二人は緊張と興奮に包まれていた。
真っ白な建物へと歩みを進めながら、足が地についていないような感覚を覚えた。
「なあシアン」
ティルは横に並ぶシアンに声をかけた。
「何?」
二人の声は、どこか感動したように打ち震えていた。
「これで俺たち……外に出られるんだよな」
「……気が早いよ。成功はさせるけどね。これもあるし」
シアンは背負ったリュックサックを叩く。
「それ何なんだ?」
「着いてからのお楽しみさ――もうすぐそこだけど」
心臓が跳ねた。
シアンの指差す先に真っ白い建物が見える。
あれだ。あれが俺たちをでっかい檻に閉じ込めているんだ。
壁は全て無機質な白。窓は無い。外と内部を繋ぐのは、入口が一つあるだけだった。その入口に機械兵はいなかった。
今ならいけると思った。これで『門』を開ける、そうすれば――
「シアン……! 行こうぜ!」
「待って」
がくりとティルは頭を滑らせた。
「おいなんだよ、さっさと行こうぜ」
シアンは木陰に身を潜めて、じっと白い建物を見つめて答えない。仕方なくティルもかがんで、シアンの横に並ぶ。
「ご、よん」
その時シアンが時計を見ながら呟きだした。数字を言っているのだと気づいたが、何を意味しているのかは分からなかった。
「どうした?」
「見てて……二、一、ほら」
顔を上げると、ちょうど建物の陰から機械兵が現れた。シアンは機械兵の巡回を把握していたのだと分かった瞬間、もう一つのことに気が付きぞっとした。
シアンが止めなかったら、俺は撃ち抜かれていたかもしれない。
ばっとシアンを見ると、シアンはにやりと笑って見せた。
「こういうことは任せて。ティルには体力を使ってもらうよ」
「おお……! 任せてくれ!」
二人は親指を立てて、頷きあった。
そろそろあいつが二十秒くらいあそこから離れるよ。
シアンがタイミングを指示して、機械兵が建物の陰に消えた瞬間走り出した。
入口にたどり着くが、押しても引いても扉は動かない。
「おいシアン! 動かないぞ! どうする!」
「大声出さないで!」
シアンはリュックサックから何かを取り出した。
それは四角く薄い、シアンがいつもいじっている機械だった。名前は確か、パソコンとか言っていたはずだ。
一か所からコードのようなものが伸びている。コードの先は吸盤のようになっていて、張り付けることが出来そうだった。シアンは慣れた手つきでそれを地面に置くと、コードを扉に取り付ける。
パソコンの画面には、複雑な文字がびっしりと映っていた。
シアンはそれを一瞬眺めると、物凄い速度で画面では無い方を叩き始めた。よく見るとボタンが付いているようで、ボタンには文字が書かれている。シアンが指を動かすたび、画面の文字が書き換えられていく。
指の動きに目を奪われていると、唐突にシアンがばっと顔を上げた。
「行けたよ!」
ピーと音がした。
同時に扉が開き始める。
「すげえ……」
「突っ立ってないで! ギリギリだよ!」
シアンがパソコンを持って言う。
ティルは現実に引き戻され、開きかけの扉に飛びこんだ。
中ではすでにシアンがコードを繋げていた。
「閉めるよ!」
またピーと音がした。開きかけの扉が、ゆっくりと閉まっていく。
出てくんなよ機械兵。早く隙間が埋まれと念じる。
静かな音と共に、扉が閉まった。
どっと力が抜けた。二人は白い床にへたり込んだ。
「はあぁ……危なかった」
「シアン何だよ、そのパソコン」
「ああ……こういう構造だろうなと思ってたから、作っておいたんだ。予想通りで良かったよ」
シアンはこの建物の作りを予測して、突破方法まで用意していた。
ほとほとあきれ返るような思いだった。
「……やっぱお前すげえよ、シアン」
「ティルだって大概さ――それじゃあ、行こうか」
シアンはパソコンを持ったまま立ち上がる。
「おう」
ティルはレーザー銃を握りしめ、立ち上がった。
建物は内部まで眩しいほどに白で統一されていた。通路は整理されたように真っ直ぐ区切られている。どこの角を曲がっても、同じ真っ白な光景が広がっていた。
「どこもかしこも真っ白だな」
「目が痛いね」
「さっきから同じものしか見えないから……どこを通ったとか全然わかんねえ」
「一応地図は作ってるよ」
ほらとシアンはパソコンの画面を見せてくる。細かく区切られた通路が簡単に示されていた。
「すげえ、そんなことまでできんのかよ」
「うん、これ作った人は本当にすごいよ」
二人は着実に地図を埋めていった。
道中いくつか部屋を見つけて、シアンが一つ一つ開いていく。
そのどれもが人のいた痕跡のあるものだった。調理室。仮眠室。研究室など。
綺麗に整えられた室内を一通り見ていくが、『門』を開けるヒントのようなものはどこにもなかった。
「無いな」
「……うん」
いつまでも変わらない無機質な白色は、息苦しさと精神的な疲労を与えていた。
それでも、地図が埋まっていくだけいくらか楽だろうとシアンは思っていた。
「多分さ」
「え?」
「多分、ここは何かの研究をしてた所だと思う」
「研究?」
ティルの声にはいつもの元気がないような気がした。でも喋っていた方が、気がまぎれる。
「何かは分からないけどね。資料も無かったし……薬じゃないかと思うんだけど」
「薬ねぇ……プロテインとか?」
「あれは薬じゃないし。なんでそんなもの知ってるのさ」
「シアンから聞いたんじゃないか」
「そうだったっけ」
「そうだよ」
僕も思考力が低下しているのかもしれないとシアンは思った。何かターニングポイントが出てくれたらシャキっとなるだろうけど……そろそろだと思うんだけどな。
そう考えていた矢先、二人は一際大きな扉を見つけた。
それは明らかに他と違っていた。
まず大きい。そして扉には線が模様のように走っていて、その線はブルーに光っている。まるで脈動するかのように青色が点滅していた。
「……ここで地図も終わりだ」
ティルは息を呑んだ。明らかに怪しいこの扉を、調べなければならないのか。
「大丈夫か? シアン」
「……正直、ちょっと自信が無い。どうするティル? 戻るっていう選択肢もあるよ」
戻る?
ここまで来てそう言われるとは思っていなかった。だがよく考えてみると、それも魅力的な提案に思える。
何も見なかったことにして、また平穏に暮らす。普段通りの生活に戻る。
そこまで考えて、ティルは笑った。
でもそれって、また退屈に戻ることと同じじゃないか。
「進もう」
「そう言うと思ったよ。何が起こっても保障はしないけどね」
「上等だ!」
シアンはコードを繋げ、また恐ろしい速度でキーボードを叩く。
「うわ……ここちょっとまずいかもなぁ、ティル、レーザー銃は持ってるよね?」
「ああ」
ティルは銀色に光るレーザー銃を持ち上げた。
「よし……なんとか開いたよ」
ピーと音がする。
――途端、扉の青い光が全て真っ赤に染まった。
通路も全て赤く光る。二人の肩が跳ねた。
「な!?」
『侵入者です。侵入者です。〈キーパー〉は全機、これの排除にあたってください。研究員は速やかに避難してください。繰り返します――』
シアンが舌打ちをした。
「まずいよティル! 多分キーパーって機械兵のことだ」
こっちに、来る。
心臓が鐘を打ち鳴らしていた。
どうする。どうする。ひたすら問う。
やつが来たら終わりだ。
助かる見込みは無い。
どうすればいい。
「くそ……ここまで来たのに!」
シアンが叫ぶ。
俺は、どうすればいい!?
辺りを見渡した。真っ赤に染まった世界以外何もない。
息が荒くなる。
何か、何かないのか。
気づいた。
ああ。
手元に視線を向ける。
レーザー銃がその手にあった。
「シアン!」
シアンが絶望に染まった顔を向ける。
ティルは自分を鼓舞するように声を張り上げた。
「お前は『門』を開け!」
「ティルはどうするの!」
「俺は機械兵を引きつける!」
シアンが首を振る。
「無茶だ! できるはずがない!」
「いや! やるしかねえよ!」
遠くから、機械兵の駆動音が響いてきた。
「シアン!」
「ぐ……!」シアンは首を振って、自分の頬を張った。「くっそぉ! やってやるよ!」
「それでこそシアンだ! 俺はお前を信じてるぜ!」
「肉体労働! 任せたよ!」
「絶対に! 意地でも戻ってきてやる!」
ティルは音に向けて駆けだした。握りしめたレーザー銃のトリガーに指を掛ける。
音から判断するに、やつはもう少しでその角を曲がる。
「その前に! 撃つ!」
ティルは角から飛び出して、勘だけを頼りにトリガーを引き絞った。
その勘は全くのズレも無くぴたりと当たっていた。
銃口もまっすぐその影に向いていた。本当なら機械兵の胴を貫くはずだった。
ただ、レーザー銃の衝撃はその全てを破壊した。
トリガーを引いた瞬間、腕が弾け飛ぶような痛みを覚えた。
「があぁっ!?」
レーザーは狙いを大きく外れて、壁を抉るだけに終わる。ティルは痛みにレーザー銃を手から放してしまった。
拾おうとした瞬間、背筋が粟立った。
咄嗟に横に転がると、一瞬前にいた空間をレーザーが消し去った。
これで終わりじゃない……!
機械兵はトリガーを引いたまま、ティルに銃口を動かす。レーザーは後を追って、ティルに迫る。
ティルは光線を全てすんでのところで避ける。
機械兵はティルより、動きが少し鈍い。あいつの後ろの角に行けるかもしれない。そうすればシアンの方にこいつは行かないはずだ。
そう考えたティルは、一瞬だけぴたりと動きを止める。
来い!
機械兵はその隙に向けて、撃った。ティルは銃口が向けられる瞬間に、横っ飛びに避けていた。レーザーはその残像を打ち抜く。
ティルが飛んだ場所は、弾きとんだレーザー銃が落ちている場所だった。転がりながらそれを拾って、ティルは機械兵の横を通り抜け、走る。
速く。速く。速く!
歯を食いしばって駆けた。背後で機械兵が振り向く。
「あああああああっ!」
叫び、ティルは目の前の角を右に飛び込む。機械兵はレーザー銃を構え、躊躇いもなくトリガーを引いた。
ティルは空に浮いている。レーザーが迫る。
「ぐっ!」
右足に痛みを感じてティルはくぐもった声を上げる。それでもこのまま転がっているわけにはいかなかった。立ちあがって足を踏み出す。焼けるような痛みが走るが、ティルはあの部屋から遠ざかるため駆けだした。
機械兵が滑るように追ってきている。
このままじゃ、俺は死ぬ。
ティルは体がふらつくのを感じて思った。
どうすればいい。どうすれば……!
『ティル! 聞こえる!?』
「……っ、シアン!?」
建物にシアンの声が響き渡る。切羽詰まった声音で、シアンは怒鳴るように言った。
『館内放送を使ってる! 君の声は聞こえないけど、場所は分かる! 今から僕の言うとおりにしてくれ! できる!?』
シアンの声を聞いた途端、腹の底から何かがみなぎってくるような気がした。
ティルは不適な笑みを浮かべる。
「誰に言ってんだ……! やってやるよ!」
『次の角を右だ! 曲がったすぐそばの角を左! それから――』
シアンは次々と指示を繰り出す。ティルは命じられるままに走った。
足は痛かった。呼吸は荒かった。状況は絶望的だった。
それでもシアンと俺なら、どんな壁だってぶっ壊せる。
気づけば機械兵の駆動音は聞こえない。
指示された最後の場所は研究室だった。ティルの目の前で自動的に扉は開いた。
『その部屋の奥で銃を構える! 時間は少しあるから、膝を立てて、安定した体勢を取るんだ! 僕が合図したらトリガーを引いてくれ!』
ティルが入るとゆっくりと扉は閉じはじめる。
奥まで歩くと、ティルは膝を立て、レーザー銃を両手で持ち、構えた。片手で駄目なら両手を使えばいいと思った。
失敗したら死ぬだろうなとティルは思った。
でも、シアンが考えたなら、成功するに決まっている。
レーザー銃は人が使うようには作られていないはずだとシアンは思った。どんな影響があるかわからない。
でも、ティルなら大丈夫だろう。
二人はお互いのことを信頼していた。
誰もいない部屋で、ティルは笑みを浮かべる。こんなスリル、普通に暮らしてたんじゃ絶対に味わえなかった。息はまだ荒い。右足は痛む。血が流れ出して、気を抜くと意識が途絶えそうになる。
それでも、生きていると実感できた。
俺はまだ死んじゃいない。シアンと外の世界を見るまでは、絶対に死んでやるものか。
『そろそろ来るよ!』
鋭い声が飛んでくる。
ティルはトリガーに指を掛けなおす。グリップを握りしめて、長い息を吐いた。
意識を尖らせ、集中する。
周りの音は聞こえない。
心臓だけが鳴っている。
駆動音がかすかに聞こえた。
段々と大きくなってくる。機械兵はこの部屋の扉の前で止まった。
『まだだよ……』
機械兵は扉を調べているようだった。
シアンは思う。研究室は、壊してはいけない貴重な物が多いはずだ。優秀なAIを積んでいるはずの機械兵は、一瞬迷うだろう。それを見越してシアンはこの部屋を選んでいた。
やつが扉の前で戸惑って、でも決断する瞬間まで、おそらく後三秒。
唾を飲み込んだ。
『三。二。一――』
予測を間違えていたらティルは死ぬ。そして僕も死ぬ。
そんなことはさせない。
絶対に、ティルと外の世界へ行くんだ――!
『撃てえええええええ!』
扉が破壊された。機械兵が中にいたティルを見定める。
――笑みを浮かべたティルを、その目に捉える。
「食らえええええええ!」
ティルはトリガーを引き絞った。強烈な衝撃を力任せに抑え込んで、ティルは狙いを留め続ける。レーザーは空間を引き裂いて、無慈悲に機械兵の胴を貫いた。
ティルはトリガーを引き絞り続けて、機械兵は穴を広げていく。稼働音が異様な音を立てる。
『もういいティル! 速く機械兵から離れるんだ!』
ティルはレーザーを止めた。右腕の感覚が何も無い。銃は腕から離れて、硬い床に落ちた。ティルは体を支えきれず、前のめりに崩れ落ちた。
機械兵は動かない。白熱した穴から、火花が散っていた。
『爆発するぞ!』
「く……」
足が重かった。体もふらついてうまく動かない。
左腕だけで這うように進むが、それは遅々として進まない。機械兵から漏れる音が次第に甲高くなり、焦りが増してくる。
動け! 動けよ!
必至に体を引きずる。間に合わないと直感が告げる。それでも。それでも――!
「――ティル! 今助けるよ!」
え?
放送ではない、くっきりとした声が聞こえた。
シアンが部屋に現れた。髪が乱れて、荒い息を吐いている。表情に恐怖が見えたが、それは一つの決意によって押さえつけられていた。
「絶対に助けるから!」
迷わずティルの傍にかがんで、ティルの腕を自分の肩に回す。
「危な、いぞ……!」
「無理に喋らないで! ここから離れることだけ考えて!」
シアンは顔を歪めて、精一杯の力を込めてティルを持ち上げる。
ティルは最後の力を振り絞って起き上がった。
二人は必至の表情で部屋を抜ける。
「まだだ! 少なくともそこの角を曲がるまで!」シアンが叫ぶ。稼働音はもはや超音波のように脳を突き刺す音になっていた。
「ぐ……!」
二人はもつれるようにして角に倒れこんだ。
直後、轟音が響いた。
音と衝撃にやられ、二人は意識を失った。
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