない事のように、大きくあくびをしながらそう言った。帰る場所もなく渡り歩くというのはどんな気持ちなのだろう。これが種族の違いというやつなのか。
「そういうもんなのか……。ま、とりあえず下に降りて準備しよう」
「私、初めてだから手取り足取り教えてよね?」
上目遣いで言われると何だか誤解を生みそうで怖い。
「りょーかい」
俺たちは下の階に降りた。
「そういえば、今は悪魔の姿してるんだな。そっちの方がやっぱ楽なのか?」
彼女は細い指を顎に当てて考える素振りを見せる。
「う~ん……これも人の姿もあんまり変わらないわね」
そういいつつ、悪魔の姿だったルシフは一瞬にして可愛らしい人間の少女に変わった。
「本当にどういう原理なんだ?それ」
「原理も何も、元から備わっている能力よ。昔はいろいろなところに悪魔が召喚されたって話をしたと思うのだけれど、その時人の姿で顕現けんげんしたほうが怯えられなくてすむんだって」
悪魔姿のルシフは確かに言いようの無い神秘をまとっている感じがする。でも、よく見ればどちらでも可愛いし、怯えるほどでもない気がするのだが……。
「それより早く教えてくれないかしら?そのために“カワイイ”女の子に化けたのよ?」
自分でカワイイを強調するなんて……さすがは悪魔だ。
「じゃ、まずはホイッパーで卵でも混ぜてもらおうかな」
「ホイッパー?」
俺は棚からボウルとホイッパー(泡だて器)、冷蔵庫から卵を取り出し調理台に並べた。必要な調味料はすでに出ている。初めから難しいのをやっても仕方ないし、オーソドックスなスポンジケーキでも作ってもらおう。
「卵をボウルに割って、砂糖を入れてからこの泡だて器で混ぜるんだ」
「わ、わかったわ」
彼女はゴクリとツバを飲み込み、震える手で卵をつかむ。これは……多分ダメなやつだな……。
「ストップ!」
どう考えても卵が四散する。悪魔には食文化などないようだ。
「卵ってのはこんな感じにヒビ入れて割るんだよ」
目の前でレクチャーしてやる。彼女は興味深そうにそれを覗きこんでいた。
「うん!今度こそわかったわ!」
「おう、頑張れ!」
グチャ……
「あ」
卵にヒビ入れるとこで四散させた!?
「ちょっ!力入れすぎ!もうちょっと軽くでいいぞ」
「ご、ごめん」
「いいよ。もう一個やりな」
ボウルの中に入った殻と散らばった身を取り除いた。彼女は卵をもう1つ手に取り、今度はそ~っとヒビを入れて割る。
「できた!」
卵1つに大げさな……。彼女は顔を輝かせる。そういえば俺も昔は卵がうまく割れなくて……懐かしいな。
「で、それを泡だて器でこうグルグルっとかき回して」
チャカチャカチャカっと混ぜてみせる。
「最初はゆっくりでいいぞ」
「やってみるわ」
先ほどの失敗を活かし、今度は慎重に回している。眉間にシワが寄っているので結構面白い。俺は混ぜ終わるまでの間に店の仕込みをやることにした。のだが……。
「わっ!ああ……」
少し目を話しただけなのだが、振り返ると無残に変形した泡だて器とボウルがあり、地面には混ざりかけの卵が落ちていた。
「どうしてこうなった?」
「健介……力加減が難しい」
「力加減?」
「このボウルとかいうやつは押さえつけると簡単に変形するし、ホイッパーの持ち手も握力で曲がる!」
……そうか、この悪魔……怪力なのか!?
「それは慣れていくしかないだろう」
「この私にできない事があるなんて……屈辱だわ」
「悪ぃ。午後の仕込みがあるから今日はここまでな」
「健介~」
「ダメ無理」
既に5時。本当に時間がない。俺はすぐに仕込みを始めた。
「よし、後はこれで終わりっと」
6時30分。
しかし……
「あ!」
ガッシャーン 嫌な音が鳴り響く。背後を振り返るとそこには……食器が散乱し、小麦粉と砂糖の舞う光景が広がっていた。
「健介……手伝ったら早く終わるかと思って……」
「出て行け!!!!」
彼女は走って厨房を出て行く。また仕事が増えてしまった……。でも、少し言い過ぎたかもしれない。
「後で謝っておこう」
散らばったものを片付けて、厨房の隣にあるダイニングキッチンへ向かった。この部屋は母さんと僕専用のキッチンであり、食卓だ。時間がないので食パン2枚をトースターに突っ込み焼いておく。
「おいルシフ!食パン焼いてるぞ……ってあれ?悪魔も食パン食えるのか?好き嫌いも考えてなかった」
部屋を出て客席を覗くが姿はない。2階も同じくだ。
「おい、ルシフ~。おいしいシュガートーストだぞ~」
チン とトースターが完成を告げる。厨房から“出て行け”という意味だったのだが、どうやらルシフは店から出て行ってしまったらしい。一応悪魔だし、多分問題無いとは思うのだが……。パンを頬張る。
「健介さん、お迎えに上がりましたよ」
「由依奈!?あ、もうそんな時間か……」
「まだお食事が済んでいないなんて珍しいですね。ルシフちゃんは一緒じゃないんですか?」
いつものように制服を着こなした彼女はキョロキョロと辺りを見回す。
「その辺ふらついてると思うけど、よく分からないな」
「大丈夫なんですよね。健介さんがそんなに落ち着いてるってことは、あの女の子は一人にしても問題ないのですね?」
家もない少女を放っておくなど傍から見れば最低の行いだが、由依奈は俺のことを信頼してくれている。
「まず問題ないだろう。心配な事といえば腹減りくらいだが……そうなったらまた戻ってくるはずさ」
「なら安心ですね!」
少ししか見ていないがあの怪力だ。容姿で寄ってくる男なんて文字通りの意味で一捻りしそうである。食パン最後の一口を飲み込んだ。
「悪い。今着替えてくるから待っててくれ」
「はい!」
2人で教室に入る。
「あ!嫁だ~おはよ」
「おっす」
明美と正隆があいさつする。
「おはよう」
「おはようございます!」
僕と由依奈もあいさつを返す。HRが始まるまではあと15分あった。
「健介、そういえば昨日の女の子はどうなった?ほら、あの赤目の……」
「ああ!嫁に拾われたお人形みたいな子ね」
「ルシフちゃんですよ!」
「それがな~どっか行っちまったんだよ」
「おいおい……拾い子くらい責任持てよ……」
正隆は大げさに頭を抱える。
「あいつなら多分大丈夫だ」
「本当に大丈夫なのか?」
「嫁がいうなら問題ないのよ!正隆は黙ってなさい!」
背後から明美がどさくさ紛れに抱きついてくる。僕は彼女の顔を手の平で無理やり引き剥がしにかかった。
「明美の場合は健介に悪い虫がつくの嫌なだけだろう?」
「いや~ん恥ずかしいわ~。そういうことは言わないでね!」
明美は軟体動物よろしくクネクネする。
「そんな恥じらいがあるなら男にいきなり抱きつくな!」
「ハハハ……」
見ていた由依奈も苦笑いだ。しかし、言われれば言われるほど、ルシフのことが心配になってくる。帰ったら少し探してみよう。今日は授業が早く終る日だし丁度いい。
「なんでもいいけど、困ったことがあったら俺たちが助けてやっから言えよ」
正隆が言い、2人が頷く。友人は大切にしないとな……。そんなことを考えていた時、教室の扉がガラッと開かれ何かがものすごい勢いでコケた。HR開始30秒前の出来事である。
「お、おはよう(キリッ)」
顔だけを輝かせ、ほこりまみれの速人は立ち上がった。
「おはようバカ」
「おっすバカ」
「まだ生存してたのバカ」
「バカさんおはようございます」
全員示し合わせたかのようにバカを馬鹿にした。馬鹿は馬鹿であるが故に馬鹿だから仕方がない。これが自然の摂理なのだ。
「バカっていうな!バカって言う方が【キーンコーンカーンコーン】」
バカが何かをほざき始めたが、ナイスなタイミングでチャイムが鳴り響く。みんなはそれを聞いて、何事もなかったように各々の席についた。
「バカって言うなああああああ!!!!!」