「もう一軒行こう、志津摩君」
ペットショップを出たあと、二次会に行くようなノリで部長は言った。
「未成年が行けないお店はやめてくださいよ? ……ていうかもう暗いですし、帰った方が良くないですか?」
太陽は見えなくなり、今度は月が見え始めている。
「今日は……帰りたくない……」
「帰れ。今すぐ」
くねくねすんな。キモいから。
「まあまあそう言わず……。次が最後だ。行けばすぐ終わるから」
なにそのお酌するときみたいな言葉。ぐいっと行けってこと? こうきゅうっと? ……はあ、分かりましたよ。付き合います課長に。じゃなかった部長に。
「はいはい。分かりましたよ」
二十分? いや三十分か? いやもっと経ったかも……。
「部長、あとどれくらいで着くんですか? もうかなり街から離れましたけど」
まさか! お持ち帰りは無理だと踏んで、暗がりに誘い込む気!? ……きゃっ……ってこれどっかで聞いたセリフだな。
うーん。さすがの部長も犯罪を犯すことはないだろうし。ってそんな心配するのは失礼か。
「まーだだよ」
「真面目に答えろコラ」
ほんとに変なとこ行く気じゃないだろうな。
「すーぐだよ」
小学生か。
「そうですか……」
「そーおだよ」
はあ……。元気がなくなってきたかも。腹減ったせいか。……カレー食いてえ。
てかほんとどこ行く気なんだろう。これ以上行っても、遊ぶところなんてないと思うんだけど。
「もーいいよ」
「え」
部長が立ち止まった。
えーっと……。これは……もしかして……。
「え!? ま、まさかの……!?」
「ウチです」
横手の家を指す。
「……マジ?」
「マジマジ」
「うそん」
ウチかーい!
そ、そうか。家に帰ってたのね。どうりで住宅街だったわけだ。あれ? でも三浦? そんな苗字だったっけ部長……。
「すまないな。送ってもらって」
「いや、送ってるつもりはまったくなかったんですけどね。でもなんでこんな――」
付いていってるつもりが、実は送ってるってどんな状況だよ。初めてだよそんなの。
「君の顔に書いてたからな。送りたい、このドヤ顔って」
「書いてない書いてない。書いていたとしても送らない」
送りたいってなんだ送りたいって。ドヤ顔なんか送りたくねえし。
「いやあ、今日は楽しかった。君のお陰だ」
ほっこりした笑顔を宿す部長。
「そうですか。それは甲斐があったというかなんという、か――」
ってちょっと待ってください? 今日のこれってもしかして――。というかもしかしなくても――。
「どうした」
「ぶ、部長……」
試しに聞いてみよう。はぐらかされる気がすさまじくするけど。
「ん?」
「きょきょ、今日の、今日のってもしかして、おデ、おデ、おデー――」
きょきょってどんだけ吃ってんだ俺は。
「ブブーハズレです」
「デ?」
え? え? 違うの……?
「カレーだ」
「カ?」
カレー? なぜ今カレー? 俺が食べたいから? いやいやなんでだ。
「今日の夕飯はおでんではなくカレーだ。大丈夫か? 君の鼻は」
――おでん。そっかおでんかあ~。ええ~。 お、おでんって……。
「あ、ああ! 他の家だったみたいです」
おデート。おでん。おデート。おでん。おデート。おでん。うそん……。
「そうだ。君の財布に入っている余剰金だが……、私に渡す必要はないぞ」
「な、なぜそれを――」
「今日は私のおごりだからな。……それに、私はマスターにおごられるつもりはない」
まさか……。
店長が今日は必ず勝つと言っていたのをそこまで見越して? 俺のお代と額が同じだったのはそのため? 部長と店長の言い合いに俺が割って入るのを予想してたうえ、店長が俺を使うことも分かっていたと? あの時妙に素直だったのは……。
そんなまさか……。
でもそれが本当なら、少しは見直してもいいのかも。
「部長って、やっぱすごい人なんですか?」
「さあ? 私は、君の方がすごいと思うが……」
部長はまたわけのわからないことを言う。
仕方ない。マスターにはああ言われていたけど今日は無理そうだ。また次にしよう。
「……でも部長」
だが。
「ん?」
これだけは言っておかないと。
「……盗み聞きは良くないです」
「ごめんなさい」
深々と頭を下げられた。
それから少し駄弁っていると、
「悪いが、私の飼っている虫がとてもお怒りな様子だ」
部長が言い出した。
「……虫?」
なんのこっちゃ。
「分からないのか? しょうがないな君は。……ポンポンだよ。ほら」
ぐりゅりゅりゅりゅりゅ~。
「……あ、そういうことですか」
ポンポンって……。小さい子じゃないんだから……。
「うむ。なので私は帰ります」
「そ、そうですか。じゃあ――」
「では!」
すごい勢いで自宅に入っていった。
……。
……はあ。挨拶ぐらいさせてくれればいいのに。
ぽつんと暗くなった路地に独り佇む。
あれ? お持ち帰りは?
なんとなく分かってきていたが、どうやら部長は、まだまだ花より団子のお年頃――というのはおかしいが、そういう時期らしい。
さて、俺も帰るか。……道分からんけど。
「志津摩君!」
「わあ!?」
急に大声で呼ばれた。
首を向けると、部長がスリッパのまま玄関を開けてこちらを見ていた。
「ど、どうしました?」
「デートのお礼と言ってはなんですが……、その、カレーでもいかがですか? ご主人様」
……なんだそれ。
「……なんか立場逆転してません?」
俺のこと奴隷だとか言ってなかったっけ?
「お礼と言ってはなんですが……、その、カレーでもいかがですか? 犬」
「だれが犬だ」
ったくこの人は。
「そうか。お腹いっぱいか。それなら仕方ないな……」
スーッとドアを閉めていく。
「いりますいります! カレー大好きですから俺!」
慌てて駆けていく。
「母さん! 変態が! 変態が我が家に!」
「だれが変態だこら!」
夕飯をご馳走になりました。
気になっていたお持ち帰り、なんとありました。
だが持ち帰ったのは俺の方で「カレー作りすぎたらしいから持って帰ってくれ」と鍋を持たされたっていう――そんなオチ。
タッパーじゃない。鍋。それも両手鍋というところがミソ。
もらう側としてはね、要望とか言えないんです。「あの、できればタッパーに入れて――」とかね。それが日本人の美徳ですから。
恥ずかしかった。帰りはタクシーだったから。
考えてもみてください。タクシーに乗っている客がずっと両手鍋持っている姿を。そりゃ運転手は「料理持って帰ってとか言われたんだな」ってわかると思うよ。でもね、家の外で両手鍋持っているっていう場違いな違和感は半端無いわけです。俺主婦じゃないし。
運転手はずっと無表情だった。でも、
「ありがとうございましたひひ」
最後になってこらえきれなくなったらしい。たひひって……。
「……」
無言で訝しむ俺。
「い、いえ。なんでもありませんよいひひひ」
「そ、そうですか……」
多分「なんでこいつ両手鍋もってんの? マジうける!」とかずっと考えてたに違いない。
タクシーから降りたあと、自宅の前で今日を振り返ってみた。
いろんなことがあった。高校初めての部活。珈琲店・図書館・ペットショップでの出会い。部長とのやり取り。
俺は思った。今日の騒がしい放課後は全て部長のせいだなって。で、今日がこんなに早く感じられたのも部長のせいだなって。
ただいまーと言いながら家に入った。
そしたら親がいた。
案の定こう言われる。
「どしたのそれ? 新手のギャグか何か?」
「ちがう。カレー」
俺が素っ気ない返事をすると、
「え……まさかあんた……これ?」
そう言って小指を立てて見せる。
「ちげえよ」
「盗んできたの?」
「盗むか!」
お分かりいただけただろう。俺のツッコミスキルがどうやって育まれたかを。
家でもツッコミ、学校でもツッコミ。
――俺の高校生活は、以前より多少慌ただしいものになりそうです。
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