◆ 地竜
ぜぇはぁと、擦れ擦れに聞こえる呼吸。
「なんっなのよ、あれはっ!」
「知るかっ!」
「あーん、疲れたよーっ」
草を踏み倒し、木の枝をよけながらキーナたちは走っていた。とにかくひたすらに。後ろからは先ほどの『語り笛』というもので呼ばれたのであろう巨竜――おそらく地竜の一種――が追い掛けてきていた。
翼が退化し、飛竜とは別の進化を遂げたこの種は、飛べない代わりに比類なき巨体を得た。目が退化していないことから土竜でないことは分かったが、分かったところでどうしようもない。
「っはぁ……マサアっ」
「なにっ?! って、あぁキーナ、俺に掴まって!」
「ごめ……っ」
息も絶え絶えのキーナを見かねて、マサアの手が彼女の細い手首を掴まえる。彼に引っ張られながら無理矢理足を動かしているような状態であった。
運動神経に優れていない彼女にとっては、歩き通しで体力が尽きかけていたこともあって、この状況は非常に辛い。木の根が這い回る森を駆けているのだから、走りにくいというのも遠因ではある。
しかし、年下のミナミよりも遥かに劣る体力のなさに、キーナ自身も参ってはいた。それでも懸命に足を動かしながら、自分を引っ張っていくマサアに声をかける。
「あれっ、なんの……っあ」
「地竜! ただのアースドラゴン! でもやばいっ!」
「なにがまずいんだっ?!」
耳を澄まして会話を聞いていたタヤクからも問いが投げ掛けられる。マサアはうー、と少し迷ったあとにこう言った。
「あいつ、物理ダメージ受けないんだよっ!」
その言葉に、六人は沈黙するしかなかった。
現在の戦闘方法としては、ケイヤとタヤクが物理攻撃、ミナミが援護一辺。
マサアとミカノは物魔両攻撃が可能だけれども、魔力はそこまで高くはなかった。
紅い髪を揺らしながら走るミカノは、「ふむん」と呟いたあと、こともなげに言葉を吐き出す。
「えーと、そしたら男三人は役立たず、ってことでおっけー?」
「身も蓋もないな。まぁ、マサアの記憶違いでなければそうなんだろう」
「絶対だってば! 信じろよケイヤぁっ」
走りながらもいつもと変わらない調子で声を掛け合うミカノたちを、キーナは息も切れ切れに眺めながら、内心で呆れていた。
――この人たち、なんで走りながらこんなに会話していられるのだろう
剣やナイフといった物理的な攻撃は効かないとマサアは言った。けれど、彼らはそんなことに頓着していないように感じるのだ。
いま逃げていることすら、ただ戦う為の場所を探しているのではないかと錯覚してしまうほどに。
「――誰も傷つかない森の中なのにね」
小さく呟いて、知らぬ間に彼女は微笑んでいた。
彼らにとってこの程度の竜など、恐れるに足りないものだと分かっていたから。
ならば、自分もその中に居られるようにしなければならない。
そう思い、キーナはマサアの手を軽く引いた。
「どうしたのキーナ?」
「私が……」
「え? なにっ?!」
「私がっ、やるっ」
言うと同時に、マサアの手を強く振り払った。勢い余ってたたらを踏んだものの、どうにか転ばないように足を踏ん張る。
そうして彼女は迫り来る竜に向かって一人対峙し、術の詠唱を始めた。
「キーナっ?!」
ミナミの声がしたけれど、すでに言葉を紡いでいるキーナは返事をせず、そちらを向こうともしない。
『生命の理司どりし光』
――あの大きさなら下位魔法で大丈夫ね
心の中でそう考えながら詠唱を続ける。
世界中で発動した魔法の残滓を集めて発動させる下位魔法には、術を司る精霊や神々はいない。けれど、詠唱をすることで多くの魔力の残滓を集めることができるのだ。
自身の周りに集まりだす魔力を感じながら、彼女は静かに言葉を紡ぐ。
『炎帝抱えし揺らめきを集いて葬らん』
地竜はその巨体もあってか、踏み出す一歩は大きいものの、スピードは非常に遅かった。雄叫びが聞こえたと同時に逃げ出したこともあってか、地竜と彼女たちとの距離はだいぶ開いている。
とはいえ、その体は小山程度はあり、遠目でも視認できるほどに巨大である。
いまもキーナの視界に地竜の姿がはっきりと確認できる。
彼女が足を止めて待ち構えていることもあって、その距離はどんどんと近くなり、傍に寄れば寄るほど地竜の巨大さが分かる。
――もう少し、距離を……
術を解き放つタイミングを見計らうキーナであったが、
『聖なる砲撃――セント・フレイム――!』
ゴウッ! という凄まじい風の音が彼女の両脇をすり抜け、地竜の背中に大穴を開けた。その衝撃と痛みに地竜が雄叫びを上げて、足を止めて身悶える。まわりの木々も合わせて大きく揺すぶられ、ざわざわと音が響いた。
光の精霊の力を借りる中級精霊魔法だ。けれど、キーナの呪文はまだとどまった状態である。
思わずぽかんとした顔でもんどりうつ巨竜見つめる彼女の肩を、誰かがぽんっと叩いた。
「キーナちゃん、一人でいいトコどりはだめよん」
振り向くと、紅い髪の少女がにやりと笑っていた。
彼女は真っ先に走り出したタヤクを抜いて、六人の先頭に立っていたことを思い出す。いつの間に戻ってきたのか、キーナには見当もつかなかった。
呆ける彼女の内心など露知らず、ミカノは緑の瞳をいたずらっぽく煌めかせる。
「さぁっ、やっつけちゃってー!」
「……っ!」
やんややんやと盛り上げてくるミカノに笑い返し、改めて地竜を睨む。
そして。
魔力を込めて、吠えた。
『燃え堕ちろ。暴発の炎渦――フレイム・バースト――っ!』
“力ある言葉”を解き放つと同時に、キーナの両手から灼熱色の光球が現れた。あっと言う間に子供の頭ほどの大きさになったそれを、ミカノが開けた背中の穴に狙いを定める。
キーナによってコントロールされた炎の玉は、狙い違わず背中の大穴に吸い込まれるように飛んでいき、地竜の内部で爆発、四散した。
『オォォォオ……っ!!』
皮膚が焼ける音と、地竜の苦悶の叫びとが重なる。ぐっと両手から放出する魔力を強めれば、灼熱の球は威力を増し、そのまま地竜を引き裂いた。
『ルアァ……ッァァアっ!』
肉が千切れ飛び、鮮血が空高く吹き上がる。
黙して見守るキーナとミカノの眼前で、断末魔の声とともに二つに裂かれた地竜は、地に崩れ堕ちた。
倒れた際に巻き起こった土埃も収まらないうちに、
「おー。相変わらずすごいねぇ」
と、軽い調子でミカノがねぎらってくる。それを受けて、キーナも微笑みを浮かべたまま口を開いた。
「ミカノちゃんが穴を空けたところに当てただけよ」
「いやぁ、なんつーか、コントロールもすごいけどさぁ」
「あのサイズの竜を下位の精霊魔法一発で仕留めるのがありえないって」
いつの間に戻ってきていたのか、タヤクがミカノの肩越しにひょいと顔を覗かせて、もう動かなくなった小山程度の竜を見やる。
一瞬驚いたミカノとキーナであったが、ミカノは彼に同意するように「そうそうっ」とすぐに頷き返した。
詠唱をきちんと行えば魔力が上がり、威力も跳ね上がるのは普通である。
けれどもキーナは“異能”であった。
普通の術師の数倍、数十倍にも威力を高められるのは、彼女の魔力が純粋に高いためなのか。それは“鳥籠の飼育者”たちにも分からなかったことであり、キーナ自身も何故なのかは知らない。
彼女にとっては“当たり前のこと”だったので、驚かれることがよく分からず、曖昧に苦笑を返すことしかできなかった。
到底下位の魔法とは思えないほどの術の結果が、三人の目の前に横たわっている。彼女たちの足元を、血の川が幾筋も流れていった。
「……」
ぼんやりとその光景を眺めながら、キーナはふぅと息を吐いた。屋敷を出て歩き通しだったうえに地竜から逃げるために走りっぱなしだったせいか、彼女の足はがくがくと震えて上手く力が入らないのだ。
気を抜くと倒れそうになるキーナの体を、タヤクが片手を出して支えてやった。
「大丈夫か? お前はこいつと違って体力ないんだから、無理すんなよ」
「こいつとかいうなっ!」
ミカノは顎で示されたことに文句を返しつつ、キーナをタヤクに預けるよう、ぐいぐいと押しつける。
抵抗する気力もないキーナはされるがままで、タヤクはタヤクで彼女を乱暴に扱うわけにもいかず、ミカノに押し付けられるままに体を支えてやるしかない。
「よかったねー、キーナちゃん! タヤクが村までおぶってくれるってっ!」
「お前、ほんっと……あぁ、いいよ連れてくよ」
始めからそのつもりで傍に来てくれたのであろう彼は、軽々とキーナを抱えてみせた。いわゆる“お姫様抱っこ”の体勢を取らせてやり、彼女の体に負担が掛からないように気を使う。
キーナも彼に申し訳ないと思いながらも、疲れによる睡魔には逆らえず、結局大人しく抱えられ、頭を彼の胸に預けた。
「……ごめんなさい、タヤク」
「気にすんな。ミカノの我儘よりはかわいいもんだ」
蚊の鳴くような声しか出なかったが、それでも答えてくれた彼はやはり優しい。
そうこうしているうちにミナミを連れたマサアも戻ってきて、「お疲れー」などと言いながらキーナの頭を軽く撫でてやった。体温の高い彼の大きな手は、とても心地よかった。
ふと顔を動かせば、少し離れたところに黒髪の幼馴染も立っている。眼鏡の奥の瞳は良く分からないが、感情の少ない彼もそれなりに心配してくれていることはよく知っていた。
「寝ちまえ。起きたら村だ」
うとうとと、夢と現の狭間をさ迷いながら、タヤクの柔らかい声が耳に沈む。
――ごめんなさい
そう呟いたかどうか分からぬまま。
いつの間にか、キーナは眠りについていたのだった。