第14話『電気羊の夢』

約3年後 241年12月13日 エイシア連邦メントルシュ市国際警察本部4階

「……それで、2人ともどう思う」

 ベージュのパーティションで区切られた国際警察仮想課のオフィスの一角にソフィアとフォリシアの姿があった。
 彼女たちと対面しているのはリコ課長。彼はエイシア陸軍より「派遣」されていた協力員の女性2人にたずねた。

 彼女らは去年の今頃から、ユーリシス・ナイトレイ少佐の命令で国際警察仮想課……通称「バーチャル課」で捜査協力員として働いていた。主な任務は庶務とVR内の監視活動で、退屈なこと続きにフォリシアは身体を動かしたいとウズウズしていた。

 つい数週間前、仮想空間に接続するために必要な「ニューロンギア」のメジャーアップデート版である「M2A」が発表され、一般からのテスターを集ってテストが行われていた。
 以前より仮想空間が犯罪の温床となるのではないか、と危惧していた国際警察は監視を続ける中、一部のネットコードが抜き取られている痕跡を発見し、本格的な捜査に乗り出した。
 その捜査線上で出てきたのが、来年242年4月よりVR空間で正式サービスを予定している「ダークエイジ・オンライン」というMMORPG(多人数参加型ロールプレイングゲーム)のテスター申し込みをしている、他ゲームで「アレス」というキャラクターネームだった。
 彼はエイシア連邦南アセリエに住むアレクシス・フェルナンドという14歳の少年で、今年の3月に「VR空間での倫理観」という論文を提出しており形だけの賞を受賞してはいるが、この界隈では多くの人間の興味を引いていた。
 しかし、問題なのは文章の所々に彼の暗闇の部分が見え隠れしていた点だ。

「私は分析班の方々と同意見です……この程度の論文で彼を有害か無害かを判断できませんので、何とも」

 ソフィアが少し下がっていた銀眼鏡を人さし指でクイッと角度を調節した。パリッとしたスーツに身を包み、タイトなスカートからはすらっとした長い足がのぞいている。
 彼女は「アレクシス・フェルナンド」という中学生の少年が書いた「バーチャルリアリティー空間でのモラルのあり方について」という論文仕立ての文書をリコ課長の机に戻した。

「なるほど。フォリシア君はどう思うかね」

「えっ、えと……」

 同性でも見惚れてしまいそうなソフィアの姿を眺めるのに夢中で、きちんとした回答を用意していなかった小麦色の少女はうろたえた。

「その……課長さんたちが警戒しているのは、過去にオンラインゲームの顧客情報が流出して、自殺者が出たあの事件の再来……ですよね」

「あれは他殺も同然だよ。被害者の女の子は、自宅の目の前で2人組の男に連れ去られて乱暴されたらしい」

 淡々と経緯を語る課長をよそに、フォリシアの中では「乱暴」という言葉に憎悪の炎が燃えさかっていた。

「……許せない」

「フォリシア」

 ソフィアが妹分に落ち着くように言う。

「君の犯罪を憎む気持ちはよく分かるが、感情的になってはいかんよ」

 かなりの場数を踏んでいるリコ課長は、冷静にフォリシアに言った。

「しかし、アレクシス・フェルナンドに監視の目を集めるよりも、全体の動きを監視した方がいいのでは」

「そこで、この文書だ」

 リコはダークブラウンの重厚なワークテーブルの上に1枚の書類を置いた。それは、パソコンのメール内容をそのままプリントアウトしたようで、差出人は不明だった。

「複雑な経路でここまで来たみたいでね。辿れたのはアラーク共和国の田舎までだったんだが。問題は本文だ」

「えーと……アレクシス・フェルナンド。この男が暗黒の時代で目覚める時、世界はその憎悪をもって彼を排除するだろう。……なんですか、これは?」

 紙を手に取ったフォリシアが、文面を確認するように小声で読み上げた。

「公開していない私のプライベートアドレスに届いたものだ」

「差出人に心当たりは?」

 リコ課長にソフィアがたずねるが、彼は首を横に振って「残念ながら、全くない」と返す。

「それで、『暗黒の時代』は来年からサービス開始予定の『ダークエイジ・オンライン』のことでしょうか? あとは……『世界』は彼らのグループのことで、何故憎悪を抱くのでしょう」

 ソフィアが小首を傾げながらリコに聞いた。

「知ってのとおり、ネットには様々な感情が満ちあふれている。それはいい意味でも、悪い意味でも。だ。情報が漏れ、扇動する者がいれば、またあの時のような事件が起きる。それは止めねばならん」

 リコ課長はあの痛々しい事件を思い出したかのように僅かに眉をひそめて言う。

「しかし……VR空間が誕生してまだ日が浅く、法整備も進んでいません。その中、特定の個人を監視など……これが世間に知れれば、違法捜査とバッシングされるでしょう。私は反対です」

「ソフィア!」

 直立不動のままリコ課長に意見する彼女をフォリシアは声を荒げて止めようとするが、ソフィアのアクアマリンの瞳は微動だにせず、ただこの1年間勤めてきた仮想課の上司を見つめていた。

「私はな。未来ある若者たちが苦しむのを、ただ見ているだけなのはこれ以上我慢ならんのだよ」

「お言葉ですが、法の番人であるあなたの言葉とは思えません」

 リコとソフィアは互いに視線を交わすことなく、言葉のみで腹の探り合いをしていた。
「これは私の独断で行う。あなた方にも、私の部下にも。誰にも一切迷惑はかけない。どうか、協力してくれ」

 窓の外の青空を見上げていた課長だが、スッとソフィアらの方へ神妙な面持ちで向き直ると、深く頭を下げる。

「……」

 落ち着かない様子のフォリシアをよそに、ソフィアは即答せずにその身をただ見つめていた。



***

「……受けたくなかった?」

 仮想課が押し込まれている一角から出ると、開口一言目にフォリシアがソフィアにたずねた。

「いいえ。私はあくまで一般職員としての立場で言っただけです。命令とあらば従うまでですよ。行きましょう」

 ソフィアは歩きながら書類を手早くハードケースに入れると、4桁ノ暗証番号でロックを施す。エレベーターに向かう途中、廊下ですれ違う男性職員は「仮想課の新人美女」に視線が釘付けだった。
 小麦色の少女は薄紫色の目を面白くなさそうに細めて、「わたしだって、もう少し身長と胸と肌が……はぁ、色々足りない」と深くため息をつく。
 エレベーターで何階か下り、少し歩くと難無く総務部の配給課まで辿り着いた。ソフィアが受付の女性職員にたずねると、すでに連絡がきていたようですんなりと個室に通される。

「ドラマで見る取り調べ室みたいだね」

 フォリシアはわざと軽い感じで言い、姉貴分に漂う重苦しい空気を引き剥がそうとするが、ビジネスという名のスイッチが入ってしまっていたソフィアは肩に力がかかりっぱなしだった。

「どうもどうも。配給課のレントンです」

 フォリシアがどうしていいものかと1人悩んでいると、甲高い声と共に30歳前後の男性がドアを勢いよく開けて室内へと入ってきた。
 テカテカで不清潔な頭髪、脂ぎった顔、瓶の底のような厚い眼鏡。
 必要以上にはお近づきになりたくないタイプだと2人は思いながらも「私がソフィア伍長で、こちらがフォリシア上等兵です」と自己紹介を軽くする。

「よろしくお願いします。いやいや、こちらとしても軍の方に直接捜査協力していただくなんて前代未聞でしてね。ご存じのとおり、仮想課は誕生から間もなく、正直申しましてあちらに貴重な人員を回している余裕はありませんので、優秀なお二方に来ていただいて助かった次第でして……。それにしても、ネットの殺害予告なんて珍しくないのに、どうしてこんな異例な――……おっと、話が『ちょっと』脱線してしまいましたね。それでは、支給品ですが」

 レントンはそう言いながら、両腕で抱えていたプラスチックコンテナを机の上に置き、ペキペキとプラの爪を折りながら開封する。

「……何ですか、これは」

 ソフィアがその中に詰められた物を見て言葉を失っていた。

「いい質問ですねぇ。さて、そのバッグから説明しましょうか」

 その後、レントンによるどうでもいい説明が長々と始まった。
 要約すると、そこに並べられた品々は南アセリエで一般的に流通している物で、これらを参考に一般人へのカモフラージュを施すように言われた。
 フォリシアはスパイ映画に登場するようなハイテク機器を期待していたのだが、いつだって現実は残酷なもので彼女の淡い期待は見事に打ち破られた。
 中でも2人の興味を引いた物は、女性向けのファッション誌と専用回線に接続できる携帯端末だ。

「必要な連絡以外は使わないでくださいね。彼氏へのラブコールもダメですからねー」

「しっ……しませんよ!」

 ウシシシと笑うレントンに、フォリシアがうわずった声で返す。
 そんな2人のやり取りは耳に入っていないといった様子で、ソフィアは受領書類に目を通しながら黙々とペンを滑らせていた。

「あ、あとですね。ナイスガイな少佐さんから連絡がきましてね『玩具は現地で。15日1200時(正午)ドーマ中央駅噴水前』ということです」

「少佐から?」

 今まで冷静一徹だったソフィアが声を張り上げてレントンに聞き返した。

「いやー、映像通話でお話したんですが軍の人は精悍というか、格好良いですよねー」

 ウシシシと笑うレントン。

「……」
 そんな彼の言葉は頭に入らないといった様子で、ソフィアはペンを握る手にほん少しだけ力を込めた。



***

 2日後 241年12月15日11時57分 エイシア連邦南アセリエドーマ中央駅

「降ってきたねぇ……はむ」

 雪が上空より生まれ出て、緩やかに地上に吸い込まれていく。
 そんな様子を見ながらフォリシアはコートのフードを深く被ると、近くのコンビニエンスストアで買ってきたアセリエ名産の温かい肉饅頭を頬張った。

「あつっ……はふはふ」

「こら。お行儀が悪いですよ?」

 ホワイトスノーのコートを着込んだソフィアが、立ったまま食事をするフォリシアに注意するが、彼女は「カモフラ、カモフラだよ」と聞こうとする気配が全く見られなかった。ソフィアはそんな彼女にため息を1つ。仕方ないので、それ以上は何も言わずに腕時計の秒針を読む作業に戻ることにした。
 ここドーマ中央駅は平日だというのに利用者は多く、ホームからは数分おきに電車がせわしなく発着している。

「3……2……1……今」

「あはは……そんなに正確じゃないと思うよ。って、レコンだ」

 カウントダウンが終わると同時に人混みの中から現われたのは、ソフィアが待ち焦がれていたユーリシス少佐ではなく、同じ小隊に所属する男性、レコン少尉の姿だった。

音無 陽音
この作品の作者

音無 陽音

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov141830183062139","category":["cat0001","cat0002","cat0005","cat0006","cat0009","cat0011","cat0012"],"title":"\u30e9\u30a4\u30d5\u30fb\u30aa\u30d6\u30fb\u30b7\u30e3\u30fc\u30c9","copy":"\u897f\u66a6\u304c\uff12\uff10\uff13\uff14\u5e74\u3067\u7d42\u308f\u3063\u305f\u4e16\u754c\u3002\u5e7e\u5ea6\u3068\u306a\u304f\u7e70\u308a\u8fd4\u3055\u308c\u305f\u5927\u6226\u306b\u3088\u308a\u4e16\u754c\u306f\u7815\u3051\u3001\u6b20\u7247\u3068\u306a\u3063\u3066\u3044\u305f\u3002\u3053\u308c\u306f\u3001\u82e6\u96e3\u306b\u6e80\u3061\u305f\u6b20\u7247\u306e\u7269\u8a9e\u3002","color":"turquoise"}