見回すと、室内にいるのは、あたしとおじい様と、あの無責任な刑事さんの三人だけ。
「な……なんだ!? これは……」
 おじい様が指差す先に例の台座があった。二つほど……
 片方の台座には、何も乗っていない。そして、もう片方の上には……〈天使の像〉がちゃっかり乗っていたりする。
 そう、暗闇の中であたしがライトで照らしたのは、何も乗っていない方の台座だった。 真っ暗だったので、台座の位置が少しずれていることに誰も気が付かなかったのだ。
 もちろん、二メートル離れた所にある本物の台座に、誰かが光を当てたらあっさりとばれていただろう。
 だが、そうならないよう、あたしは台座を背後に隠し、そしてあたしの反対側に刑事さんが立ちトレンチコートを広げて台座を覆い隠していた。そのために、本物の台座に他の警官達のライトが当たる事はなかった。
 え?なぜ、そんなことをしたかって?それは……
「どういう事だ? なぜ、これが、まだここにある」
 おじい様は〈天使の像〉の乗った台座と、いつの間にか現れた、空っぽの台座を見比べ首をひねった。
「これはですね」刑事さんが空っぽの方の台座に手を掛けた。「一見、石の台座に見えますが、実はこれは形状記憶プラスチックでできていて、折り畳むとポケットにしまう事ができます。これにお湯を掛けると、三秒でこのような台座になるのです」
「ええ!? でも、変じゃない。〈天使の像〉が無事なら、なんで警報が鳴ったのよ?」
「あれは、警報ではありません。私が昨日コンビニで買った一つ五十クレジットの防犯ブザーです。ここの警報音と似た音を捜すのに苦労しました」
「なあんだ。そうだったのか……え?」ここであたしは、わざとらしく驚いた。「な……なんで、あんたが、そんな事を説明できるのよ!?」
「そ……そうじゃ! なんで、お前が知っている」
 おじい様も驚く。
「それはですね」
 刑事はニヤっと笑って、襟元に手を突っ込んだ。
 カチッ!
 なにかスイッチを押す音がする。
「うちが……」
 刑事の声が女の声になった。
 さっきのスイッチ音は、ボイスチェンジャーを切ったものだったのか。
 刑事は帽子のひさしに手を掛け持ち上げた。
「ば……化け物!?」
 おじい様が驚くのも無理はない。帽子と一緒に、刑事の顔も持ち上がったからだ。まるで、胴体と首が別れたみたいで、ちょっとグロい光景だけど……
「おじい様! 落ち着いて下さい。あれは帽子に、ホロマスクが仕込んであるだけですわ」
「なに!? そうか、ホロマスクか」
 立体映像仮面(ホロマスク)は変装用具の一種。他人の顔を撮影したり、CG合成した立体映像(ホログラム)を自分の顔の正面に投影する装置だ。ただし、立体映像と本来の顔がちょっとでもずれると、鼻が二重になったりして、あっさり変装を見破られる結構お間抜けなアイテムだったりする。 地球連邦の諜報機関が開発したもので、本来、その技術は一般には流出していないはずなんだけど、実際には、かなり出回っているらしい。
 あたしが説明している間にも、シャッターが上がるように、刑事の顔……つまり立体映像の下から、本来の顔が現れ始めた。始めに見えてきたピンクのルージュを引いた可愛らしい唇は、イタズラっぽい笑みを浮かべていた。
 整った鼻筋に続いて、切れ長の大きな目が現れる。
 バサ! 最後に豊かなブロンドの髪が、帽子の下から飛び出した。
「怪盗ミルフィーユだからやあ!!」
「刑事に化けるなんて、一番ありそうなパターンね。オリジナリティのない奴」
「じゃかぁしい!!」
 ミルフィーユはあたしの突っ込みに怒鳴り返すと同時に、トレンチコートを脱ぎ捨てた。下から現れたのは、目にも鮮やかな赤いレオタード。
 すらっと伸びた長い脚は、メタリックブルーのタイツと白いレッグウオーマーが覆っている。
 どうでもいいけど、レオタードの上にスカートぐらいつけろよ!! この恥知らず!
「ほな、これはいただいてくでぇ。文句ないな」
 とっくに警報の切られているガラスケースを外し、ミルフィーユは〈天使の像〉をゆうゆうと取り出した。
「おじい様!! 何とか……」
 『言ってやって』と言いかけて、あたしは絶句する。
 振り返るとおじい様は、だらしなく口を開け、スケベ色に染まった目で女怪盗を見つめていた。
 たくもう!! 男って奴は……
「ほほほ! 爺さんも、うちの色気には勝てんようやな」
「黙れ、この変態盗賊!!」
 あたしはロングスカートをまくり上げ、右足のアンクルホルスターから、麻酔銃を取り出した。狙いは……
「まて! 真奈美!! 賊はあっちじゃ」
 自分に銃口が向けられたの気が付いて、慌てておじい様は正気に戻った。
 でも、もう遅い。
「ごめんね。おじいちゃん」
 あたしはトリガーを引いた。速効性の麻酔ガスが老人を襲う。
 一応、体に害の無い種類を選んだのだけど、やっぱりちょぴっと胸が痛む。麻酔が完全に利いたのを確認してから、あたしは、ヘアピースを外した。ヘアピースの下には、まだ真奈美ちゃんの顔の立体映像が投影されている。まるで生首を持っているみたいだ。
 ホロマスクのスイッチを切ると、それはただの、ヘアピースになった。それをしまうと、床に倒れ込んだおじいちゃんの元にあたしは歩み寄る。
 聞こえていないと分かっているけど、あたしは話しかけた。
「本当にごめんなさい、おじいちゃん。目が覚めたら、自室で縛り倒されている本物の真奈美ちゃんと刑事さんを助けて上げてね」
 そう、あたしは鬼頭真奈美ではない。あたしは……
「ショコラ。ようやったで」
 背後からミルフィーユ……長いからこれからミルって言うね……が猫撫で声であたしをねぎらう。でも、あんまし嬉しくない。
「ミル。その〈天使の像〉って間違えなくパイザなの?」
 あたしは、感情を押し殺しながら背後にいるミルに言った。
「まあ、ラボに持って帰って調べてみんと分からへんけど、十中八九間違えなしや」
 それを聞いてあたしは、麻酔銃を右足のホルスターに戻した。
「なら、これであたし達が外宇宙へ行くのに必要なアイテムは、全部、揃ったのね」
「そやな」
「ミル。あの約束は覚えているわね」
「約束?おお! 帰ったら、盛大に打ち上げパーティやろうな」
「違うでしょ」
「違う?……おお! そうや。これが終わったら、ショコラにお小遣いを……」
 忘れてる! こいつ、完璧に忘れてる。
 あたしは左足のホルスターから、スタンガンを抜いた。
 一度に三十発の電撃弾を、圧縮空気でショットガンのように打ち出すタイプだ。
 一発一発の弾はボールベアリング程の大きさだが、この中の常温超伝導物質のコイルには、人一人気絶させるのに十分な電力が蓄えられている。
 あたしはぴたりと銃口をミルに向けた。
「なんや!? ショコラ。なんのつもりや?」
「ミル。これで撃たれても死ぬ事はないわ。でも、最低三十分は動けなくなるはずよ。この状況で、それが何を意味するか分かっているわね」
「落ち着きいな、ショコラ。そないな事したら、あんたまで逮捕されるで」
「あたし十四歳だもん。横暴な従姉妹にそそのかされたって言えば済むわ」
「少年法を盾にするんかい。えげつないやっちゃなあ。でもな、それならモンブランやタルトはどうするつもりや?」
「二人には、あたしから逃げろって言っておくわ」もっとも、あの義理堅い男達が素直に逃げるとも思えないけど……「ミルが約束を守れば済むことよ。アイテムが全部、揃ったら、足を洗うという約束をね」
「おお! そうやった。忘れてへんでえ」
 うそつけ!! 今の今まで忘れてたくせに。
「『銭湯に行って足を洗おう』なんてギャグを飛ばしたら、即座に撃つわよ」
「あ……あはは……何言うてんねん。そないアホな事言うわけないやろ」
 そう言っているミルのこめかみに、ツーっと汗が流れるのをあたしは見逃さなかった。やっぱり考えていたな。
「じゃあ、足は洗うのね」
「当然や。うちが今まで約束をやぶった事あるか?」
「あのねえ、そういう風に言うと、まるで約束守ったことが、あるみたいじゃない」
「失礼な!! うちは約束を意図的に破った事はあらへん。ただ、覚えてへんだけや」
 なんじゃい、そりゃあ?
「じゃあ、今回の約束、思い出したからには、守ってくれるんでしょうね?」
「も……もちろんや。第一、アイテムは揃ってもうたし、もう盗む必要はないやろ」
「そうね。でも、あたし達が外宇宙に行くのに必要な資金は、まだ足りないわ。もし、ミルがそれを調達するために怪盗ミルフィーユを続けようって了見なら、あたし撃つわよ」
「そ……そんな事あらへん」
「じゃあここで誓って。怪盗ミルフィーユは本日を持って引退します。明日からは真っ当なオーパーツハンター竹(たけ)ノ(の)内(うち)魅瑠(みる)に戻りますって」
 まあ、オーパーツハンターも真っ当な仕事とは言い難いが、怪盗よりましだろう。
「わぁった! わぁった! 言えば良いんやろ。怪盗ミルフィーユは本日を持って引退します。明日からは真っ当なオーパーツハンター竹ノ内魅瑠に戻ります。これでええな?」
甘い! 口約束を信じるほど、あたしは甘くないぞ。
 あたしはポケットからB5用紙のポスターを取り出した。
「じゃあ、これを壁に貼って」
 あたしはポスターをミルに渡した。
「何や? これ」
 怪訝な顔をしてミルはポスターを広げる。そこには……
『貴重なオーパーツを専門に盗む怪盗ミルフィーユは、今回を持って引退させて頂きます。長い間、ご声援ありがとうございました』
「な……なんか、マンガの最終回みたいな文章やな」
「なんでもいいでしょ。早く貼って」
「しかし、こんなもの貼ったら、まるで引退するみたい……」
「何だって!?」
「なんでもあらへん!」
 ミルは、そそくさとポスターを貼った。
 これでよし。ミルの性格からして、あたしとの約束はどうせ守らないけど、世間に公表してしまったことは律義に守るはずだ。
 バタン! 不意に扉が開いた。見るとそこに一人の警官が立っている。
 しまった!? 時間をかけ過ぎたか?
「しー! 僕だ、僕」
 警官は帽子を外した。帽子と一緒に顔も外れる。これもホロマスクだ。三十代半ばの男性の顔を写したホロマスクの顔の下から、十代後半の美少年の顔が現れる。
「タルトやないか。どないしてん?」
「どないもこないも、何をぐずぐすしてるんですか!?」
 彼はあたし達の仲間の一人、宮下瑤斗。年はあたしより四つ上のお兄さんだけど、あたしはいつもタルトって呼び捨てにしている。 さっき天窓を指差して『おい! 天窓のところに誰かいるぞ』と叫んだのは彼だった。
 タルトは十八才の現役大学生……だったのだけど、今は休学中で、ミルの所へはアルバイトのつもりでやって来た。
 もちろんミルが泥棒やってるなんて知らずに……
 知った時は、かなり驚いていた。驚いてはいたが、彼はあっさりと協力者になってしまった。どうやら、ミルに一目惚れしたらしい。
 しかし、これは彼の人生最大の過ちだと、あたしは確信している。
ミルみたいな女に惚れたら人生終りだ。一日も早く彼は、おのれの過ちに気が付くべきだわ。だいたいにして、なんだって彼みたいなハンサムボーイが、ミルみたいなオバンに夢中になるのよ。
 すぐそばに若くて、可愛くて、頭も良いあたしみたいな女の子がいるというのに……そこのおまえ、笑うな。
 ちなみに彼は、ダウジングという特技がある。振り子とか占い棒を使って、地下に埋まっている物を見つける、一種の超能力だ。
 そういう能力のある人をダウザー(水脈占い師)と言って、昔からヨーロッパでは井戸を掘るのに活躍していた。
 近代になっても、古い水道管を捜すにその能力が使われている。
 もちろん、遺跡発掘現場では重宝されていた。
「とにかく、急いで下さい。すでに三体のダミーミルフィーユが、警察の手に落ちてるんですよ。早く逃げなきゃ、警察が騙された事に気が付いて戻ってくるでしょ」
 ダミーミルフィーユってのは、今回の仕事のために用意したアンドロイドだ。
 適当に逃げ回って、警察を攪乱するのが目的。
 さっき、天窓のところにいたのもその一つで、全部で五体用意したから、あと二体が警察から逃げ回っているはず。

津嶋朋靖
この作品の作者

津嶋朋靖

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