プロローグ
室長の号令で、一年三組の四時限目の授業が終わって、昼休みになった。皆々気の会う友人たちと席をくっつけたりして、昼食を楽しむ。
その中で、|桐山一《きりやま かず》は通っている高校の自分の席(一番窓際の一番後ろ)で、深いため息をついた。
「どうしたのさ、ため息なんかついちゃって」
同じクラスで、一の向かいの家に住んでいる、|篠山緋瑪《しのやま ひめ》が、一の机の向かいに座りながら、少し心配そうに訊いた。彼女とは中学二年からの付き合いで、それ以来、大体一は彼女と共に行動していた。と言っても、別に恋愛関係にあるのではなく、緋瑪が勝手に着いてくるだけだが。
一は少しぶっきらぼうに緋瑪に答える。
「別に、どうだっていいだろう。ため息をつくことくらい、いつものことだ」
「だめ。ため息をつくと一の幸福が逃げて精神が深淵の闇の牢獄に囚われちゃうよ」
「おい、緋瑪。中学二年はとっくに終わったぞ」
ところが、緋瑪は一の言葉を無視して自分の席に戻って、弁当箱を大小二つ持ってきた。どちらも何故か黒い。一は手渡された大きい方の弁当箱を開ける。二段になっていて、上段の中身は小さいコロッケが二つに、ちょっとしたグラタンが一つ。そしてサラダに、何故か楊枝で滅多刺しにされたウインナーが五つくらい。下段には、恐らく飯と思われるものの表面に大量の海苔の佃煮が塗られたものがあった。いつものことながら引いてしまう。しかし、不味いわけではないので、さっさと腹に入れる。
「今日も全部私の手作りだよ。どう? 美味しい?」
「ん。いつも通り美味い」
「ふふっ、ありがと」
緋瑪が頬を綻ばせる。一は、彼女をジッと見た。肩まで伸ばされた髪は黒く、顔は端正で、まだ幼い。スタイルは平均程度。背は普通だ。
視線に気付いた緋瑪が、ニコニコして一に言う。
「なあに? もしかして、私のこと、好きなの? まあ、顔も相当いいし、成績学年トップだし、性格もそこそこいいし、一ならいいよ!」
その言葉に一は呆れて息を吐くと、
「安心しろ。天地がひっくり返ってもそんなことはない。俺には二次元があれば十分だ」
ズコー!と、緋瑪がコケた。そんなおかしいことを言ったかと、一は首を傾げる。少し周りを見ると、うわーキモーというような視線をクラスメイト全員から受けた。全くもって意味がわからない。
「そんなんだから一はもてないんだよー! 顔はいいのに~!」
緋瑪はいきり立って、少し怒った。
「大丈夫だ。もてる気なんかさらさら無い」
一はそれを涼しい顔で流した。すると、緋瑪は何か言いたげにしていたが、観念したように息を吐いて、食事を再開した。
放課後。一と緋瑪は、玄関まで並んで廊下を行く。一年三組の教室は玄関から割と近い位置にある。歩いて数十秒ほどだ。二人とも帰宅部だから、まっすぐ向かう。
歩いていると、緋瑪がポツリと呟きを漏らした。
「一の誕生日まで、あと一ヶ月くらい、だね」
「……ああ。誕生日が十月二十日だから、そうなるな」
緋瑪が一の誕生日を気にするのには訳があった。それは、彼女が言うには一の十六歳の誕生日に、とてつもない不幸が一を襲う、とのことだ。一はただの厨二発言だと思って深く考えていないのだが、緋瑪は本気のようだ。あまりにしつこいものだから、ここで一は試すことにした。
「なあ、緋瑪」
「……? なあに?」
「もし、お前が言うことが本当だと言うのならーー」
一と緋瑪で、正面から向き合う。側から見れば告白にも見えるかもしれない。
「明日、何が起こるか、教えてくれ」
一はただいまを言って、家のドアを開ける。しかし、電気が点いていないリビングからは、何も返ってこない。両親は共働きで、夜遅くまで帰ってこない。しかし、休日は普通に家にいるので、家族間のコミュニケーションは問題ない。
一は二階の自室のドアを開けた。ここも明かりは点いておらず、またカーテンも閉めてあるため、真夜中のように真っ暗だ。そして、一にはそれが自分の今までの人生のようにも感じられた。
元々、陰気な性格だった。積極的に友達を作ろうとせず、誘われたこともなかったので、孤立した。幼い頃からやっていて、今も道場には行って稽古している剣道でも、仲間を作ることはしなかった。
今は緋瑪が住んでいる向かいの家に、名前は忘れてしまったが、一つ年下の女がいた。が、登校時間も違ったし、下校するときも一は一人だったが、彼女は沢山の友達と話していたため、一言も話さなかった。
中学二年ごろから、一は登校拒否気味になった。成績は良かったが、それだけだった。部活も、クラスも、俺の居場所じゃないーーそう思った。そして、その頃から、所謂厨二病、というものになった。居場所が欲しかった。世界を揺るがす異能者たちの戦争、だとかいうものを、当時は本気で信じていて、そこに居場所があると、一は信じていた。だから、欲した。人とは異なる力を。だが、そんなものは幻想だとすぐに気付いた。いくら欲しようと、何も得られなかったから。
逃げの手段として、二次元に没頭し始めた時だった。向かいの少女が、家族もろとも交通事故で死んだ。その一週間後に、一人の少女ーー緋瑪がそこに引っ越してきた。初めて会ったときから、いきなり例の予言をしたり、やたらとドイツ語に精通していたり、一の使えなくなった竹刀に“
Ein illegales Schwert”と名付けたりと、中々に痛々しかった。彼女は、一の中学校に転校するや否や、一を家から引っ張り出して、彼女が手で引いて、無理矢理登校させた。すると、その日から一は好奇の目で見られるようになった。しかし、一が緋瑪は彼女じゃないと言ったら、それはすぐ終わった。
一は思う。自分の心は夜だと。明らむことのない永遠の夜。いくら緋瑪という月が照らそうが、明けはしない。
緋瑪が言った予言を思い出す。
ーー明日、女の子の転校生が来るよ。その子は、一にとって、かけがえのない存在になるーー
今の自分にとって、そういう存在とは、すなわち夜を終わらして、朝にしてくれる存在だ。
一は寝る支度をさっさと済ませると、いつもより一時間半近く早い時間に、期待半分に眠りについた。