王女への処方箋3

 レイナの様子を少し窺って見ると、目の色は落ち着いてきて、しばらくは大丈夫そうだ。
 しかし安心はできない。
 満月は過ぎたが、月がある程度欠けるまでは夜も油断などしていられない。
 だからルークはレイナの症状を抑える方法を知りたかったのだ。
 何より、年頃の女性の部屋に入るのは気が引ける。
 弟のようにとはいかないが、これでも昔は人間と交流をしていたのだ。
 それがまずいことぐらいはわかる。
 やっと見えた光明は、連れの少女が一番大事なので仕方がない。
 にっちもさっちもいかない状況だった。

「困りましたね。私としても『月の眼』保持者を放っていくわけにもいきませんし。せめてリトミア――貴方たちが言う森の民か、古の民がいればよかったんですが。私の魔法は古の民でも使えるんです」

 古の民。
 それは1000年以上昔より連綿と続く伝統を受け継いだ人種だ。
 それぞれ部族に分かれて、大半が隣国ネグレリで暮らしているとルークは聞いたことがあった。
 部族から離れて、他国で暮らす者もいるらしいが、しばらく人間と離れて生きてきたルークにはそれ以上の知識はない。
 ジークなら、何か知っているかもしれないが。

「いけませんね……せめて自由に動ける|森の民《なかま》がいればよかったんですが……」

「そういえば、森の民っていつからか聞かなくなったな。北大陸にはもういないのか?」

 話にだけなら聞いたことがあった。
 フイネイから隣国グローリアに渡る大森林地帯に住むという森の民。
 森に住み、慎ましく暮らし、訪れた人に安寧を与えると言われていた。
 それがいつしか話にも聞かなくなった。
 リーフはほんの少し表情を曇らせた。

「そう……ですね。私以外のリトミアは眠っています。何百年か前に、グローリアの王子が森に火を放ちました。私たちの森は焼けてしまい、傷を治すために私たちは眠っていたんです」

 それはまるで、数百年前に人間と大部分の関わりを絶ったフイネイの竜に似ている。
『王子』がきっかけであったのも重なり、不気味だった。

「それは……すまない。悪いことを聞いた」

「いいんです。済んだ話ですし。問題はお嬢さんの今後ですよね。今まではどうしてたんですか?」

 リーフの問いにルークは肩をすくめる。
 彼もレイナが今まで『それ』を悪夢だとしか認識していなかったという事以外知らないのだ。

「起きている間に発動したのはさっきが初めてだ。昨夜までは『悪夢』として見ていたようだ」

 今まではレイナの母である王妃が何か対処をしていたとのことだが、そもそも彼はこの国の王とも王妃ともまだ会ったことがない。
 どのような人物で、どのような対処を彼女に施したのかを知る手立てはない。

「悪夢……ですか。せめてこの近くにリトミアの木があれば……困りましたね」

 リーフが諦めてため息をついた時だった。
 食堂の空気が変わった。
 重苦しい何かが空間に満ちる。
 フードを目深に被った女性が、宿の奥から降りてきたのだ。
 女性と辛うじてわかるのは、フードからわずかに見える口元と、柔らかな身体の曲線からだった。
 これがもっとゆったりしたマントであれば性別がわからないだろう。

「この時間に降りて来るなんて珍しいな、セレナ」

「二日続けてこの時間に客以外がいるのが珍しいからな。気になった」

 この女性はリカルの連れのようで、男のような喋り方だ。
 とても珍しいタイプの女性だったが、建物の中でフードを被っている理由が不明だった。
 そうする必要があるのは、見た目を隠す必要のある種類の人間――例えば犯罪者――か、見た目が特徴的過ぎる種族であるかだ。
 しかしここでは見た目が特徴的な|森の民《リーフ》も、|竜《ルーク》も素顔を晒している。
 そのため、ルークは彼女が何者なのか推測がつけられなかった。

「食堂としても、こんな時間じゃなぁ」

「それは言っちゃだめだよ、リカルの兄ちゃん」

「そうか、そういうものか。ところであそこにいるのは、もしかして竜なのか?」

 今度はルークたちが聞き耳を立てる番だった。
 ルークとしてはリーフとの話し合いを優先したかったのだが、結論としてはお手上げ状態だというのに変わらないだろう。
 肝心のレイナは関心が現れた女性の方に向いてしまっていた。

「見てわかるだろう。俺みたいなハーフは珍しいの」

「ならば、フードを脱いでもいいか」

 どこかズレたやり取りに、リカルが脱力する。
 隣の少年が笑っているところを見ると、こうしたやり取りはいつもの事のようだ。
 脱力する連れと、少年の前で女性がフードを取る。
 まず飛び込んできたのは真っ黒で、長い髪の流れだった。
 ルークたちを振り返った目が血のように赤く、耳は尖っている。
 そんな特徴的な見た目の種族を、ルークは一つだけしか知らなかった。

「まさか……闇竜なのか!?」

 驚きの声を上げたルークに視線を向け、女性はにこりともせずに自らの名を告げた。

「私はセレナ・ツヴァイト・ドゥンケル。|王《エアスト》に会うためにここまで来た」

 竜としての正式な名乗りに、ルークは応える義務があった。

「ルーク・ツヴァイト・ヴィントだ。ここまでわざわざやって来た闇竜に言うのも何だが、どうやってここまできたんだ? 闇竜たちは人間との契約なしには出歩けないはずだ」

 正体が闇竜とわかった以上、ルークは彼女がどうやってここまでやって来たのか知る必要があった。
 何故なら、闇竜の大半は人間を敵視し、害意を持った故に闇の中に閉じ込められたからだ。
 人間と契約して、共に来たならよいが、共にいるのは竜の血が濃いハーフだった。

「簡単な事だ。フイネイまではリカルの影に隠れていた。ここに来たら制約は受けなくなった」

「何故|闇竜王《エアスト・ドゥンケル》に会いたがる? 今は|ここ《フイネイ》にはいないぞ」

 ルークが事実を告げながら彼女の真意を問う。
 レイナは目を丸くしてそのやりとりを見ていた。
 森の民と連れのレイリィも似たようなものだ。
 竜に関しては管轄外なのだから。

「――仲間が死んだ。だから王《エアスト》に確かめたい。『彼』はこの地にいるのか、と」

「悪いが、闇竜王《エアスト・ドゥンケル》は不在だ。――二人とも王《エアスト》に会う為だけにわざわざ海を越えてきたのか?」

 最後の言葉はリカルに向けてのものだった。
 リカルは口元に笑みを浮かべて答える。

「言っとくが、南大陸へ帰れって言っても無駄だからな。俺の用事も、彼女の用事も竜王《エアスト》に会わずに済む話じゃない。お前が風竜王《エアスト・ヴィント》に取り次げる立場なら、伝えてくれよ。カルア・ツヴァイト・ヴィントの使いとして来たってな」

 基本的に竜の中では序列が至上とされている。
 竜王は序列第一位《エアスト》。そこから血族として近い順に第二位《ツヴァイト》、第三位《ドリット》と続く。
 これは竜王《エアスト》に血が近い方が能力が高いことに由来する。
 実際にルークは母が風竜王《エアスト・ヴィント》であるために、ルークは序列第二位《ツヴァイト》を名乗っている。
 リカルの方はハーフなので序列は関係ないとしても、序列第二位《ツヴァイト》の使いとして来るともなれば、血族としては序列第三位《ドリット》に相当するのかもしれない。
 これを自分の一存で拒絶していいものか、ルークは迷った。
 昨日は、身体の弱った母《エアスト》の事を考えて思わず拒絶したが、自分と同じ序列第二位《ツヴァイト》の意向ともあれば無視はできない。

「まあ、そっちの方は考えておく。だが、闇竜王《エアスト・ドゥンケル》の方はどうしようもないぞ。いつ帰って来るか俺にもわからんからな」

「ねえ、ルーク。北大陸に渡った竜って全員フイネイにいるんじゃないの? 旅に出ていないとか初耳なんだけど」

 レイナが持ち前の好奇心を発揮したのか、ルークに尋ねる。
 また話が脱線する、と思いながらもルークは説明を始めた。

流堂志良
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流堂志良

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