「不器用な優しさ」
「不器用な優しさ」
「お待たせしました。」
美容室の入り口の待合室のソファーで雑誌を読んでいると、
ヘアメイクと着付けを終えた京子が、彼方の前に現れた。
「どうですか?」
優樹が選んだ、派手なピンク色の花柄の浴衣。
浴衣に合わせて、上品に結った短い黒髪。
枝垂桜のような簪を挿して、京子は少し恥ずかしそうに目を逸らす。
浴衣に着飾った京子に、彼方は口をポカンと開ける。
恥じらう様子が、いつもの京子と違って、
やけに可愛らしく見えて、目を奪われた。
「すごい…馬子にも衣裳ってやつだね。」
彼方は、呆然としたまま、言葉を洩らす。
浴衣一つで、人はここまで変わるのかと、驚いていた。
「それ、褒めてませんよね…。」
京子はガッカリしたように肩を落とす。
一応、京子も女の子だ。褒められるのを期待していたのだろう。
「いやいや、可愛いと思うよ?」
彼方は、慌てて京子を褒める。
しかし、それがわざとらしすぎたのか、京子は呆れたようにため息を吐いた。
「こんな派手な浴衣…なんか恥ずかしいです…。」
そう言って、京子は恥ずかしそうに、浴衣の袖で顔を隠す。
ド派手なピンク色に、大袈裟すぎるほどの花柄。
優樹のセンスは、少しズレている。
「僕は『もっと大人しい色の方がいい』って、言ったんだけどね、
優樹さんが『女の子は絶対ピンク!誰が何と言おうとピンク!』って。」
彼方は優樹との浴衣選びを思い出して、呆れながら、京子に説明する。
優樹が次々と手に取ったのは、奇抜でド派手なものばかりだった。
「なんで止めてくれないんですか…。」
袖の隙間から少し顔を覗かせて、京子は恨めしそうに、彼方を睨む。
「優樹さんが、僕の意見を聞くと思う?」
その言葉に、京子は大きくため息を吐いた。
花火大会の会場で合流した優樹は、上機嫌だった。
この花火大会は、県内一大きな花火大会で、
歩行者天国になった沿道沿いには、様々な屋台がたくさん並んでいたからだろう。
花より団子、花火より屋台。子供のような思考だ。
「かき氷くおーぜ!何にする?俺ブルーハワイ!」
そう言って、優樹はハイテンションで、かき氷の屋台に駆け寄る。
「なんでお兄ちゃん、そんなに奇抜なものばっかりなの…。」
京子はそんな優樹に呆れながらも、
浴衣のせいで狭くなった歩幅で、優樹の後に続く。
「いいじゃん!せっかくだし!」
浴衣を選んだ時にも思ったが、優樹はとにかく奇抜で派手なものが好きだ。
そして、年の割に、無邪気で自由な振る舞いをする。
「もー…。私はレモンかなあ。彼方さんは?」
「僕はメロン味が好きかな。」
そう即答した彼方に、京子は不思議そうな顔を見せた。
「彼方さん、これは色が緑なだけで、メロンの味なんてしないんですよ。」
そう言って、京子は緑色のシロップを指さす。
「え?そうなの?」
そんな京子の言葉に、彼方は不思議そうに首を傾げる。
「そうですよ。イチゴも、メロンも、着色料が違うだけで味は一緒ですよ。」
そう説明する京子の横で、
優樹は笑いを堪えるように、口元を手で覆っていた。
「彼方…お前、もしかして…
メロンパンにメロンが入ってると思ってるタイプか?」
少し馬鹿にしたように、優樹は口に手を当てたまま彼方に問う。
「違うんですか?」
意味がわからない、という顔で彼方が答えると、
優樹は噴き出すように笑いだした。
「うわー、馬鹿ですね。」
「ぷっ…お前…可愛いな…。」
呆れる京子の隣で、優樹は少し乱暴に彼方の頭を撫でて、無邪気に笑った。
それから、色々な屋台を巡った。
花火なんてそっちのけで、たこ焼き、焼きそば、綿菓子を食べて、
射的や、くじ引きなども、夢中になって何度も挑戦した。
子供のように無邪気に大はしゃぎする優樹を見て、
彼方と京子は呆れながら、それでも楽しくお祭りを満喫した。
ふいに携帯電話がメールを受信する。
彼方は立ち止まってメールを確認すると、店の客からだった。
突然店が休みになって、客に断りのメールを入れたけれど、
今日は土曜日で、自分の客だけで10人以上も来店する予定だった。
受信ボックスを見ると、他の客からも、
次の来店や、同伴の約束をするメールが何通も返ってきていた。
チラリと前を見ると、優樹と京子は楽しそうに屋台を見ている。
ちょうどいい。京子に気を使って、二人きりにしてあげよう。
そう思った彼方は、人混みの隅に立ち止まり、メールを返し始めた。
彼方は、そんなにマメな方じゃない。
こういうチマチマとメールを返す作業が、苦手だった。
メールなんてしないで、店に来ている時に、次の約束をすればいいのに。
来店や同伴など、仕事に関するメールならまだいいけれど、
どうでもいいような日常的な内容のメールを送ってくる客もいて、
いちいちそんなメールを返すのは面倒だな、と彼方は思う。
まあ、そう思ってしまったら、こういう商売はできないわけで、
彼方は必要最低限だけ、メールのやり取りをしていた。
「あれ?彼方君?」
ふいに、誰かに声を掛けられる。
その声は、よく知ったゆるい声で、久しぶりに耳にする声だった。
「あ…千秋ちゃん。」
顔を上げると、同じクラスの矢野千秋が、林檎飴を持って立っていた。
千秋は、白い浴衣姿で、普段学校で見る制服姿とは違い、少し大人っぽく見えた。
大人しい色合いで、あまり強く主張しないシンプルな花柄。
京子も、こういう浴衣ならもっと可愛いのに、と彼方は思った。
「彼方君も、こっちの花火大会来てたんだねー!私も友達と来たんだー。」
千秋は、嬉しそうに微笑んで言う。
少し先には、こちらを窺う千秋の友人らしき少女たちもいた。
「ああ、うん…まあね。」
目を逸らして、気まずそうに答える。
学校の人間に色々バレるのはマズい。
「もしかして…日向君も、一緒?」
千秋は、周りをキョロキョロと見渡しながら言う。
あまり優樹と一緒にいるところを見られるとマズい、
そう思った彼方は、慌てて否定する。
「あ、いや!…日向はいないよ。」
その言葉に、千秋は残念そうな顔をした。
「そっか。また日向君に浴衣、見せられなかったなあ。」
肩を落として、千秋はポツリと、小さな声で呟く。
その言葉が、少し引っかかった。
「また?」
彼方が首を傾げて聞くと、千秋はおずおずと、たどたどしい口調で語りだした。
「うん、前にね、学校の近くの神社の夏祭りのときにね、
みんなで一緒に行く約束をしてたんだけど…
前日になって、やっぱり彼女と行くからって…言われちゃって…。」
千秋は、林檎飴の棒をクルクルと指で回しながら、
少し暗い表情で言葉を紡ぐ。
日向はちゃんと、百合と恋人として過ごしているのか。
望んでいたはずなのに、心が痛い。
日向の隣は、自分だけのものだったのに。
「せっかく日向君に、どんな浴衣が好き?って聞いて、
白いのがいいって言われたから…これにしたんだけどね。
見てもらえなかったや…。」
そう言って、千秋は少し困ったように微笑む。
ああ、そう言えば千秋も日向に好意を抱いていたように見えた。
健気に、日向好みの浴衣まで買ったのに、千秋もフラれてしまったのか。
自分も千秋も、日向のことが好きなのに、報われない。
「そうなんだ…。似合ってると思うよ。可愛い。」
彼方は微笑んで、夜の仕事ですっかり言い慣れた、
見え透いたお世辞を呟く。
「本当?ありがとう!」
けれど、彼方の言葉に、千秋は疑うこともなく、嬉しそうに微笑んだ。
「もー彼方さん!勝手にどっか行かないでくださいよ…って…。」
遠くから京子が彼方を見つけて駆け寄ってくる。
しかし、彼方が千秋と話しているのを見て、京子はその場にピタリ立ち止まった。
「あ…京子ちゃん…。」
「え?彼方君の彼女…?」
千秋は驚いたように、彼方と京子を交互に見て、不思議そうに首を傾げる。
マズい。千秋に、京子との関係を、変に勘繰られるわけにはいかない。
これ以上、千秋の傍にいたら、ボロが出てしまう。
「…違うよ。ただの友達。」
そう素っ気なく言うと、彼方は千秋に背を向ける。
「僕、人を待たせてるから。…じゃあね。」
「え…彼方くん…?」
そのまま彼方は、振り返りもせずに、人混みの中へと紛れる。
余計なことを言わないように、余計な疑いが掛からないように、
今は、千秋と口を聞かない方がいい。
人混みに紛れて、千秋が見えなくなると、彼方は安堵して溜息を吐いた。
そして、気まずそうに立ち尽くす京子を見つけて、声を掛ける。
「優樹さんは?」
彼方が千秋を連れていないことを確認すると、
京子も安心したように、息を吐いた。
「向こうで、金魚すくいに夢中になってます。」
そう言って、京子が指さしたのは、子供たちが群がる金魚すくいの屋台だった。
優樹はその輪の中心で、周りの子供たちと競っているのか、
楽しそうに大声で笑っていた。
「…ホント、たまにあの人が年上に思えないときがあるよ…。」
「それは同感です…。」
彼方と京子は、子供以上に無邪気にはしゃぐ優樹を見て、肩を落とした。
優樹は、そんな二人の様子を知ってか知らずか、
子供たちとの金魚すくいバトルは、熱を増していった。
今だけは他人のフリをしよう、と二人は思って、
金魚すくいの屋台から、少し離れたところで優樹を見守った。
「さっきの、学校の人ですか?」
浴衣も着慣れたのか、先程までの恥じらいもなくなって、
京子はいつもの澄ました顔で言った。
「ああ、同じクラスの女の子だよ。」
彼方は、金魚すくいにはしゃぐ優樹を、遠目で見ながら答える。
「余計なこと言ってないでしょうね?」
「大丈夫。何も言ってないよ。」
じーっと、訝しげに彼方の顔を見つめる京子。
当然だ。夜の仕事をしているなんて、バレるわけにはいかない。
「もしバレたら、お兄ちゃんの立場まで危うくなるんですからね。
ちゃんと上手くやってくださいよ。」
京子が心配しているのは、彼方のことではない。
彼方が年齢を詐称して夜の仕事をしていることがバレて、
非難の矛先が兄に向くことを、京子は恐れている。
京子がこんなに必死になるのは、兄のためだけだ。
「わかってる。迷惑はかけないよ。」
彼方は困ったように笑った。
結局、優樹は20回以上も金魚すくいに挑戦し、
50匹以上の金魚を掬ったが、「飼えないから」と言って、
一緒に金魚すくいに白熱していた子供たちに配った。
せっかく何千円もつぎ込んでいたのに、と京子は呆れたが、
金魚貰った子供たちの嬉しそうな顔を見て、優樹は満足そうに微笑んでいた。
そして、花火も全て打ち終わり、屋台も終い支度を始めたころ、
彼方たちも帰路に着こうと、沿道沿いを歩いていた。
「いてて…。」
突然、京子が足を押さえてうずくまった。
「どうした?」
優樹と彼方は、うずくまった京子に駆け寄る。
押さえた足を見ると、酷い靴擦れをしていた。
「わー、痛そう…。草履なんて、履きなれないもんね。」
痛々しい傷に、彼方は顔をしかめる。
優樹は顎に手を添えて、少し考えるそぶりを見せる。
「ん。」
そう短く言って、優樹は京子に背を向けて、しゃがみ込む。
「え…?何?お兄ちゃん。」
突然のことに、京子は意味がわからないというように首を傾げる。
「何って…おぶってやるよ。」
「え、いいよ!いい!」
平然と言い放った優樹に、京子は顔を真っ赤にして拒否した。
「ばーか。そんなんじゃ、歩けねーだろ?ほら。」
そうぶっきらぼうに言って、優樹は手をバタバタと振って催促する。
「わ、私重いし…!」
京子は真っ赤な顔のまま、手を左右に降って、尚も拒否する。
「あーもう。5秒以内にこねーと、おぶってやらねーぞー。
ほら、はーやーくー。」
優樹はじれったそうに、更に両手をバタバタと振る。
「ええ…っ。」
「ほら、京子ちゃん。せっかくだから、おぶってもらったら?」
躊躇う京子に、彼方はニヤリと笑う。
優樹のことが好きなら、いいチャンスではないか。
どうしてそんなに頑なに、拒否するのか。
「なんか…恥ずかしいじゃない…。」
京子はそう言って、真っ赤になった顔を両手で覆って隠す。
「何言ってんだ。昔はよくおんぶしてやっただろー?」
優樹は顔だけを振り返らさせて、
子供のように尻込みする京子を見て、呆れたように呟く。
「それは、小っちゃい頃の話でしょ?私、もう大人だもん…。」
京子は顔を隠したまま、小さく呟く。
「お前はまだまだ子供だろ?」
子供のようにイヤイヤ、と首を振る京子に、
優樹は大きくため息を吐いて、立ち上がる。
「あーもう、仕方ねえなあ。」
そう言って、優樹はしゃがみ込む京子を、軽々と持ち上げる。
両手で京子を抱えて、まるでお姫様だっこのような状態だった。
「あ、ちょっと…!や、やだ!お兄ちゃん…!」
京子は驚いた様子で、手足をバタつかせる。
しかし、優樹の腕は力強く、ビクともしないようだった。
優樹は涼しい顔をして、京子を抱えたまま、歩き出す。
「はいはい。あぶねーから暴れるな。
…やっぱ、ちょっと重いなー。」
軽い調子で優樹がそう呟くと、京子は大人しくなり、
恥ずかしそうに、小さく言葉を洩らす。
「だから言ったのに…。」
京子は真っ赤な顔で、優樹から目を逸らす。
恥ずかしくて、まともに優樹の顔が見れないのだろう。
「昔は、もっと軽かったのになー。」
「だから…それは、子供の頃の話でしょ…。」
京子は唇を尖らせて、拗ねたような仕草を見せる。
そんな京子の様子を見て、優樹は何かを考えるように目を伏せた。
「そーだな。…まー、それだけ京子が成長したってことだなー。」
そう言って、優樹は満足そうに微笑んだ。