部長が言う喫茶店に着いた。
「はあ、はあ、はあ」
あのあと部長は、なにを思ったのか全力疾走しだした。もちろん俺も本気ダッシュで追いかけた。
だから今ぜえぜえ言ってる。でもなぜか息切れしてるのは俺だけという――。
「意外に早く着いたな。もう少しかかると思っていたが」
そりゃそうだろ。十分近く走ってたんだから……。なんで喫茶店行くのにトライアスロンの選手みたいな速度で走ってんだ俺ら。
「さ、中に入るか」
なんでそんな余裕!?
「ちょ、ちょっと待ってください。息が……」
「だらしないぞ」
「部長が、おかしい、だけです」
男の俺が追いつけない速度で走って、清々しい気分だ……みたいな顔はおかしいだろ。
「――まったく、近頃の若い者は。ほら」
またふざけたことを。
と思っていたら、俺の背中を擦りだした。
「あ、ありがとうございます」
すりすりされて、HPが回復していくような気分になる。
なんだ、案外優しいじゃないか。まあ、ちょっと変人なのが玉に瑕だけ――
「――ってどこ触ってんだコラ!」
あろうことか臀部をさわさわされた。
とっさに手をはねのけ、距離を取る。
「サロンシップサロンシップ!」
「スキンシップだろそれ!? サロンシップは今日寝る前に貼るやつだよ!」
足に六枚は貼るわ! 筋肉痛で!
「誰がうまいこと言えと」
「あんたのせいだろ!」
「おい」
「違うんです! 私はあの人に恨みなんてこれっぽっちも……。信じてください!」
「何の刑事ドラマ!?」
「おまえらあああ!」
「い!?」
「む?」
突然の怒号。
振り向くと、側にデカくて強面のおっさんが立っていた。すごい形相で。
まさに仁王。よしんば猫のエプロンをしていても、ちょっとかわいい、とか勘違いするのは到底不可能な顔である。
ちなみに、本当ににゃんこエプロンしてます。
「入れ」
仁王(にゃんこエプロン)は親指で後ろのドアを指し、命令した。
ドアの上の看板を見ると、「カフワ」と書かれていた。
※
俺と部長は四人用の席に向かい合って座っている。他に客はない。
店内は、窓の外さえ見なければまるで外国のよう。
入った時からだが香りがすごい。息をするだけで落ち着く。
「部長、あの人ってもしかして――」
「来たぞ」
振り向くと、さっきのおっさんがトレーを持ってこっちに向かってきていた。
「ほらよ」
音もなくそれらが置かれる
「兄ちゃん、こういうとこ初めてか」
兄ちゃん!? この人ヤクザか何か!?
「そ、そうです」
こわいこわいこわいこわい。この人顔怖いって。
「そうか。まあ、固くならなくていい。作法とか気にせず、ゆっくり味わってくれ」
「は、はい……」
ち、違うんです。そっちの緊張よりこっちの緊張でガチガチなんです。
「みーちゃん困るな。常連とはいえ、店の前で騒がれちゃ」
え……。
「すまないマスター。少し羽目を外してしまって」
「まあ、ちょうど少ない時間だったから良かったが……」
え……。
「それにしても珍しいな。みーちゃんが同年代の男連れ込むなんて」
「新入部員なんです」
「へえ。じゃ、親睦会にここを選んでくれたってわけか。光栄だねえ」
あの……。なんか違いすぎません? その……フレンドリーさが。いや、常連なのは分かるんですよ? それでもなんて言うか……。性別の差? ……なにこのフレンドリー格差。
「ここなら、どこに出しても恥ずかしくないですから」
「はっ。褒め殺しかい? こりゃまいったな……。よし、好きなケーキ頼んでいいぞ」
もしかして気前のいい人なんだろうか。
「いえ、お代は払います」
「いや、奢らせてくれ」
「払います」
「だめだ。奢らせてもらう」
あの……すいません。なんでそんな意地張り合ってんですか?
「いえ払います」
「ちっ。……まあいい。今日は俺が勝たせてもらうからな」
なんか勝つとか言っちゃってるんですけど。あと舌打ちこええ。
「負けません」
だからなんでそんな張り合ってんだあんたは。
はあ~。落ち着く。
俺と部長はコーヒーを飲みながらケーキを待っている。部長はアイスコーヒーを慣れた感じで。俺はブレンドをちびちびと。
「お疲れ様でーす」
そんな声が奥から聞こえてきた。
「おう、おつかれ。着替えたらそこのケーキ持って行ってくれ。三番のテーブルだ」
「はーい」
またバイトの子か。……これで三人目かな?
すでにシフトに入っている二人のウェイトレスを見る。気付かれないよう横目で。
店入ってからずっと気になってたんだ。ウェイトレス。もう何て言うかちらちらちらちら見ちゃう感じで。
「部長」
「ん?」
「なんでここ、ウェイトレスの格好がメイド服なんですか?」
そう。それもウェイターがいない。男はあのマスター(にゃんこ)だけだ。
「ああそれか。私が、そうした方が売れ行きが伸びると提案したんだ」
まじで? 一介の学生が店の経営事情に口を出したとおっしゃるの?
「冗談じゃなく?」
「嘘はつかないよ」
いやいや。部活の勧誘の時に、いるだけであとは好きにしてていいとか言ってたあれはどこへ行った?
「で結果は……」
「私に毎度毎度奢ろうとする程度には好況なようだ」
それであの意地の張り合いか。
「三番でしたよね」
「ああ。頼む」
お、来るか。
「部長って、もしかしてすごい人だったり?」
「そうだな。素人が、冬場に軽装備で富士山に登ろうとするぐらいはすごいぞ」
「それ悪い方のすごいですね」
すごい無謀だよ……。まず遭難するからね。ともすればヘリ来ちゃうくらい。
「お待たせしました。カラメルフロマージュとティラミスです」
お、来た来た。俺のメルちゃんと部長のミス・ティラノ。
「え!?」
急に驚きの声を上がった。
「ん?」
それに釣られ、顔を上げる。
「ぶっ!」
吹いた。コーヒーを。
「な、な、な……。なんで……ほうきの人が……」
それやめて!? それ今日のNGワードだから!
と……とりあえずナプキンで口とテーブルをフキフキする。
「ほうきの人はやめて。お願いだから」
「え? あ、うん」
大丈夫。物分かり良さそうな子だからきちんと説明すれば……。
「おお! そうか君か! どうりで見たことあると思ったよ」
ですよねー。そうなりますよねー。
「部長、ちょっと黙っててくれますか?」
「それはいやだ」
ああもうだめだ。ここからグダグダの泥沼になってしまうに違いない……。
「あの……。お二人はあの教室でなにしてたんですか?」
助け舟きた!
「あれは部長のおふざ――」
「それはもう組んず解れつと言うか……なあ?」
「なあじゃないわ!」
「きゃっ……」
そこ! 顔赤らめんな! 違うから!
「ち、違うんだ。あれは部長がふざけて変なこと言い出すからああするしかなかったっていうか……」
そうです。ほとんど部長のせいです。多分七・三くらいで。
「じゃあさっきのは……」
「あれは嘘だって。この人、ちょっとおかしいから」
ちょっとじゃない。ちょっとじゃないだろ俺。
「だから私は嘘はつかないと――」
「部長は黙っててください」
「それはいやだ」
もう誰かどうにかして!?
「そうだったんですか……」
良かった……。分かってくれたみたいだ。
「私てっきり、ほうきを使って何かいやらしいことをしていたんじゃないかと……きゃっ……」
だめだあああ! 収集付かねえええ!
てかほうきを使ったいやらしいことってなに!? どんな妄想!?
「ち、違う違う。そんなふしだらなことは一切――」
「ああそうだ。君、うちの部に入らないか?」
なに言ってんのーーー!?
「どんな部活なんですか?」
いやいや真面目に受け取らないで!?
「お喋りをする部だ」
談話って言えよそこは。
「へえ。いいですよ。楽しそうですし」
決断はやっ!
「ほんとにいいの? さっきはああ言ったけど、この人ほんとに変人だよ?」
ひどいこと言ってるような気もするけど、間違ってないと改めて確信。
「でも他に楽そうな部活ないし……。うん、やっぱり入部します」
「そ、そう……」
楽しそうが楽そうになった。本音が出たな。
「では明日にでも入部届を提出してくれ」
「分かりましたー」
「ごめんね。バイト中に」
「いえ。何かあれば呼んでくださいね」
そう言って、彼女は仕事に戻っていった。
大丈夫かな。なんかあの子が加わると収集つかなくなる気が……。
いい子なのは間違いないんだけどなあ。
「ふ……計画通り」
「どこがだ」
ドヤァってすんなドヤァって。
会計の時は大変だった。
店長は「サービスだ」と言って聞かないし、部長は部長で「それはいやだ」の一点張り。終いにはいやだの活用形まで言い始める始末。だろ・だっ・で・に・だ・な・なら・○。「それがいやなら土下座してくだい」なんて部長が言い出し、店長が「よし、俺も男だ」とか言いながら、本当に膝をつき始めた時は焦った。
結局、俺が店長に「二人分は悪いですから俺にも払わせてください」と言って聞き分けてもらった。ちょうど二人の代金が同じだったので、割り勘ということにすればいいと思ったのだ。
部長が「そんなに払いたいなら払えばいい。……体でも何でも使って」などと妙に聞き分けがよかったのは不思議だったが、最近会ったばかりの俺には、気まぐれなのか、それとも何か下心があるのかは分からなかった。
当初は部長のおごりだったので、もったいない事をしたと言えば違いない。だが、マスターを土下座させてしまった時の如何ともし難い気まずさを味わうよりはましだと思った。
その後、部長が出ていき、俺も続こうとしたところで呼び止められた。
「おい。兄ちゃん名前は?」
「あ、はい。志津摩です」
人の名前を聞く時は、まず自分から名乗るべきじゃありませんか? ――そう言うやいなや、マスターは鈍く光る刃物を手に、俺に襲いかかってきた。「ええ度胸じゃのう兄ちゃん。――ちょっとその胸の中見せてもらおうかあ!」――とかそんなことになりそうで怖い。ドスの利いた声で叫びながらドスをドスッと、みたいな。
「シヅマ、これミナちゃんに渡しといてくれ。すぐには渡すなよ。あとでだ」
そう言って、札と硬貨を手渡される。
「これ……部長のお代ですか?」
「こうでもしないと一生奢らせてくれないからな。頼んだぞ」
俺に頼まれても困るんだけど……。
「素直に受け取るかはわかりませんけど……やってみます」
でも断れない。怖いから。――だってこわいものはこわいんだもん!
「いいか? 渡すのは別れる直前にしろよ」
どんだけ奢りたいんだあんた。
「ええ。そうします。……ごちそうさまでした」
「おう。またこい」
店から出ると、部長は夕日を仰いでいた。
腕を組んで仁王立ちのポーズ。
「……よし、走るか」
「やめなさい」
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