「違えた片割れ」

 「違えた片割れ」



狭いベッドに入って二人で眠る時、
日向は、彼方の髪が自分の頬を掠めるのが好きだった。
彼方の細く、しなやかな黒髪が、まるで自分に甘えるように、優しく頬に触れる。
そんな夜が好きだった。

しかし、隣で寝息をたてている彼方の髪は、いつもより短く、茶色く染まっていた。
それはまるで、彼方が別人になってしまったようで、
自分から離れて行ってしまいそうで、日向は切なくなる。

「外見が変わったところで、中身は変わらない」
と何かの小説で読んだことがある気がする。

けれど、自分と違う外見になった彼方は、変わってしまう気がした。
思えば、今日は様子がおかしかった。
心の距離が、遠くなる気がした。

変わってしまう。
彼方も、周りも、環境も。
自分も変わることを望もうとしていたのに、取り残されたような気持ちになる。

一人になる。
それが、たまらなく怖い。
彼方と離れてしまうくらいなら、大人になど、なりたくないとさえ思った。

離れようとしたり、それを怖がり拒んだり。
自分の感情は矛盾だらけだ。
どうしようもないのは、わかっている。
頭ではわかってはいるけれど、感情がついていかない。

ずっと二人一緒にはいられない。
将来を、選ばなければいけない。
そんなこと、わかっている。
わかっているんだ。
わかっているのに。

「離れていくなよ…。」

日向は、隣で静かに眠る彼方の手を握りしめて、呟いた。








「彼方君髪切ったのー?」

「茶髪も似合うねー。」

「男らしくなったよねー!」

「体調もう大丈夫なのー?」

テスト最終日の金曜。
いつもより教室はざわついていた。
髪を切り、染毛した彼方に、群がる女子達の声だった。

彼方はモテる。
自分たちに関係ない人間には優しいし、愛想もいい。
ニコニコと笑顔を振りまいて、楽しそうに女子と談笑する。

そんな彼方を、窓際の席から日向は黙って見ていた。

―きっとあの女子たちも、彼方のことが好きなんだ。

いつか彼方も、そんな女子たちの手を取る日が来るのだろうか。
自分に向けた依存や執着を全部捨てて、
自分から離れて、「普通」に生きることを選ぶのだろうか。

そんなことを考えていると、一人の女子生徒が日向たちに近づいてくる。

「三人とも、元気ないみたいだけど、どうしたの?
 そんなにテスト散々だったの?」

矢野千秋だ。
思えば朝から亮太も将悟も口数が少ない。
いつもは二人で他愛のない会話で盛り上がっているのに。
亮太は窓の外を見つめたまま何も話そうとしないし、
将悟もイヤホンで音楽を聴きながら何かを考えているようだった。

「さあ。朝からずっとこんな感じだ。」

後ろの二人が何も話そうとはしないため、日向が返事をする。
千秋は不思議そうな顔をして、日向の後ろの席に目を向ける。

「亮太君が元気ないとなんか変な感じだよね~。
 あ、そういえば彼方君イメチェンしたんだね。
 これでわかりやすくなるね~。」

千秋はマイペースにゆるい口調で日向に話しかける。

「別に、そんなことのために染めたわけじゃないだろ。」

素っ気ない日向の返事に、千秋は少し困ったような顔をして笑う。

「でも、わかりやすい方がいいじゃない。
 その方が日向君も間違えられなくて済むでしょ?」

確かに今まで自分が彼方に間違えられたことも、
彼方が自分に間違えられたことも多々あった。
それをいちいち訂正するのも疲れるし、訂正したところで、また何度も間違えられる。
そういう意味では便利と言えば便利だが、日向の中では、そんなことよりも、
彼方が自分と違う風貌になってしまったのが、なんだか悲しかった。

「そんなの、もう慣れてる。」

「そうかな?だって日向君、いつも少し悲しそうな顔するじゃない。」

見透かされたような千秋の言葉に、一瞬言葉を失う。

「…そんなこと、ない。」

意識したことなんてなかった。
いつも自分はどんな顔をしているのだろう。
間違えられることなんて、慣れているはずなのに。
悲しそうな顔なんて、したつもりもないのに。
千秋の目に映る自分は、いったいどんな風に見えているのだろう。

「そっか。でもこれで日向君にも、話しかけやすくなるね。」

「なんで?」

「だって今までだったら、どっちかわかりにくかったから、
 間違えたら悪いと思って、なかなか話しかけられなかったんだもん。」

そんなものだろうか。
少なくとも千秋は、平然と「日向君?彼方君?どっち?」と聞きながら話しかけてきたと思う。

それに、見た目が変わって、見分けがついたところで、
自分には彼方と亮太それに将悟くらいしか、話かけてくる人間はいないはずだ。
亮太は、何故か自分たちのことを間違えることはないし、
将悟は「高橋」と苗字で呼ぶから、それも間違いでもない。

「別に…どっちでもいいだろ?」

「えー?そんなことないよ?日向君は日向君じゃない。」

言っている意味がわからない。

「日向君と彼方君は、違うじゃない。」

一体どういう意図を思って、そんなことを言うのか。
きっと自分たち以外の人間は、どっちだってどうでもいいと思っているだろうに。
自分じゃなきゃダメだとか、彼方じゃなきゃダメだとか、
きっと、そんなことないはずなのに。

ニッコリと笑う千秋の考えていることが、わからない。
いや、何も考えていないのかもしれない。
思ったことを考えもせず、とりあえず口に出す。
千秋はこういう人間だ。

そんなことを考えていると、朝のHRの開始を知らせるチャイムが鳴る。
千秋は「じゃあね。テスト、頑張ろうね。」と言い残し、
自分の席の方へと戻っていく。


テストは好きではない。
もちろん、勉強がそこまで得意じゃないということもあるが、
誰一人口を開くことはないペンの音だけが響く教室は、
たくさんの生徒がいるのに、まるで一人になったような錯覚をさせる。
見渡してみても、みんな一人でテスト用紙という、
たった一枚の紙切れと向き合っているだけ。
そこに確かに存在しているのに、全ての人間が無機質に見える。
そんな空間が、とても異質なものに見えた。

たった一枚のこの紙切れで、将来の選択肢が限られる。
「諦めずに努力すれば、なんでも夢は叶う。」
そんなの真っ赤な嘘だ。

努力したところで、きっと、
自分達が望んだ未来なんて、手に入らない。

自分は、何のためにここにいるのだろう。
何のために学校に通っているのだろう。
何のためにテストなんか受けるのだろう。
何のために、生きているのだろう。

そんなことばかりを考えて、テストは真っ白なまま。
教室の中央の方の、彼方の後姿を見れば、
彼方もまた、手が止まっているようだった。

その後ろ姿も別人のようで、
自分が知っている彼方じゃないような気さえした。







そしてテストが終わり、昼休み。
午後からは通常通りの授業や委員会、部活なども再開する。
教室は、テスト期間中の少しピリピリした空気から、
緊張が解けて和やかなものへと変わっていた。

いつも通り、彼方と屋上で弁当を食べる。
そのはずだったが、教室に彼方の姿はなかった。

「弟なら、弁当持って女子たちとどっか行ったぞ。」

辺りを見渡していた日向に、将悟が声をかける。

「フラれたな。」

将悟が意地悪そうに口を釣り上げて、笑う。
その言葉に亮太は、少しだけ将悟を睨むように見つめた。

「べ、別にそんなんじゃない…。」

口では強がってみるものの、
彼方はいつも昼休みになると、すぐに自分を屋上へ誘いにくるはずなのに、
今日は何も言わずにどこかへ行ってしまったことが、
日向は少し悲しいような寂しいような気持ちになる。

「まーいいじゃねーか。俺らも三人で飯食おうぜ!」

少し落ち込んでいるような日向を見て、亮太がいつものように明るく振る舞う。
朝見た時は元気がなさそうだったのに、空元気だろうか。



亮太に言われるまま、弁当を持って三人で屋上に向かう。
眩しいくらいの日差しが降り注ぐ屋上を見渡しても、彼方はいなかった。

「弟がいなくて寂しい。」

小さく将悟が呟く。

「って、顔に書いてあるぞ。」

見透かしたように、ニヤリと笑いながら言う将悟に、
図星な日向は少し恥ずかしくなり、顔を背け、精一杯強がってみる。

「…そんなわけ、ないだろ。」

「日向、お前…意外と顔に出やすいのな!」

少し口籠もった日向を見て、亮太は可笑しそうに笑う。
将悟も口元を押さえて笑いをこらえているようだ。

「だから、そんなことないって言ってるだろ…っ!」

「わかった、わかったってっ…ぷぷっ。」

「そんなムキになるなってっ…ぷっ。」

二人はムキになる日向を、面白がるように笑う。
日向は恥ずかしさと情けなさで、少し頬が赤く染まっていた。

「つーかお前、わかりやすすぎ。」

将悟は笑いをこらえながら、日向に言う。

「そんなこと…初めて言われた。」

思えば、彼方以外の前で、感情を表に出すこともなかった。
今までは話しかけてくる人間もいなかったし、
彼方のように愛想を振りまく必要がなかったからだ。
自分も人と関わろうとしなかったし、むしろそれを避けてきたと思う。
それなのに、この二人は当たり前のように自分の隣にいる。
そのことが、なんだか不思議に感じた。

「つーかさー、なんでいきなり彼方はイメチェンしたわけ?」

亮太は、購買で買ったパンの袋を開けながら日向に問う。

「さあ?昨日いきなり染めてくれって言い出して…。」

「結構、綺麗に染まってたよな。」

日向も弁当の蓋を開ける。
将悟もパンの袋を開けながら、感心したように言う。

「え?あれ日向がやったのか?カットも?」

焼きそばパンを頬張りながら、亮太は驚いたように目をパチパチとさせる。

「ああ、昔から俺が彼方の髪切ってる。」

「マジで!?すげーな!器用だな!」

パンを咥えたまま、子供のように驚き、はしゃぐ亮太。
パンの中身がポロポロと亮太の制服に落ちる。
将悟はただ黙ってホットドックを食べながら、そんな二人を見ていた。

「別に…たいしたことないだろ。」

「いや、すげーよ!美容師とか向いてるんじゃね?」

亮太は目をキラキラさせて、日向を見る。

「いや、自分と彼方の髪しか切ったことないから。」

卵焼きをつつきながら日向は言う。
亮太は焼きそばパンを食べ終え、メロンパンの袋を開けていた。

「えー、じゃあ今度、俺の髪が伸びたら切ってくれよー。」

「そんなすぐ伸びないだろ。」

素っ気なく返す日向を見ながら、亮太はパンを一口齧る。
亮太がメロンパンを齧るたび、ポロポロとパンのカスが落ちる。

「つーか、お前は食いながら喋るなよ。行儀悪いだろ。
 焼きそばとか紅ショウガとか、パンのカスとか制服についてんぞ。」

ホットドックを食べ終えた将悟が、亮太のズボンを指さして言う。
まだ子供の方が綺麗に食べられるのではないか、と思うほど、
いろんなものが亮太のズボンに落ちていた。

「あー、大丈夫大丈夫。いつものことだから!」

悪びれもなく言う亮太に、将悟はため息を吐きながら言う。

「行儀悪いからやめろって言ってんだよ。
 まったく…お前はどんな教育受けてきたんだよ…。」

「将悟が固すぎなんだってー。そんな頭なのにさー。ぷっ。」

呆れる将悟に、亮太は茶化しながら笑う。
男子高校生らしい他愛のない会話。
日向はこんな賑やかな昼食は久しぶりだと思う。
家にいても、最近の彼方は悲しそうな顔ばかりしているため、
どうしても口数が少なくなってしまう。

―ここに彼方がいれば、彼方とも笑い合えたのだろうか。

そんなことを考えながら、いろんな話をした。
亮太は三兄弟の真ん中で姉と弟がいるだとか、
将悟は中学に上がるまでは空手をやっていただとか、
亮太が最近好きなグラビアアイドルの話とか。
そんな、取り留めのない、他愛のない会話。


そして、次の授業が差し迫り、教室に戻る途中、
亮太が少し言い辛そうに話しかけてきた。

「あのさ、日向。…俺、今日…図書室行かないから。」

「…?ああ。」


いつも、わざわざ部活を抜け出して来るほうがおかしいのに、
敢えてそう言った亮太の顔は、どこが愁いを帯びていた。


麻丸。
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