輪になって輪になって

 教室の中でクラスメイトたちが騒がしく動いている。
 実際はただ友達とおしゃべりをして周りをうかがっているだけなんだけれど、そのそれぞれの心の内が漏れ出して大きな波のようになって、教室の空気を激しく掻き回しているみたい。
 まるでフォークダンスだ。お目当ての相手と手をつなげるか、ドキドキしながら輪になって輪になって、大きな渦を作る。
 その輪の中心にいるのは、たぶん私の隣にいるこの子。
「ねぇ杏、こんなのクジ引きか出席番号順でいいと思わない?」
「そうだよねぇ」
 気怠げに髪を耳にかけながら呟く香奈の姿はすごく綺麗で、思わず「眼福ー!」と叫んで手を合わせたくなる。
 入学式の日に出席番号が前後だったという理由ですぐに仲良くなったけれど、そんなきっかけがなければきっと接点すら持てなかったと思う。
 そのくらい、何だか神々しい子のなのだ。
 同性の私ですら日々手を合わせたくなるほどの美貌なんだから、男子たちはもうきっと、どうしていいかわからないのだろう。
 LHRが始まってからずっと、香奈へとたくさんの視線が注がれている。その視線がついでに私にも届くようで落ち着かない。
「それにしても、イジメとかがないみたいで良かったね、このクラス」
「ん?」
「もしいじめられてる子がいたら、こんな時間は拷問以外のなにものでもないじゃない」
「それもそうだね」
 男女混合の四五人のグループを作りなさいだなんて面倒だなとしか考えてなかったから、香奈の言葉をすぐには理解できなかった。
 そう言われて教室を見渡してみたら、まだグループ編成が完了していないだけで、男女ともにあぶれている子はいない。みんなそれぞれ二人ないし三人の塊に分かれることができているみたい。
 あとは、きちんと男女混合のグループになることができれば終わりだ。
「それにしても先生ってば、ちょっと配慮に欠けるよね」
「だね」
 香奈の声が本当に憤慨している風だったから、思わずにやけてしまった。この子は、ただ美少女ってだけじゃないんだぞって嬉しくなったから。

  香奈は、みんなから一歩引いてお高くとまっているわけでは決してない。
 人と関わるのが少し苦手だけど、人混みに背を向けずに、離れた場所からちゃんと周りを見ている。
 だからこそさっきみたいに、私が気づきもしなかったことに目を向け、そっと怒りの気持ちを抱いていたんだと思う。
「香奈、今朝ちゃんと鏡見た?寝癖ついてる」
「え、どこどこ?」
 肩の上でちょんとはねた髪に「ここ」と触れると、香奈は「やだー」と恥ずかしそうに頬を赤らめた。
 こういう顔をすることも、知ってる人はあんまりいないんだと思うと何だかもったいない気分になる。
 だから、新田香奈は近寄りがたい子なんかじゃなくて、寝癖を気にする可愛い子なんだよって、誰かに言ってみたくなる。
「グループ、固まってきたみたいだね」
 寝癖部分にそっと手を当てながら香奈が言った。
 さっきまでとは違うざわめきが教室を満たしている。
 どうやら、派手めのグループの女子たちが男子に声をかけはじめたらしい。不思議なフォークダンスのような熱気が、少しずつ薄くなっていく。
「中谷さんと新田さんは、もう誰か男子と組んでる?」
「え? 組んでないけど……」
「なら、俺たちと組んでもらえますか? 俺は清水で、こっちは山崎です。俺、資料探すのとか得意だからきっと役に立つよ」
「え、あ、うん」
 いつの間にか近くまで男子二人がやってきていた。あちこちでできはじめたグループに気を取られていたから、流れるような清水くんの言葉にうまく相槌がうてない。
「新田さん、どうかな?」
 恐る恐るといった感じで、清水くんが香奈に声をかける。
 寝癖を気にしたままの香奈は、ちらっと私の顔を確認して小さく頷いた。
「資料探しが得意な人がいると助かるね」
「そうだね」
 香奈が嫌じゃないなら、私が反論することじゃない。
 それに、無難な男子が声をかけてくれたことをラッキーだと思わなくちゃ。
 無難なんていうと清水くんと山崎くんに失礼だけど、クラスで一二を争うような人気者が香奈目当てに寄ってこなかったことにホッとしている。
 人気者タイプの男子が寄ってくれば、その子狙いだった女子たちが面白く思わない。香奈が何もしていなくても、嫌な空気になるのは目に見えてる。
 だから、清水くんたちが声をかけてくれなければ、最後まで女子に声をかけることもかけられることもなかった男子のグループを誘おうと思っていたから助かった。
「じゃあ決まりだね。よろしく」
「……よろしく」
 山崎くんの表情がちょっと気にかかるけど、ひとまず安全を手に入れたと思って間違いない。
 望んでもいないのに、たくさんの男子に見つめられる香奈は大変だ。そしてそのことでやっかむ女子がいることも。
 課題のグループを組むという些末なことで、トラブルを招きたくない。
 それは香奈の願いというより、私の願いだ。
 香奈がみんなから一歩引いたところにいるのは、大人だからじゃない。その逆で、見た目に似合わず幼くて純粋なところがあるからだと思う。
 友達になってまだ二ヶ月だけど、クラスでも部活でも一緒にいて、近くで香奈を見てきたからわかるつもりだ。
 欲望と嫉妬の渦巻くフォークダンスに、この子を巻き込みたくない。
「中谷、ちょい待ち! 俺もグループ入れて」
 空気の読めていない声がするなと思ってそっちを見ると、そこには見知った男子がいた。
 高校に入ってからさらに背が伸びて、一部の女子から何だか騒がれているみたいだけど、幼稚園の頃から変わらないお調子者な顔をしてこちらを見ている。
「小林、どうしたの? 友達と組めばいいじゃない」
「何だよ中谷、冷たいな。だって俺もこのグループがいいなって思ったんだよ」
 昔からだけど、こいつの空気の読めなさと笑顔で乗り切ろうとする適当さがムカつく。ムカつくと思ったらもう止まらなくて、ものすごく声が冷たくなってしまった。
「まぁ、小林くんが入っても五人だからいいんじゃない」
「清水くんサンキュー!」
 ムカつくから肩パンのひとつでもお見舞いしてやろうかとしていたら、清水くんが笑顔で場をまとめてくれた。
 大人だ。教室内の空気をおかしくさせた自覚なくヘラヘラ笑っている小林とは大違いだ。
 これで私が駄々をこねれば小林より迷惑な奴になってしまうから、グッと飲み込むしかない。そんな私の気持ちを知らずに、小林はニヤニヤしながら私を見下ろしていた。


「杏はもう同じクラスの人の名前覚えた?」
「まだ完璧にじゃないけど、それなりに」
「そっかぁ」
 茶道室がある別館から昇降口への道を連れ立って歩きながら、香奈はカバンから取り出したクラス名簿を見ていた。たぶん、今日のLHRでグループを組んだ男子たちのことを考えているんだろう。
「眼鏡の、背が高いほうが清水くん。隣にいた小柄なほうが山崎くんだよ」
「無害そうな二人だね」
「無害、そうだね。それとあとから来た明らかに有害なのが小林だよ」
「あ、別に小林くんが有害って言いたかったわけじゃないよ」
「いや、あいつは有害。空気読めないからね」
 LHRのときのあいつの能天気な顔を思い出して、もう一度腹が立った。そんな私の様子を見て香奈は「杏、眉間に皺。鬼瓦みたいになってる」とからかって笑った。
「小林くんは杏の友達だから、名前覚えてた」
「友達、ねぇ……」
「違うの?」
 香奈の無邪気な問いに、何て答えたらいいかわからなかった。答えに詰まったことで、LHRのとき心がざわついた理由がわかってしまった。

 小林は家が近所で、幼稚園の頃からそばにいて、小学生のときも、中学生になっても、離れることなくずっと一緒にいた。べったりというわけではないけれど、意識しなくても見える範囲にお互いの存在があるのが当たり前だった。
 中三のとき「高校どこ行くの?」と聞かれて志望校を答えたら、「じゃあ俺もそこにする」と言って小林は本当に受かってしまった。
 そんなふうだから、どこかで勘違いしてしまっていたのかもしれない。私は小林の「特別」なんだって。

 だけど、そんなことはないんだと、本人の口から聞かされてしまった。
 中学の頃はモテないわけじゃなかったけど、付き合いたい相手というよりは面白い男子としての扱いだったと思う。
 だけど、部活で鍛えた体ととっつきやすいキャラで図らずも高校デビューに成功した小林は、今ではすっかり人気者だ。
 ある日の昼休み、小林のいるグループを囲む女子の一人が「中谷さんって小林くんの彼女ー?」と、すごく軽い調子で小林に尋ねた。それに対して小林は「いや、全然そんなんじゃなくて、ただ家が近くで幼稚園から中学まで一緒だった、なんつーか、ようは腐れ縁ってやつだ」と笑いながら答えた。
 たったそれだけのやりとりで、その話題が引きずられることはなかった。あくまで世間話。大した意味を持たない会話。
 だけど、あの日以来、私の胸の中にできたしこりは消えない。それは冷たく固く、ときどき暴れ出して私を痛めつける。


 お風呂からあがってベッドに腰掛けてまったりしていたら、スマホがメッセージ受信の音をたてた。
 アプリを開いて誰からのメッセージかわかると、胸の中がキンと冷たくなって、自分の顔が強張るのを感じた。たぶん、眉間に皺も寄ってる。香奈が見たら鬼瓦みたいってまた笑うかもしれない。
「同じグループだなー。よろしく」
 自分ちのワンコのアイコンで、どうでもいいメッセージを小林は送ってくる。でもそんなどうでもいいことに返信できるほど、私の心は平静じゃないから無視をする。
「新田さん、近くで見るとマジ美人な。俺キンチョーしたわ」
 無視してもこちらのことはお構いなしに、続けざまにメッセージが届く。その文面に、また胸の中のしこりが冷たさを増していくような気がした。
「あんたも香奈狙いか」
 香奈に迷惑かけないでよね、と続きを書きかけたけど、それは違うでしょって自分でツッコミを入れて、その部分は削った。
「ちげーし! てか、うちのクラスには新田派だけじゃなくて中谷派もちゃんといるよ」
 ちょっとズレた返信に、苛立ちが募る。というより、こんなふうにメッセージを送ってくる小林にムカついている。
 ジリジリと香奈と手をつなぐために近づいて来たなら、さっさと本題に入ればいいのに。こんなまどろっこしいやり取りせずに、聞きたいことを、言いたいことを、言葉にすればいいのに。
 そんなイライラを全部メッセージにして送りつけてやりたい。だけど、そんな資格は自分にないってわかっているから、余計に腹が立つ。
 この気持ちが、「好き」なのかはわからない。だから当然気持ちも伝えていない。
 そんな私が、小林に怒ったり勝手に傷ついたりするのは、正しくないと思う。
 ーーああ、私もフォークダンスの輪の中にいたんだ。
 気づいてしまえば、誰のことも責められない。
 でも、だからって苛立つ気持ちは消せないから、八つ当たりみたいに「バーカ」とメッセージを送ってやった。

猫屋ちゃき
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猫屋ちゃき

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