前篇
世の中には二通りの人間がいる。古いものが好きな人間と新しいものが好きな人間。
そして僕は後者だった。そんな僕にとって百年以上前に作られた二十世紀のレトロ映像の上映会なんて苦痛以外の何ものでもない。白い布のスクリーンに光を照射して映像を映すなどという原始的な娯楽なんて、バーチャルリアリティに慣れ親しんだ僕にとってどこがいいのか理解に苦しむ。
え? だったら行かなきゃいいって。
そうもいかないんだ。大事な取引先の社長からの招待なので断るわけにはいかない。それに僕はともかく、女房はこういうイベントは好きみたいだ。さっきから、会場に招待された奥様たちと談笑している。
おや? ふいに女房が奥様たちの輪を抜けて僕の方へ近づいてきた。
おいおい。『あなたも会話に加わりなさいよ』とでもいいたいのか? 勘弁してくれ。こういうイベントは苦手なんだ。え? 違う。あの人を見ろ。女房の指さす先で、立派な身なりの老紳士がいた。
「井上さん?」
*
井上さんと初めて会ったのは一ヶ月前。僕の経営する小さなワームホール施工会社『黒丸時空株式会社』でのオフィスでのこと。会社と言っても従業員五人の小さな会社。その小さな会社に訪ねてきた、九十近い老紳士の用件は、ワームホールをレンタルしたいという事だった。
僕の会社のやっている事業というのは、プランク長の世界で出現しては消滅していく量子サイズのワームホールを人や宇宙船が通れる大きさまで広げて、エキゾチック物質で固めて通行可能にする事。恒星間文明圏を支える交通インフラを作る仕事だ。だが、普通の土木業者と違って業務を受注して仕事をするわけではない。ワームホールの性質上それはできないのだ。
量子ワームホールは、開いてみないとどこに繋がるか予想できない。火星に繋がるかもしれないし、太陽のど真ん中に繋がって大惨事になることもあれば、女の子のお風呂に繋がって『キャー!! エッチ!!』ということもありうるわけだ。
まあ、たいていの場合は何もない宇宙空間に繋がるだけでそういう事は滅多にないわけだが、とにかくワームホールがどこに繋がるかというのは、掘ってみない事には(業界ではワールホールを開く事を『掘る』と言ってる)誰にも予想ができない。
だから、隣の恒星系を開拓しようとして『おい。アルファ・ケンタウリまで穴掘ってくれ』なんて注文をされてもできない。『なに言ってやがる!! てめえの会社は昔、アンドロメダ星雲まで穴を掘ったそうじゃないか!! 二百万光年も掘れて、たった四・三光年ぽっちの穴がなぜ掘れない!!』と怒られてもできないものはできない。
だから、僕ら業者はワームホールを何百も掘りまくる。たいていのワームホールは何もない宇宙のど真ん中に繋がるが、数百に一つか二つくらいは資源のある惑星や居住可能惑星の近くに繋がる。そんなワームホールは行政や大企業が高値で買い取ってくれる。
ところがここ数年、僕の会社が掘るワームホールは何もない宙域に繋がるばかり。経済的に価値のあるワームホールなんてさっぱり掘れない。最近も、地球から百六十光年離れた宙域にワームホールが繋がったが、その周囲二光年以内に恒星系はおろか、浮遊惑星一つ無い。
そういった金にならないワームホールを業者の間では(クズ穴)と呼んでいる。昔はそんなクズ穴でも、核廃棄物の捨て場所という価値があったが、現在ではそれすらない。
クズ穴は次のワームホールを開く準備が整ったらつぶすことになっているが、それまでの間は繋がった宙域の座標をネット上に公開している。もしかすると、同業者の掘ったワームホールが近くに繋がるかもしれないからだ。その場合、クズ穴は中継点としての価値が生まれる。まあ、そんな事は希だが。
時には映画会社が撮影に使いたいという事もある。うちの場合はしばらくそれで食いつないでいたのだが……
「それで、井上様はこのワームホールをどのような事に使用されるおつもりですか?」
「別荘だよ」
「別荘!? ですが先ほども説明いたしましたが、このワームホールの先には恒星系はおろか浮遊惑星すらありません」
「すばらしい。私の目的にぴったりだよ」
どうやら、この老人はそうとう変わり者のようだ。人里離れたところに別荘を構えたいという人はよくいるが、これは度を超している。こんな何も無い宇宙空間にステーションを建設して住もうなんて。
しかし、会社としては断る理由はなく、その上、井上さんの提示した金額は破格のものだった。赤字続きの会社にとって、井上さんは救世主と言ってもいい。
それからしばらくして、井上さんはワームホールの向こうに宇宙ステーションを建設して移り住んでしまった。時々、用途不明の大きな機材が向こうへ運び込まれる事があるが、本人がこっちへ戻ってくる様子はなかった。
*
その井上さんがこんなところで何しているんだろう? てっきり、ワームホールの向こうにいると思っていたのに。
とりあえず、声をかけてみた。
「おや、君は……」
どうやら僕を思い出せないようだ。
「黒丸時空の堀江です」
「思い出した。穴屋さんだったな」
穴屋という言い方はやめてほしいなあ……
「いつ地球に戻られたのです? てっきりまだワームホールの向こうかと」
「一時間ほど前だよ。この上映会を見るためにね」
どうやら井上さんは僕と違ってレトロ映像の大ファンだったらしい。この上映会に来るために、わざわざ百六十光年先から戻ってきたというのだ。
おっと、上映会が始まった。部屋が暗くなり、白いスクリーンに映像が映し出される。内容は子供向けの人形劇らしい。大の大人の見るものじゃないと思うのだが、周囲からは感嘆の声が漏れてくる。女房も含めて。
いったい何がそんなに凄いのか? 上映が終わった後、女房に聞いてみた。どうやら、今の映像は昭和時代中期に公共放送局が制作した『のっそりへちま島』という人形劇らしい。一日に十五分ずつ放送していたそうだが、その映像のほとんどは、その後失われてしまったというのだ。その当時は映像の記録にはビデオテープという記憶媒体が使われていたそうだが、これが当時大変高価だったため、番組収録に使われたテープは放送終了後に他の番組で使い回されていたという。そのために多くの映像作品が失われてしまったらしい。『のっそりへちま島』も失われた映像作品の一つで、これも放送終了後、そのほとんどは他の番組が上書きされて消えてしまったのだ。
ところが、二十年ほど前、ある映像ソフト会社が上書きされたビデオテープから元の映像をサルベージする技術を開発した。いったいどんな方法を使ったのかまったく公開されていないが、その会社は次々と過去の映像ソフトを再生していった。その会社というのが、この上映会に僕を招待した映像ソフト会社の懐古社だ。
ちなみ、撮影用にワームホールを借りてくれていたというのもこの会社で、僕にとっては大変なお得意様というわけだ。
と、その懐古社の社長の権堂氏が僕の方へやってくる。
やばいな、上映会の感想なんか聞かれたら。『ほとんど居眠りしてました』
なんて言うわけにいかないし……
あれ? 権堂氏は僕の横を通り過ぎた。どうやら、他の人に用事があったようだ。振り向くと、権堂氏は井上さんに挨拶していた。
「これは井上様。ようこそいらっしゃいました。ここしばらく連絡がとれないので心配していましたが」
「今、連絡のとりにくい別荘にいましてね」
そう言って井上さんは僕の方を見て、右手の人差し指を鼻に当てる。『居場所を教えるな』と言いたいらしい。僕は無言で頷く。
「今後、どうしても私に伝えるべき事があるなら、こちらへ連絡してもらえますか」
そう言って井上さんは紙切れを差し出す。
「これは?」
「これは……別荘の管理人の連絡先です」
「分かりました。よい映像が手に入りましたら、ぜひ連絡させてください」
「ところで例の映像はまだですか?」
「申し訳ありません。スタッフもがんばっているのですが、テープの痛みがヒドくて……」
「テープの痛みがヒドい? ではもうあきらめた方がいいのかな?」
「いえいえ、そんな事はありません。修復の、目処はたっています。近日中にはお見せできるかと」
「そうですか。期待しています」
そう言って井上さんは帰っていった。
さて、僕も帰るか。
「堀江さん」
帰ろうとしたところを権堂氏に呼び止められ、隣の部屋に僕は案内された。
「実は借りたいワームホールがあるのだが」
そう言って権堂氏はメモを見せた。
「ワームホールの登録サイトを見たのだが、一カ月前にそのワームホールを開いてますね。まだ潰していないのなら借りたいのですが」
メモにはワームホールの識別番号が書いてある。だが、そのワームホールは……
「申し訳ありませんが、このワームホールはお貸しできません」
「そうですか。もう潰してしまったのですね」
権堂氏がそう思うのも無理はない。普通、クズ穴は二週間ぐらいで潰してしまうものだからだ。ワームホールを支えるエキゾチック物質は大変な貴重品で、クズ穴を支えるのにいつまでも使っていられない。
「いえ、潰してはいません。今も開いたままです」
「ではなぜ借りられないのですか?」
「実はすでに借りている方がいるのです」
「なんだって? いったい誰が」
「それは言えません。守秘義務がありますので」