気がつくと、僕は見慣れた美術部のアトリエに倒れていた。腕時計を見ると十時を過ぎている。ずいぶんと長い間気絶していたらしい。
(……夢?)
「目が覚めた? でも残念でした。夢じゃないよ」
 からかうような声に振り向くと――そこに、希がいた。
 切れかけた蛍光灯の明りの下、壁際に背を預け、両足を床に投げ出す格好で座っている。
 その姿を見て、僕は思わず息を呑んだ。
 あの禍々しい兵器型のオブジェは彼女の身体から消えていたが、それは元通り人間の姿に戻ったということではない。
 怪物との闘いで負った傷だろう。
 顔の右半分の皮膚が剥がれ落ち、金属フレームの頭骨とカメラアイが剥き出しになっていた。ボロボロの制服からのぞく右手は二の腕からもぎ取られ、残った手足も所々で破損し内部の機構が露わになっている。
 まるで壊れて捨てられた人形だ――全てが悪い夢であってほしいと、僕は心底から願った。
「奴のことなら、もう心配ないよ。何とか『あっち側』に追い返したから」
「で、でも、君の身体が……!」
「大丈夫。奴らと同じ自動修復の機能があるから……二、三日も休めばキレイに直っちゃうよ。ホント便利だよね、機械の身体って」
 辛うじて少女の面影を留めた顔の左半分で、希は哀しげに笑った。
「ただ……ここまで派手にブッ壊れちゃうと、修復した身体がキチンと元の姿形をキープしてくれるのか……自分でも、ちょっと自信ないけど」
「びょ、病院に――あ、いや大学の研究所とか、そういう所に相談すれば、きっと元通りになる方法が――」
「真っ先に行ったよ。ガラス張りの部屋に閉じこめられて、何ヶ月も家に帰して貰えずに……ずっとキモチ悪い実験ばかり受けさせられた。研究所の偉いセンセイたちに言わせると……あたしはもう人間じゃないから、何をしたって法に触れないんだってさ」
「そんな……!」
 言葉を失った僕に、希はポツポツと自分の身の上を語り始めた。

 つい一年前まで、「彼女」は東京の高校に通うごく普通の女の子だった。
 授業中にこっそりスマホでメールをやりとりし、放課後はソフトボール部で汗を流し、帰りはちょっと寄り道してハンバーガーショップで友達とお喋りし――そんな平穏な日々が唐突に終わりを告げたのは、夜遅く帰宅途中の路上で「奴ら」に襲われ、体内に「何か」を植えつけられた瞬間だった。
 最初のうち、彼女は「奴ら」のことを家族にも話すことができずにいた。
 話したところで誰も信じてくれないだろうし、何より自分の正気を疑われることを恐れたのだ。
 やがて皮膚の下に奇妙な異物感を覚え、それが日増しに大きくなっていくのを知ったとき、不安に駆られた彼女は適当な口実を作り近所の病院でレントゲン検査を受けた。
 その結果、体内の複数カ所に腫瘍が発生していることが判明――癌の可能性を憂慮した医師の助言により、国立の大病院でさらに精密検査を受ける。
 そこで明らかになったのは衝撃的な事実だった。
 腫瘍の正体は癌ではなくある種の「精密機械」であり、しかも生体の骨や内臓を浸食して取って代わりつつあったのだ。
 数日後、彼女の身柄は病院から政府関連の某研究所へと移され、その日から家族に連絡も許されず、文字通りモルモットのような扱いを受けることになった。
「研究所の人たち、ウィルスやナノマシンがどうのと言ってたけど――よく分かんなかったな。あたし以外にも、似たような『病気』で連れてこられた子供たちが何人も収容されてたみたい」
「奴ら」に遭遇したのは、彼女だけではなかった。
 アメリカ、ロシア、中国そして日本――二十一世紀の始め頃から、世界の各所では生物ともロボットとも知れぬ「怪物」が人間を襲い、その後被害者の肉体が怪物と同じ機械状生命体に変質するという異常事件が報告されていたという。
「奴ら」の目的は人間に自分たちの細胞(という表現が適当かどうかは判らないが)を植えつけ、強制的に同化することらしい。
 しかし「奴ら」がどこから来るのか、地球上に仲間を殖やしてどうするつもりなのか、多くはまだ謎に包まれている。
 そして各国政府のとった対応は被害者――その多くは十代の若者だった――を隔離し、事件の存在そのものを一般社会からひた隠しにすることだった。
 馬鹿げたことに、為政者たちの関心は「奴ら」から世界を守ることよりも、生身の人間をそのまま機械に変える侵略者のテクノロジーを他国に先駆けて解明することに向けられているらしい。
 希が僕の目の前で見せたように、自身の肉体を強力な「兵器」として進化させる機械状生命体の力は、もし人間が利用できれば現在の軍事バランスを一変させるほどの可能性を秘めているという理由で。
 彼女にとって不幸中の幸いは、独自の調査から「奴ら」の侵略を察知し、被害者の救済に立ち上がった民間の地下組織が存在したことだった。彼らの手引きで研究所を脱出した彼女は、新たな戸籍を与えられ、転校生を装いこの街に逃れて来たのだ。

 全ての話を聞き終えた頃には、とうに夜中の零時を過ぎていた。
「だから『佐藤』って名字はウソっぱちなの。この街で、普通の女の子としてやり直すはずだったのに……まさか、また奴らと出くわすなんてね。あたしってば、どうしてこうツイてないかなぁ? あはっ」
 冗談めかしたその言葉を聞いて、僕の胸は痛みにも似た後悔に疼いた。
 今にして思えば、希はずっと以前から自分の身体に植えつけられた奴らの細胞に対して必死に抗っていたのだろう。
 しかし今夜、彼女は僕を助けるため、自ら人間であることを放棄した。
 あの時、僕が後を追ったりしなければ――彼女一人なら、無理に怪物と戦う必要などなかったというのに。
「約束するよ。今夜見たことは、絶対、誰にも喋らないって。身体さえ治れば、これからもずっとこの町にいられるんだろ?」
「ありがとう……でも、駄目なの。あたしを逃がしてくれた『組織』の人たちとの約束だから――この身体のことを誰かに知られたら、すぐにその土地を離れなくちゃいけないの」
「ごめんよ……僕のせいで……」
「ううん、謝ることなんかない。浩くん、あたしのこんな姿を見ても、怖がらないでそばに居てくれたじゃない? それだけで充分だよ」
 希は残った左の手を伸ばし、隣りに座った僕の手にそっと重ねた。
 柔らかくて暖かい少女の掌。知らずに握っていれば、それが機械の身体だとは夢にも思うまい。
「この部屋でモデルをやってる間ね、ずっと気が引けてたんだ。浩くんは一生懸命あたしのことを描いてくれてるのに、あたしは自分の本当の姿を隠してる――ウソついてるって。だから、今はとてもスッキリした気分だよ」
「何だよそれ? やっとお互いのことが解ったら、それでお別れかよ? そんなのってありかよ!」
 その時になってようやく気づいた。
 独りぼっちで窓を眺める希の姿に惹かれ、彼女を描きたいと強く思ったのは、他ならぬ僕自身が孤独だったからだ。
 子どもの頃から人と接するのが苦手で、大した才能もないくせに絵を描くことで自分の世界に逃避していた僕――それでも心の中の寂しさをどうすることもできず、本心から解り合える友達が欲しいと願っていた。
 しかし希の抱える孤独の深さは、僕などとは桁違いのものだった。
 理不尽な力によって幸福だった人生の全てを奪われ、人間としての肉体すら失いつつある少女――彼女の細い肩に負わされた過酷な運命と、何もしてやれない自分の無力さを思い、僕は喉を詰まらせ子どものように泣いた。
 僕も機械の身体にされてしまえばよかった――そうすれば希と一緒にいて、少しは彼女の孤独を癒してやれたかもしれないのに。
「お別れじゃないよ……あたしは、これからもずっと浩くんのそばにいるもの」
 希が立ち上がり、もはやボロ布のようになっていた制服を片手で器用に脱ぎ始めた。
「――おい?」
 僕は動揺した。所々で皮膚が剥がれ落ち、機械の下地が剥き出しになっているといえ、その他の部分は紛れもなく人間の女の子なのだ。
「な、何考えてんだよ! 服着ろってば!」
「あー、浩くん赤くなったぁ。ひょっとして、エッチなこと考えてる?」
「バ、バカヤロっ! 冗談よせよ。こんな時に――」
 と怒っては見たものの、その時妙な気分になってしまったことは確かだ。
 女性の裸など、美術図書の裸婦像で見慣れているはずなのに――初めて間近で見る同世代の女の子の裸身を前に、僕の身体は熱く火照り、男の部分が急に固くなるのをどうすることもできなかった。
「嬉しいな。まだあたしのこと、女の子として見てくれてるんだね……でも、ごめんなさい。もし好きな男の子ができても、あたしは何にもしてあげられないの。こんな身体だし……」
 寂しげに顔を逸らした彼女の視線は、アトリエの一角に置かれた描きかけのキャンバスに向けられていた。
 僕は照れることも忘れて希の顔を見つめた。
 彼女が何を望んでいるのか、その時ようやく気がついたからだ。
「でも、そんな――いいのか?」
「浩くんが描いてくれたあの絵、とっても素敵だよ。でも、絵の中のあたしはもういない……一年前に死んじゃったから。今は、これがあたし……本当のあたし。だから、お願い……描いて欲しいの。浩くんと出会った、今のあたしを」
 腰を覆うショーツをそっと脱ぎ捨てると、希は二週間モデルとして過ごしたあの窓際の席に腰掛け、少し恥じらうような笑顔でいつものポーズをとった。
 僕も急いでキャンバスをイーゼルに掛け、パレットに絵の具を搾り出した。
 下絵を描き直している時間はない。
 希に向かい合い、絵筆をとって直接キャンバスに描き始める。
 痛ましく傷ついた半機械の少女――だがその姿は、僕にとってどんな巨匠が描いた聖女像よりも目映く神々しいものだった。

 東の空が白々と明ける頃、彼女はアトリエを出て、僕の前から永遠に姿を消した。

 その後のことを簡単に記しておく。
 夜中になっても僕が帰らず、心配して迎えに出た父が線路脇で壊れた自転車を発見したことから、家では大騒ぎになっていたらしい。
 のこのこ朝帰りした僕は、当然のごとく両親から厳しく問い詰められた。
 苦し紛れに「車にぶつかって、後のことはよく覚えていない」などと言い訳したばかりに、今度はやれ入院だ精密検査だのと騒ぎが大きくなり、結局その後一週間学校を休むはめになった。

 一週間後、教室に来てみると希の姿はなく、彼女のいた席には席替えで別の女子が座っていた。
 家の都合で急遽転校していったのだという。
 元々影の薄かった希の存在が、クラスのみんなから忘れ去られるのにそう時間はかからなかった。
 これは後に知ったことだが、何者かが市役所と高校のホストコンピュータをハッキングし、「佐藤希」に関する全てのデータを消去してしまったらしい。
 誰の記憶にも残らず、初めからいなかったことにされた少女――だが、そんな希の肖像を描いた僕の絵は、秋の美術展で審査員特別賞を受賞した。
『清楚な裸体の少女をモチーフにしながら、肉体の一部をあえて機械的なオブジェに変容させた表現が極めて前衛的かつ斬新』というのがその理由だ。
 僕にとっては不本意な評価だった。
 アバンギャルドだなんて冗談じゃない――僕はただ、ありのままの彼女を描いただけだというのに。
 とはいえ、それがきっかけで高名な美術商にスカウトされ、高校を卒業した僕は上京し画家の卵として一歩を踏み出した。
 僕の将来を心配する両親からは「せめて大学くらい行っておけ」と説得されたが、もはや迷いはなかった。
(あたしには、もう時間がないから――)
 みんな同じなんだよ、希。
 この世界が、平穏な日常が、自分が自分であることが――ある日突然の終局を迎えることがないと、誰に断言できるだろうか?
 だから、僕は今できることを、自分の信じる道を進むだけだ。
 今でも時折、希のことを思い出す。
 あの夜以来彼女には会っていないが、きっと名前を変えて、どこかの街で元気に暮らしているに違いない。
 こんな晴れた日の午後、たぶん彼女は見晴らしのよい窓際の席で頬杖を突き、ぼんやりと空を見上げているのだろう。
 どこにでもいる普通の女の子が抱く、ちっぽけな孤独。
 ちっぽけな、それ故に深く癒やし難い哀しみを胸に抱いて。

(完)

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