◆ 旅路

それでいいと思っていた

どうせいつか

それならば


◆ ◆ ◆


 ぜぇはぁと、擦れ擦れに聞こえる呼吸。


「なんっなのよ! あれはっ!」
「知るかっ!」
「あーん、疲れたよーっ」


 草を踏み倒し、木の枝を避けながら六人は走っていた。
 とにかくひたすらに。


◆ ◆ ◆


 住み慣れた屋敷を発ってから四時間ほど。
 いまだに森を抜けてはいなかったが、六人は順調に旅を進めていた。

 だいぶゆっくりとしたペースだったが「もうすぐ森も抜けるだろ」とタヤクが呟いたその時、ふとマサアが足を止める。


「――なんかいる」


 彼の野生の勘というのだろうか、とても性能のいいソレが外れたことなどまずなく、ケイヤとキーナが足を止めた。続いてタヤク、ミカノ、遅れて戸惑ったようにミナミもその場に留まる。
 そろってあたりを見渡したものの、特に人影や魔物の姿などは見当たらず、念の為にとキーナがあたりの魔力を探ってみたが、何も感知できなかった。

「なにがいる?」
「そこまではわかんね」
「魔物か野盗か……」

 ケイヤら男性陣が話し合う中、甲高い声がそこに混じった。

「どっちだっていーじゃん! ぶっ倒せばいいのよそんなもんっ」

 ミカノは意気揚揚、やる気まんまんといった感じでにやにやと笑っていた。
 深紅の長い髪を高々と結わえたその姿は相変わらずふてぶてしく、それでいて何よりも見惚れてしまうから困るとタヤクがぼやいていたのはいつだっただろうか。

 ミナミがそんなことを思いだして口の端を緩めている間も、ミカノはその猫の様な楕円の瞳を輝かせ、やや興奮したように言葉を続ける。

「野盗なら倒して金品奪えばいいし、魔物なら問答無用ではっ倒せるし!」
「お前はどこの野盗だ」
「うわーんキーナちゃん、タヤクがいじめるー」
「はいはい」

 いつものようにやりあう二人に、キーナも慣れたように適当に相槌を打つだけだ。

 そして彼女は思考する。

 野盗や魔物ならば問題ないけれど、もしも“鳥籠”の追手が今更ながら追いかけているのだとしたら。

「おっ、きたぞ」

 マサアの声に我に返る。
 目の前にいたのは、ただの野盗だった。

 中肉中背の、五十半ばくらいの男が頭なのだろう。その後ろにも七人……いや、八人、先の男と似たような格好をした姿が見えた。全員男である。

「へへっ、この森にまだ出入りする間抜けがいたとはな」
「無知な田舎者なんだろう、街で俺らを知らないわけがねぇ」

 にやにやと、品のない笑いを浮かべながらありきたりなセリフを吐く彼らを、心底面倒臭そうに眺めるミカノ。
 今までにも、森で暮らすうえで見つけた動物を狩ったり、稀に現れた魔物を始末していたミカノたちであったが、ついぞこのテの輩に出会わしたことはなかったのだ。

 今日の六人の運が悪いのか、はたまた――野盗たちの運が悪いのか。



――まず間違いなく、ミカノちゃんに出会ったこの人たちの運が悪いわね



 思わずそんなことを考えてため息を吐くキーナだったが、

「近くの街というのは、シュナイクのことかしら?」

 と、野盗たちに問いを投げかける。
 ここまで歩き通しだったので、体力のない彼女はもう疲れ切っていた。自分だけではなく、幼いミナミも結構な疲労が溜まっているはずだと思っている。
 屋敷がある森の周辺ではシュナイクの街が一番大きく、情報を得やすいだろうと狙いをつけていたのだ。

 とはいえ、“鳥籠”の関係者に見つかることを警戒して今まで一度も足を運んだことがなく、どのくらいの距離があるのか今一定かではない。

 一刻も早く休みたい。

 そんなキーナの心情などちっとも気にすることは無く、野盗たちは「へっ!」と小馬鹿にした笑いを浮かべ、

「シュナイク~? お前らいい年して迷子か? ここから近ぇのはランダンの村だぜ。街はイシヤか」
「シュナイクはもーっと東側でしゅよ~」

 げらげらげらっ!! と下卑た笑い声を上げる野盗を無視し、懐から地図を取り出したタヤクが確認を始めた。空色の瞳はきょろきょろと地図上を彷徨い、節の太い指を紙の上で走らせる。

「えーと、ここに家があって」
「このあたりで一度休みを取って……」
「えー? わかんねぇよー」

 同じように地図を覗きこんだマサアは眉を潜めて首を傾げる。その後もぶつぶつ呟く二人に、ミカノのゲンコツが容赦なく飛んだ。

「だぁほ! 地図が逆さまだってーの!」
『あ』

 重なった二人の声に、またも野盗たちの笑い声がこだまする。ミカノの顔は更に怒りに満ち、ミナミも恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「……頼むから、こんなやつらに恥を晒すな」
「お、黒髪のあんちゃんは違うってか?」
「ぼくだけは間違えませんでした~、って?」
『うわっはっはっはっはっ!!』

 ミカノの苛つきが今にも爆発せんという中、ケイヤは静かに左手を体の脇に添えた。

「キーナ」
「なに?」
「一人でやるからミカノを止めておけ」

 わかった。
 そう彼女が返事をする前に、彼は野盗たちの前へ躍り出た。

 線の細い、それこそ“華奢”という言葉が相応しいケイヤが打って出てくるとは思っていなかったのだろう。虚を突かれたようにぽかんとしていた野盗たちは、数瞬の間のあと手にしていた得物を構えたが、それでは遅すぎた。

「ちょっとケイヤ! あたしの分も少しは残しときなさいよっ!!」

 さっさと駆け出した彼の背にミカノが声をかけるも、ケイヤは全く聞く気がないようだった。そのせいでさらにミカノの声が荒ぶる。

 ぎゃんぎゃんと喚く彼女をタヤクが宥めるのを見計らって、キーナはケイヤの姿を目で追った。彼は左手に鈍く輝く一振りの剣を携えて、野盗たちの真ん中で舞っていた。

 後ろからくるククリ刀を刃でいなし、そのまま流れるような動きで左手から迫る男の脇腹に剣の柄を叩き込む。崩折れてきた男の頭を膝蹴りで返すと立つ力が失せたのか、後ろにいた他の二人を巻き込んで倒れた。

「っこの!」

 仲間がやられたにもかかわらず正面から突っ込んでくる男の一撃をあっさりとかわして、入れ違いに背中に一太刀を入れる。飛んだ血がケイヤの頬にかかっていたが、彼は全く気にせずに残りの三人の元へと踏み込んだ。

「ぐっ、なんだこいつ! 強ぇっ!!」
「こ、こっちくんなぁっ!」

 目の前で新たに一人が切り伏せられてパニックにでもなったか、年若い野盗がケイヤを避け、後ろに下がっていた五人へとナイフを投げた。

「――あ」

 キーナは目の前に迫るナイフを視認して、“避けるのは無理だな”と判断した。六人の中で一番身体能力の低い彼女は、避けたり受け流したり、ということが苦手なのだ。



――痛いかしら?



 なんとはなしにそんなことを思い、避けることを早々に諦めたキーナが目を伏せた時、刃と刃がぶつかり合う音が聞こえた。

「……?」

 ゆっくりと。
 長い睫を瞬かせて目を開くと、キーナの視界いっぱいに、肉厚のナイフを手に立つマサアの背中が見えた。彼が弾いてくれたのだろう投げられたナイフは地面へと落ち、ミカノが踏みつける。
 それを見届けぬまま、マサアは怒りに燃える瞳で野盗を睨みつけ、感情のままに怒鳴った。

「お前らなぁ、女の子に傷が付いたらどうすんだよっ! ばーか!」
「マサア……」

 いまいち迫力に欠けるセリフではあったが、本当に怒っているのがキーナには分かる。彼はいつだって、本気で心配をしてくれる人なのだ。

 そんなマサアに向かって下卑た笑いを浮かべて返したのは、頭の男だった。

「へっ。女に傷がついたってかまわねぇぜ。キレイキレイなら売ればいい。傷があるなら“女”になればいいさ」

 さすがにその台詞にはキーナもカチンとくるものがあり、呪文の詠唱を始める……と。


『ふざけんなぁぁぁぁっ!!』
「ぐっ?!」


 マサアとミカノ、二人の飛び蹴りが見事男の真正面を捉えて顔にヒットした。そのまま木の幹に背を打ちつけ、ずるずると崩れていく男。

 それと同時だろうか、ケイヤが最後の一人を斬り伏せた。

 パンパンっと両の手を叩き合わせ、気を失った男へ吐き捨てるように、

「だーれがお前らにミナミとキーナをやるか!」

 そう言ったマサアの肩を、誰かの手がぽんぽんと叩く。訝しんで振り返った彼の目の前には、猫のような楕円の瞳を細めて笑うミカノが立っていた。

「ちょい待ちマサア。あたしは除外なワケね?」
「えう。あ、いや」

 ふるふると首も手も振って無抵抗を示すが、彼女はボキボキと関節を鳴らして近づいていく。遠巻きに眺めているミナミから見ても可哀想なくらい、マサアの大きな目は怯えたように見開かれていた。
 先ほどまでの威勢の良さはどこへ行ったのだろうか。

「んっ、んっ。いいよー、言い訳はー。まあそこにお座り?」
「ぅあ……はい」

 どかばきっ、という音と時々聞こえる「ごめんなさいーっ!」という声は聞こえないふりをして、他の面々は地図を確認しているタヤクの元へ集まる。地図には廃屋を出る際に決めたルートが、赤いペンで記されていた。

「場所、確認できそう?」
「ん、なんとかな」

 答えて、彼の指が地図の一点を指す。
 未だ森の中にいる彼らであったが、先ほどの野盗の言葉や今まで歩いてきたおおよその時間で、タヤクがあたりをつけたのだ。

「家を出た時間から見て、おそらくこのあたりが現在地だ。ランダンが近いと言ってたからな」
「うわぁ、西にずれちゃったのね」
「そうみたいね、東とはまた逆方向に……」

 地図を覗き込んだミナミとキーナが口々に言う。本来通るべきルートを大きく西に迂回して動いていたらしく、目的地であるシュナイクからはかなり離れてしまっていた。

「今からルートを修正して動くと、シュナイクに着くのは明日の正午過ぎるんじゃないか、これ」

 空にはすでに、薄い月が現れ始めている。夜は野生動物や魔物にとっての活動時間である。特にこういった森にはそのテの類いが現れやすい。



――万が一襲われてもこのメンツならまぁ大丈夫だろうけど……



 そう思いながらタヤクが視線を這わせる先には、うーんと唸るミナミがいた。

 幼い彼女は未だ戦闘には慣れておらず、体力のないキーナも森を抜けるのに結構な疲労を覚えるだろうと、彼とケイヤは事前に話していたのだ。
 もしも魔物と鉢合わせして二人のどちらかが怪我を負えば、それだけ後が大変になるだろう。

 そういったことを危惧して日が暮れる前に森を抜けられるよう屋敷を出た六人であったが、道を迷うという自身の体たらくに、思わず深く息を吐き出す。

 しかし彼はすぐに思考を切り替えて、「なぁ」とケイヤに声をかけた。

「とりあえずこのままランダンの村へ移動しないか?」
「……」
「ミナミとキーナの体力が持たないだろう。ランダンでひとまず泊まって、明日イシヤの街を経由してシュナイクを目指そう」

 タヤクの言葉にケイヤは眼鏡の奥で、その双眸を細めてみせる。長い睫が白い肌に影を落とし、しばし思考した後、

「……それしかないだろうな」

 そう静かに肯定した。

 六人の動きを決めるのはケイヤであった。
 誰かが出した意見をケイヤが吟味し、決定する。彼は六人の中で最も冷静であり、物事をより客観的に見ることができるので、自然とそういう流れになっていた。

 それにほっと胸を撫で下ろしたタヤクがいまだにマサアを責め続けているミカノに声をかけようとしたとき、


「お前ら……このまま村まで行けると思うのか?」


 野盗の一人が地面に伏したまま、彼らを見て笑っていた。

「馬鹿な奴らだ……ただで済むと思うへぶ」
「うるっさい」

 ミカノの足が男の後頭部を踏みつけ、黙らせる。

「脇役はおとなしく引っこんでなさいよねー、まったく」
「お前、ほんっとひでぇな……」

 呆れた顔で思わず本音を漏らすタヤクの視線にも、ミカノは全く動じない。
 しかし、

「――その男が言うように、簡単には前へ進めないようだな」

 言いながら、ケイヤはミカノが踏ん付けた男に近寄り、その手から小さい笛を取り上げた。

「語り笛だ」
「語り……?」

 ミナミが首を傾げる。他の四人も彼女と同じく聞いたことがないようで、不思議そうにケイヤを見る。
 五人の視線を受けながら、彼は笛をまじまじと眺めつつ「俺も聞いたことがある程度だが」と前置きをし、

「魔力で暗号を封じておける笛らしい。もっぱら軍隊などで報告や伝令に使われるらしいが……」

 ぽつぽつと説明をしていたケイヤの言葉が不意に止まった。

「ケイヤ?」

 不思議そうにミナミが首を傾げてみたが、彼は黒い瞳で辺りを警戒するように見回している。ミカノやタヤクも同じように周囲を見回し、マサアがやれやれといった感じでミナミを脇に抱え込む。

「わっ?! マサア?」

 ミナミが上ずった声を上げたのと同時に、彼女を抱えたマサアの背後でかさりと草が鳴った。

「……なに?」

 さすがにミナミも異変に気が付き、愛らしい顔を強張らせてマサアにしがみつく。

「なんかさ、ヤバいの呼んでない?」

 マサアも頬を引きつらせながら他の四人の顔を見回した。そうしている間にも葉が擦れる音はだんだんと近付き、

「……あっちへ、誘導するから走れよみんな」


――タヤクの言葉に相槌を打つよりも早く。



『っオオォォォオォッ!!』



 巨竜の鳴き声が木霊した。

伽世
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伽世

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