「それぞれの特別」

「それぞれの特別」



結局、花火大会の後、
優樹が「重い。やっぱ無理。彼方、タクシー捕まえて。」
と言いだして、タクシーで優樹のマンションまで帰った。
さすがの優樹も、京子を抱えたまま家までの距離を歩くのは辛かったのだろう。
思えば、力仕事はいつも誠に任せていた気がする。
子供たちとはしゃぐ体力はあっても、力仕事は苦手みたいだ。

マンションまで着くと、
「俺まだ用事あるから、二人は帰って待ってて。」と言って、
タクシーに乗ったまま、優樹は何処かへ行ってしまった。
相変わらず、自由奔放な人だ。
けれど、まだ京子の誕生日祝いの準備があるのだろう。
優樹がケーキや花を持っていた様子はなかったし、今から買いに行くのか。
京子は少し残念そうな顔をしたが、浴衣をもらって、
優樹と一緒に花火大会まで行けたのが嬉しかったのか、何も文句は言わなかった。

マンションに帰った直後に、彼方の携帯電話に優樹から、
「0時ピッタリにインターフォン鳴らすから、京子に扉開けさせて。」
とメールで指示が来ていた。
時刻は23時。彼方は何も知らないふりをして、京子とリビングで過ごしてた。

「あーもう!すっごいドキドキした!なんなの!?もう!」

京子は興奮が醒めない様子で、クッションを抱えてソファーに座り、
浴衣を着たまま、足をバタバタとバタつかせていた。

「あはは。優樹さん、カッコよかったよねえ。」

彼方はいつもと違う、恋する乙女のような、いや、実際そうなのだが、
可愛らしい様子の京子を見て、おかしそうに笑う。

「もー意味わかんない!なんで平気そうにあんなことできるの…。」

京子は恥ずかしそうに、クッションに顔を埋める。
まだ少し、顔は赤いままだった。

「確かに、あんなことされたら惚れちゃうよねえ?」

彼方は茶化すように、意地悪な笑みを見せる。
珍しく恥じらう京子を、からかうのが楽しかった。

外でお姫様抱っこなんてそうそうできるのもではない。
優樹は京子が惚れていることを知ってか知らずか、平然とカッコいいことをする。

「…馬鹿!」

そう言って、照れ隠しのように、
真っ赤な顔の京子は、両手で抱えていたクッションを彼方に投げる。

「もー。そんなに照れなくたって、いいじゃない。」

彼方は投げられたクッションを上手くキャッチして、恥じらう京子を笑う。

「あんなことされたら、恥ずかしいに決まってるじゃないですか!」

興奮も覚めないまま、京子は叫ぶように言った。
照れ隠しも、八つ当たりも、紙一重だ。
けれど、クールに澄ましている顔より、こうして感情を出している京子の方が、
何倍も人間らしくて、いいと思う。

しかし、その表情はすぐに曇った。
京子は肩を落として、大きな溜息を一つ吐く。

「でも…誰にでも、あんなことするのかなあ…。」

先程とは違う、しょんぼりとした様子で、京子は小さく呟く。

優樹のあの行動が、
『自分だけに向けられたものではないのかもしれない』
と、不安になったのだろう。

「京子ちゃんだけだよ。きっと。」

彼方は、優しい声で京子に言う。
優樹のことで、一喜一憂する京子が、何故か可愛らしく見えた。

「それは…わかんないじゃないですか。
 別に、私が特別ってわけでもないし…。」

京子は肩を落としたまま、俯いて不安そうな声を洩らす。

優樹が夜の仕事をしているということも、
京子の中で、大きな不安要素の一つなのだろう。

「そんなことないよ。
 優樹さんは、誰にでもあんなことするような人じゃないよ。
 京子ちゃんは、優樹さんの特別だよ。」

優樹は、彼方とは違う。
彼方のように、客に甘い言葉なんて吐かない。
彼方のように、毎晩アフターなんてしない。
ただおちゃらけて、賑やかに話して、酒を飲んでいるだけだ。
彼方とは違い、真っ当に仕事をしている。

「やめてくださいよ。…勘違いしそうになる。」

ポツリと、京子は少し辛そうに呟く。

京子は自分の恋心を隠して、何も言わずに優樹の傍にいることを決めたのに、
彼方にそんなことを言われたら、期待してしまいそうで、不安になる。

「まあ、『妹として』、特別だと思う。」

優樹の京子に見せる態度は、客に向けるものとは違う。
少しぶっきらぼうだが、京子にだけは特別な優しさを向ける。
それは一人の女性としての『特別』ではなく、
唯一の肉親、『妹』としての、特別だろう。

「お兄ちゃんからすれば、私はまだまだ子供なんですよ。」

そう言って、京子は拗ねたように唇を尖らせる。
確かに、優樹は少し京子に過保護だし、子ども扱いをしているような気もする。
けれども、だからこそなのか、優樹は何よりも一番に、京子のことを考えている。
紛れもなく、京子のは優樹の『特別』なのだ。

ピンポーン

そんな話をしていると、インターフォンが鳴る。
時刻を見れば、まもなく0時を迎えようとしていた。

「あ、京子ちゃん出てよ。」

きっと、優樹だろう。
彼方は、京子に玄関を開けることを催促する。

「嫌ですよ。なんで私が。」

京子は嫌そうな顔をして、そっぽを向く。

「いいから、ほら早く。」

そう言って、彼方は京子の手を引いて立ち上がらせる。

ピンポーン
ピンポーン

玄関の扉の向こうの訪問者はしびれを切らしたのか、
再びインターフォンを鳴らす。

「ちょ、ちょっと…!こんな時間にインターフォン鳴らすって、
 きっと、まともな人じゃないですよ?」

京子は慌てた様子で、彼方の手を振り払う。
確かに、普通なら京子の言う通り、
こんな時間にインターフォンを連打する人間はまともじゃないと思う。
けれど、彼方はインターフォンを鳴らしている相手が、わかっていた。

「大丈夫だから、開けてあげて。」

そう言って、彼方は京子の背中を押して、玄関へと向かわせる。

「もーなんなんですか…。」

京子は呆れた様子で、彼方に促されるまま玄関に向かう。
鍵を開けて、恐る恐るドアノブを握ると、

「「はっぴーばーすでい!!!」」

扉を開けるのと同時に、クラッカーが鳴り響く。

「へ?」

現れたのは、大きな紙袋をたくさん抱えた優樹と、
夏休み中と称して、一週間仕事を休んでいた誠だった。
いきなりのクラッカーの音と、二人の登場に、
京子は目をパチパチとさせて固まってしまう。

「京子、誕生日おめでとう。」

そう言って優樹が差し出したのは、真っ赤なバラの花束。

「お兄ちゃん…これ…。」

京子は呆然とした表情で、その花束を受け取る。
言葉を無くすほど、嬉しかったのだろう。
京子は少し泣きそうな表情で、口を噤んだ。

「まー、俺から見たら、京子はまだまだ子供だけどなー、
 今日は誕生日だから、ちょっとだけ背伸びさせてやるよ。」

そう言って、優樹は少しだけ照れくさそうに、頬を掻く。
照れている優樹が珍しいのか、誠は茶化すように笑った。

「優樹君が『絶対これやりたい!』って言ってさー、
 この時間に空いてる花屋さん探すの、大変だったんだよ?
 ほら、歳の数のバラの花束、ロマンチックでしょ?」

よく見れば、その花束は17本のバラで構成されていた。
京子の歳の数の、豪華なリボンなどの装飾をされたバラ。
まるでそれは、プロポーズの演出のようにも見えた。

「お兄ちゃん…こんなの恥ずかしいでしょ…。」

悪態をついたのは、照れ隠しだ。
震える声で呟いた京子の瞳は、少し涙が滲んでいた。
そんな京子を見て、優樹は安心したように微笑む。

「よっしゃ!今日はお祝いだ!飲むぞ!騒ぐぞー!」

そう言って、優樹は持っていた紙袋から、日本酒の瓶を取り出して見せる。
その紙袋には、他にも数種類の日本酒の瓶が、顔を覗かせていた。
京子の誕生日祝いではなかったのか。
彼方は呆れるように肩を落とした。

「優樹さん…。京子ちゃんの誕生日って言う理由をつけて、
 ただ騒ぎたいだけなんじゃないの…。」


それからみんなで、優樹と誠が買ってきた御馳走を食べた。
どこで買ってきたのか、オードブルや、生ハムが入ったサラダ、チキン、ピザなど、
誕生日のお祝いに相応しいような、豪華な食卓だった。

そして、優樹が楽しみにしていた、高い日本酒の飲み比べもした。
高いだけあって、飲みやすいものや甘いもの、香りがいいもの、
色々な種類があって美味しかった。
優樹と誠、そして彼方が日本酒を飲んでいると、京子は「私も一口だけ」と興味を示したが、
優樹が「未成年だからダメだ。」と言って、京子に飲ませることはなかった。
色々飲み比べて、誠が「この日本酒美味しいねー」と言い、
「そうだろ?レアものだぜ?」と優樹が自慢げに言うのを見て、
京子が少し羨ましそうに自分を睨んだのは、気のせいであってほしいと、彼方は思った。

優樹の隣に京子が座り、その向かいのソファーに彼方と誠が座って、
食事をしながら、トランプで遊んだりもした。
ババ抜きでは、全くポーカーフェイスができない優樹が負け続け、
大富豪ではカード運がいいのか、誠が革命を繰り返し、勝利を独占し続けた。
神経衰弱ではお酒を飲んでいないせいか、もともと記憶力がいいのか、京子の独り勝ち状態で、
彼方は全てのゲームで、一位でも最下位でもない、中途半端な位置をキープしていた。

京子は、いつもの澄ました顔でいられないほど、ニコニコと終始喜んでいた。
他愛のない話をして、京子以外の3人は日本酒の一升瓶を3本も空にして、
ケーキが出るころには、優樹はすっかり酔っ払っていた。

「ほら京子。あーんしてやろうかー?」

優樹は生クリームがたっぷりとついたケーキをフォークで掬って、
京子の目の前に差し出して微笑む。

「そういうの、いいから。」

京子は一瞬だけ、驚いた顔をした。
しかし、素っ気なく目を逸らして、拒否する。

「遠慮するなって!ほれほれほれー!」

イヤイヤと、顔を背ける京子に、優樹はぐいぐいとフォークを押し付ける。
京子の頬には、生クリームがついてしまった。

「あ、ちょっと…!」

優樹はそんなこともお構いなしに、ケラケラと笑いながら、
無理矢理ケーキを京子の口にねじ込む。
京子は恥ずかしそうな顔をしながらも、そのケーキを飲み込んだ。

「あーもう…べったべた…。」

酔っ払った優樹のせいで、頬だけではなく、
口元や鼻先までにも生クリームがついてしまった。
鼻先の生クリームを指で拭って、京子は呆れた様な表情を見せて、
手を伸ばし、ティッシュを掴もうとする。
しかし、伸ばした京子の手は、優樹によって阻まれた。

「京子、ちょっと待って。」

優樹はそう言って、京子の手を掴んで、
ぺろりと、京子の頬についた生クリームを舐め取った。

「な…っ!?お兄ちゃん…っ!」

京子は顔を真っ赤にして、優樹に舐められた頬を、手で押さえる。
驚いたように口をパクパクさせて、何も言えないようだった。

「ははっ!顔真っ赤!京子は可愛いなー!」

そう言って、優樹は大笑いしながら京子の頭を撫でる。
恥ずかしそうに黙って俯く京子を見て、彼方と誠は顔を見合わせて笑った。

誠は京子の気持ちを知っているのだろうか。
それともただ、赤くなって照れている京子が面白いのか。
いつでもニコニコと明るく、社交的で、よく喋る男。
けれど彼方の中で、誠は未だに謎に包まれている人物だった。
それはいつも優樹が傍にいて、誠と二人きりで話すことがなかったから。
時折、自分を窺うように、観察するように見る視線。
どこか不思議な雰囲気を持っている男だった。

酒が入ると、優樹も誠も煙草を吸うペースが多くなる。
二人とも一日二箱以上は軽く吸う、ヘビースモーカーだった。
酒を飲みながら、楽しく話しながら、常に煙草を手に持ってふかしている。
吸っているのか吸っていないのか、火を点けて消す。
消したらまた火を点ける。その繰り返しだった。

そんな二人を見て、彼方もポケットから煙草を取り出して、火を点ける。
紫煙が揺らめくと、バニラの甘い香りがする。

「…あれ?彼方君、煙草吸ってたっけ…?」

誠は少し驚いたように、彼方を見る。

そういえば、煙草を吸い始めたのは、誠が夏休みに入ってからだった。
誠が驚いたのは、非喫煙者だった自分が、急に煙草を吸い始めたからだろう。
気分転換で吸い始めた煙草は、最初はむせて咳き込んでいたが、
今ではすっかりむせることもなくなった。

「ちょっと前から、吸い始めたんです。」

彼方は紫煙を吐き出して、答える。

「ふうん。…そうなんだ。」

誠は何か考えるように、瞳を伏せて、小さな声で呟いた。

「それ、弟君の前では…吸わない方がいいよ。」

「…え?」

彼方は驚いて、小さな声を洩らす。

その言葉の意味は、どういうものなのだろうか。
弟君、というのは日向のことだろう。
『自分は二十歳で高校三年生の弟がいる』という設定。これは誠にも話した。
けれど、誠の言葉が、やけに気になった。
もしかして、誠には、彼方が未成年だということが、バレてしまったのだろうか。
だとしたら、優樹もいる今この場で、余計なことを言われるわけにはいかない。
優樹はポーカーフェイスが苦手で、嘘も吐けない。
そんな優樹が自分を疑う様子はない。
それなら、優樹には自分の本当の年齢もバレていないはずだ。
どうにか、誤魔化さなければ。

彼方は紫煙を肺に入れながら、酒に酔った頭で必死に考える。
動揺が伝わらないように、煙草を持った手で口元を隠す。
どうしよう。どうすれば。何と言えば誤魔化せる?
奥歯を噛み締めて、必死に思考を凝らす。

しかし、顔を上げた誠は、にこやかな笑顔だった。

「だって弟君、未成年でしょー?」

おどけるように笑った誠に、彼方は拍子抜けした。

ただ誠は、「未成年の前で、煙草を吸うのはよくない」ということを、言いたかったのだろう。
てっきり彼方は、自分が隠していることが、
全て誠にバレてしまっているのではないかと思ってしまった。

なんだ、緊張して損をした。
そもそも、秘密を知っているのは、自分と京子だけだ。
例え酔っていたとしても、自分が自ら口を滑らせることなんてないし、
京子だって利口な女だ。わざとバラすようなことは、しないだろう。
そんなことをしたら、大好きな兄の立場が危うくなる。
大丈夫だ。京子は信用できる。口を滑らせることはない。

意識しすぎだ。
少し、神経過敏になっているのかもしれない。
誠の言葉に、深い意味なんてないだろう。
そんなことを思いながら、彼方は安心したように肩を落として、深く紫煙を吐く。

「ああ、そうですね…。」

取り繕うように笑顔を作れば、誠はいつもの調子で茶化すように微笑む。

「優樹君もだよ!京子ちゃんの前でスパスパ吸ってさー。」

そう言って、誠も煙草に火を点ける。
優樹はそんな誠を見て、呆れたように呟いた。

「いや、お前もだろ。」




京子の誕生日パーティーは、優樹が酔い潰れて眠ったことで、お開きになった。
優樹以外の三人で後片付けをして、誠は自分の家へと帰って行った。
先程までの賑やかな様子が、嘘みたいに静かになった部屋で、
彼方は余った日本酒が入ったグラスに口をつける。
京子の誕生日だから奮発したのか、高い日本酒は甘くて美味しかった。

「今日はよかったね、京子ちゃん。」

優樹は、京子の隣でソファーに凭れかかって、静かに眠っていた。
そのまま寝かせたら風邪をひくだろうと思って、ブランケットをかけたけれど、
暑いのか、優樹は何度ももぞもぞと身動きをして、ブランケットを落とした。

「誕生日のお祝いって言うより、
 お兄ちゃんがただ騒ぎたかっただけ、みたいでしたけどね。」

そう言いながら、京子はすやすやと眠る優樹に再びブランケットをかける。
静かに眠る勇気を見つめる瞳は、嬉しそうだった。

「…なんか、羨ましかったな。」

彼方は日本酒が入ったグラスを静かにテーブルに置いて、小さく呟く。

たとえ恋が叶わなくても、こうやって優樹の傍で、
仲良く誕生日を祝われている京子が、羨ましかった。
日向の傍にいられない自分とは違う。
京子は、好きな人の傍にいることを許されている。望まれている。

「そう思うなら、会いに行けばいいのに。」

京子は呆れたように、ため息を吐く。

会いたい。会えない。傍にいたい。傍にいられない。
自分は、いつもその繰り返し。
京子に呆れられるのも、当然だ。

会いに行く勇気がない。
拒絶されるのが怖い。
けれど、やっぱり、日向に会いたい。触れたい。愛してほしい。

「うん…。そうだね…。」

彼方は、背中を丸めて、俯く。

もう一度くらい、日向に会いに行ってもいいだろうか。
日向は、自分を受け入れてくれるだろうか。
以前のように、笑いかけてくれるだろうか。

たくさん、たくさん、日向を傷つけて、突き放した。
これがワガママだということは、充分わかっている。
けれど、少しくらい、日向の傍にいることを許してほしい。


そんなことを思いながら、
彼方はグラスに入った日本酒を、静かに飲みほした。

麻丸。
この作品の作者

麻丸。

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