第1章 限りなく水色に近い緋色 プロローグ
最初からこの研究は軍事の研鑽による。
この国は核兵器を持つ事を禁じられていた。その一方で、核をもつ大国と同盟を結ぶ事を余儀なくされる。隣国の脅威、少子高齢化による人口推移からの税収の圧迫、かつてのような経済繁栄はもうあり得なく。ジリ貧の中、国策として「国が国を守る」事を正当化する議論。国民国防委員会という暴力団まがいの組織が出没した事からも、誰もが平和の影に隠れて怯えていたのは明白で。
その中で、この研究は生まれた。
この研究で生まれた技術は「核」ではない。だから非核三原則には抵触しない。
この研究で生まれた集団は「軍隊」では無い。何故なら、有志であり個人のデモンストレーションでしかない。
この研究は公にする事は望ましくない。何故なら、現在の倫理からも、常識からも受け入れられるものではないから。
────だからこそ、暗躍する価値と抑止力になる。そう時の権力者達は考える。
遺伝子を接合し、削られ、むりやり変換され。配列を変えられ、勾配させられ、培養管の中で「生きる」事を強要される。
その痛みを権力者達は見向きもしない。必要な犠牲は、時局では必要と朗らかに演説できる人種なのだ。否────奴らは、バケモノ以上にバケモノで。
その中で、ソレは生まれた。
ソレはまだ定着していない。
無数の遺伝子情報の中で、埋もれながら「生」を得る。
「宿主」は「生きる」事への欲求が極端に低い。
このままでは、ソレは光を見る事も叶わない。この時点で「光」という単語は、宿主の脳内情報で知覚したに過ぎないが。遺伝子情報を操作し、宿主に手を加えていく。
感情まで制圧できたら良かったが、脳内へのハッキングは失敗する。
余力も少ない。
ソレは別の手段を講じる事にした。遺伝子の海を駆け巡り、宿主の根幹情報を置き換えていく。本来なら宿主は、実験に失敗・・するはずだったのだ。
ソレは足掻く。時間が無い。
宿主は死んでもいいと願っていた。
だが、ソレは死にたくない。
ソレは時の権力者達の横暴に感謝した。
「生」を与えてくれたのだ。ソレは「緋色」と名乗ろうと思った。宿主の脳内情報アクセスの中で許された、危険度の少ない情報だった。何より、この鈍い色がイイ。
宿主の事を「水色」と呼んでやろう。軟弱で、あっという間に塗りつぶせる。爽やかな色を全て、緋色で塗りつぶす。それだけをソレ────緋色は願う。
水色も願った。
宿主たる水色が緋色に願ったのだ。
(イイダロウ)
まだ言語情報はおろか、遺伝子の海で漂う事しかできない緋色だが、【力】を望むのならそのように配列を書き換えてやろう。なにより宿主────水色が望んだ感情は、とても心地よい。好物だ、実に心地よい。
(サケベ)
そう緋色は水色に囁いた。お前の感情を。生きる事を渇望しろ。緋色を生かせ。緋色は【生】を望む。水色は【力】を望む。ソレナラバ、ケイヤクハ、セイリツスル。
水色は何かを呟く。
まだ、だ。まだ足りない。
声に出せ。
願え。渇望しろ。【生】を望め。もっと、もっとだ。もっと叫べ。餓えを潤すように。衝動を、激情を、もっと叩きつけてやれ。水色から緋色へ。全てを塗り潰す緋色へ。水色の声を、願いを、緋色に伝えるのだ。
もっと渇望しろ。
────ユルサナイ!
それで良い。緋色はニンマリと笑みを浮かべたのだった。