until his birthday episode1-出来上がる日常・2
「はい、じゃあ柏原さんの席は、ちょうど空いている窓から二番目の一番後ろの席になります。柏原さんはそこに座ってください」
担任に促されるままに、クリスティアーネは担任の指示した席、つまり一の隣の席に向かった。背筋を伸ばして、長く流した金髪を揺らしながら歩く。その様子に、誰もが注目していた。一でさえ、見とれてしまっていた。
クリスティアーネは機敏な動作で椅子に座ると、一息ついて、完璧な姿勢で担任に向いた。クラスの誰もが、彼女をチラチラと見ていた。一も、横目で見つめていた。そのようなソワソワした空気の中、担任は気にせずにホームルームを進行させた。
そして、放課。一の案の定、クリスティアーネの周りに人がぞろぞろと集まってきた。それを見て、一は寝るふりをすることにした。そうすれば、多数の人間が集まることによって生まれる居心地の悪さも、少しはごまかせる。耳をそばだてると、やはりクリスティアーネは質問攻めにあっていた。だが、どうやら苦にもせずに返せているようだ。一は、そのまま寝たふりをした。
授業開始数分前くらいに、教室のドアが開く音がした。一がそちらを覗くと、若く、怒られたら面倒臭いと評判の数学1の教師が入ってきていた。それに気づいたクラスメートが、クリスティアーネの元から散って各々の席に着く。その辺りはきちんとしている連中だった。
一が体を起こして授業の準備のためにカバンを漁っていると、クリスティアーネが、背中をつついてきた。
「……なんだ」
「ノートを貸してくれない? 私、どこまで授業が進んでいるか、分からないから」
「あいよ」
一は快諾して、体をクリスティアーネに向けると、カバンの中身を見ずに、記憶を頼りにノートを探り、取り出してクリスティアーネに渡した。彼女は、受け取ってノートを開くと、穴が空くほどそれをじっと見つめた。しばらくして、クリスティアーネはノートを一に見せるように開いて、憚った声で聞いてきた。
「貴方、これ……使えるの?」
(ん……? 使える……?)
一はなんのことかと思って、ノートを覗くと言葉を失った。そこには、次のようなことが書いてあった。
・“血の刃”ーブラッディ・ソードー……腕を肩から血の塊に変え、それを何房もの刃に変化させ、敵を斬り裂く。この刃は伸縮自在で、ナイフほどの長さにすることもできれば、三十尺ほどの長さにすることもできる。また、血の塊のまま、それを床などに広がらせると、広がった所全てから刃を出現させることができる。
・“未来を見通す眼”ーーアイ・プロディクティング・ザ・フューチャーーー……未来に何が起こるかを視覚的に見ることができる。但し、自分の死の瞬ーー
それは、一の中学二年生くらいの時の、いわゆる黒歴史ノートだった。一は、無言でクリスティアーネからノートを奪って、数1のノートを渡した。
「で、あなたは使えるの? 使えないの?」
クリスティアーネは、そのノートを受け取ると真剣な表情で聞いてきた。一は、ため息をついて答えた。
「使えねえよ、そんなの」
「そう……」
クリスティアーネは、何かを含んだ感じで呟いた。それが気になった一は、その意味を尋ねようとしたが、その前にチャイムが鳴ってしまった。
授業後はクリスティアーネの周りに人が密集して、結局訊くことはできなかった。
昼休み。一の案の定、それが始まると同時にクリスティアーネの周りにクラスメートが寄ってきた。そのおかげで、一は非常に弁当を開け辛かった。緋瑪も、一の向かいに座りにくそうにしている。
クラスメートからの質問に答えていたクリスティアーネが、一瞬こちらに視線を向けた。そうすると、彼女はクラスメートたちの声を遮るように言い放った。
「あなたたち。質問はいいけれど、迷惑にしている人のことも考えなさいな。質問なら後でも答えるから、ひとまず散りなさい」
クリスティアーネの言葉に、クラスメートたちは、尤もだというように、自分らの席に戻った。昼食の誘いもクリスティアーネは受けていたが、断っていた。
ようやく緋瑪が昼休みの定位置に座ると、クリスティアーネも机を寄せてきた。
「私も混ぜてもらっていいかしら?」
「うん。いいよー」
緋瑪が笑顔で答えた。一としては、どちらでもよかった。
「そういえば、まだ自己紹介が済んでなかったわね。私はもう今朝したから、あなたたちにしてもらっていいかしら」
クリスティアーネが、思い出したように告げた。すると、緋瑪が少し興奮気味に、
「私は篠山緋瑪。で、こっちのイケメン君が桐山一。一は誕生日に不幸が起こると言われてるんだよー」
「……ども」
緋瑪の、どこか苛立ちを覚える紹介に対する不快さを抑えて、一は言った。
「ふうん、ところでそれは、どんな不幸なの?」
「う……えっとぉ、それは……」
緋瑪が返答に困っていた。それが、不幸の内容が答えにくいものだからなのか、それともただの作り話で、昨日の予言は偶然だったのを一に隠したいからなのかは、一には分からなかった。
「まぁいいわ。そんなことよりも、今はご飯を食べましょう」
クリスティアーネの方から引き下がった。彼女はそうすると、カバンからコンビニで買ったようなパンを幾つか取り出した。一たちもそれを見て、互いに弁当箱を開けた。その弁当箱をクリスティアーネが覗き込んできた。
「二人とも、おかずは唐揚げに春巻きにポテトサラダに豚肉の生姜焼きね。オーソドックスだけれど、美味しそうだわ。篠山さんが作ったのかしら?」
「うん、そうだよ。あ、そうだ! 柏原さんも、ひとつ食べる?」
緋瑪が天真爛漫に言った。それに、クリスティアーネは戸惑った様子で、
「え? いいわよ、悪いし……」
「いいからいいから。はい、あーん」
緋瑪は唐揚げを箸でつまんで、クリスティアーネに差し出す。彼女はしばし逡巡していたが、やがて緋瑪に観念したのか顔に紅葉を散らしながら、唐揚げを口に入れ、顔を赤くしたままで咀嚼する。
「どう? 美味しい?」
クリスティアーネは食べながら緋瑪に頷いた。そして、唐揚げを食べ終えると、目を輝かせて感嘆したように緋瑪に告げた。
「美味しいわね……。私が今まで食べた唐揚げの中で、二番目に美味しいわ……」
「一番、じゃないんだ……」
緋瑪が落胆した様子で言った。それを見て、クリスティアーネはクスリと笑って、
「ごめんなさいね。一番はやっぱり母のよ。でも、それを除けば間違いなく一番だったわ」
「うん、ありがとう。でもやっぱりちょっと悔しいから、一に美味しいって言ってもらおう! というわけで、はい、あーん」
「断る」
急に矛先を向けてきた緋瑪に、一は即答した。すると、緋瑪は石になったように固まった。その様子を、クリスティアーネが少し疑わしげに伺っていたことに、一は気付いた。
「どうした、柏原」
「いや、あなたたち、付き合ってるんじゃないのかしらと思って……」
「付き合っとらんよ。ただの友達だ」
「そう、よかったわ……」
クリスティアーネが、安堵したように息を吐いた。そこで、いつの間にか復活していた緋瑪が、首を傾げた。
「どうして私と一が付き合ってなくて、よかった、になるの? ハッ……まさか、一に一目惚れしちゃったとか……⁉︎」
「違うわよ。ただ、気兼ねなく、あなたたちと輪を作ることができるじゃない」
クリスティアーネは、ロングストレートの金髪を揺らして、笑って告げた。その笑顔が、一には眩しく見えた。まるで、耿耿と煌めく太陽のように。