1年生がどうにかバスケ部に馴染んできた頃。
夏のインターハイに向けて予選が始まった。正直な話、1年生はまだ基礎の基礎しか練習させてもらっていない。
先輩たちとも、そんなに打ち解けたと言えない。
怖い。厳しい。3年生に抱いているのは、そのくらいの感情だけだ。ぶっちゃけ、遠い存在だ。
だから、1回2回と勝ち進んでいく先輩たちを、どこか遠い世界の話のように見ていた。
3回戦。
負けて男泣きする先輩たちを、何で泣いてるんだろうって思いながら見ていた。
初日に鬼のように自分たちをしごいた緒川先輩が、真っ赤な目から大粒の涙を流してるのすら、一歩引いて見ていた。
だけど。
緒川先輩に抱き着いて泣きじゃくる、みみを見たら。
ああ、負けるとみみが泣くんだ、と思った。
泣かせちゃダメだ、と思った。
秀典は3年生の引退を、どこか冷めた気持ちで見ていた。
いつもバカやってる勇太は、もらい泣きしていた。
きっと自分よりもずっと、このバスケ部に馴染んでいたのだ。あんな風に泣けるほど、先輩たちとの思い出が作れたのだろう。
ムカつく奴ではあるが、悪い奴ではないようだ。
自分とは合わないけど。
秀典は、勇太の事を目で追っていた。
「チッ」
勇太が、みやびに近づいて頭を撫でようとする。
「ケッ」
みやびがそっと後ずさり、緒川先輩がぺしっと勇太のおでこをはたいた。
笑う勇太につられて、みやびも笑顔を取り戻す。
秀典はザワザワする心に、いらつきを隠せなかった。
夏休み恒例の合宿。
避暑地とは名ばかり。今年の猛暑は、運動するのが危険なレベルだと言う。
早朝のランニング、夕方からの体育館練習。
例年夜に開かれていたお楽しみ会が真昼に移動となった。
夜のテンションで伝説が生まれるという一芸大会は、健全なカラオケ大会に変更された。
宿舎の食堂は、客層に合わせて宴会場にもなるらしい。
秀典は心底ホッとした。
一芸大会では体を張った、先輩方を喜ばせる芸をすると聞いていた。
特に誇れる特技もない。
爆笑されるか失笑されるか、賭けのような大会だ。とても、みみの前で見せたいとは思わない。
自分の情けない姿も、誰かの下ネタも。みみには、見てほしくない。
秀典は一番手を買って出て、アニソンメドレーを熱唱した。
流行の歌はよく知らないが、歌うのは嫌いではない。仲間とワイワイとカラオケするのも、たまにはいいもんだ。
勇太は一昔前に流行ったドラマの主題歌。不倫をテーマにしたドロドロの愛憎劇だ。歌はうまかったが、選曲にはブーイングが起きていた。
歌は恥ずかしいと渋ったみやび。
2年のマネージャーは2人で一緒に歌って踊っていた。みやびはそこにも加われず、コーチとのデュエットも頑なに断った。
じゃあ俺にリクエストしてよ、と助け舟を出したのは勇太だった。
みやびがリクエストした夏の定番曲を、勇太は元気に歌い切った。
他の1年部員もノリノリで手拍子した。
秀典だけはムスッと腕を組んでいた。
「芝田、ノリが悪いなあ」
コーチに言われ、すいませんと頭を下げた。
夜、練習が終わって皆で温泉に入る。
バカみたいに騒ぎながら大勢で入るのも、たまには悪くない。
食堂で夕飯を食べようと席に着くと、奥の厨房にみやびの姿が見えた。
1人で大量のレモンと格闘している。
「あのレモンって…」
指さすと、隣の2年生がああ、と頷いた。
「蜂蜜レモン作ってるんだな」
「へえ」
「練習後に、うまいんだよなあ。残った汁を氷水で割ったのがまたうまい」
「なるほど」
「みやびちゃん1人で全部切るのか。大変だな。手伝ってこようかな」
斜め前で聞いていた勇太が、席を立とうとして止められる。
「あれは1年マネの仕事」
2年生のマネージャーが言う。
「でもちょっと、1人じゃ大変かもね。去年、私たち2人でも結構大変だったもんね」
「そうそう。薄く切らないと染みないし、ここの包丁、大きくて使いづらいんだよね」
「しかも、結構カビてるしねえ」
「そうなのよ。農薬使ってるのはダメって言われて国産の高いの買ってきたんだけど、それが暑さですぐカビ生えるのよね」
2人がクスクス笑い合う。
大変だってわかっていても、手伝わないのか。
秀典は胸の中がムカッとした。
緒川先輩ほどのインパクトはないが、この上級生マネージャーも、なかなか曲者だ。
みみは、大丈夫なのだろうか。
きっと大丈夫かと聞いても、ニコリと笑って大丈夫と答えるのだろう。
彼氏でもない男に、甘えたりしないのだろう。
部員である自分に、弱いところなど見せないのだろう。
秀典は胸のムカムカが大きくなるのに気付かないふりをした。
翌日の練習後。
自分が作ったかのように蜂蜜レモンを配る2年マネージャーに会釈しながら、秀典はみやびを目で探した。
「すごい!うまい!疲れが取れるよ!ありがとう!やっぱ、みやびちゃんが作ってくれたからだね」
みやびのそばで騒ぐ勇太。
わざとらしい。
秀典は眉間にしわを寄せた。
しかし、みやびはまんざらでもない顔ではにかんでいる。
「ありがとう。そう言ってもらえると、嬉しい」
言いながらみやびが、視線をこちらに向けた。
秀典は食べ終わった皮を持ち上げながら、「サンキュ」と口だけで礼を伝えた。
何と言っているかわかるだろうか。
みやびはニコリときれいに口角を上げて笑った。
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