後日談

"Leaden Night Sky" 後日談

冬のロンドンにしては比較的暖かい午前の事。
ゲーリーは自宅のサンルームで先程認めたばかりの数通の書状の送り先を確認していた。今朝の彼はすこぶる上機嫌のようで、一般的に見ると少々人相の悪いと評価される彼の顔に、これまた一般的に見ると少々悪人の笑顔にも見えてしまいそうなニヤニヤ笑いがずっと浮かんでいた。
一通りの作業を終えた彼は壁際にあるベルを鳴らす。すぐに執事のピコー氏が部屋に現れた。

「お呼びでございますか。」
落ち着いた口調で恭しく一礼したピコーに、ゲーリーは手にしていた数通の書状を渡す。
「これを出しておいてくれ。特に急ぎではないが、出来れば早めに頼む。」
「畏まりました。」
執事が封筒を受け取る。
「今日から数日間は会場かホテルにいる予定なので、何かあった時は連絡をくれ。」
「はい。お気をつけていってらっしゃいませ。」
ゲーリーは一礼する執事に頷くと、彼の持ち物の中では一番質の良いコートを着込んでいそいそと出かけて行った。

翌日。ウェイト&シンプソン社内、「スターマウント・パラノイア編集部」。

リリスは机の上に放置した封書の行末を考えあぐねていた。
すなわち、「ゴミ箱へ直行させるべきか」、「自分のバッグに入れるべきか」である。書状の内容は乗り気には到底なれそうもないような誘いだったが、無下に断ってしまうのも気が引ける。しばらく考えて「多忙で都合がつかなかった」という体の良い言い訳で切り抜ける事を決めた。
同じタイミングで彼女の机の上の電話が鳴る。ゴミ箱行きの運命になった封筒を一旦机の上に戻し、彼女はすぐに受話器を手に取った。

「はい。スターマウント・パラノイア編集部です。はい、私です。お疲れ様です。いえ、こちらこそ。ご用件は何でしょうか?……はい、大丈夫ですけれども。……は?」
営業用の声で愛想の良く応対していたリリスの声のトーンが変わった。
「ええ?はい。あの、何故あなたが行く事に?ああ、そうなのですか。編集長から……ですか。それで、何故私をご指名になったのでしょう?……ええ。ああ、そういう事で。はあ、いえ大丈夫です。……はい。はい、明日午後ですね。承知いたしました。ええ、ではまた。それでは失礼致します。」
受話器を置いたリリスは、机の上の封筒をじっと見つめた。
「……呪いでも掛かっているの?」

同じ頃、ロンドン某所の美術館にケインとリーファスの姿があった。
「へぇ、こんな大きな美術館を使うのかぁ。凄いなぁ。」
感心して言う自分の夫に、リーファスは軽く笑って言った。
「こういった会場を借りるのはどちらかと言うと資金が有るか無いかも大きいでしょうからね。大会社の社長さんともなると、体裁もあるからポンと大枚はたいて借りたんじゃないかしら。」
ともあれ、二人は総合案内場で招待状を見せて中へと入る。特別展示場の案内に沿って進むと、その前にある受付でもう一度招待状を見せた。
「フレミングご夫妻でございますね?少々お待ち下さいませ。」
席に座っていた女性が立ち上がり、奥の展示室へと入る。ややあって、室内から見知った男の姿が現れた。
「やあ、二人ともよく来てくれた。」
満面の笑顔で迎えるのはゲーリー・クローンである。
「個展の開催おめでとうございます。わざわざご招待下さってどうも有難う。」
笑顔でリーファスがそう挨拶し、持ってきた花束と菓子の包みをゲーリーに手渡す。
「これは有難う。ご足労済まなかったな。」
一通りの挨拶をして、丁重に受け取った花と包みを受付にいた女性に預けたゲーリーが奥の展示室へと二人を招き入れた。広めの会場には、ゲーリーが描いた絵が多数展示されている。油絵の他にもスケッチや水彩の物も並んでいた。いつも拠点で描く犯人像を思えば「普通の絵なら良い感じじゃないか」と二人は思っていた。

と、ケインが何となく見覚えある絵を見つけて足を止めた。最初は驚き目を見張り、次に苦笑し、最後に困った顔になる。
「油絵に仕上げたんだ?」
大きなサイズのその絵は、下半身が馬、上半身が人間の姿をした男が、大きな鎌を手にしている絵だった。夫の指す絵を見たリーファスがバッグを落としそうになる。
「捜査中の絵で初めて褒められた記念すべき一枚だからな。個展を開く気になったのもそれが切っ掛けだ。」
満足そうなゲーリー。ケインとリーファスは反応に困る。
「そう、なの。」
リーファスがひきつりながらも笑顔を作って答えた。誰が何をどう褒めたのか検討もつかない。だがゲーリーがそう言うのだから嘘ではないのだろう。
モチーフのせいだろうか、会場の展示物の中で一際異彩を放っているその絵。ケインとリーファスは他の展示物を見て、湧き上がる疑問や倦怠感を振り払う事にした。

翌日の朝。
会場にはコメットが訪れていた。
「お招きどうも有難う。まあ僕としては、別に君の絵に興味がある訳じゃないんだけどね。趣味でやってる人の個展なんてのは、最初で最後になる可能性もあるから見ておくのも良いかなと思ってさ。」
開口一番にそんな憎まれ口を叩いたコメットだったが、上機嫌のゲーリーは「いや、わざわざ有難う。」と言うだけだった。反応がいつもと違うとどうにも調子が狂う。

「ふうん、ゲーリーって絵上手いじゃない。」
いつもこんな風に普通の絵を描けば良いのに、と思いながら展示された絵を見て回るコメットだったが。
やはり昨日ケインが見つけた絵の前で、立ち止まり絶句した。
「ゲーリー!ちょっと何考えてんのさ!!」
と、次の瞬間に彼はいきなり大声を出したのだが、開館直後でまだ来客が少なかったため顰蹙を買う事はなかったようである。
「ああ、その絵か。きちんと仕上げて見るとなかなか面白い物になっただろう?」
「確かに面白すぎて開いた口が塞がらないよ。」
呆れた顔で言った後、コメットは少し声を落として続ける。
「この絵からあの事件を連想する人はまずいないだろうけれどさ。一応秘密事項なんだよ、僕達の調査内容っていうのは。それをこんな所に展示しちゃってどうすんのさ。」
「まあ、そう言うなって。珍しくリリスが褒めてくれた絵なんだよ、これは。」
「はあ?」
素っ頓狂なトーンの声がコメットの口から出る。この絵のどこをどう褒めたのか、彼には全く想像出来ない。絵としてもシュールを三段程飛び越して、ユニークな不気味さを醸し出すモチーフだ。しかも、これは先日の調査中に犯人像として描かれた絵だ。コメットが覚えている限り、今までリリスが間違った推理に対して褒め言葉を述べるような事はなかったはずだ。

「たった今、僕の中でリリスに対する印象が変わったよ……。」
確かに彼女は芸術には疎いと自分でも言っていたが、この不気味なのか愉快なのか分からない絵を褒めるような感性の持ち主なのだろうか。
後日、調査でリリスに会ったら二、三、絵についての質問をするついでに、ゲーリーに個展を開いてまでこの絵を表に出させた責任を追求しておこうとコメットは思った。

午後になると、ゲーリーの個展に取材の記者が訪れた。
「はじめまして、ミスター・クローン。ウェイト&シンプソン社、ロンドン・ウィークリーポストのジョン・グリンウッドと申します。この度は初個展の開催、どうもおめでとうございます。」
ゲーリーと握手を交わす友人の後で、諦めたような目でカメラを抱えたリリスがグリンウッドの言葉を繰り返すように抑揚の少ない声で言う。。
「おめでとうございます、ミスター・クローン。」
「いや、こちらこそ取材有難う。ミスター・グリンウッド、ミス・グレイス。」
「おや、彼女とお知り合いなのですか?」
リリスが名乗る前に名前を呼んだ事にグリンウッドが気づく。リリスはやや眉間に皺を寄せこっそりゲーリーを睨んだ後、友人に向けて言った。
「以前お会いした事があるの。」
「何だ。それなら取材前に言ってくれれば良いじゃないか。」
小声でそう言ったグリンウッドにリリスは困ったような顔で答える。
「そうね、うっかりしていたわ。」
リリスとしては全く知らない他人同士で通すつもりだったのだが、ゲーリーはむしろ知り合いだとアピールしたいらしい。
(まさか、ジョンを味方につけて妙なアプローチして来る気じゃないでしょうね……。)
冗談ではない。ジョン・グリンウッドと彼の妻はリリスの大学時代の友人で、当時学生結婚していた亡き夫とも交友があった。だが夫の死後は「そろそろ再婚しではどうか?」と何度か勧めてきた事もあるのだ。そんな彼の前で迂闊に口説き文句でも使われてしまったら、後押しされかねないではないか。
取材するグリンウッドとゲーリーの会話を聞きながら、「ジョンに妙な事を言ったら許さない」と言う目線をゲーリーに送った。ゲーリーは視線に気がつくと、何やら意味深な視線を返してくる。……こちらの意志は全く通じていそうもないが、とりあえず今のところそういう話題の流れになっていないので放置しておく事にした。

会場の様子を撮影していたリリスが、ケインやコメットが立ち止まった絵の前で呟いた。
「何、これ。」
そのリリスの後でグリンウッドが言った。
「これはかなりオカルト風味の強い絵ですね。やはり、クローンさんはこういった題材をお好みなのですか?」
ゲーリーはオカルト趣味の好事家として結構有名らしい。それがリリスが今回グリンウッドの補佐に選ばれた理由でもある。
常に記事に困っているオカルト雑誌スターマウント・パラノイアに、同じ社内の新聞部門の編集長が気を利かせて「雑誌部門にいるおまえの友達も一緒に取材に連れて行ってやれ」と言ったのだそうだ。

「恐怖や謎のある世界は私の興味を常に惹きますからな。それに何よりもこの絵はミス・グレイスにも褒めて頂きましたからね。」
ゲーリーはこの絵が注目されたのが嬉しいようで上機嫌で答える。リリスは一瞬ゲーリーの顔をまじまじと見て、首を傾げた。
「大変失礼ですが。一体いつのお話でしょうか?」
「スケッチを見て頂いた時に、良い線いっていると感想を仰ったでしょう。」
リリスは目眩がする思いで「あの時ですか」とかろうじて答えた。迂闊な事を言ったものだと今更後悔したが、もう遅い。

彼の絵の才能は鑑賞に耐える物なので、技量的には何ら問題のない絵だ。モチーフがモチーフなだけに何やら一種独特の超次元世界のようになっているが、普通に見ればただのオカルト風の絵でしかない。しかし、これが一体何を描いた物なのかを知っている者にとっては、少々困った絵である。

グリンウッドが来客へのインタビューを始めたので、リリスは小さな声でゲーリーに言った。
「あれは褒めたつもりではなかったのだけど。確かにあなたは絵がお上手ですけれどね。」
「まあ多少の自惚れは許せ。君が俺の絵を評価した物としては、珍しく肯定的な言葉だったんだからな。」
リリスは少し困った顔でゲーリーを見た後、「そうね」とだけ答えた。

数人から話を聞いたグリンウッドが戻ってきて、インタビューの締めに入った。
「ミスター・クローンは今後はどういった絵を描いていこうとお考えでしょうか?」
「そうですね。」
一旦言葉を切ったゲーリーが自分を見てニヤリと笑ったので、リリスは嫌な予感を覚えた。
「ミス・グレイスがモデルになって下さったら人物画に挑戦したいと思っているんですがね。」
グリンウッドとゲーリーの視線がこちらに向いた。返答を求められているらしい。リリスはうんざりした表情を愛想笑いで消し去りながら答えた。
「大変光栄ですわ、ミスター・クローン。ですが私よりもプロのモデルの方々をお描きになる方が宜しいかと思いますわ。」
「ははは。では、あなたの気が向いたら是非ということで。」
そう言って笑うゲーリーの横でグリンウッドの目が「何で断るんだ?」と言いたげにこちらを見ているが、リリスに受ける気は毛頭なかった。

ゲーリーの個展が無事に終了した頃のロンドン某所。
落ち着いた色合いの書斎らしき部屋の椅子に掛けた初老の男性が一人。その前に立つ、派手な赤い色の服を着た中年女性が幾つかの書類を受け取って言った。
「では、早速手配させて頂きます、閣下。」
「よろしく頼む。そう言えば、ミセス・コッカー。先日の捜査でのアイリス・グレイスの様子はどうだった。」
「リリスさんですか?体調が思わしくなく食欲がないとは言っていましたが、捜査自体には問題ありませんでした。」
「ふむ、以前の事件での後遺症が出ていないなら良いんだが。……相変わらず面白いな、あの娘は。別件報告書など出してくる調査員は初めて見た。」
初老の男は含み笑いしながら、書斎机の上の封書をちらりと見やって言った。ジェーン・コッカーは頷く。
「相変わらず単独行動が多いので多少チーム内での摩擦もありましたが……。最近は他のメンバーとも概ね上手くいっているように思います。」
「そうか。分かった。」
「では、失礼致します。」

書類を抱えて部屋を出ようとした時に、ジェーンの目に一枚の大きな絵画が映った。先日この部屋に入った時には無かった物なので、最近購入してここに掛けられた物なのだろう。
(それにしてもあれは一体何を描いた物かしら?)
ケンタウロスの死神という印象のモチーフのその絵に首を傾げながら、ジェーンは"ジャッカル"の執務室を後にした。

              ---FIN---

nyan
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