本編

 夕暮れ、東の森。鬱蒼と茂る細い獣道で、レインは再び少女と出会った。驚いた様子の少女。籠を抱えたまま、笑顔で小走りに近付く。
 構わず、レインは懐から依頼状を見せ付けた。
「異端審問会からの通達だ。お前、魔女だったのか」
「あー、あはは……。残念ながら、ね」
 少女は言葉を濁らせてから、残念がってみせた。けれどもその表情はすぐに消え、滑らかにため息をついた。
「期日は、いつ?」
「……明朝、街道に光が指すまでだ」
「ホント!?」
 少女の顔がパッと明るくなる。憂いは感じられず、向日葵の大輪のような笑みが宿った。
「ならさ、ちょっとついてきてよ! 私、君と話したかったんだ!」
 その笑みは無邪気で幼く、爛々と躍る。
 精錬した鋼のように冷たい眼差しのレインに、刀を納めさせるほどに。


――――――――――――――――――


 国及び大衆は、異端審問会の手によって統括され、平和を維持していた。
 それは過去に起きた大災厄の教訓。世界は順調に復興していた。

 村を覆う業火。深夜であるというのに一帯は真昼のように明るく照らされ、狩りを容易くする。
 狩人は傭兵たち。逃げ惑う村人を追い詰めては斬り捨てる。そこに慈悲はなく、淡々黙々と命を〝狩り〟取っていく。
「ひっ――――ッ!」
 蹴破った扉の奥には、奥歯をガタガタと震わせた中年の女がいた。壁には〝災厄の魔女〟の肖像画。その膝下で両手を組んでいたことから察するに、祈っていたのだろう。それに腰を抜かしたのか、その場から動けずにいる。
 ――いや、木製の家屋はほとんどが取り壊されたか、火に包まれたのだ。おまけにここは辺境の村。どうせ走って逃げたところで行く宛てなど無いことを悟り、諦めたのもあるのだろう。
 せめて最後は一思いに死なせてやろう――そう思い、レインは刀を抜いた。
「あんた……っ!! あんたっ、やっぱり〝悪魔の子〟だったんだねッ! 来るな! あんたなんか産むんじゃなかったよ!!」
 言われて、レインはハッとする。記憶の奥の奥に眠っていた、儚い記憶。それは自らの母親の面影。目の前で怯える女性と重なり、一致した。
 まだ彼が小さかった頃は、もっとふくよかだったはず――そんな戯言を頭に思い浮かべる隙はあったが、得物を握るその手から力が抜けることはない。
 十年以上の歳月が経過した今では尚更、かける情など持ち合わせていなかった。
「異端審問会の命により、この村を焼き払う。これは魔女狩りだ。大衆の平和を乱す者は、これに死を以てして償え」
「あァ悪魔! みんな! ここにっ、ここに紅い眼の悪魔が――――ッ」
 俊足で繰り出される二本の刃。刎ねた首が、地面へと落下する。
 母親だっだものは陸に上げられた魚(うお)のように口だけを動かし、ゆっくりと視線が合ったところで、動かなくなった。
 それを無表情で見下ろす瞳は葡萄酒のように紅く、そこに感情は宿っていない。

 七つの時、レインはこの村の者に捨てられた。家族にも見放された。それは他でもない、この真紅の瞳のせいだ。
 彼は元々淡い茶色の瞳をしていた。だがいつからか、紅に染まるようになった。
 それだけではない。眼が紅く染まる度に彼は暴れてしまった。昂る感情を何故か制御出来なかったのだ。だから彼は多くの村人に気味悪がられ、忌み嫌われた。
 しかし、一度発散すると瞳の色は淡い茶に戻った。すると決まって、村人たちは彼を囲い口々に吐き捨てたのだ。

 ――『おまえは〝悪魔の子〟なのだ』――と。

 彼が村から追い出されたのはそれから程なくのこと。

 『違うよ! 体が熱くなって、勝手に――…………』

 彼は誰にも理解されることなく、真に孤独となった。

 火も納まり、夜が明けた頃。陽の光が大量の屍と骸を照らし始めた。その内の三割は『双刀のレイン』による所業。逃げ惑う者や抵抗する者々を蹴散らし、薙ぎ倒した。
 殺戮への悲しみや苦しみが無いわけではない。が、彼は傭兵団に忠誠を誓ったのだ。請け負った任務の遂行に、彼の私情や狼狽えが挟まる余地などは無い。
「おい女ァ! 貴様この村の生き残りか!」
 突然、仲間の声が近くで響いた。見ると数人の傭兵が、今にも刀を抜かんという勢いで少女を取り囲んでいる。
「ちっ、ちちちちちがいますぅぅ! 私は善意でやってるだけですぅぅ!」
 目元まで、深々とフードを被った少女。強がってはいるものの、今にも泣きそうな顔が見え隠れしていた。
「待て。死者の身元確認は終わったはずだ」
 女の手には小さな花の束。聞けば、この少女が死人に花を手向けて回っていたそうで、それを不審に思った傭兵の一人が声をかけたとのことだった。
「それぐらい、好きにさせてやれ」
「しかし、レイン部隊長。村には何人(なんぴと)も近寄らせるなとのご命令が……」
「もう任務は終わった。弔い人を追い返せとは命令されていない」
 口ごもる傭兵達。その顔はどれも難色を示す。対する少女は、布越しに、「ほら見ろ」と得意気に胸を張る。それからフードを脱ぎ、礼を言いかけてレインと目が合った。
 少女の黄金色をした瞳が、〝悪魔の眼〟をじっと見据える。それはほんの数秒の出来事で、すぐさまその視線は外れてしまう。
「助けてくれてありがとう。あのっ、君、もしかして……」
 少女が一歩、前に出る。対し、レインは愛刀の一本を引き抜いて構えた。
「用が済んだら立ち去れ。ここはお前のような者が来るところじゃない」
 鈍く光る黒い剣先。反対の手は紅色の柄を握る。
「傭兵とは不用意に関わらない方がいいぞ」
 その真剣な眼差しは冗談とは程遠く。しばしその視線は硬直したが、レインの瞳が焦げ茶に戻ったところで、少女が一歩引いた。
「…………分かった。でも、君の名前だけ聞かせて欲しいな」
「関わるなと言ってるだろうが……」
「あぁ待って剣を抜かないでぇ! 違うの! 君とはどこかでまた会う気がするんだ! だからお願い、君の名前を教えて欲しいんです!」
 眉間に皺を寄せるレイン。不審と呆れが滲み出る。それを露骨に示すも、少女は退こうとしない。それどころか、何故か花を一本突き出して「おねがい!」などとのたまう始末。
 ため息を一つ溢して、レインは早々に諦めた。
「…………レイン・クロイス」
 少女の顔が途端に明るくなる。嬉しさのあまりか、その勢いで手を握られそうになるが牽制の抜刀でそれを防いだ。
 しかし負けじと、少女は声を張る。
「私はコロナー・アイトサージ。どうか忘れないで、きっと憶えていて」
 これが彼らの初めての出会い。その時に咲いた表情(かお)を、〝その時〟までレインが忘れることはなかった。


――――――――――――――――――


 小さな屋内は金木犀が香る。森の奥、獣道をたどった先にあったのは小高い山。レインが連れてこられたそこにあったのはみすぼらしい小屋で、「家だ」と称するにはあまりに不格好。しかし、食器や机に埃が被っていないところを見ると、非常用の隠れ家という訳ではないらしい。
 奥からはまろやかなクリームソースが香り、コロナーが少し大きめな古い鍋を抱えて出てきた。
「シチュー煮込んでたんだ! 作り過ぎちゃったかと思ってたけど助かったよぉ」
 にんまりと口の端を伸ばすコロナー。しかしレインはこれに応えず、壁に寄りかかったまま睨みつけた。
「俺は標的と食事を共にするつもりはない。要件は何だ」
「だから、えと、食事でもしながら――――」
 素早い抜刀――コロナーは鍋を取り落す。
 床に落ちた鍋は中身諸共を床へとぶちまけた。
「俺がここまでついてきたのは俺の善意からだ。標的は見つけ次第片付けるのが道理なのにな」
『譲歩してやってるのだから譲歩しろ』――それがレインの言い分。確かにその筋は通っていて、コロナーには分が悪い。
「…………」
 目線を逸らすコロナー。口を固く閉じて、俯いた。
「なら代わりに一つ答えろ。北の村の者達は〝災厄の魔女〟を崇拝していた。唆(そそのか)したのはお前か?」
 〝災厄の魔女〟――それはおよそ二百年前に実在した、史上最悪の忌むべき存在。異端審問会発足の由縁。
 奴は精霊によって民衆を滅ぼし、幾万の兵士に殺戮を犯した。故に魔女とそれを崇拝する者は駆逐しなければならない。それが魔女狩りをする所以。
 コロナーは首を横へ振る。それでいて、何か言いた気に口を開いた。
「あの村の人達とは話したことすらないよ。私は……罪滅ぼしのつもりで花を手向けてただけ」
「罪滅ぼし、だと?」
 その問いにコロナーは応えず、扉の方へと歩き出した。
「……場所、変えよう? そこで全部、話すから」

 夕闇も過ぎた頃。家を出た二人はおよそ頂上に着いた。草木が少なく街並みを一望出来る場所で、大きな金色の満月が辺りを仄かに照らしていた。
「ほらここ、座りなよ」
 樹齢千年は超えていたであろう切り株。コロナーが先に腰掛け、端へと寄った。
 だがレインは動じず、目で拒否する。
「ここで何を始めるつもりだ」
 単刀直入に聞く。これにコロナーは腕を組み、少しだけ考えた。
「……君の、人としての生を覆す出来事が起こる。君が君で居られなくなる時間が始まる」
「宣戦布告か、それは」
 コロナーはクスリ、と笑う。それから静かに首を振って、空を見上げた。
「ほら……、始まるよ」
 深い闇。空っぽな寒空に満月が浮かぶ。見上げても、一見してそこに変哲はない。
 が、目を凝らすと遠くに羽ばたく影が見えた。それは存外に広い翼を持ち、尖ったシルエットが両翼から見え隠れしていた。
「あれは、竜か……?」
 それは史上最強の生物であり、竜信仰の生ける偶像。時として国を襲い、大衆に畏怖を与える存在。
 竜が向かうは大いなる月。羽ばたく度に鱗を散らし、上へ上へと昇って行く。
「昇竜の儀。竜は死期を悟ると、これをする。関わった全てにその命を還元するために」
 散っていく鱗、その全てが月夜を反(かえ)す。輝くそれは幾千の魂の様で、ひらひらと舞っては砕けていく。
 徐々に小さくなっていく体躯。剥がれ落ちる光。遂には翼も千切れ去って、四肢のある肉体を残し、それも次第に満月に消えていった。
 あんなにも遠くにあったはずなのに、頭上からは光の粒がゆったりと降り注ぎ、二人を包み込んでいた。
「良かった、ちゃんと出逢えた。竜を見たのは初めて?」
「あぁ……まぁな」
 戦場で竜と出会うということは死を意味する。そう教えられて来たレインにとっては当然のことだ。なのにコロナーは慣れた様子で、更に笑顔まで象る。
「じゃあ、竜を殺す方法は知ってる? 竜の心臓はどこ? 竜の使命とその瞳の色は?」
 ――いや、笑顔と言うには冷たすぎる程で、レインの背筋を冷たい何かが走った。
「――――君のその紅い眼の意味は?」
 金色の瞳が、暗がりで際立つ。まるで光を放っているかのような光彩を細めて、コロナーは微笑んだ。
「――ッ!」
 見ると、顔の左半分――――頬から下顎が鱗に覆われている。左腕はすでに、その鋭く尖った無数の小さな鎧を纏っていた。
 レインは咄嗟に両刀を抜く。腰を低く構え、標的を見据えた。
「それは何の魔法だ。何がお前の身体を覆っている……!」
「驚くことなんてないよ。ただの竜の鱗なんだから……――――ッ!」
 光の粒は散り、コロナーの両腕が炎を宿し始める。掌から肩にかけてを灼熱が覆って、風を切り裂くように振るった。鋭く伸びた白い爪――それをレインは黒刀で受け、凌ぐ。
 受けた一撃は少女の細い腕からは想像が出来ない程に重く、後退ることで何とか流した。
「……どういうことだ」
「私、竜なんだ。驚いた?」
「ふざけるな。お前は魔女だ。竜じゃない」
「私は魔女だけど竜でもある。つまり混血。そういう君こそ、立派な竜なんだよ?」
 赤茶けた鱗がコロナーの肌を覆い、次第に一対の翼が小さく伸び始める。それでも人の形は保っていて、顔はまだ覆われずにいた。
 月夜を背にしたその瞳は輝ける金環色。じっと見つめ、レインはそこで初めて自分の眼も紅く変化しているだろうことに気が付いた。
「俺は…………、人間だ」
「そうだね。でも竜でもある。君は力を発散するべきだよ。だから私を殺せばいい」
「何……?」
「竜は竜でしか殺せない。そして君は魔女狩りを命じられた。私みたいな魔女を殺せるのは君だけなんだから、これは丁度良いことなんじゃないかな」
 レインは狼狽えない。しかし、理解が追い付いている訳ではない。少女曰く自身は竜で、レインも竜であると。
「戯言を……」
 ――全く馬鹿げている。
 百歩譲ってコロナーが竜だったとしても、レインには竜でない〝意地〟があった。

 ――『あんたっ、やっぱり〝悪魔の子〟だったんだねッ!』――

 脳裏を奔る戦慄。背筋を駆け下り、ゾクリと足跡を遺した。

「大衆を惑わす魔女は処罰する……。人間であるこの俺が……ッ!!」
 力任せに紅刀を振るう。合わせて、逆手に持った黒刀が弧を描き、叩きつけるように切りかかった。
 それを、コロナーは右腕一本で受ける。二撃目を刀ごと掴み、引き寄せて投げ飛ばした。
 身体をひねり、着地するレイン。刃の通った感触は手になく、歯軋りに力が籠った。
 鱗がコロナーの顔を覆う。
「ふふっ。熟した林檎みたいな眼だね」
 刀を順手に、レインが駆ける。走る焔を掻い潜り、正中線目掛けて刀を突き出した。
 が、――――通らない。軽く弾かれて、再び迫る重い一撃を辛うじて躱す。
「竜の瞳にはそれぞれ性質がある。深淵なる藍色が〝傲慢と怠惰〟、透き通る翡翠色が〝嫉妬と悲哀〟、揺らめく菖蒲色が〝色欲と貪欲〟。君の持つ燃え盛る真紅が、〝慟哭と憤怒〟」
 爪による連撃。一つ一つ捌くも余裕はなく、速すぎる刺突が双刀と正面から凌ぎ合う。
「すごい腕力だね。竜化が進んでる証拠だ」
「黙れ! 俺は何者でもない!」
「腕力だけじゃない、速い動きが見切れるようになってるはずだよ。脚力も上がって、肌も硬く尖っていく」
 視界に映る自らの両腕。袖から僅かに覗く手の甲は力んで震える。
 間違いなく自分の腕。なのに、焦茶色に変色した、指の背がざわつく。
「違う……! 俺は……ッ!」
 跳ねる胸がざわつく。力む肩がざわつく。踏ん張る脚がざわつく。震える背がざわつく。堪える肋(あばら)がざわつく。
 まるで身体の隅々を蟲が這い巡るような、叫びたくなるような不安がレインの身体を内側から揺さぶる。
 そいつは衝動と不安を撒き散らしながら耳元でざわざわと囁く。
「俺はぁ……ッ!!」
 双刀がコロナーの爪を弾いた。劫火の追撃が身を焼くのも振り払い、乱舞の如く一太刀を浴びせ続ける。

 ――レインは着の身着のままで村を追い出された。泣き叫ぶも受け入れる者はおらず、罵声と投石が少年の視界を黒く覆った。――

 鞭のようにしなる尻尾を紅刀で受け止め、地を蹴って、伸びた翼に刃を振り下ろす。

 ――何とか街に辿り着いた彼は残飯を漁るようになった。身を守るため、割れた瓶から作った短刀を懐に忍ばせるようになった。傷つけることで身を守る術を知った。――

 木々に叩きつけられるも怯みはせず。刀が折れても、ただ一点のみを斬り続ける。

 ――生きるため、がむしゃらに手を上げた。警備の兵士達に何度殴られても諦めなかった。生きることへの憧れが少年を支えた。何度でも立ち上がり、血反吐を吐いて今日の糧を獲た。――

 ――そして、傭兵団に拾われた。――

「はぁっ……、はぁっ……!」
 尻尾を手で抑え、倒れ込んだコロナーの腹に跨がる。心臓の辺りを覆っていた鱗は剥げ、白い肌が顔を覗く。右手には黒刀。折れて短くなった紅刀が視界の端で地面に突き刺さる。
「……俺は拾われた。一度捨てられたこの俺に、やっと居場所が与えられたんだ。〝悪魔〟なんかじゃない、〝人〟としてだ……! なのに今更、『お前は竜だ』だと? 受け容れられる訳がない! お前にこの気持ちが分かるのか?!」
 紅刀に写る、二匹の竜。人の形をした異形の片割れは、皺枯れた声で紅い眼を見開いた。
「竜はね、安寧と畏怖を保つ存在、大衆に試練を与える存在なんだ」
「黙れ…!」
「大衆が絶望に呑まれた時……。竜は自分の性質に合った感情を人々から吸収して、糧とするんだ。その全てを力に変えて、大衆を攻撃する。彼等を団結させ、滅ぼさせないために……!」
「黙れと言っているッ!!」
 黒刀を心臓へ突き立てる――――が、欠けた刃先が食い込む寸前で止められた。
 ――――コロナーが突きつけた紅刀の欠片。レインはそこに写る自身と眼が合った。
「…………竜は群れない。一人が強大過ぎるから、他の竜の眼の効果が及ばないところに離れる必要がある。だから孤独でなくちゃいけない。百年、二百年……もっと長い時間を耐えなきゃいけない。それに、親しい〝人〟はいつも私を置いて先に逝くんだ。それでも他の竜に触れてはいけない。触れることが許されるのはただの一度だけ。若い竜に、その使命と真実を伝える時だけ」
 コロナーの温かい手、柔らかく透き通る肌をした手が、冷たく、刺々しく角張ったレインの頬を触れて、なぞる。
「君の孤独は私には分からない。けど、辛かったことは痛い程分かるよ。私も、君と同じ。ただ、これまで辛かったけど、むしろ今はありがとうって、君に言いたい」
 コロナーの顔を覆っていた鱗は淡く消え、表情を浮かび上がらせる。少し疲れたような、困り果てたような笑顔。眉を頼りなさそうに下げて、笑う。
 その顔を見て我に帰ったのか、レインは落ち着きを少しだけ取り戻す。
「……お前は何が故に死ぬ。お前は何故、俺に殺されなければならない」
「私が竜であり魔女だから。そして君が竜だから」
「何故魔女であることを明かした。異端審問会は魔女狩りに躍起だ。今日(こんにち)の魔女狩りは当てのない犯人探しと同じ。認めなければ言い逃れることもできたはずだ」
 〝疑わしきは殺せ〟――――それが異端審問会の総意。災厄の魔女が齎(もたら)した猜疑心は権力者地位の維持に大きな爪痕を遺した。大衆を統括し守護する存在は、今や即物的な恐怖に囚われ暴走していた。そんな奴らの疑いなど、信頼するに足りはしない。
「俺にはお前が自分の命を投げているようにしか見えない」
 それに、いくら魔女と言えど彼女は竜だ。自らに使命感があるなら、その力を以て大衆に試練とやらを与えればいいのではないのか。
 レインの鱗も剥がれて消え、コロナーと顔を合わせた。だがコロナーはすぐに視線を外し、寂しげに黙り込んだ。
「………………金色の眼の性質は〝平穏と永劫〟。私は大衆の幸福を、奪い尽くすために造られた。本来は存在するはずのない、あってはならない竜の性質。それを持つのが……、私」
 コロナーの瞳が揺れる。唇を強く噛んで、目を固く閉じて、それでも感情は抑えられずに視線をレインへと向けた。
「私はいるだけで人を不幸にしちゃうんだ! 竜の使命がどうとか偉そうに言っててもっ、私にはそれをする資格なんてない! 私にできることはせめてもの罪滅ぼしだけ! 生きていてごめんなさいって、死んだ人たちに花を手向けることしかできない……ッ!! だから、……終わらせてもらうの。こんな私の、哀れな生き様を」
 瞳からは涙が溢れる。それは黄金の光を帯び、煌めいては流れ落ちた。
「……お前は『災厄の魔女に造られた』。――違うか?」
 コロナーの肩が跳ねる。
「奴は生まれながらにして強力な魔力を秘めていた。故に、自らを『試練の具現だ』と称し、大衆を滅ぼそうとした。だがその力は僅かに及ばず、逆に焼き討ちにあってその身を滅ぼされた。……記録にはそう記してあった。『焼け跡にいた魔女の横に、少女の遺体も横たわっていた』、ともな」
 口ごもる様子のコロナー。苦虫を噛み潰す様にして、飲み込む。
「……そう、だよ。私はあの人に造られたし、本当は生きてた。私には火の精霊加護があるから。卑怯な私はそこから逃げて、隠れたよ。だって仕方なかったんだ! 怖かった……! お母さんの言ってることだって分からなかった! あの時の私にはどうすることもできなかったんだ! ただ生きたいとしか考えられなかったんだから……ッ!」
「今はどうだ。生きたいとは思わないのか」
「……思わない。もう十分過ぎるほど、私は生きたんだよ」

 ――――なら彼女は何故、食事の時を共に過ごそうとしたのか。

 死にゆく自らに充てた最期の晩餐か? 未練を断ち切るために用意した生への最期の贅沢とでも言うのか?

 ――――そんなはずは無い。

 これは最後の〝息継ぎ〟なのだ。生に対する激しい執着の投影。運命を受け容れ、消えて無くなるための準備。寂しいとき、隣にいる誰かの手を握るのと全く同じ。
 生まれてから孤独で、逃げるようにして生きてきた。こんな山奥で家畜小屋とでも言えよう檻に自らを押し込めて、震える手で口を塞ぎ声を殺してきた……。

 ――――同じだ。自分と。

 彼女は居場所を探している。自身が納まることのできる唯一無二を。
 しかしそれは探すのは許されないことなのだと、自分の首を絞めて言い聞かせる。それが今の彼女。コロナー・アイトサージの決断。

 ――レインは再び、柄を握る手に力を籠める。
「……そんなに楽になりたいのか」
 コロナーはその問いに戸惑いなく頷く。けれども刀の先が触れたのを感じ、小さく、小さく震えた。
「ならば目を瞑っていろ。すぐ――――楽にしてやる」
 黒刀が身体に沈む。感触は刃が心臓まで達したことをレインに伝える。
 強張った四肢。小さな呻きが漏れ、鮮やかな赤い血が流れ出した。
 苦悶に歪む目尻。次第に全身の力が、鱗が、消えていく。
 開いては閉じていく口元。目を開けたコロナーのその表情(かお)が、レインの紅い眼に焼き付いて、

 彼女は動かなくなった。


 後日。異端審問会の調査団がコロナーの小屋へと赴いた。それは遺体の確認と任務完了の押印をするためである。
 異端審問会の記録によると小屋は焼き払われ、そこに焼死体が一つあったとされる。その遺体の胸部には黒い刀が突き刺さっており、直接的な死因は心臓部への致命傷だと結論付けられた。



 時は流れ、およそ三百年後。人里から遠く離れたとある山奥。レイン・クロイスはその風貌を変えぬまま、その地で梁に杭を打っていた。
 本日、快晴。春季も過ぎ、そろそろと気になりだした日差しにレインは額の汗を拭う。
 干し草の上に寝転がり、広大な青い空を見つめる。
 流れ行く白い雲が影を落とし、ふと涼しく感じられたところで起き上がった。
「もー、サボってないで仕事してよぉー! ほら、私はちゃんと水を汲んできたよ!」
 現れたのは一人の少女。「今日も暑いね」と愚痴をこぼし、レインの隣に腰かけた。
「上手くなったよね、家造り」
「こんなのは小屋だ。家とは言わない」
「私は好きだけどな。ねぇ、これで何軒目だっけ?」
「覚えていない。全く、手狭とはいえ住処一つ造るだけでこの労力だ。数えたくもない」
「燃やすのは簡単なのにねー」
 その言葉にレインは若干言葉を詰まらせる。その様子を見て、少女は「んー?」とにっこり首を傾げた。
「……おい、お前まだ根に持ってるのか」
「別にー?」

 あの夜、コロナーは生きたいと渇望した。全てを自ら拒絶して歩んできた二百年。それは壮絶な忍耐の結果。
 一方のレインは一度、受け入れられた。だからこそ〝生きて〟これた。真っ当に日々を送れたのだ。
 『彼女も〝それ〟をしたかったに違いない』。そう悟った。 ただ純粋に、生を謳歌したいと願ったのだろうと。

「あの時さ、竜は他の竜の血を与えないと殺せないって、知ってたの?」
「いや。ただ、死にはしないだろうと思えただけだ」
「なにそれ……。じゃあわざわざ家に連れてきて家ごと焼いたのはやり過ぎじゃない?」
「精霊の加護があるからいいだろ。調査団も欺けたし、いいじゃないか」
「……」
 頬を膨らませ、無言の抗議を示すコロナー。それを見て、レインはケラケラと笑った。
「さて……、そろそろ仕事だ」
 レインが腰を持ち上げ、服をはらう。
「独裁を終わらせるための聖なる戦い、だっけ? 何だっていいけどさ、どうせレインは見守るだけなんでしょ」
 未だ頬を膨らましたままのコロナー。
 小さな笑みを浮かべながら、レインはコロナーの頭を撫でた。
「俺はあの傭兵団に一度、忠義を誓ったんだ。挨拶も無しに出て行ったんだからな、行く末を最期まで見守るのが礼儀だろう」
 背中から両翼を伸ばし、鱗を身に纏う。脚力一つで、空高く飛び上がった。

 大衆は三百年前と変わらず、常に何かに怯えている。レインの瞳も紅いままだ。
 それでも人は生かされなければならない。
 試練を越えて、何の変哲のない、素晴らしく真っ当な日々を謳歌するために。

ななん
この作品の作者

ななん

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov141433246574257","category":["cat0001","cat0003","cat0012","cat0016","cat0017"],"title":"\u707d\u5384\u306e\u9b54\u5973\u306e\u707d\u5384","copy":"\u5b9f\u529b\u3042\u308b\u50ad\u5175\u3068\u3057\u3066\u6210\u9577\u3057\u305f\u5c11\u5e74\u3002\n\u91d1\u8272\u306e\u77b3\u3092\u3057\u305f\u5c11\u5973\u3068\u3001\u5bfe\u5cd9\u3059\u308b\u3002\n","color":"tomato"}