~取引・②~
やがて、決意したように目を開くと、
「……期限はいつまでだ?」
肯定の意を暗に示す言葉を、放った。
その瞬間、静寂に包まれていたはずの周囲は一気に沸き立ち、全員が口々に騒ぎ立てる。
「まぁ、明確に指示することはできないがすぐにでも実行してほしいところだな。いずれは噂が広まって、国に知られちまう。そうなったらお終いだからな」
「わかった。すぐにでも行こう」
「ちょ、ちょっとナギ!? あんた何言ってるの!?」
その言葉を聞いたティアお姉ちゃんは、慌てた様子でナギお姉ちゃんに語りかける。
言葉をかけられた本人は振り向くと、青い瞳と黒い瞳が視線を合わせた。
「自分の言ってることくらい理解してるさ。この依頼は運が良ければただの調査、悪ければ『ドラゴン退治』……そういうことだろう?」
「そうだけど、そうだけど、そうだけど! ああもうなんでそんなに落ち着いてるのよ、ムカつくわね!」
焦燥するティアお姉ちゃんとは対照的に、ナギお姉ちゃんは冷静なままで返答する。
わたしは、ナギお姉ちゃんがどうしてそこまで平静を保ったままでいられるのかわからなかった。ナギお姉ちゃんの凄さはこの目で見ているが、今回挑む相手はエールケニッヒなんかとはワケが違う。
それくらい、彼女ほどの実力者なら重々理解しているはずなのに。
「――ようやく見つけた手がかりだ。これくらいのことで立ち止まってしまったら、二度と辿りつけない……何をしてでも私は目的を果たす、それだけだ」
「『これくらい』ってなに!? サムライにとってドラゴン退治なんて日常茶飯事なの!? 目的があるとしても、少しは命を大事に……って何サインしてるわけ!?」
「店主。これで大丈夫か?」
「ああいいぜ。せいぜい朗報を楽しみにしとくよ、仏の騎士様」
悲鳴のような怒声をあげて制止しようとするティアお姉ちゃん。でもナギお姉ちゃんはそんなことなど何も聞こえていないように無視し、もらったペンで依頼書にサインをしてしまった。
書面に記入されたサインを見てニヤリと笑うと、店主さんは手渡された書類を受け取ろうとする。
「~~~~~~~~~~~っ、ナギ貸して!!」
見かねたティアお姉ちゃんは何を思ったのか立ち上がると、店主さんに今そこで手渡されようとしていた書類とペンをナギお姉ちゃんの手からふんだくる。
何事かと茫然とするナギお姉ちゃんだったけれど――ティアお姉ちゃんが、ナギお姉ちゃんのサインの下に自分も名前を記入しているのを見た途端、目を見開いて叫んだ。
「なにしてるティア! そんなことしたらお前――」
「ええいうるさいわね、綺麗に字が書けないじゃない! ハイ店主、私もこの討伐依頼参加するからよろしく!」
文句を言いながらも乱雑に自分の名前を書き殴り、ティアお姉ちゃんは店主さんの目の中に突っ込むような勢いで、彼の眼前に依頼書を突きだす。
受け取った店主さんは呆気に取られて棒立ちし、ナギお姉ちゃんも何をしているのかわからないというように混乱した様子を見せる。そんな二人をよそに、ティアお姉ちゃんは頭を抱えてカウンターに突っ伏した。
「あーもうやっちゃった! ドラゴンなんて遠くから見ることも嫌だったのに! どうしてくれんのよナギ、これであたし死んじゃったらあんたのせいだからね!?」
「いやいやいや、行動と言動が矛盾だらけでメチャクチャだぞ!? というかなんでサインしたんだ、こんな依頼をティアが受ける必要なんて何もなかったのに! 今からでも遅くない、すぐ降りろ!!」
「嫌よ、そんなの知ったこっちゃないわ! あんた見てて危なっかしいし放っておけない、怪我したら私が治すから! もういいわ、付いてってやるわよ、とことん付いてってドラゴンでもなんでも退治してやるわー!」
鼻息を荒げながら、やけくそとしか言いようのない言い分を叩きつけ捲し立てるティアお姉ちゃん。観衆はもちろん、今までその冷静な表情を崩すことがなかったナギお姉ちゃんすら唖然として彼女を見ている。
が、すぐにナギお姉ちゃんはハッとして――多分、考え直すように呼びかけようとしたんだと思う――何かをティアお姉ちゃんに言おうとした。
けれど、言葉が口から出る寸前に、ティアお姉ちゃんは叫んだ。
「嫌なのよ! 誰かが死んだことを聞くのも、見るのも! もうたくさん!!」
最後の最後に吐き出された、ティアお姉ちゃんの本音。
その声は、今まで聞いたどの言葉よりも苦痛に満ちた、悲痛なものだった。
その気迫に誰も口を挟むことが出来ず、涙目になったティアお姉ちゃんをただ見つめることしか出来なかった。
息を荒げ、言いたいことを全て言い切ったティアお姉ちゃんは再び席に座ると他のみんなから目を逸らす。
「……キッチリ守ってよ、サムライなんでしょ。やるべきことは最後までやり通してもらうからね」
ふてくされたように、ボソリと呟かれた一言。
それを聞いたナギお姉ちゃんは目を伏せると呆れたように嘆息し、その言葉に応える。
「……サムライじゃないってのに……全く」
もう言っても無駄だと悟ったのか、ナギお姉ちゃんはティアお姉ちゃんに思い止まるよう説得することはなかった。
誰もが予想だにしていなかった展開についていけず、二人以外の時間が止まったように酒場は静まりかえる。
静寂が辺りを包み込んだその時。それは、またまた予想外な人物が口を開くことで破られた。
「おい、店主」
ティアお姉ちゃんの隣から響いた、低い男の人の声。
それを耳にした全員が、聞こえてきた方へと視線を移した。
沈黙を破る声をあげた主。それは、ティアお姉ちゃんの隣に座った、橙色の髪の男の人だった。
取引の時からずっと口を閉ざしたままだった彼が言葉を発したことが意外だったのか、店主さん、ナギお姉ちゃん、ティアお姉ちゃんは目を見開いて彼を見つめる。
「……依頼料の代わりにこの依頼を遂行するという契約……それはあんたとナギの間だけにあるものと考えていいんだな?」
「……まぁ……そうなる、な……」
男の人が投げかけた質問に、店主は言いにくそうに肯定の言葉を返す。
それを聞いた途端、男の人はカウンターの向こう側に――もっと言えば、店主さんが持っている書類に右手を伸ばす。
「じゃあ成功すれば、ナギを除く承諾者は報酬がもらえるということでいいな。俺も参加する、その紙とペン寄越せ」
「あー! 何よあんた、今の今まで何もしゃべらなかったくせにこういう時だけ参加するってわけ!? ずるいわよ!!」
会話の内容を耳にすると、ティアお姉ちゃんは憤怒して男の人に怒鳴りかかる。
でも、男の人は怯むどころかむしろ不機嫌そうな顔をして振り向き、お姉ちゃんと向き合う。
「こっちだって路銀は必要なんだよ、当然だろうが。それともなんだ、お前はいらないってのか、報酬」
「何言ってんの、ふんだくるに決まってるでしょ! こんなことタダ同然でやってたまるもんですか!」
「じゃあいいだろ。相手はドラゴンだ、一人でも手勢がいりゃ助かるんじゃねぇのか」
「ムキィィィィッ! 腹立つ、言ってること正しいっちゃ正しいけどあんた腹立つわ! じゃあ名前教えなさいよ、あんた『どうせすぐ別れるから~』とか言っといて黙ったままなんて許さないわよ!」
「ゼクス。じゃあこれでお互い了承得たってっことでいいな。足手まといになるなら切るからな、せいぜい頑張れ」
「あんたってヤツはァァァァァァァァァああああああああああああ!!」
怒声とともに掴みかかろうとするティアお姉ちゃん。
男の人……ゼクスお兄ちゃんはそんなお姉ちゃんを片手で抑えると、もう片方の手で受け取った書類に自分の名前を記入していく。
結果として、道中で知り合っただけの三人……ナギ、ティア、ゼクスの三人が、〝龍の祠〟の調査に身を乗り出すこととなった。
……一人よりかはマシかもしれないけれど。ホントに大丈夫かな。
すぐ近くで喧嘩を繰り広げるティアお姉ちゃんとゼクスお兄ちゃんを横目に、わたしは隣のナギお姉ちゃんと一緒にため息をついたのだった。