プロローグ
この話は一人の英雄が織り成す物語。
世界の名を【アトモス】といい、数ある大陸の中で一番を誇る【ユースフィア】が舞台だ。
主人公の名はシュゼン・アマツといい、銀髪細目のいつも笑顔で何を考えているかわからない男だ。
長いサラサラの髪を女性のように髪留めで後ろに留め、横から垂れた髪を紫と金で出来たアクセサリーに通して固定している。
身長は百八十と高く、歳は十六だ。
彼は現在【ユースフィア】に存在する七つの深遠の一つ、誰もが恐れ近付かず、強力な魔物が蔓延る魔境【悠久の森】で修行を付けてもらっていた。
どこまでも澄み渡った蒼穹の空には、どのくらい離れているのか分からないが大きな翼が六つ生え、奇怪な声小を上げた拳大の怪鳥が飛んで行った。
怪鳥の出現が無ければ空はいたって普通のようだ。
では、視線を下へ落とし地上はどうだろうか。
目の前には高さ数十メートルはあろう木が視界を埋め尽くすほど生え、腰まである草が風に揺られている。
所々に蔦や苔などがあり、普通の森ではないことが覗える。
さらに森の中からは怪獣のような鳴き声と重い足音、何と言っていいのか分からない奇怪な声まで聞こえる。
どうやらこの森は普通ではないようだ。
まあ、世界に七つある深淵の一つなのだから当たり前だ。
どこを見ても同じような景色で、どれも悠久の時を生き、生き延び、闘い、殺し合い、奪い合ってきたのだろう。
そんな中、さらに森の奥であろうところから二つの声が聞こえてきた。
「フッ、はりゃッ」
「甘いですよッ!」
どうやら声からして人間のようだ。
種族までは分からないが、どんな種族であろうとこの森の中で生きていけるとはどんな者達なのだろうか。
少し覗きに行ってみよう。
キンッ、と甲高い音が鳴り、目の前に白銀の変哲もない剣が落ちてきた。
前方に視線を移動させると、そこには一人の青年が老人に剣を突き立てて立っていた。
今気が付いたのだが、ここは静かで先ほどの奇怪な生き物の気配が全くない。
まるでこの地域にいた生き物が逃げて行ったようだ。
それほどこの二人は強いのだろうか?
この森にいるのだから自衛できるぐらいには強いのだろう。
「やっと儂に勝ちよったか」
「ええ、苦労しました」
青年は剣を腰の鞘へ戻すと老人へ手を差し出し引き起こした。
老人は六十ほどに見えるが、服の下から覗く肉体は若々しく、歩く足取りは一寸の淀みもなく、背筋はピンと伸びている。
二人はそのまま森の奥へと消えていく。
森の奥には一軒の木製の家が建っていた。
この森には似つかわしくないペンションの様な家だ。
どうやら二人はこの家の住人のようだ。
そして、この辺りにも危なそうな生き物の気配はないようだ。
「師匠、勝ちましたけど何かあるのでしょうか?」
青年は台所で余所見をしながら手元のじゃがいもを綺麗に剥いていく。
その手には迷いが全くなく、刃物の扱いが上手いのが覗えた。
師匠と呼ばれた老人の名はリュウヤ・アマツ。
リュウヤは設置されたソファーに腰を下ろし、一息ゆっくりつくとお茶を飲み、口を開いた。
「ああ、そんなこと言っておったな」
「ええ、師匠に拾われてからずっと気になっていたことですよ? 忘れるわけがありません」
「そうじゃな。お主、明日からここを出て冒険するのじゃ。世界を回って来るのじゃ。世界は広くいい物じゃぞぉ」
青年は突然のことに固まるが、手だけは普通に動いている。
「どういうことでしょうか?」
「そのままの意味じゃ。お主は始祖である儂を倒した。よって【アマツ流】の免許皆伝じゃ。じゃから、世界を回って来るのじゃ」
リュウヤは結論から言う癖があるのか上手く要領が得られないが、『要するにお前に教えることはもうないからあとは自分で腕を磨け』と言いたいのだろう。
もちろん青年もそのことを理解しているだろう。
証拠にちょっと困った顔をしている。
「いえ、それはわかりますけど、どうして明日なのですか? それも一回かっただけで……」
「じゃが、儂はそう決めた。それに主はもうじき成人じゃ。外の世界を見るのもいいじゃろうよ」
「それはそうですけど……」
ギフト。
それはこの世に生を受けた者全てに等しく貰えると言われる神の力の一部のことだ。
このギフトは個人によって力の差はあるにせよ、人々は毎日神に感謝しながらギフトを使うのだ。
と、言われている。
早い話し異能のことだ。
この世界には魔力と呼ばれるものが満ち、魔法を使う者達がいるがそれとは別ものを指す。
ギフトはいくら使っても失われず、使えば使うほどその力を強くし能力を解放していくのだ。
「何を迷っとるんじゃ。お前らしくもない」
リュウヤはそう言ってお茶を飲み干す。
青年は切った野菜を鍋に入れて火を強くした。
コンロに摘みがないということはこれも魔法の一種なのだろう。
青年はそこで手を止めてリュウヤに答える。
「いえ、ご老体をこんな森の奥に置いて行っていいものかと……」
「うっさいわい! 儂もお主が出て行けばここから立ち去るつもりじゃ。古い友人に久しぶりに会いに行くのもいいと思っておる」
「そうですか。師匠の友人というと……魔王でしょうか?」
「そうじゃ。じゃが、あやつは会いに行かんでも自分で来るじゃろう。儂にマーキングしたとかほざいておったからのう」
リュウヤの眼が一瞬細まり、鋭い光と気迫が宿った。
この世界の魔王は人間と仲がいいのだろうか?
青年は作った料理をリュウヤの目の前に並べ、自分もリュウヤの目の前に座って食事を開始する。
「まあ、だから安心して世界に旅立て」
「はぁ、仕方ありませんね。何かあります?」
「そうじゃのう……恐らく、外に行ったらここより不便だと感じるじゃろう」
いやいや、此処より不便っていうのはおかしいでしょ。
「お主にはここでの生活以外何にも教え取らんからな。苦労するかもしれんがそれも試練だと思ってくれい」
自分勝手な言い方だが、リュウヤも過去に身一つでこの世界に放り出され、境遇は良かったものの戦いに身を潰してきたのだ。
それを味わえとは思っていないだろうが、弟子に課すなら丁度いいとは思っているかもしれない。
「それにじゃが、お主の眼で見て全てを判断するんじゃ。その権限をお主は持っておる。必要な時は儂の名を使え」
「師匠の名ですか? 価値があるのですか……」
「貴様……。何度も言っておるが儂は勇者じゃぞ? 国で知らん奴はおらん。免許皆伝に証に儂の剣と証明書をくれてやる」
「くれる物は有難く貰います」
青年はそう言って箸を綺麗に揃えて置くと、頭を下げて両手を差し出した。
結構いい性格をしているようだ。
リュウヤは溜め息を吐いて懐からカードのようなものを取り出した。
「これが証じゃ。自分には解決できんと思ったらそれを見せてみるがいい。じゃが、相手を考えて使うんじゃぞ? 道を教えてほしいのに差し出すとか、強敵に差し出しても意味ないからのう」
「では、誰に出せばいいのですか?」
「外には王と呼ばれる者達がおる。そいつらに見せれば一発じゃな。あと、冒険者ギルドとかいうのがあるが、そこも一発じゃな。他には……とにかく偉い人には一発じゃ」
「はあ。……とりあえず、偉い人に会って困れば使えばいいのですね」
「そうじゃ。そのあたりはお主の采配に任せる。悪用はくれぐれもせんようにな」
最後に釘を刺すリュウヤ。
それにしてもリュウヤが勇者というのは笑える。
勇者も歳を取って老人になるんだな。
それに他の世界から来たというのは恐らく召喚されたのだろう。
多くの魔物を倒し、多くの人を殺し、多くの人を助け、多くの人を幸せにした勇者。
だが、どうしてこんなところにいるのだろうか?
権力争いでも起きたのではないだろうか?
なら、自分の弟子に危険が及ぶようなものを渡すはけがないか。
まあ、そんなことは置いておいて、青年は驚くことにそのカードを放り投げると空間に裂け目が入りカードは飲み込まれるように消えてしまった。
「いつ見ても凄いのう。収納袋はいらずじゃな。儂も憧れたが、使うことは出来んかった魔法じゃ」
「まあ、私もギフトが無ければ使えなかったでしょうけど」
「それもそうじゃな。それにしてもお前のギフトは反則じゃ。初めて見る者は混乱するじゃろうて。使う時は人目を避け、魔法に見えるように使い、出来ん場合はそれがギフトと通すのじゃぞ」
「ええ、分かっていますよ」
青年は吸い物を口に運び、ほっと息を吐く。
「あと、言っておくが外では『金』と呼ばれるものが必要となる。単位はロルじゃな」
「金? ですか。それはどうあっても必要なのですか?」
「そうじゃ。生きるには必要となる必需品じゃ。あれば渡すんじゃが……持っておらん。まあ、外では稼ぐ方法はいくらでもあるから、自分で探してみるのもいいじゃろうて。じゃが、犯罪だけはするんじゃないぞ」
「わかっていますよ。稼ぐ、というのはなんですか?」
青年は本当に何も知らないようだ。
リュウヤは端を揃えると青年に向けてビシッと指した。
「前にも教えたじゃろうが。仕事をする、ということじゃ。その仕事と対価で金を貰うんじゃ。方法はいくらでもある。まあ、お主なら魔物を狩って売るのがいいじゃろう」
「あんなのが売れるんですか?」
「お主や儂からすればその辺の動物と変わらんが、外の世界の住人からすると凶悪そのものじゃ。倒すだけで感謝されるんじゃぞ」
リュウヤは料理を食べ終えると合唱をして食物に感謝を伝えた。
「では、冒険者ギルドとかいうところに行きましょうか」
何気無く呟いた青年の一言にリュウヤは眉を顰め、片手を顔の前で振って否定した。
「やめておけ。冒険者ギルドだけはやめておけ。あと、さっき言ったやつじゃが、国に仕えるのもやめておけ。お主じゃ無理じゃ」
「国? は面倒そうなのでやめておきます。だって、王がいるのでしょう? 面倒なことになるのなら最初から行きませんって。でも、なぜ冒険者ギルドはダメなのですか?」
青年も食べ終えると合唱をして感謝を告げた。
その後目を開け……ずに首を傾げて訊ねた。
「冒険者ギルドは実力主義じゃ。力が強ければ上に行ける。依頼を受けて報酬を貰い、金もたくさん集まり、人々から感謝されるじゃろうて」
「どこがいけないのですか?」
「人はの、最初の内は力に魅了されて近付いてくるものじゃ。じゃがな、過ぎたる力は恐れられるんじゃ。いつ自分に降懸ってくるか、とな。もちろんお主がそんなことをする人間じゃないと儂は知っとる。じゃが、知らん奴から見たらお主は怖いんじゃ」
悲しい目と顔でリュウヤは諭すように青年い告げる。
恐らく勇者としての仕事を全うしてきた時に同じような目に遭ったのだろう。
まあ、リュウヤの言い分は理解できるので何も言うまい。
「冒険者ギルドでもそれは同じじゃ。怖がれないとしても、その力を使おうとする者が出てくるのは必然的じゃ。特に馬鹿な奴の中に多い。嫌じゃろ? 道具のように扱き使われるのは。嫌じゃろ? したくもないのに殺しをするのは」
リュウヤの眼に怒りとも悲しみとも取れる感情が見て取れた。
やはり過去に何かあったようだ。
青年は何も言わずにじっと見つめる。
「冒険者ギルドはな、戦争や魔物の侵攻、依頼、貴族とのしがらみ等いろいろと制約があるんじゃ」
「人や魔物が攻めてきたら倒すということですか?」
「そうじゃ。もちろん金は貰えるし、名誉も得られる。じゃがそれ以上に目を付けられる。自由じゃなくなるんじゃ。したいのにできん、したくないのにしないといかん、表に出したいのに隠さんといかん」
「それは嫌ですね。ではどうやって金とやらを稼ぐのですか?」
「なにも魔物は冒険者ギルドだけで売り買いされておるものではない。外には商人というものがおる。そ奴等も買うし、肉は誰でも買う」
「そうだったんですか。では、魔物を狩って金を稼ぎますよ」
青年は納得できたと顔を輝かせて告げた。
リュウヤもそれを見て満足そうに頷き孫を見るかのように優しく微笑んでいる。
「目立つような行為も控えることじゃな」
「目立つ行為ですか?」
シュゼンはどの行為が目立つのかさっぱりわからない。
森の外に出たことがないとそういうように育つのだろう。
「そうじゃ。目立てば冒険者ギルドに入るよりも厄介なことになるぞい」
「むむ、ではどうするというのですか?」
「まあ、いろいろと方法はあるが、まずは儂のカードを使う。次に名前を伏せる。更に口止め。最後に逃げるじゃな。まあ、これ以外にも山ほどあるが、お主のことが広まっているとするとどうしようもないわな」
シュゼンは眉を顰めて首を傾げた。
リュウヤは優しく微笑み「乗り切るのも試練じゃ」というのだった。
「最後に儂の剣をくれてやる。二階の倉庫の中から一本持っていけ。おすすめはお前の髪に合わせた神銀の剣じゃな」
「はあ、覚えていたら貰いますよ」
「まあ、無くとも大丈夫じゃろうがな。もしもの時は持っていくがよい」
二人はそのまま食器を片付けえると体を洗い眠りについた。
次の日。
家の前では青年ともう一人青年がいた。
片方の青年は昨日の銀髪細目の青年だ。
もう一人は若干リュウヤに似ているが、こんなに若くない。
それに髪は黒い。
「本当に若返れるんですね」
「凄いじゃろ。お主も出来るかもしれんぞ」
会話からして黒髪の青年はリュウヤで、若返ることが出来るようだ。
それもギフトの力だろうか?
それとも異世界の住人だからだろうか?
まあ、どうでもいいことだ。
「お主の門出を祝って『シュゼン』という名を授ける。今日からシュゼン・アマツと名乗れ」
「わかりました。シュゼンですね」
「そうじゃ。基本的にシュゼンだけ覚えておればよい。アマツは名乗ると厄介なことになるかもしれんでな。名乗る時はどうしても、という時にするんじゃぞ」
「そうですか。……では、私はいきますね」
青年――シュゼンは簡易コートを着て、剣を腰に差すと森の方へ歩いて行く。
リュウヤは止めることなく、反対側に向かって歩き出す。
「シュゼンよ。元気でな」
「ええ、師匠も」
これが大陸に名を轟かせる英雄シュゼンの旅の始まりだった。