section 12:Epilogue---BEORC

12th December,192x

「悪いわね、また付き合わせてしまって」
ハワード伯爵家の旧領地。枯れ葉が積もった小道を歩きながらリリスが言う。
「私も気になるもの。それにあなたと一緒の仕事はスリルがあって楽しいわ」
やや後を歩きながらリーファスが笑顔で答える。徹夜の探索の後で二人とも疲れてはいたが、どうしても調べたい事が残っている。

リーファスがダウジングを使ってチェックしたポイントは三箇所。一つは地下通路のあった廃墟、もう一つは墓地。残る一つは旧ハワード邸だった。リリスは調査には「一人で残る」と言ったが、離れていても分かる程に館には霊気が溢れていた。そのためリーファスが同行を申し出たのだ。
「皆ちゃんと列車降りてくれるかしら?居眠りしていなきゃ良いけど」
男性三人は先に拠点に戻り、少し休んだ後に"ジャッカル"宛の報告書作成に入る予定になっていた。
「終点だから駅員が起こしてくれるわよ」
冷たい風に身を竦めながら、二人はそんな会話を交わす。

朽ちかけた門を抜け、館の敷地へ入る。リーファスには多数の霊が突然の侵入者に注視しているのが分かった。

足を止めてリリスが十字を切った。
「May the souls of the faithful departed, through the mercy of God, rest in peace. (願わくは死せる信者の霊魂、主の御憐れみによりて安らかに憩わん事を)」
二人に向けられていた悪意が少し和らいだのを感じて、リーファスが首を傾げた。
「リリスってカトリック信徒なの?」
今の祈りの言葉はプロテスタントの経典には有り得ないものだ。リリスは少しだけ目を伏せて答えた。
「家にカトリックの人がいたから。それで覚えていただけよ」
「家にいた」というのは、「家族」ではなく同居人などだろうか。リリスが正面玄関へと向かったので、リーファスはそれ以上聞けないまま後を追う。

屋内へ入るとリーファスは意識を集中して、ダウジングが反応しそうな物を探した。どうやら、玄関ホールから二階へ上がる大階段。その壁に幾つもの肖像画が掛かっていた。そこに一つだけ床に落ちている物がある。
そこに描かれているのは美しい婦人だった。光沢がある質の良い、だが質素な黒いドレスを身につけている。装飾品もロザリオだけだ。
シンプルな額縁は、落下した時に裏板が外れたらしい。絵の下にずれた板が見える。かなり古い絵だ。14~15世紀頃の物だろうか。更にリーファスにはその脇に立つ女性霊も見えていた。
「モデルになった人が側にいるわよ」
そう告げるとリリスは頷き、そっと額縁を持ち上げた。外れた板と絵の間から何かが落ちた。女性の髪が一房。そして、それを包んでいた紙片。拾い上げて紙片を広げたリリスが微かに目を細めた。そしてリーファスにそれを手渡した。古い文体の英語だった。

"主よ憐れみ給え
我が罪を償わせ給え
彼等の魂安らぐ日まで償いは終わらず
御使来たる日まで我が魂眠ることなし"

「この人、もしかしたらダイザード伯爵の元の奥さんかしら?」
リリスは目を閉じて指を組んだ。
「償いの時はもう終わったわ」
この言葉は近くにいるはずの霊に向けた物だろう。リーファスはタリスマンを握りしめた。光の中にいるハイヤーセルフに祈り、意識を集中する。
「どうか皆の魂の救われんことを……」
しばらく瞑目していたリリスが目を開ける。彼女の前でタリスマンを服の中にしまいながらリーファスが微笑んでいた。
「館の全ての霊が去った訳ではないけれど、彼女は次の段階に進んだみたいね」
「そう。有難う、あなたがいてくれて良かった」
それだけ言うとリリスは大階段を降りた。
「帰りましょうか、ロンドンへ」
「そうね」
二人はブレントウッドの駅へと戻り始めた。

拠点に戻った後、リリスは連絡要因のジェーン・コッカーに一通の封書を預けた。
「"ジャッカル"への報告書です。私個人の調査内容なので別口になるけれど」
「はい、お預かりしました。これ……他言無用って事よね?」
にこにこしながらそういうジェーンにリリスは頷く。今回の調査で、リリスは他のメンバーに話さなかった事が二つある。

一つは前の事件の黒幕ロードマック卿と、今回ロジャース・ハワードに魔導書を渡した人物が同じ指輪を持っていたらしい事。頭上に環状の蛇を掲げた獅子顔の女神。ゲーリーとリーファスの話ではこれは「エジプトの殺戮と疫病の女神セクメト」と言う事だった。ロジャース・ハワードの日記で肌の黒い男は"野獣の一員"と名乗っていたという。この野獣がセクメトの事を示しているのであれば、何らかの組織めいた物が絡んでいる可能性がある。

もう一つは、初日午後の調査内容だ。心霊調査機関から派遣されたホーリー・フリッペン殺害の目撃者は、霧の中の背の高い影の他にもう一つの人影を見ていた。それは全身黒い服の男性で、倒れたフリッペンのすぐ近くに立っていたらしい。だが駆けつけた時には男は跡形もなく消えていたのだという。目撃者はその時に酔っていた事もあり、気のせいだろうと警察に言わなかったらしい。フリッペンだけが刺殺だった事も含め「彼を殺したのはダイザードではない」とリリスは推測していた。

魔導書をロジャースに与え、調査員を襲った黒服の男は同一人物だろう。しかし一体何者なのか、そしてその目的は何なのか。そこまでは今回の調査では分からなかった。だが、調査員が襲われたのが偶然ではない可能性がある以上、"ジャッカル"の耳には入れておく必要がある。今後単独任務につく調査員の安全のためにも。

この「単独」の範囲に自分の行動を全く含めて考えていない所がリリスの欠点ではあったのだが。

ジェーンに書簡を預けた後、彼女は拠点の廊下にいたコメットを見つけて呼び止めた。
「Excuseme, Sir. 少しお聞きしたい事があるのだけど、お時間よろしいかしら?」
妙に丁寧な口調で話しかけられると余計に身構えてしまうコメットだったが、警戒を隠して「どうぞ」と答える。
「昨日あなたが調査で見たという小さな坊やはどちらにお住まいなのかしら?」
コメットは不思議そうにリリスを見る。そして何か気がついたらしく、少し意地の悪い笑顔になって答えた。
「へぇ。君が子供に興味示すなんて、予想もしていなかったよ。何?見に行きたい程その子が気になってるの?」
表情こそ変わらなかったが、リリスは一瞬沈黙してわずかに目線を左下方に逸らした。
「いけないかしら?」
「いやあ、そんな事はないよ。そうだねぇ、教えてあげても良いんだけどさぁ……」
コメットは何かリリスに取引でも持ちかけようと思ったらしい。だが、いつのまにか側まで来ていたリーファスにコツンと頭を小突かれた。
「意地悪せずに教えてあげたらいいでしょう?」
「いたた。リーファス聞いてたの?」
「ええ、途中からね。あなたがリリスをいじめている場面は全部聞いていたわよ」
「人聞き悪いな、別にいじめてないってば。少しからかってみただけ!」
リーファスは腰に手を当てて言う。
「いいから、教えてあげなさいよ」
かなり強硬な口調だ。
「いや教えるけど。もう、何なんだよ、何でリーファスがそこまで言うのさ?」
少し拗ねた口調でコメットが聞くと、リーファスはいきなり笑顔になって答えた。
「私も一緒に行きたいなぁと思って」
「へ?」
「だって気になるじゃない。ねぇ、リリス」
話を振られたリリスは数回瞬きを繰り返した後、「そうね」とどこか他人事のような口調で答えた。
「じゃあ、これで話は決まったわね。ケインとゲーリーも呼んでくるわ」
異様に高いテンションのリーファスは、まだ奥の部屋にいるはずの二人の所へと走っていった。

「全員で行く所でもないと思うんだけどなぁ」
コメットが呟く。結局五人揃ってイーストエンドを歩いているせいだ。コメットは場所だけリリスに教えて帰るつもりだったのだが、強引にリーファスに付き合わされてしまった。
「良いじゃないか、たまには」
ケインは何故か嬉しそうな様子だ。恐らく彼も「子供」の事が気になっていたのだろう。

事の発端になってしまったリリスは、既に諦めたようで黙ったまま一番後ろを歩いている。その彼女の肩に手を回して、ゲーリーが話し掛けた。
「君が子供好きだって事なら……」
だが一瞬の後、リリスの肘が鳩尾付近を掠めたのを慌てて避けた彼は、そのまま距離を開ける他なかった。
「ゲーリーも懲りないね」
(徹夜調査明けで疲れているリリスにちょっかいを出せば、攻撃が来るのは分かりそうなものなのに)と彼は思う。
苦笑していたコメットが、ふと足を止めた。
「あの子だ」
まだ家からは離れた場所だが、母子は外出していたらしい。手を繋いで子供の歩調に合わせてゆっくりと歩いている。
「あら可愛い坊やね。お母さんによく似てるわ」
「三歳くらいかな?やんちゃ盛りって感じだよなぁ」
リーファスとケインが満面の笑顔で感想を述べる。
「ほう、これはこれは。なかなかの美人じゃないか。ロジャースって男は面食いだったみたいだな」
ゲーリーは母親にも興味があったらしい。
道の脇に立ち止まっていた五人の前を、何も知らない親子は童謡を口ずさみながら通り過ぎて行った。

"猫ちゃん猫ちゃんどこ行ってたの?
女王様を見にロンドンへ行ってたの"

楽しそうに歩く二人を見送りながら、ゲーリーが言う。
「しかし一人で子育てするとなると、大変そうだな」
コメットがそれに同意した。
「うん、経済面の他にもこれから先に色々な問題が出てくるだろうからね」
やがて親子は通りの向こうへ消えた。軽く息をつき、そこまで黙っていたリリスが言った。
「そんなに心配なら、あなたたちが養ってあげなさいな」
訳が分からず顔を見合わせた二人を無視して、リリスはケインとリーファスに「じゃあ、またね」と短く挨拶して歩き出した。
後からゲーリーとコメットが口々に何か言っているが、当のリリスの耳にはもう届かない。

「大丈夫。過去や未来に怯える必要ないから」
過去に由来した悲劇の幕は降りた。母の無償の愛を受け、健やかなる未来を選べば良い。
ゲーリーやコメットの言うようにこの先に困難はあるだろう。それでも、あの子供には愛し愛される「家族」という何物にも変えがたい存在がある。その絆は、「肉親の情」を全く知らずに育ったリリスの目にはとても眩しく見えた。

歩く速度を少し上げる。リリスにとっては少しばかり平凡で退屈な「ロンドンの日常」へと戻るために。

この街に生きる多くの人は光溢れる日々の影にある怪異には気づかず、各々の生をそこに織り成している。
だからこそ、彼らゴーストハンターはそこに生き、戦う。
欠けた月が満ちて再び欠けてゆくが如く、人々の気づかない"光と闇の交錯する世界の狭間"の中で。

         To Be Continued

nyan
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