「ふむ……。まだ時間があるな」
部長は手首を確認して言う。
「ですね」
「どこか行きたいところはあるか?」
「そうですねえ……」
行きたいところ……。うーん。食べるところはもう行ったしなあ。ゲーセン? それもなんだかなあ。
「では図書館に行こう」
俺が思いあぐねる様子を見かねてか部長は言った。
「なんで図書館なんです?」
そんなガリ勉タイプのチョイスしなくても。
「いや、君が借りている本は明日が返却期日だから、早いに越したことはないかと思ってな」
うーん、どういうことかなあ? それは。
「なんでそれを……」
ストーキング疑惑が浮上。
「いや、鞄開けたままトイレ行くからつい……」
「ついじゃねえよ!」
そんな出来心で人のカバン物色すんな!
「ということでだ。その中のめくるめく官能世界とはおさらばしてもらおう」
「そんな言い方したら、俺がエロ小説持ってるみたいじゃないですか!」
持ってない。持ってないからね? ……少なくとも鞄の中にはない。それだけは断言できる。
「だって……」
急にしおらしくなる部長。
「だって……?」
猛烈に嫌な予感がする。
「私は与えて震え、彼女は受け止めて震えた……とか書いてたし……」
もじもじしながら言う。
「あ、あれは、外国のラブストーリーだとよくあることで……その……」
そ、そうなんです。だから別にエロってわけじゃ……。
「てか読んでるじゃねえか!」
「すまない。だから私は、少しでもお詫びになればと思って……」
そんなお詫びするくらいなら最初から読むなよ。
「はあ。分かりましたよ。行きましょうか、返しに」
俺たちは図書館に足を向けた。
「志津摩君」
だしぬけに言う部長。
「はい?」
「もう一冊の方も読みたいんだが……」
「反省してないだろあんた」
※
図書館に入り、まっすぐ本を返しに行った。
返却が終わって、さあ出ようかと足を動かし始めて気付いた。
ヤツがいねえ。
俺の後ろについてカウンターまで来ていたと思ったのに。
まさかの迷子? ――放送か? 放送してもらわないといけないのか? いや迷子センター?
放送は知らないけど、図書館にそんなものあるわけがない。
――まったく、猫じゃないんだから。
館内を一周するかというとき、ようやく見つけた。
入り口からかなり奥に入ったところのテーブルで本を読んでいる。こちらには気付いていない。
部長の横には分厚い本が堆く積み上げられていて、少し近付くとそれが図鑑であることが分かった。
部長は図鑑を見ながら呟いている。
「おお。なんて見事な。こいつは市場で、六十万以上の値で取引されたに違いない。焼き肉にすれば舌が蕩ける旨さだろう。じゅるる」
ニヤニヤしてる。肉用牛の写真見ながら。何見てんだあの人。
「ほう。これはいい筋肉。筋の張り具合が絶妙だ。こいつならスパイラルでもバラけずに付いて行き、末脚の良さで差し切れるだろう。ぐふふふふふ」
ニヤニヤしてる。競走馬の写真見ながら。あんた何歳だよ。スパイラルってなんだ。
ああ。なんか、このまま放っておいたら其の筋から人が来そう。
なぜかというと、反対側に座っている小学生(低学年だと思う)が怯えた様子で部長を見ているからだ。
彼女はおそらくこう思っている。
このお姉ちゃんなんでさっきからニヤニヤしてるの? なんで? しかもひとりごと言いながら時々笑ってるんだけど……。も、もしかしてお母さんが言ってたフシンシャって人かな? お母さん、フシンシャには近づいちゃだめって言ってたよね。――は、はやく離れなくちゃ!
女の子は目をうるうるさせながら席を離れた。
なんて傍迷惑な……。
仕方ない。なるべく被害が出ないよう俺が反対側に座ろう。
そこら辺にあった本を適当に選び、席に座った。
数分が経過した。
俺はとても高度な物理の本をパラパラとめくっている。
部長の方からはなぜか声が聞こえなくなった。
と言うか、俺に気付いていないのか話しかけても来ない。
急に、
「ぷくくくくくくくく」
隣のテーブルから女子のものと思われる声が聞こえた。笑いを必死にこらえている声。
そちらを見てみると、うちの女子生徒がお腹を押さえながら声を出すのを我慢していた。
――まさか。
そう思って顔を上げるが、部長は読書をしているだけだった。
お、おかしいな。
そう思いながら視線を本に戻す。
数秒後。
「いひひひひひひひ」
また笑い声。今度はいひひとか言ってる。
顔を上げる。
しかし部長はさっきと変わらない。熱心に本を見ており、俺にはまったく気付いていない様子。
視線を戻す。
「いひひひひひひひ」
上げる。
変化なし。
戻す。
「いひひひひひ」
上げる。
戻す。
「いひひひ」
上げる。
戻す。
「いひひ」
上げる。
戻す。
――と見せかけて上げる!
「いひひひひひひひ」
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ。
ウィンクしてた。連続で。
パチパチパチパチパチパチパチパチ。
「……何してるんですか」
パチパチパチパチパチパチパチパチ。
すごくウザいんですけどそれ。
「ん? いやあ、目にゴミが入ったみたいでね」
「ぶっ!」
そこのあんたさっきから受けすぎ。そのうち注意されるぞ。
「周りに迷惑です。さっきだって女の子が――」
「ああ。彼女にはひどいことをした」
「分かってたんならやめるべきでしょう」
「違うんだ。最初はちょっとからかうつもりだったんだ。だが、あの子の反応が面白すぎてな。つい度を超えてしまった。……後で謝りに行かないとな」
余計質悪いだろそれ。
「そうしてください。……とにかく、周りに迷惑をかけないよう頼みます」
「うむ」
そう言うと、部長はまた図鑑に没頭し始めた。
また数分が経過。
「いひひひひひひひ」
はあ。またか。
まあでも、今度はさっきよりましか。何をする気なのかなんとなく分かってるから。
ていうか、今度は初動から気付いた。
だってね。前に座ってる部長の影がだんだん消えていったから。すすすーっと。
俺が思うに、今部長は四つん這いでテーブルの側を移動中だろう。もぞもぞと。
そして多分俺の方へと近づいてきている。
二つ予想を立ててみた。
一つ目は、俺の背後から忍び寄り脇をくすぐる。
二つ目は、肩をたたいて頬を突っつくアレ。
くすぐられた場合はすぐに抵抗し、脳天チョップでも入れてやればいい。肩をたたかれた場合は首を動かさなければ問題ない。
とか考えてたら視界の端に物体Xが……。
「いひひひひひひひ」
トントンと軽く右肩を叩かれる。
そう来たか。
――ふっ、ぬるいわ!
無視――。
………………。
が――
ぴと。
「ぶふっ!」
ツンツン。
「ふひひひひひひひ」
はははは。なんで両頬に感触があるんですかねえ? おかしいですねえ?
「――ってそれ反則だろうがコラア!」
「あははははははははははははははは」
三人共、注意されました。
注意を受けたあと、俺と部長は隣同士、笑い転げていた彼女は俺の向かい側に座った。
「すみませんでした。御迷惑かけて」
そう。笑っていた彼女は悪くない。悪いのは俺の横に座っているいたずら小僧だ。
「いやあ、あそこまでお腹痛くなったのは久しぶりだよ。ありがとね」
「い、いえ……」
あ、ありがと……?
「あたし、一年だから敬語はやめてよ」
「あ、そうなんですか。じゃなくてそうなんだ」
なんとなく先輩かと思ってた。
「うん」
「あ、俺、志津摩と言います。俺も一年です」
「あたし、|春崎咲《はるさきさき》と言います。あたしも一年です。ふふ」
「よ、よろしく……」
「よろしく」
なぜ俺の真似を……。しかも笑われた気が……。
――しまった。
「ごめん。気づいたら敬語使ってた」
「だね」
「面目ない」
先輩っていう思い込みのせいだ。多分。
「いいよ。面白かったし」
「そ、そう……」
変わった子だな。
「……」
「ちょっと」
なんであんたはさっきから硬直している。
肘で部長の腕を小突く。
「部長」
小声で呼びかける。
しかし無言。
部長は七鳥さんの顔を凝視し、まばたきもしていない。対する七鳥さんは「ん?」と小首を傾げている。
「おい……」
まったく、今度は何のおふざけだ。俺ら二人が自己紹介したんだから次は部長の番でしょうに。
どうすれば……。
「部長、黙ってください」
「それはいやだ」
そ、そうですか……。まあ、あなたさっきまで一言も喋ってなかったんですけどね。
「それはそうと、次は部長の番ですよ」
「む、そうか。ではくじをよこせ」
「いや王様ゲームじゃないです」
合コン会場じゃないぞここは。
「くくくく」
まずい。またドツボにはまりかけている気が……。
「では○ッキーか?」
「それも違います」
あんたそんなに合コンしたいのか。
「いひひひ」
「まさか! 私が王様か!?」
「違いますって」
くじなんてないから図書館に。
「そ、それでは! 一番と三番がその……ぶ、ぶちゅ~っと」
ちょっとどぎまぎしながらそんなことを言う。
「ボリューム! ボリューム落として! お願いだから!」
「いひひひひひ」
だからあんたもツボに入りすぎだって!
「……違うのか?」
なぜかはわからないが落ち着いたらしい。
「違うって言ってるでしょう」
「くくく」
「ではなんだ?」
なんだってなんだ。俺と七鳥さんのやり取り横聞いてたはずだろ。
「自己紹介です」
「おおそうか」
おおそうかじゃないです。どんだけ自己中なんですか。
「では改めて」
改めるまでにどんだけ時間かかってんだか。
「私の名前は……」
名前は?
「君うちの部に入らないか?」
「ちげえだろうがあああ!」
「あははははははは」
それじゃあ君うちの部に入らないかが名前になっちまうだろ!
まあ、なんとなく分かってたけど。部長が口を開きかけた瞬間に閃いてましたけど。
――まずい!
振り向く。
案の定さっき注意受けた人に睨まれている。
「二人はさっきから大声を出し過ぎだな。いい加減追い出されるぞ」
「それを部長が言いますか」
あんたのせいだろうが。それともあれか。自制心の弱い俺達の方が悪いとでも言うつもりか?
「ふふ」
「それで、どうかな」
分かるよ。何がどうなのかは。でもね、さんざん引っ掻き回しといてどうだって言うのもどうだよってそう言いたいわけで――。僕ら二人の心中も察してもらいたいわけですよ。
「何する部なの?」
そうですよね。それがやっぱり一番気になりますよね。それがですね……何するっていうか何もしないといいますか……そういうふざけた部活動なんですよこれが。
「駄弁る部だ」
「部長……せめて談話って言いましょうよ」
「駄弁り殺す部だ」
「どんな部だよ……」
喉を潰し合うとかそんなのか。……カラオケのオールみたいな?
「ふふ。いいよ。入部する。ていうかさせてください」
またですか。また即決ですか。軽いなあー。
「そうか。ではよろしく頼む。入部届の提出を忘れないでくれ」
よろしくも何も、あんた名前すら明かしてないだろうが。今気づいたけど、珈琲店の時も自己紹介すらしてないし……。俺もだけど。
「りょーかいしました」
そう言って彼女は立ち上がった。
「あたし、もう帰るね。じゃ、また明日」
快活な笑顔を咲かせ、別れを告げる。
「また明日」
手を振りながら彼女を見送った。
「ふひひ……カモですね兄貴」
「誰が兄貴だ」
あとカモとか言うな。
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