二章『闇の襲撃』

 白く息を吐きながら、一人の男が深夜の町を走っていた。先程から後を追ってくる黒い影たちはまだ追跡を諦めてはくれない。もう少し先に行けば結界に辿り着けるはずだ。そこならば彼らも追う事は出来ない。

 しかし、走るうちに彼は袋小路に入り込んでいた。「しまった」と思い戻ろうとした時には、追手たちも既に路地へと入っていた。街灯さえない細い周囲に視線を巡らせ、やや高いブロック塀に向けて地面を蹴る。しかしすぐ背後まで来ていた追手の方が行動は早かった。やけに大きく真っ黒な手がこちらに伸び、がしっと音がしそうな程の力で宙に浮き上がった足を掴む。彼はそのまま地面へと勢い良く叩きつけられた。
「うぐぁ! 」
 思わず声が漏れる。今の彼には立ち向かうための手段がない。再び迫った手は容赦なく彼の頭部掴み、握りつぶそうと力を込めてくる。

「主よ……」
 そんな言葉が彼の口から自然に出た。
「主よ、憐れみたまえ」
 よく使われる祈りの言葉だが、何故咄嗟に口をついて出たのかは彼自身にも分からなかった。果たして、祈りが通じたのか。黒く長い指の間から見えた夜空を背景に、何か白く尾を引く物が数本すいっと横切って行った。次の瞬間「ぎゃ!! 」という悲鳴と共に、彼の頭部は黒い手の圧力から完全に開放された。
「大丈夫ですか、サンタさん! 」
 そう言いながら助け起こしてくれたのは長い髪の若い女性だ。彼はこの人物を覚えていた。『鈴の音』の常連の一人、確か名前は犬塚理沙と言ったか。

 影の如き真黒な者は切り刻まれて倒れ、そのまま地面に吸い込まれるようにして消えた。そのすぐ前には異形のもの立っている。四対の手足を持ち四つの目と牙を光らせた"それ"は、ふいに人に似た顔へと変わるとこちらに向けてにこやかに笑った。
「おやぁ、三太郎さんだったんですか。久しいですねぇ」
「挨拶は後に! 」
 空中に浮いた姿勢で佇む真紅のマントを翻した男が、同じく真紅のシルクハットを新たに路地に入って来た黒い影に向けて投げつけながら言う。手裏剣のように空を切ったシルクハットに引き裂かれた二体が真っ二つになり崩れ落ちた。だが残っている三体の影は、まだ路面に座り込んでいた『サンタ』へと真っ直ぐに向かってきた。と、彼の上体を支えていた理沙の目がかっと見開かれ、金色に輝く。
「引けぃ!下賤の者どもめが!! 」
 普段は八重歯になっている鋭い牙を剥き出しながら上げた威嚇の咆哮に、影たちは反射的に足を止める。その足元に向かって氷の刃が地面を舐めるように押し寄せて来る。理沙の背後に立つ袈裟姿のやや緑がかった黒い肌の何者かが白く輝く念珠を掲げて「喝! 」と一声叫ぶ。同時に氷は足元から駆け上り、影たちの全身を凍りつかせた。そこへ再び赤いシルクハットが飛来し、次々になぎ倒していく。
 その時、四対手足の異形の者の側から何やら丸い物体が飛び出した。そして、新たに路地に入って来た影の一団の頭上に四メートルはあろうかという巨大な生首が現れる。
「悪い子(ご)はいねがー!! 」
 どすんと派手な音を立てて影たちの上に落ちながら、大首は地鳴のような声で叫んだ。
「つるちゃんや、それじゃあ『なまはげ』だよ」
 くるんと回転して顔を後ろに向けて、巨大な頭はニヤリと歯を見せる。
「何を言っとるかね、どばちゃん。師走の"お仕置き"と言えばこれしかないじゃろうが」

 全ての影たちが消え去った後、サンタはようやく立ち上がって周囲にいた一同に向けて頭を下げた。
「危ない所を助けて頂いて有難うございます。『鈴の音』の皆さん」
「いやいやいや、あんたも『鈴の音』の一員だからねぇ」
 四対の手足を持つ異形の者が人より余分な手足を畳み込むと、それらはすっと消えていつもの土橋の様相に戻る。理沙が髪をまとめ直して立ち上がった。しかし街灯のない小さな袋小路で彼女の目は今も金色に光っている。まだ戦いで高揚したまま興奮が収まりきっていないのだろう。それでも口調はいつもの理沙の物だ。
「そうよ。サンタさん、困った時はお互い様です! 」
「そう言えば、サンタくんはつるべ落としさんとは初対面でしたか? 」
 マントを翻し電柱の脇の地上にすとんと降りた赤間トオルの言葉に、路地の入り口付近を道いっぱいに塞いでいる巨大な首がかっかと笑い声を立てた。
「わしは知っておるぞえ。サンタクロースだったな?時々『鈴の音』に来る奴だ」
 サンタは少し考えて答えた。
「ああ、いつも観葉植物の所にいらっしゃる方ですね。あなたは、つるべ落としさんだったんですか。ご高名はかねがね伺っております」
 再びきちんと頭を下げるサンタにつるべ落としは答える。
「うむ、わしは人間の真似事なんぞはせんのでなぁ」
 そう言った次の瞬間、彼は直径10cm程の大きさまで縮んで土橋の肩に飛び乗った。
「普段はこんな塩梅で目立たんようにしておるのよ」

「それにしても、今のは一体何なの?あまり手応えのない奴らだったけれど」
 理沙の言葉にサンタの顔がわずかに曇った。
「まあ犬っ娘の吠え声でびびっとるようじゃ、わしらに勝つのは五百年早いわ」
 つるべ落としが土橋の肩の上で左右に体を揺らした。理沙のこめかみがぴくりと動いた。
「つるさん……何度も言いましたが、私は犬神です」
 いつもよりかなり低い声の響きだ。
「冗談じゃ、冗談」
 と言ってつるべ落としは、ころんと土橋の胸ポケットへ入り込む。誇り高き犬神の血族である理沙を本気で怒らせるのは得策ではない。まだ年若い彼女はさして怖くもないのだが、かの一族の結束の強さは並ではない。一人の怨毒を買う事で同族全てを敵に回す事にもなりかねない。

 脱線しかけた話の流れを赤間が元に戻す。
「今の者たちは皆、同じ帽子をかぶっていましたね。私の見間違いでなければ、サンタクロースの衣装に似ている気がしたのですが、どうですか? 」
「まともに実体化もしていない奴らなのに、よくそこまで見えるわね」
 理沙が感心する。赤間の使う妖能力の一つ『クリアボヤンス』の賜物だろう。サンタが困ったような顔で答える。
「はい。彼らは、何と言えば良いのか……たぶん僕の影のような存在なのでしょうね。かなり昔からこの時期になると現れるんですが、今年は数も増えてしまって。僕には抑える事さえ出来なかった」
 サンタは悔しそうな表情で、最後は呟くような声になった。
「影のサンタクロースですか?西洋ならば怖いサンタや悪いサンタもいるそうですが、日本にそんな風習はなかったはずでは? 」
「赤間さんの仰るとおりです。キリスト教圏のクリスマスでは聖ニコラウスと対になる従者クネヒト・ループレヒトや、クランプス、ズワルテ・ピートなどと呼ばれる悪い子供を戒める存在がいます。でも日本のサンタクロース、つまり僕にはその習慣は伝わっていない。でも、あの影のような者たちは、僕の意識がこの国で目覚めた頃とほぼ同時に現れているんです」
 ふうむ、と、土橋が腕組みしながら呟く。
「三太郎さんの似てないご兄弟ですかねぇ? 」
 土橋の言葉の持つ意味を少し考えた後で、サンタは頷いた。
「そうかも知れません。ただ僕はクリスマスを祝い喜ぶ気持ちから生まれ、あいつらはクリスマスを否定する心から生まれたのでしょう」
 理沙が首を傾げる。
「でも日本人って、他の宗教の人でもクリスマスを否定までする人は少ないと思うよ」
「ええ。個々で拒絶する人は少ないと思います。でも最近の情報社会では、幼い子でもサンタクロースを信じない事例も増えています。元々日本では家族や友人とクリスマスを喜ぶ習慣も強かった訳ではないから、自分には関係ないという無関心派も増えているんです。そんな様々なマイナス要素が集まったのが彼らだと思います」
 そこまで言って、サンタはため息を付いた。
「僕にもっと力があった頃は、彼らの好き勝手にされる事はありませんでした。でも年々僕の力は衰え、逆に彼らは強くなっています。土橋さんの仰るように兄弟のような関係であり、表裏一体なのかも知れない」
「それが正解なら、まずいですね。恐らく彼らがあなたを襲うのは『サンタクロース』というクリスマスの申し子を消そうとしての事でしょう」
「えっと、何でそうなるの? 」
 赤間の推測を聞いた理沙が再び首を傾げる。
「それが彼らの『生まれた理由』『存在する理由』だからです。あなたも先程言ったじゃないですか。『実体化もまともに出来ない』とね。存在が希薄だからこそ、自我も薄いままに衝動に駆られてサンタくんを追っているんでしょう」
「ふむアイデンティティじゃな。クリスマスを否定する気持ちを由縁として生まれてきた彼奴等は『サンタクロースはこの世にいない』と事を現実にもたらそうとする」
 寿海の言葉に赤間は頷いた。しかし理沙はまだ納得いかない様子で、ダッフルコートのボタンをいじりながら言う。
「でも表裏一体だって言うならサンタさんが死んじゃったら、あいつらも消えてしまわないの?本能で動くのなら、自己消失になるようなことはしないはずでしょう」
「んー。表と裏を入れ替える気なのかも知れませんねぇ」
 両手をこすりあわせながらのんびりと言う土橋に、彼とは逆に緊張した表情の赤間が頷いた。
「その通り。完全に消す事では出来なくてもサンタくんを瀕死に追い込めば、自らが主の存在となるでしょう。それなら彼らにも出来る」
「あ、それなら納得。でも酷いわ、そんなことをしたらクリスマスにサンタさんが来なくなるじゃない。世界中のサンタクロースと彼らを信じてる子供たちに謝れ!って言ってやろうかな」
「ほっほっほ。理沙ちゃんは子供の頃にサンタを信じていたタイプなんじゃな? 」
 寿海の指摘に理沙は赤くなった。
「どうせ小学校高学年まで信じてましたよーだ。でも、こうしてサンタさんはちゃんとここにいるじゃない。信じいて正解だったでしょう? 」

 と、土橋がいきなりぽんと手を叩く。そして、いつもより少しだけ大きな声でこう言った。
「ああ!それは良い作戦かも知れませんねぇ」
 当然だが、本人以外は一体何が「作戦」なのかさっぱり分からない。全員(土橋のポケットから顔を出したつるべ落としも含め)が狐に摘まれたような顔をして彼を見つめている。しかし当の本人はいつものように両手をこすり合わせながら、冬の夜空を見上げていた。夕刻に降っていた雪は今は止み、天には冬の星座が輝いている。と、顔を一同に戻して土橋が再び口を開いた。
「いい加減に寒くなって来ましたよねぇ。皆さん、そろそろ『鈴の音』に戻りましょうか」
 ……全員が彼の次の言葉を待っている空気を鮮やかにスルーしてしまった。
「土橋さーん。じらさないで教えて欲しいんですけれど!」
 理沙が不服そうな様子を隠しもせずに、土橋をつんつんと突いた。
「はいはい、ちゃんとお話しますから、そんなにせっつかないで下さいよ」
 土橋は相変わらずニコニコしながら言って、ひょこひょこと『鈴の音』の方に向かって歩き始めた。
 

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