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「馬鹿って、お前な……。それに、なんでここにいるんだよ?」
「そんなこと、今は良いじゃないですか。それとも、死にたいんですか?」
触覚を斬られたせいなのかーー目を乱心させ、顔中に血管を浮き立たせて、訳の分からない単語を呻き声のように発している志奈は、俺の知っている志奈ではなかった。
あまりにも辛すぎる現実を許容できないでいる俺の手をーーアリスは強く握り締めると、反対側の地下水路ーー俺が通ってきた道へと引っ張られるように走った。
しばらく走った後、助かったという安堵と同時に、ある不安が脳裏を駆け巡って、言葉に変換せずにはいられなかった。
「おい、志奈は元に戻るんだよな? あいつ俺の幼馴染みなんだよ……なぁ、なんとかなるよな?」
「一度テラ化した人間が一定の間ーー人間の血を摂取しないと精神に異常をきたして、乱心状態になります。あぁなってしまっては、一定量の血を摂取しないと元には戻りません」
ーー血を摂取しないと元には戻らない。
なら、逆に言えば一定量の血さえ摂取すれば元に戻り、また天使の笑顔を志奈は俺に向けて見せてくれる。
「なら、血さえ摂取すればーー志奈はいつも志奈に戻るんだよな?」
「それは無理です。一度、他人の血の快楽を知ってしまった人間は、人の形に似た頭の作りが違う生物だと思った方がいいです。そうしないと、あなたも、あそこに横たわっていた死体と同じ目に遭いますよ」
「じゃあ……志奈はどうなるんだよ」
「私達が所属する組織の規定では、人では無くなったテラは一切の法の適応外ですので、殺処分も止むなしと言った所です」
「そんなの、あんまりじゃねーかよ……」
志奈だって、人を襲いたくて襲った訳じゃない。もちろん、人の血を吸うためにした行為は許される訳じゃない。
ーーだけど、志奈だって辛かったはずだ。
俺がもっと早く志奈の気持ちに気付いていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
ーーもし、それしかないのなら俺ができることは一つだけだ。
俺は、せっかく助けてくれたアリスの行為を無駄にし、志奈のいる方へ全速力で走り続けた。
側(はた)から見れば、死にたがりのバカと言われても仕方ないかもしれない。
けれど。志奈が俺にとって、人生の全てであり、志奈のいない世界なんて考えたくはない。
志奈とは、もう会えなくなってしまうかもしれないなら……俺は、この気持ちを伝えなくてはいけない。
ーーただ一言を伝える為に、俺はーーーー
走り続けた俺の淡い希望は、空に浮かぶシャボン玉のように形を成すことなく、壊れて消えてしまった。
「君は助かったんだね。僕はどうやら、殺人犯にならなくて済んだみたいだ」
穢れを知らない子供のような笑顔を浮かべる万代の左手に掴まれていたのはーー変わり果てた幼馴染だった。