until his birthday episode1-出来上がる日常・3
放課後、周りが部活動の為に急ぐ中、一と緋瑪は荷物をまとめて帰ろうとすると、クリスティアーネに呼び止められた。
「待ちなさい。頼みがあるの」
「頼みって、何?」
緋瑪が、溌剌としてクリスティアーネに訊いた。
「学校案内をして欲しいのよ。この学校の構造を把握しておいたほうが、いつかの時に役に立つかも知れないから」
「うん、いいよ! 一も、いいよね?」
「あ、ああ。別に構わんが……」
クリスティアーネの物言いは、どこか含んだような言い方だったが、緋瑪は気にしていないようだ。一は引っ掛かりを感じたものの、まあ、いいかと思って気にしないことにした。
一階を一通り回って、東、中、西とある階段のうち、東階段を使って二階に上がろうとすると、緋瑪が急に立ち止まった。
「……尾けられてるね」
「はぁ?」
やけに真面目な表情で言った緋瑪に、一は思わず間抜けた声で聞き返した。
「だから、尾行されてるんだってば」
「なんでそんなことが——」
分かるんだ、と続けようとすると、クリスティアーネが被せるように静かに言った。
「ええ、そうね。確かに尾行されているわ。私は無視しようと思ったのだけれど」
「いやー、私もそうしようと思ったんだけどね、ちょっと鬱陶しかったから」
一だけ、状況を把握できずにポカン、としていると、クリスティアーネが見かねたように、
「分からないのなら教えてあげるわ。ちょっとこっち来なさい……あら?」
クリスティアーネが階段から廊下に出ると、彼女は首を傾げた。一も廊下に出てみると、美那子を伴った武雄が、どこか見覚えのある男を一人、ガッチリと固めていた。
「武雄、何やってんだ?」
「ん? ああ、桐山君か。この男が不審な行動を取っていたのでね、ちょっと懲らしめているのさ」
武雄が体勢を崩さずに涼しい顔をして答えた。その彼の下で暴れている男は、やはり見たような記憶があった。名前は思い出せないが。すると、歩いてきた緋瑪が、
「あれ? 佐々君じゃん」
緋瑪がそう言ったので、男の名前は把握できた。一は、しゃがんで佐々と目線を合わせて、一応確認を取った。
「佐々というのか、お前」
「てめえ、同じクラスなのに名前が分からんてどゆことだよ⁉︎ いくらぼっちとはいえ、関心くらい持てよ!」
一が尋ねると、佐々は怒鳴ってきた。しかし、一はそれに動じることなく平然と返す。
「いや、俺にとってクラスメートの名前なんざ未来永劫意味を持たないからな。交友関係のある緋瑪と柏原を除いて、だが」
「女好きか、お前? なんで女子の友達しかいないんだよ⁉︎」
「あ? チャラ男? この俺が? 何を馬鹿げたことを。俺は一個下の次元に生きる男だぞ。彼女なんぞ作るわけないだろ。そんなことよりも、だ」
一は目で佐々を威圧しながら、低い声で訊いた。
「お前、何のために尾行してた? 場合によっては病院送りにするぞ」
「わー気付かなかった奴が何か言ってるよー」
背後から緋瑪の小馬鹿にしたような声が聞こえたが、無視した。
「で、何の目的で尾けてたんだ?」
「……記事作成のため、だよ」
「成る程、お前新聞部だな。入ったはいいが中々いい記事を書けない。だから受けが良さそうなゴシップ誌の真似事をしたと。そういうことか」
佐々は押し黙った。どうやら一の言ったことが図星だったようだ。
一は、ふむ、と考えた。こいつをどうしようかと。と、そこで佐々が自分のことを女好きと言ったのを思い出した。一としては、そのように思われることは誠に遺憾だった。ならば、佐々と友達になれば、そのイメージも、無くなるとまではいかないと思うが、少なくとも緩和くらいはされるだろう。一はそう思うと、未だ固められたままの佐々を見据えて告げた。
「よし、お前、俺と交友関係を結べ」
「……は?」
「お前は俺のことを女好きと言った。お前がそう言うということは、周りの人間もそう思ってるんだろう。だから、そのイメージを薄くするために、友達になれ」
「は、はぁ……まあいいが」
「よし決まりだな。武雄、いい加減こいつを解放してやってくれ」
「ああ分かった」
武雄は頷くと、佐々を解放して、クリスティアーネの方に近付いた。
「やぁ、俺は山川武雄だ。君が転校生君かな?」
「ええ。そうよ。柏原・クリスティアーネよ。今後よろしく」
「うん。こちらこそ」
クリスティアーネが口元に笑みをたたえてそう言うと、武雄と入れ替わるように美那子がクリスティアーネの前に立った。
「私は三崎美那子! これからよろしくねん」
「ええ。こちらこそ、よろしく」
クリスティアーネが友人関係を結び終わると、彼女は武雄と美那子、そして佐々を値踏みするように眺めると、上げていた口角を下げて、少し不安そうに訊いた。
「ねえ、あなたたち……使える、の?」
最初に反応したのは、武雄だった。彼は一瞬瞠目すると、すぐ微笑んで、
「ああ。使えるとも」
「……そう。あなたは?」
クリスティアーネは、美那子の方を向いた。
「え……使えるって、何が?」
クリスティアーネの問いに美那子が戸惑っていると、武雄が美那子に耳打ちした。
「あ、ああ。アレのことね。だったら、私も使える」
「そうなのね……あなたはどうなの?」
次は、クリスティアーネは佐々の方を向いた。
「何か使えるかと聞かれたら、まあ一応、そういうのはある」
「……分かったわ。ありがとね、教えてくれて」
一は何が使えるのか、という疑問よりも、先ほどから、武雄や美那子、佐々が使える、と答えた時に、彼女が落胆しているように見えたのが気になった。
「なあ、柏原」
「? 何よ」
「さっきから、使える、と答えられた時に、お前落ち込んでるだろ。何故なんだ?」
一がそう尋ねると、クリスティアーネはため息をついて答えた。
「あなたは使えないのよね。だったらあなたには関係無いわ。知る必要はないし、知ったところでどうにもならないもの」
突き放したような口調だった。一は何かから遠ざけられている感覚を覚えたが、その何かに近付こうとは思わなかった。クリスティアーネがそれを望まないのなら、それでいいと思った。しかし、一つだけ確認したいことがあった。
「緋瑪」
「ん? なあに?」
緋瑪の声は、相変わらず明るい。形容するなら太陽のようで、本質的には月明かりだ。照らされて、前に進む気にはなるが、明かりが道を示してくれる訳ではない。
一は、緋瑪が引っ越してきてから、ネガティヴな気分になることは無くなった。彼女が、いつも照らしてくれたから。だが、照らすだけだ。一の心という、明けることのない夜の、いつまでも変わらない、同じ空に浮かぶ月。夜の空にくっ付いて離れない。しかし、もし緋瑪が“使える”人間だとしたら——彼女と一との間に、初めて隔たりが出来る。
「お前は、柏原の言うような、所謂“使える”人間、なのか?」
すると、緋瑪は間をおいて、少し視線を逸らして答えた。
「そう、だね。使える」
そう答える緋瑪は、今にも泣きそうな顔をしていた。それは、一が初めて見る、暗い緋瑪だった。
「どうして、そんなに悲しそうに言うんだ?」
「そりゃあ、悲しいからだよ。使えることがね。私だけ分かって、みんなには分からない理由で」
一はそれを聞いて、少し考えた。
(多分、聞いたところで教えてくれやしないだろうな。何とかしてやりたいが……)
「——無理だよ。一には、何とかするなんて、絶対に出来ないんだから」
一は、心臓が強く跳ねたのを感じた。緋瑪の言葉は、一がつい先ほど考えていたことへの対応だ。そうとしか考えられない。
「何でって思ってるよね。簡単だよ、私にとっては。一のことは、他の誰よりも、私が一番よく知ってる。一の未来だって、私には分かってしまう。だから、考えていることを読み取るくらい朝飯前だよ」
そう語る緋瑪の口元は笑っていたが、声は震えていた。一が何も言えないでいると、緋瑪が一に歩み寄って胸に顔を埋めた。
「緋瑪?」
「こんな思いを抱くくらいなら、いっそ——」
緋瑪は嗚咽混じりの、消え入るような声で呟く。
「もう一度、一つになりたい……」
鉛のような空気が漂う。武雄と美那子、佐々は何も言えずに突っ立っていて、クリスティアーネは何か考え込んでいるように眉間に皺を寄せている。一は、何も言わなかった。先の緋瑪の発言には、誰も触れてはいけないような気がした。だから、ただ黙って、胸元の緋瑪を見つめていた。
暫くそうしていると、緋瑪が一から体を離して、
「ごめんね、空気悪くしちゃって。気持ち切り替えて、柏原さんの学校案内の続きしよう!」
緋瑪が、いつものような元気な調子で告げた。少し戸惑ったが、一は緋瑪に同調した。周りのクリスティアーネたちもそのような感じで、武雄、美那子、佐々を加えて、学校案内は再開された。
一たちと緋瑪の間に、暫しの間気まずい空気が漂っていたものの、四階の特別教室と三階を案内し終わる頃には、もう気兼ねなく話せるようになっていた。
三階から渡り廊下を通って体育館に行く。この高校の体育館は、三階建てになっていて、三階が体育館、二階が更衣室、一階が武道場となっている。そして、三階までの全ての教室棟の階と渡り廊下で接続されているため、全校集会の時なども、混雑しにくい。また、一階の渡り廊下には自動販売機が設置されており、時に溜まり場にもなっている。
一たちは、体育館を覗いて二階を素通りして一階の階段を降りる。だが、一は剣道部の掛け声が聞こえると、階段の途中で足を止めた。
「どうしたの?」
クリスティアーネが訊いてくる。
「いや、ちょっと、剣道部は……」
「? 話が見えないけれど」
クリスティアーネが怪訝な顔をする。すると、緋瑪が一のフォローに入った。
「あのね、一は剣道やってるんだけど、中学の部活が嫌いでね。高校に入った直後の勧誘断っちゃったから、その後ろめたさがあるんじゃないかな」
緋瑪の言葉は、完全に一の心情を表現したものだった。やはり、さっき言っていた、考えを読み取るくらい朝飯前、というのは真実なのかもしれない。
「そうなのか、お前?」
佐々が近付いて聞いた。
「まあ、そうだな。そんな感じだ」
一が答えると、佐々がジト目で睨んできた。
「どうしたんだ」
「お前、高校で部活入らずに帰宅部とか、青春損しすぎだろ」
「安心しろ。俺の青春は別の次元にちゃんとある」
一がそう言うと、佐々はかける言葉もない、といった感じでため息をついた。
結局、その後は武道場をちらりと見るだけで、学校案内は終了となった。