◆ 領主
そこは荘厳な小城だった。
ランダンの村から馬車に揺られて数刻。
老人――ランダンの村長と、その護衛二人に罪人の如くキーナが連れてこられたのがここ、イシヤの街だった。
朝早いこともあってか人の姿も見えず、馬の蹄の音だけが通りに響いている。
「さぁ、降りてくれ」
やがて馬の足が止まり、護衛の一人が馬車の幌を上げ、キーナはゆっくりと脚を下ろす。馬車の振動は意外に大きくて、腰や尻が痛かったのだが、男の言葉に痛みも飛んだ。
「イシヤの街一帯の領主、ソエル様の城だ」
鮮やかな赤煉瓦を積み上げて作られた小城を見上げながら、馬車の幌をまくっていた男が呟く。
壁には蔓草が這っていて、煉瓦の赤色と相合わさって上品さを感じさせる。城門の前には警備兵が二人立っており、朝早く城に近付くキーナたちに訝しげな視線を向けていた。
しかし彼女には荘厳な城も警備兵の視線も、どうでもいいことでしかない。彼女の関心はただ一点だけであった。
「ソエル? クレーヴァではなくて?」
「前領主様は半年前に亡くなられたであろう」
「おい、物知らずにもほどがあるぞ」
もう一人の護衛の男があからさまな蔑みの視線と嘲笑を向けてきたが、キーナは特に何も感じなかった。それよりも、『鳥籠』を出てからの情報が余りにも少ないことに動揺した。
ここの領主が代替わりした、という話は知らない。
――やっぱり、二年は長かったのね……
口元に手を当て黙り込むキーナを護衛二人が小馬鹿にしたように見張りつつ、
「ソエル様に面通し願いたい」
城の警備兵に村長が声をかける。すると門の右脇に立つ兵士は「分かった」とだけ言い、外門についてる小さな戸を開けた。中にいる誰かに伝令を告げたようだった。
そしてキーナをここに連れてきた手間賃なのだろうか、中にいる者から受け取った皮袋をそのまま村長へと手渡す。じゃらり、と重い音が聞こえた。
「ソエル様からの褒美だ」
「あぁ、ありがたい……」
受け取った皮袋の中をさっそく確認した村長は目を丸くし、それをすぐに懐深くしまってから何度も礼を述べる。
その様子を不思議そうに眉を顰めて見ていたキーナであったが、やがて一つのことに思い当たった。
今年はなかなか気温が上がらず、一年でも特に暑い時期とされる“水枯れの月”の頭だというのに肌寒い日が続いたので、恐らくランダンの作物は冷害を被ったのだろう。
いつだったか廃屋で草木の手入れをしていたミナミがぼやいていたのを、キーナはふと思い出した。
ランダンは観光地とは言えない辺鄙な場所であり、特産物や名産と言ったものもこれといってない小さな村である。住民たちが細々と育てた作物をここ、イシヤなど近隣の街々に売って生計を立てているのだ。
しかしその僅かな収入源である作物が育たず、そのため本来村に入るはずだった収入が乏しいのであろう。
先ほど聞こえた皮袋の中身の音は、かなりの重量があると推測できる。
――村長の反応からして、金貨かしら……
村を治める老人にとって、キーナたちは全くの赤の他人であり、村には一切関係のない余所者である。その余所者をたった一人捕えて領主に渡すだけで、冷害で収入のない村を救える報酬が貰えるのだ。
村に住む者と余所者と、秤にかけるまでもない。
そんなことを彼女が考えていた時、
「お前たちはもう帰っていいそうだ」
そう村長に向かって告げる警備兵の声が聞こえた。
「では、わしらはこれで」
警備兵の言葉に、村長も深々と礼をして見せる。そのまま来たときと同じように、供をつれて踵を返した。懐も温まり満足そうに踵を返して馬車に乗り込む村長らを、僅かの間をおいて警備兵が追い掛けた。
――まさか……
「止めっ」
「――っくぁ?!」
止める声も虚しく、警備兵の腰に掛かっていた剣は村長の護衛をしていた村人の背中をばっさりと切り裂いた。呆然とその様を見ていたもう一人の男性を、反す刄で刺し殺す。
「ひぃ……ひぃぃぃっ!!」
目の前で起こった惨劇に、村長の喉から細い悲鳴が漏れる。老人の足元にまで飛んだ血は、朝の光にぬらぬらと赤く輝いていた。
「逃げてっ!」
必死のキーナの叫び声に、その場に固まっていた村長はびくりと体を震わせ、死体からむりやり視線を引き剥がすようにして逃げ出す。
しかし、そんな老人を逃すはずもなく。
逃げようとした村長の背中を別の警備兵が切り付けた。
「っ!」
思わず惨劇から目を離したキーナの耳に、村長が懐にしまっていた皮袋が落ち、金貨が転がっていく音だけが届く。
彼は自分の胸を貫通した剣を見開いた目で凝視し、それを握りしめた手は、血に塗れていた。
「ひっ、は、なっぜっ」
ぜぇぜぇと、息も絶え絶えに問う村長の頭に、二本の剣が刺された。
それきり、村長は動かない。
「く……っ」
伸ばした手が届くはずもなく、キーナは唇を噛み締めて悔しそうに眉根を寄せる。その視界には、血に塗れた剣を村長の服で拭う、二人の警備兵の姿が映っていた。
「――口を封じなくてはいけないほどなの?」
震える声で問いかける。
それは恐怖ではなく、怒りによるものであった。
――殺されるような理由としてはそれくらいしか見当が付かない
そう考えての問いであったが、自分をここに連れてきたことが村長達から万が一にでも漏れたら困ること……そんなものは見当も付かなかった。
警備兵たちはキーナの問いかけに返事もせず、ここまで彼女たちが乗ってきた馬車に黙々と死体を積み始める。
――客の扱いがなっていないわね
嫌味の一つでも言おうかと口を開き掛けたその時、
「お待たせいたしました。城内へご案内いたします」
小さな扉が内側から開き、血に染まった地面などまるでないかのように事務的な口調で、伝令役を担っている兵士が告げた。
◆ ◆ ◆
こちらでお待ち下さい、と置いていかれたのは、無駄に広い応接間だった。
赤絨毯に樫製の机、シェードランプにクレオ名産・特級クラスの白磁の壺。
キーナが腰かけているソファもいかにも高級そうであったが、部屋に馴染んでいて厭らしさを感じさせない。
――お金を持っている人はみんな、同じ血を引いているのでは、と疑うくらいに趣味が悪いものだけれど……
「……そこそこ品があるのね」
誰もいない部屋で小さく呟くキーナの声はよく透る。出された紅茶には一切手をつけずに部屋の中を窺っていたのだが、
「鹿の剥製でも置いておけばよかったですか?」
低い声が彼女の耳を打つ。
キーナが座るソファの真正面、冗談混じりにそう言って部屋に入ってきたのは、思った以上に若い男であった。彼がこの城の主であり、ここいら一帯の領主であるソエルなのだろう。
質の良いジャケットと揃いのズボンはシックな色でまとめられており、自分に似合うものをよく知ったうえで着こなしているのが分かる。
薄手のシャツもシルクで織られており、さぞかし値段も張るであろう上等なものだと一目で知れた。
「成金趣味は嫌いでね」
言いながらつかつかと歩み寄り、キーナの正面の椅子ではなく、さも当然のように隣に腰かけてきた。若干身じろぎしてソエルとの距離を開けた彼女だったが、同時にかの人物をさりげなく観察する。
色素の薄い蒼い瞳に、丁寧に撫で付けた灰色の髪。耳元には瞳と揃えたピアスが見える。年の頃合いは三十半ばほどだろうか。趣味は悪くないけれど、領主と呼ぶには些か若い気もした。
「この辺りを治めているソエルと言う。一応、領主を務めさせていただいているよ」
穏やかな微笑みを浮かべてはいたが、キーナはその笑みが気に食わなかった。
有体に言えば……気持ち悪い。
「手荒な真似をしてすまなかったね。ちょっと君たちと話をしたくて」
「会話がしたいのなら正面に座ったらいかが?」
「いや、そんな勿体ないことはしないよ」
にこにこと、蒼い眼を細めて笑う。舐めるような視線が蛇を思わせた。その目を見ているとぞわぞわと嫌な予感が首をもたげ、そしてそれは的中した。
「せっかく“花嫁”がここにいるのだから」
「?!」
ソエルの言葉にキーナの表情が強張る。
ばっ、と席を立ち逃げようとしたが右手首を掴まれて、そのままぐんと力強く傍に寄せられた。
後ろから抱き締めるようにして、両手の自由を奪われる。
「離し、て……っ」
身じろぎをするも一向に離れることができない。特別力を入れているようではないが、彼の手は少しも緩まなかった。
くつ、と低い笑い声が耳元で聞こえ、びくりとキーナの動きが止まった。その隙を突くかのように、ソエルが彼女の耳へと囁きかける。
「やっぱり“花嫁”と“騎士”だね。野盗に期待はしていないが、まさか地竜までばっさりとは思わなかった」
「あれは、あなたがっ!」
頭を動かして後ろを見ると、ソエルの顔がすぐ目の前にあり思わずびくりと薄い肩を震わせる。触れられている熱が気持ち悪い。
そんな彼女の様子も意に介さず、彼は含んだ笑いを浮かべ、
「あぁ。地竜を呼び出せる笛があると聞いてオークションで落としたが、本物だったとはね。野盗諸君に関しては、君たちを襲うよう頼むのは実に簡単だった」
そう言った。
恐らく野盗には謝礼としていくらか金でもあてがったのだろうとキーナは考え、その目元が険しく歪んだ。
「どうしてっ!」
「どうして、と言われてもね」
にやにやと、先程みた爽やかな笑顔と雰囲気を一変させて、ソエルは妖しく微笑む。キーナの頬に、白い指先が掛かる。彼女はもう、ぴくりとも動かない。
「――私が“鳥籠”に関わっていたからさ」
その言葉に、キーナは視界がぐにゃりと歪んだ気がした。