王女への処方箋2
ルークは元々会話を長続きさせる方ではない。
長年、人間と関わらなかったので、話題自体も実はそんなにない。
共通の話題は、ルークの弟ジークぐらいなものだが、そんな話題はすぐに尽きてしまった。
「ああ、くそっ……!」
座り込んだ王女の顔を覗き込みながら、ルークは焦っていた。
レイナの目の色が元に戻らないのだ。
このままでは危ないとルークが危惧した時だった。
二人の上に影が覆いかぶさる。
「大丈夫ですか?」
ルークは反射的に大丈夫だ、と返事をしかけて、振り返った時に息を呑んだ。
そこにいたのは青年だった。
柔らかな緑色の髪を長く背中に垂らしている。
肌は一際白く、耳は柔らかいラインだが、尖っていた。
竜のルークでさえ話にしか聞いたことのない、森の民の姿そっくりだった。
「聞 こ え ま す か ?」
森の民の青年が囁く声は不思議な響きをしていた。
ただの言葉のはずなのに、何か魔法の呪文のようだった。
そして、今はルークの声しか届かないはずのレイナが顔を上げる。
赤く輝く目を真正面から向き合って、青年はそっと吐息を漏らす。
まるでそれを予想していたかのように。
「ああ。やはり『月の眼』ですか……。少し失礼します」
何を言ってるんだと、ルークは思う。
この症状を知っているのか。
どこで知ったんだ、と問い詰めようと口を開きかけたルークをよそに、青年は懐から枝を取り出した。
何の枝かは知らないが、枯れ枝というわけではなさそうだ。
それどころか、葉がところどころに残っており、しおれる気配もない。
何よりも不思議なのは、その枝に魔力が宿っているのが見て取れたからだ。
「|優しき森《リトミア》よ――」
小さく青年は呟いて、レイナの肩に軽く枝を触れさせた。
彼がしたことはそれだけだった。
枝が起点となり、魔法が展開する。
通行人は気づかないような、ささやかな魔法。
しかし近くにいたルークはその魔法の効果に巻き込まれる。
竜である自分に影響する魔法に驚き――ルークは幼い視点で両親が揃っていたころの幻を見た。
銀髪を肩まで伸ばした父親と、黒髪を結い上げた母親と。
恐らく生きていた中で、一番幸せだったころの記憶。
呆然としたのは一瞬で、すぐに幼き日から現在へと立ち返る。
致命的なほどに油断した。
そうルークは思ったが、レイナはルークよりもびっくりしたようで目をぱちくりとしていた。
「あー、びっくりした。今の、何?」
「ちょっとしたおまじないです。幸せな夢を見れるように、と」
レイナも何かを見たのか、状況が呑み込めていない。
それよりも、彼女は自分の目がきちんと見えているということに驚いた。
「あれ? ちゃんと見えてる……?」
ルークもそれを確認する。
レイナの瞳の色が元に戻っている。
「……何をした。お前」
ルークが喉に絡んだような声で聞く。
緑の髪の青年が口を開いた時、もう一人乱入者があった。
「もう、リーフったら。急にいなくなって」
「申し訳ありません。ちょっと気になる気配があったのでお傍を離れました」
リーフと呼ばれた青年は、現れた女性に対して恭しく頭を垂れた。
彼女は黒髪がふわふわとしており、レイナよりは少し年上に見える。
「そんなに怒ってない」
黒髪の女性はリーフが手にしている枝を見て、目を丸くした。
「何でそれ使ったの?」
「説明したいのはやまやまですが、私もどう説明していいものか……」
リーフは顎に手を当てて首を傾げる。
そして、思いついたように手を叩いた。
「そうそう。そちらのお嬢さん。貴方に必要なのは休息です。少し休みませんか? どこかゆっくり座れるところに行って、そこでじっくりお話をしましょう。私の使った魔法、貴方の目のこと、納得のいくまでお話しましょう」
レイナはリーフの言葉を聞いて、ルークに問いかける目を向けた。
これは行ってもいいだろうかという問いかけだ。
ルークは内心唸る。
レイナの体力を思うと、今すぐ城に戻りたかった。
しかし、この青年が王女の問題を知っていることで迷っていた。
この赤く瞳が変わる現象は何なのか。
知りたい気持ちはルークにもある。
だからルークは頷くしかなかった。
「さて、どこから説明したものでしょうか?」
昨日、訪れた宿屋に連れて行かれたルークたちは何となく気まずい気分だった。
何より、別の席では屋台で買い込んだと思われる物を、リカルと人間の少年が食べている。
聞き耳を立てられているようで、気分の良い物ではなかった。
もっとも、風の竜であるルークにとっては声を、周囲から出さないようにすることも可能であったが。
「最初から説明した方がいいんじゃないの?」
森の民はここに来る途中にリーフと名乗った。少女はレイリィと。
レイリィは自分の連れにそう言った。
「最初から……ですか」
やれやれとため息をついて、リーフは説明を始めた。
主にレイナに起きた症状についてだ。
「そちらのお嬢さんの症状ですが、私たちの知っている『月の眼』という体質に合致しています。これは私たちの方でもあまり詳しいことは知らないんですが、目が赤く変わってその間、闇夜でもよく見える、現在ではない風景が見えるなど症状は様々ですが、共通して頭痛が起きます」
詳しい事を知らないという割には症状を具体的に説明する。
彼の言う事は、先ほどレイナに起きた症状そのものだ。
「それで、『月の眼』時に見える風景なんですが、未来の光景らしいんです。『月の眼』が発動した人間はその光景に精神ごと呑まれてしまうのです。それを防ぐためにどこかの賢者が考案したのが『優しい記憶』を使って症状を軽減する方法です。さっき私がお嬢さんに使った魔法ですね」
丁寧な事に、彼は自分が先ほど使った魔法について解説までしてくれる。
この魔法がレイナに効くのであれば、是非とも教えて欲しいところではある。
問題は竜であるルークにその魔法を使うことは可能かどうかという事だった。
「その魔法は教えてもらうことはできるのか?」
ルークが聞くと、リーフは困ったように表情を曇らせた。
「それが、竜がこの魔法を使えるのか試したことがないんですよね。向こうで試しておけばよかったのですが……」
「向こう?」
そういえば彼と彼女はどこからやって来たのだろう。
竜に魔法が使えるか試してもらうことが出来る場所なんてこの北大陸にはないはずだ。
北大陸にいる竜はフイネイにいるので全てなのだから。
「え、ああ……私たちは南大陸から来たんです」
また南大陸か、とルークはちらりとレイナを見やる。
レイナのそのまた向こうには聞き耳を立てているだろう、南大陸からの来訪者がいる。
「南大陸! 竜が昔住んでたっていう大陸ね。昨日会った人も南大陸から来たって言うし、最近そっちから来る人って多いのかしら?」
「昨日会った人……ですか? 例えばそちらにいる金目の方とか?」
リーフの言葉にあからさまに肩を震わせる半分竜の青年が目に入る。
あの相手とは話はできるだけしたくないのだが、こうも周りが彼を話に巻きこむ方に走っていてはどうしようもない。
しかし、ここは目の前の問題を片付ける方が先だった。
「まあ、そんなところだ」
リーフが彼を例示したのは当然のことだ。
金の目と言えば、竜の特徴であり、フイネイに住むはずの竜が宿屋にいるわけがないからだ。
「その辺りは一旦、置いておくとしてだな。例えば『月の眼』の本人がその魔法を使うことはできないのか?」
「……それは止めておいた方がいいと思います。魔法の起動にはリトミアの枝を使うんです。本人が枝を認識できなければ魔法の使いようがありません。闇の竜がいれば、もしかしたら制御できるかもしれないのですが……」
ルークはそれを聞いて思わず唸ってしまう。
流石に難しすぎる方法だ。
他の竜はともかく闇竜はただ一人|闇竜王《エアスト・ドゥンケル》しか北大陸にはいないのだ。
残りは全て、南大陸にいるのだとルークは聞いていた。
「流石に難しいですよね……」
「ところで、『月の眼』についてずいぶんと詳しいようだけど、どういう事なんだ?」
ルークは少し気にかかったので聞いてみる。
南大陸ではよく見る症状なのだろうか?
だとすれば対処法が確立していることにも納得できる。
「それはですね、私が長年お付き合いしている一族が『月の眼』を発症する一族でして。彼女もそうなんですが、いつ発症するかわからないので私が一緒についてきているのです」
レイリィの表情がほんの少し曇る。
彼女もレイナと同じ苦しみを感じたことがあるのだろうか。
リーフが守るべき少女を抱えているのではなければ、王家に仕えないかと誘いを掛けたいところだった。