order13.拳の報復
<"青龍会"のアジト・二階>
周囲にまだ敵が残っていないかを確認しつつ、グレイとヘルガは階段を使って階段を上がる。
幸い見張りの連中は出払っているようで、二人は背中を合わせてシノたちを捜索していた。
唐突に鼻を刺す異臭が辺りを埋め尽くし、グレイは鼻を押さえる。
「なんだ……? 血痕が床に……」
血痕を辿ると、そこには左腕のない男が倒れていた。
彼の左腕は無造作に転がっており、お世辞にも良い光景とは言えない。
「……この切り傷、おそらくシノによるもの」
「つーことは、あいつも向かったわけだな。部屋に続いている血痕はシノのか……? 」
「もしかすると負傷してる恐れ。急いで手当が必要」
「そうだな。応急処置だけでも違いが出る。早く合流しねぇと」
少なからずヘルガの表情に不安の影がよぎった。
そんな彼女を励ます様にグレイは彼女の肩を叩き、ヘルガは頷く。
「無事でいてくれよ……シノ……! 」
倒れている男を無視して、二人は床に続く血痕を辿って行った。
嫌な予感がグレイの脳裏をよぎるが、無視して彼は走り出した。
「シノ! 無事か! 」
「グレイ……。片付いたんだな……」
「……ひどい傷。どこをやられた? 」
「右腿と右肩、左の脇腹だ。ソフィア達のところへ向かおうとしたが、どうやら予想より負傷していたらしい。情けない」
「困った時の応急手当セットってね。あの薬局のじいさんの言ってた事が本当になっちまったな」
「……フッ、そうだな。ヘルガ、頼めるか? 」
二人が見つけたのは廊下に座り込み、壁にもたれ掛かって血を流すシノの姿。
頷くと同時にグレイの手から彼女は赤い箱の応急手当セットを奪い取る。
「応急処置を施す」
「分かっている」
まずはナイフの刺さっていた右もものズボンの部分をハサミで切り取ると、ヘルガは消毒液をガーゼに垂らして傷口に当て始めた。
「ぐっ……! 」
「……我慢して。私はシノに死んでほしくない」
「分かっている。すまないな、ヘルガ」
「気遣いはいらない。私が好きでやってること」
彼は愛銃を手に周囲を見渡す。
ここの廊下は妙に静かだ。
逆にグレイはそれを不審に思っており、余計に警戒の色が強まる。
「シノ、右肩と腿は終わった。脇腹を出してほしい」
「こうか? 」
「それでいい。後もう少しの辛抱」
「いいねぇ、俺もヘルガみたいな美女に治療されたいよ」
「俺だって好きで怪我している訳じゃない。だがヘルガ……なぜそんなに顔を近づける? 」
「……本当にあなたは鈍感」
「こんなとこまで来てラブストーリーかよ……。その調子だと大丈夫そうだな」
二人の顔の距離が近くなっていくのを感じたのか、シノが顔を赤くしながらヘルガに尋ねた。
シノの応急処置を済ませると、彼は壁に手を掛けながら立ち上がる。
「どうだ? いけそうか? 」
「……ダメだ、足に力が入らない。もうしばらくしたら歩けるようにはなると思うが……」
「了解。グレイ、あなたは先に行って。私はここでシノといる」
「何? やめろヘルガ。お前まで危険に晒される必要はない。何よりも俺自身がそうしたくない」
「駄目。どうせまたシノは無理をする。それにまだ回復の余地があるのなら私はそれを信じるだけ」
「……死んでも文句は言わせんぞ」
「大丈夫。シノが守ってくれると信じてるから」
ナイフを刺され肩と脇腹にも傷を抱えているような負傷者に、応急処置をして歩けというのが無理な話だ。
大事な従業員に死なれてもらってはグレイも困る。
「話は決まったかい? ナイトさんとお姫様よぉ? 」
「私はここに留まってシノと後から向かう」
「すまない、グレイ。必ず後で追い付く」
「オーライ。ま、今ならキスの一つぐらいできるかもな」
「ばっ、馬鹿言うな!! 」
「……シノは、嫌? 」
「いっ、いや! そういうわけでは……! 」
そんな様子を見てグレイはフッと笑うと、単身ソフィア達の元へ走り出した。
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<"青龍会"のアジト・3階>
二階の部屋を虱潰しに探すも、見つかるのはハズレばかり。
しびれを切らしたグレイは3階へと足を進め、まずは身を潜めた。
その瞬間、近くで発砲音が聞こえる。
「……見つかっちまったみてーだな」
周囲を見回し、安全を確認すると彼は意を決して身を潜めていた廊下の角から銃を構える。
しかしそこに敵はおらず、発砲音は廊下の奥にある大広間から聞こえていた。
「こっちでビンゴってわけか……。んじゃあ、さっさと捕まえておさらばするとしますか」
"M586"のシリンダーをスイングアウトし、全ての弾倉に弾が入っていることを確認するとグレイは静かに大広間の二枚扉の所へ足を進める。
ニヤリ、と不敵に笑った瞬間。
「ぐぇっ!! 」
「ぶふぉぁっ!? 」
横殴りの衝撃により床に張り倒された。
さすがのグレイも一瞬意識が飛びかけたが、急いで周囲を見渡す。
どうやらマフィアの男が扉ごと吹っ飛ばされ、後ろにいた彼も巻き込まれたようだ。
「ッ!! はがぁ……。なんてタイミングで……」
そして目についたのはドアノブが外れて自分の下腹部にめり込んでいる光景。
一気に鈍痛と男性特有の痛みがグレイを襲い、声にならない悲鳴をグレイは上げ、その場で悶絶する。
「ぜぇ……はぁ……。俺の愛しい将来の息子になんてことしやがる……。つーかこれやったの誰なんだ……? 」
独り言をつぶやきつつもグレイは大広間の中を覗き込んだ。
撃ち合っているマフィアの男たちと黒服の二人。
「くそったれ、息子の仕返ししてやらあ」
気を取り直してグレイは愛銃を握り直し、大広間へと躍り出る。
身体を横に回転させ、ソフィア達の所へ移動しながら愛銃の銃声を轟かせた。
「ちぃっ! もう一人いやがった! 殺せ! 」
「遅いぜぇっ! 牛の方が速ぇんじゃねぇかぁ!? 」
トリガーを二回引くと野太い悲鳴を上げながら男は倒れて行く。
「よぉソフィア! 元気してたか? 」
「ぐ、ぐ、グレイさん! 遅いですよ! どこで油売ってたんですか! 」
「悪い悪い、ちょっと酒場で熱いラブコールを受けちまってな。ラリーさん、調子はどうだい? 」
テーブルを横にして巨体を隠すラリーへ視線を向けると、案外その表情は落ち着いていた。
「ぼちぼちです。最初は銃が怖かったんですけど、接近して張り倒していく度……こう、何か自分の中で弾けたものがあって」
「はははっ、意外とこの仕事向いてるかもな。どうだい、もし職に困ったらウチで働いてみないか? 」
「考えておきますよ」
銃弾が飛び交う中で二人は和やかに会話をしていた。
人質がいるのにも関わらず呑気なものである。
「なんでそんなゆるい感じなんですか! ロジャーさんもうそこにいるんですよ!? 」
「オーライ。敵はあとどれくらいだ? 」
「私が先程吹っ飛ばした方を含めて5人かと」
「なるほど。んじゃ、ちゃちゃっと片付けますかぁッ!! 」
黒いコートをなびかせながらテーブルの外へと躍り出るグレイ。
既に2人ほど戦闘不能になっている為、マフィア達の戦意はあらかさまに削がれている。
「いいっやっほう! 」
「わ、笑ってる……」
その事を悟ったグレイは一人だけ生かしておくことにし、残りの連中は全てシリンダー内の弾丸によって屠った。
生かされたマフィアの男は戦う意思がない事を証明するように武器を地面に置き、両手を上げる。
「両手を頭につけて膝を着け。質問に答えたらお家に帰してやるよ」
「な、なっ……なんだ? 何が聞きたい? 」
怯えたように男はグレイに尋ねた。
「アンタらのボスの居場所さ。妙に気になったんだよ、部下が出払ってんのにボスがその場にいないって事がな。言ってくれよ、なぁ? 俺だって無駄弾は撃ちたくないんだ」
「ここだよ、グレイ君」
声の主の方に振り向くと"スタームルガー SR9"を右手に構え、初老の男が暗闇から姿を現す。
その男は不敵な笑みを浮かべ、手を縛られたロジャーを連れていた。
「へぇ、自分から姿を現してくれるなんて随分と親切なんだな。そのじいさんを離しちゃくれねぇか? アーロン・チャオさんよ」
「さすがに私の名前は知っているか。しかしその銃を構えたままでは交渉なぞ出来んな」
そう言うとアーロンはロジャーのこめかみに銃口を突き付ける。
仕方なくグレイはそれに従い、"M586"を降ろした。
「オーライ、分かった。何が望みだ? 」
「この後私が逃げる足を用意しろ。そしたら君たちの事は見逃そう」
「わ、私のことはいいっ……! 逃げてくれグレイ君……! 」
「そうだな……この下に俺達が来た車がある。そいつを使いな」
口から血を流して痛みに苦しむロジャーを見て、グレイは淡々と交渉を進める。
「ふふふ……。そうか、意外と素直なんだな。ではキーを渡してくれ」
「あぁ。職業柄、臆病なもんでね。"俺は"な」
違和感が、アーロンの脳裏に走る。
「なっ――――うぐぅっ!? 」
「せいやッ!! 」
突然アーロンを襲った右腕への衝撃と、骨が折られた痛みに彼は叫んだ。
銃を地面に落とし、仰向けにそのまま倒される。
「あっはっはっは、残念だったな。ここにいるのが俺だけだと思ったか? 初老になると判断力が鈍るもんなぁ、仕方ねーさ」
「父さん! 大丈夫かい!? 」
彼が自分を倒したのがロジャーの隣にいる巨漢だと気付く頃には、既にアーロンの視界にグレイと隠れていたソフィアの姿が入っていた。
「ら、ラリー! なんでお前までこんなところに……! 」
「父さんを探しに来たんだよ! グレイさん達と一緒にね! 」
「きっ、貴様……! こんなことをしてただで済むと思うなよ!? 」
「先に仕掛けたのはそっちだろ? 今更文句の言い合いっこはなしだぜ。それに、アンタがこうして俺達の前に立つこと自体が負けだったんだよ」
アーロンを見下して屈辱の限り言葉を吐くグレイ。
悪戯に笑うグレイを見て顔を歪ませるが、ソフィアに銃を向けられている為何も出来ない。
「んじゃあな。せいぜい生きてまた俺に復讐しにでも来てくれや」
銃身をアーロンの首筋目掛けて殴りつけると、彼は気絶する。
一人残されたマフィアの男もラリーの当身により地に伏し、彼らはロジャーを連れて大広間を出た。
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<"青龍会"アジト・出口>
二階でシノたちと合流した後、彼らはまだ生き残っている連中がいないかを確認しながらアジトの出口へと歩みを進める。
幸いほとんどが無力化されており、難なく出口へと進むことが出来た。
「さーてと。家まで送るぜ、お二人さん。ロジャーさんの方は大丈夫かい? 」
出口に出るなり、ロジャーはグレイへと視線を向ける。
「あぁ、なんとか大丈夫そうだよ。本当にありがとう、これからは家族とうまく道場をやってくさ」
「その言葉が聞けて安心した。武道を志す者として、これからも武道界を支えていってほしい」
「君の剣術は素晴らしい。君の"殺人剣"はいつか人を活かし、守る術となる。是非これからも、その抜刀術を極めていくといい。気が向いたら私たちの道場に顔を出してくれ」
「分かった。尋ねさせてもらう」
シノはロジャーと握手を交わし、一足先にヘルガと共に車に乗り込んだ。
グレイもラリーとロジャーを別の車に乗せ、彼自身も運転席に座る。
時刻は既に朝の5時。
「さ、じゃあ俺達も行くとしますか」
「その前に病院へ連れて行ってくれ……」
朝日が昇り始めると同時に、彼らは車を発車させた。