第四話 「告白」
「エ、エミル!?エミルなのか!?」
しまった。つい呼び捨てにしてしまった。
いつも頭の中では呼び捨てだったから、とっさに呼び捨てしてしまった。
エミルは突然の事で少し驚いていたが、顔を赤くしながら笑顔で答えた。
「エル君!また会えたね!嬉しいな。」
夢なのか?いや、今は夕方だし、俺は昼からずっと起きている。
これは紛れもない現実で、エミルは夢の中にいた女の子ではなかったという事が証明された。
俺は床に散らばった野菜炒めを気にはしたが、エミルを見たらどうでも良くなっていた。
「エミル、無事だったんだな?ずっとそこにいたのか?ご飯は食べてるのか?ちゃんと寝てるのか?」
俺は息をするのも忘れ、エミルに質問を浴びせた。
「わっ、そんなに質問されたら何から答えたら良いのかわかんなくなっちゃうよ。」
戸惑いながら照れ笑いするエミルもまた格別に可愛い。
俺はごめんと謝ってから色々な事を話した。
そっちの空間での生活の事。エミルの事。
そして自分の事。今回は特に自分の事を話した。
エミルに知ってもらいたかった。
彼女にとってはつまらない話かもしれない。でも俺にとっては大事な事だった。
エミルは笑顔で頷いたり笑ったり、楽しそうだ。俺なんかの話が面白いのか?
きっと俺を良い気分にさせてくれようとしてるだけなんだろうけどな。
でも俺も楽しいからどっちでもいい。
エミルの本心はどうあれ、確かに二人のいるこの空間は居心地よく温かい雰囲気に包まれていた。
話も段々尽きてきたので、最後に俺はラノベ作家を目指している事を打ち明けた。また会えなくなるかもしれない。
話しておこう。
エミルは目を輝かせて言った。
「凄い!作家さんかぁ、大きくて良い夢だね!!わたし、絶対応援する。エル君の書く小説すっごく面白いもんね。」
エミルが画面から出てくるのではないかというくらい身を乗り出してきた。
実際に出てくれば良いのに、と俺は期待しながらエミルと心の距離まで近づいた気がして、俺の心の拍動は一層強くなった。
だが、正直エミルが褒めてくれる程、俺はこのストーリーには満足していなかった。あくまで趣味で書いているこの内容に。
「エル君、また続き書いてね。それじゃ、光が暗くなってきたから、また今度ね。もっとエル君といっぱいお話したいんだけどなぁ。ごめんね。お休み。」
「あぁ、また続き書くから読んだら感想聞かせてくれよな。お休み。」
「うん、楽しみに待ってる。そ・・それと・・・」
急に恥ずかしそうになりながらエミルは付け足した。
「名前、最初にエミルって呼ばれた時は驚いてドキドキしちゃったけど、嫌いじゃないです・・・。」
真っ赤にした顔を隠しながら暗い空間の奥の方へと走っていった。
この闇の空間にこんな使い道があったのかと関心しつつ、床に散らばっている野菜を片付けようと椅子から立ち上がったが、そのままベッドに仰向けで倒れこんだ。
天井を見上げながら俺は真剣に考え込んだ。
実際にリアルで会った事もない人に恋をした。
エミルについては殆ど何も知らない。そんな相手を好きになってしまった。周囲の人にどう思われても構わない。
俺はエミルが好きだ。
俺はしばらくにやけたまま、床の野菜達と共に寝そべっていた。
それから俺は毎日「エミル」を書き続けた。不思議なのは他の文章を書いても何の変化も起こらないのに「エミル」だけを書くと彼女は現れる。どうやら規則性があるらしい事がわかった。
どんなに長く書いても、1日複数回書いても現れるのは1日に一度、約1時間だけだった。
話題は尽きる事なく、時間の限り話をした。
その殆どが取り留めもない内容であったが、俺はもちろんエミルも楽しそうだった。
エミルも少しずつではあるが、過去の事を思い出しているようだった。
何が好きとか家族の事など、他愛もない内容だけだったが、少しでも前に進んでいる事がわかって嬉しかった。
エミルと会える事は本当に楽しかった。俺の感情がこんなにも豊かだったなんて知らなかった。
よほど感情のない死んだ生活を送っていたのだろう。
そんな何気ない日常さえ大切に感じていたある日、ある疑問が生まれた。
それは「エミル」のラストが見えていて、書き終わってもエミルに会う事は出来るのだろうか。
いや、「エミル」を書いた時しか会う事は出来ないんだ。多分会えなくなえなくなるだろう。
俺は焦り始めていた。それでも会いたいという理由だけで俺は続きを書いていた。内容も少し無理が生じているのも承知だった。それでも書き続けた。
ここ何日かエミルは面白いとは言わなかった。
少し寂しそうな顔を見せるようになった。
もちろん会話は楽しく弾んではいる。
だが何かが違う。
ある日、突然その日はやって来た。
その日はエミルの様子が違っていた。
「ねぇ、エル君・・聞きたい事があるんだけど・・・」
「ん?何だ急に。」
「今書いてるお話、もう・・終わり・・・見えてるんじゃない?」「・・・」
俺は一瞬怯えた。今一番触れてほしくない部分を彼女に思いっきり突かれてしまった。俺は悶えたくなるくらい心臓に痛みを感じた。
「い、いや、そんな事はないけど・・・」
「嘘・・無理して書いてるのわかるよ。ちゃんと・・・完成させよ。」
少し俯きながらエミルは言った。
俺は沈黙した。何も言葉が出てこない。
しばらくして俺はようやく覚悟を決めた。
「終わらせることは出来ない。」
「どうして?作家になりたいんでしょ?内容も面白いし、エル君ならきっと賞を取ってプロの作家になれるよ!」
「プロの作家にはなりたい。でも投稿は他の作品でする。こっちは終わらせる事は出来ない。」
「他の作品だって大事だと思うけど、今の作品も大切にして。わたし、今の作品はとっても好きだけど、このままだと内容がぐちゃぐちゃになっちゃうよ。わたしが大切にしたいものを守って・・・」
「俺にだって賞を取るより大切な事があるんだよ!」
俺はつい感情が高ぶり声を荒げてしまった。もう後戻りは出来ない。
「これが完結したら俺達は会えなくなるかもしれないんだぞ!?今みたいに話が出来なくなるんだぞ!?俺は今こうやってエミルといる時間が大切なんだ。この時間が俺には・・・」
俺は言葉に詰まった。二人のこれからを考えるのが怖くなって、頭の中はフル回転で最良の選択肢を探している。
しかしそんなのはいくら考えても出てくる事はなかった。
次に出てくる言葉が出てこない。俺はどうすればいいんだ?もう、書き終えるしかないのか?
何かに対してこんなに向き合ったのは初めてだった。
「それでも・・・駄目だよ・・」
寂しそうなエミルの顔が更に陰る。
「こんなとこで立ち止まってても何も始まらないんだよ・・・それでも・・・前に進まなきゃいけないんだよ・・・」
二人はもう感情でしか会話が出来なくなっていた。
「俺は作家になる事もエミルといられるこの時間も大切なんだ。
どちらも手放したくないんだよ。質は下げないようにするし、いつかは終わらせる。だからもう少しだけ・・・」
エミルは俯いたまま何も答えなかった。
「エミルは俺といるの・・・嫌か? 」
俺はとてつもなく卑劣な男だ。こんな聞き方しても答えづらいだけなのに。エミルは更に俯き、顔が画面から見えなくなった。
なぜ、何も答えてくれないんだ?何を考えているんだ?
俺は段々怖くなってきた。もしかしたら俺は一人で思い上がっていたのか?
急に胸が締め付けられ、恐怖心だけがどんどん大きくなっていく。
俺は黙ったままではいられなくなった。
「俺はエミルとずっと一緒にいたい!これからもずっとだ!だって俺はエミルの事が・・・」
「何も始まらないんだよ!今のままじゃ・・・」
急に顔を上げたエミルの目から涙が溢れていた。俺も感極まっていたが、必死でこらえた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ!?このまま終わらせて賞を取ったとしてもエミルがいなければ俺は・・・」
「わたしは会えなくなっても構わない!それでエル君の夢が叶うのなら、わたしは嬉しい。わたしの大切な物が壊れちゃうくらいならそんなのいらないよ!」
その瞬間、何かが割れて砕け散る音がした。
俺の心だった。そして、俺は全てを理解した。
エミルは俺とはただの話し相手で、彼女が好きなのは俺ではなく、俺の作品だった事。
俺の夢が叶のが最優先で、それ以外に興味がない事。
俺達が一緒にいる時間を「そんなの」と言えてしまうくらい興味がないらしい。
つまり、俺はこっぴどく振られたのだ。
しかも人生初告白の言葉を最後まで言えずに。
自分を情けなく、みじめでヘタレに感じながら俺の頭の中は今、ショックで完全に思考を停止していた。
人生で初めて好きになった相手に振られた。
たったそれだけの事なのに、あまりに代償が大きすぎる。
俺は思う。世の中の奴らはこんな一生消えない傷が残るかもしれないというリスクを抱えながら何度も恋愛をするのか?
俺にはとても理解できない。一度で十分だ。
ふと目がにじんできた。
俺は急いで目を搔く振りをしながら涙を拭いた。
少しでも気を抜けば溢れ出てくること間違いなしだ。
「そっか、そうだよな。俺の目標はプロになる事だからな。こんなとこで立ち止まれないよな。」
「そ・・そうだよ、わたし応援してるからね・・・。」
「俺、これから続き書くから今日はこの辺で。」
「うん・・またね。頑張って完結させてね。どんな結末になるか楽しみにしてるから。」
俺はエミルの方も向かずにただ、最低限の挨拶をした。
「じゃあな。」
台所に水を飲みに行く振りをしてパソコンからすぐに離れた。実際、喉は乾いていた。だが水を飲む事なんて出来なかった。
きっと飲もうとしても喉を通らなかっただろう。
台所からすぐさま戻りパソコンを確認する。
エミルはもういない。
肺の奥底から息を吐いたのと同時にベッドの上に倒れこみ、そのままの状態で泣いた。
泣きじゃくった。自分で感情のコントロールをする事など不可能だった。
涙が止まらず、ついには声を出して泣いた。涙と共に様々な思いも溢れ出てきた。
悔しい、寂しい、情けない自分、思い上がっていた自分、こんなにも複数の感情が一度に溢れ出てきた事なんてなかった。
ちゃんと別れの挨拶も出来てない。
それどころか最後にあんな態度を取った自分が嫌になった。
自分は情けない人間で、とてつもなく弱い。
だから願う事しか出来ない。
もう一度会って謝る事が出来れば・・・。
だが、エミルはこんな弱い人間とまた会ってくれるだろうか?きっともう会いたいとは思わないだろう。
今はこんな事ばかり頭に浮かんでしまう。
自分で自分を傷付けている事に気付いた俺は、 これ以上の被害を出さないため、しばらく泣く事に集中した。