◆ 我儘な祈り

 彼の言葉を受け、キーナは軽い混乱に陥っていた。自分たちが考えていたことが、全く外れているのだ。

「……そんな」

 力なく呟く彼女に対して、ソエルは実に愉快そうに続ける。

「主に資金提供の面でね。なに、世界平和の為さ」
「……っ」
「言ってる意味、わかるね?」

 つ、と顎を掴まれ視線を無理矢理合わされる。囁くような言葉が、キーナの胸に突き刺さった。


「戻れ、“鳥籠”へ。貴様等の行いは全世界への冒涜と反逆だ」
「っ」


 正面から言われて、キーナは言葉を失った。



――分かっていた
――分かっていて、私は世界よりも皆を選んだ
――非難されたって構わないと、そう決めたのだから



「彼らは関係ないわ。私が勝手に選んだの」
「世界と、たかだか五人程度の命をか」

 ミナミの存在を知らないソエルは、キーナの命も勘定に入れたのだろう。しかし、キーナ自身は“自分の命などどうでもいい”と思っているのだ。

 ケイヤ達五人……ミナミを含めた五人が生きていてくれるのなら、キーナは喜んで人柱になっていた。
 自分のちっぽけな命で、それを捨てるだけで、みんなが生きていけるというのだから。


 けれどもミカノが“花嫁”に、人柱になってしまった。


 “鳥籠”に閉じ込められたまま“花嫁”として人柱になってしまえば、ミカノが救えない。
 それが、キーナにとってはたまらなく苦痛であった。

 唇を噛み締めたキーナは、彼女の発言に対する不愉快さを隠す気もないソエルの腹部へ手を宛てる……が。

「――随分、手際がいいのね」

 キーナの言葉にソエルは鼻で笑った。

「貴様は“壊された蒼――ブレイク・ブルー――”だからな。“鳥籠”での実験記録は知っている。魔力で貴様に勝てる奴はこの世にいないだろう」
「だからご丁寧に“アミュレット”を用意したのね」

 キーナのことを“壊された蒼”と呼んだソエルは、先ほどまでの穏やかな口調はどこへいったのか、一転して冷たい声音をしていた。

 “壊された蒼”とは“鳥籠”でキーナに与えられた仮名であった。“鳥籠”では本名を呼ばれることはなく、ミカノやケイヤも“炎の器”や“繊細なる闇”などという大仰な名を与えられていたのだ。

 その名にも反発するように、キーナは彼の耳を睨みつけた。彼が身に付けているピアスこそ、呪力封じのマジック・アイテムであり、キーナが魔法の発動を止めた原因でもあった。


――中位の術なら……詠唱すれば下位の術でも……


 キーナが次の一手を考えていると、それを見透かしたかのようにソエルが言葉を紡ぐ。

「ふん。本気を出せば、このピアスの効果も無視して私を殺せると思っているか?」
「……」
「そこまで自分の魔力が強いと自惚れているのなら滑稽だな」

 何と言われようと、キーナはそれをすべて無視した。
 彼の挑発に乗ることよりも、この状況をどう打破するかのほうが彼女にとっては重要なのだから。

 けれど、次にソエルが発した言葉を無視することは、彼女には出来なかった。

「逃げ出せると思うな“鳥籠”から。貴様らの命は私たちの命だ」
「違うっ!!」

 気がつくと、喉が切れそうな声で叫ぶ自分がいた。

「あの子たちの命はあの子たちのものよ」
「“鳥籠”に居た時点で、お前たちの命はこの世界のものだ」
「あんな場所に、居たくて居たわけじゃない……っ」

 一言一言、想いを吐き出すように言葉が溢れてきた。
 それはキーナの本心だった。

「あんな場所で、あの子たちの意思を無視して、見ないようにして……っ」




誰も死なないで と願った
誰も傷つかないで と泣いた
どうかどうか と縋った




「だから、私は……っ!」

 震える声に、しかしソエルが思っていたようなキーナの泣き顔はそこになく、ただ決然とした美しい顔だけがあった。

「――貴様、何をしている?」

 思わず見入っていた刹那、ソエルの耳に届く声。
 彼女が小声で紡ぎ始めた詠唱が一体どういう術なのか判別できない為、思わずキーナを戒めていた手を放して後ずさる。

 それは適切な判断だった。

 二歩、三歩と距離を開ける彼の視界に、その変化は現れ始めた。
 キーナの足元から水が溢れ出し、上へ上へと湧き上がっていく。さながら噴水の真ん中に立っているかのように、それは徐々に彼女を囲い始める。

『遡れ 時の彼方 巻き戻れ 其の目が開くとき』

 それは、水を見ていて漠然と抱いたイメージをもとに組み立てた、キーナの魔法。

『流せ 時の理 穿て 命の隙間』

 詠唱を続けている間も、水は彼女の腰のあたりまでざぁざぁとせり上がってきている。それは徐々に渦を巻くように、飛沫が四方八方へ飛び散っていた。

 呆然とその様子を眺めていたソエルであったが、やがて新たな変化を見つけて顔を強張らせる。キーナの意図がやっと分かったのだ。

「貴様……自分を封じる気か」

 彼女の足元が徐々に凍り始めたことに、彼は気付いた。
 キーナの足に纏わりついていた水はやがて真っ白に凍りついていき、さらには透明色へと変化して、細い肢体を閉じ込めだしたのだ。

 彼女がソエルの言葉に構わず詠唱を続けていると、

「――舐めるな」

 舌打ちと一緒に、彼は吐き捨てた。

「貴様の魔力には敵わんだろうが、干渉して打ち消す程度になら私にでも魔法は使える」

 そう言って彼は両耳のピアスを外し、キーナの術を打ち消すべく詠唱を始めた。

『炎の主に問う、汝が力は焦熱の力か』
『混沌の狭間、見出し真理』

 キーナの術が水系統のものだと判断したソエルは、反属性である火炎系統の術を紡ぎあげていく。

『大いなる炎帝よ、立ちはだかる全てを灰塵へと化せ』

 やがて一際力強くソエルの声が響き、彼の魔法のほうが早く完成した。

『炎帝の吐息――ブレスオブエンペラー――っ!』

 ごうっ! という炎が燃え盛る音とともに、キーナの視界が真っ赤に染まった。

 ソエルが解き放ったのは、炎帝――イフリートの力を借りる、精霊魔法の火属性高位魔法である。
 人の体など一瞬にして灰になるほどの炎を生み出す術であり、発動する範囲もかなり広い。二人がいるこの部屋も、炎は余すところなく燃やし尽くしていった。

――炎帝の舌が部屋を蹂躙し、召喚主である自分と大火傷を負ったキーナだけがこの空間に残ると思っていたのだろうか。

 焼け爛れた部屋の中、愉悦を浮かべていたソエルの顔が、戦慄に歪んだ。

「なぜ、無傷なんだ……?」

 ぽつりと零れた声は震えていた。その視線の先には、火傷一つ負っていないキーナの姿があった。

「干渉はうまくいったはずだ。幾らお前の魔力が強いとはいえ、そんな……」

 そこまで言いかけて、ソエルの目はようやくキーナの体の周りにあるものを認識した。
 彼女が発動させている術の水とはまた別の、蒼く、淡く、光のカーテンのように揺らいでいる“それ”。


「それ、は……呪力結界か……?」


 キーナの体を包み込むように発生している薄い膜のような蒼色。それこそが、呪力結界というものであった。

 魔法を唱える際に魔導士は無防備になり、戦場ではそこを突かれて死んでしまう者も多い。けれど、“まったくの防御力ゼロ”になるというわけではないのだ。

 彼女の体を包む膜のようなもの――呪力結界とは、詠唱の際に体から漏れ出る魔力が結界となって術者の身を守る現象を指す。
 唱える魔法が強力であるほど呪力結界も強力になっていくが、所詮はおまけ程度にすぎないというのが世間一般での常識である。

 あくまでも“唱えている術のオマケ”なのだ。

「……っ?!」

 ソエルは驚きと恐怖とがない交ぜになった目で彼女を見つめていた。

「馬鹿な……そんな強力な呪力結界など聞いたことないぞ?! 干渉すらできないというのか?」
「……それだけが私の取り柄らしいわ」

 矢継ぎ早に言い散らすソエルの声を治めるように、キーナがぽつりと言葉を洩らす。すでに詠唱は終えて発動を開始している為、会話が可能になったのだ。

「水が一番相性がいいから、特に強力なのね」

 彼女の涼やかで落ち着いた声音がソエルの両耳を打つ。
 ふふっ、と笑っていたが、すでにキーナの胸元まで水は湧き出でており、あっという間に凍りついていく。

 そんな彼女を見るソエルの手はきつく握られ、ぶるぶると震えていた。

「貴様は……貴様は何をしているか分かっているのか?!」
「えぇ、十分すぎるほどに」

 もはや体裁など構わず激昂して怒鳴るソエルに反して、キーナの声はどこまでも穏やかであった。それすらも、頭に血の上った彼の癇に障る。大きく頭を振り、

「いいや、分かっていない! 貴様が“花嫁”としてことをなさなければ、世界中のありとあらゆる生きるものが死滅するんだ!」

 身振り手振りも激しく、焼け爛れた部屋で彼は大声で訴える。
 彼も、その“死滅する生き物”の一人なのだから。

 そんな彼の姿をキーナは真っ直ぐに捉える。黒曜のように美しい瞳は、悲しげに歪んでいた。

「分かっているわ、そんなこと」

 彼女の悲痛な顔など、ソエルの目には映らない。彼はなおもキーナを責める。

「分かっていて、全世界の人間を見殺しにするのか!?」

 その言葉に、彼女は一瞬だけ目を瞑り……微笑った。


「――それでも」



たくさんの優しい人がいて
多くの生活があって
幾つもの家庭があって


――例えば、それらが救われるだけならば


「私にも、世界を敵にしてでも守りたい人たちがいるから」


――後悔は、なかった


「ミカノもミナミも、“花嫁”にさせる気なんて、ない」
「早くっ! 早く解除しろっ!」

 焦るソエルの声が遠くに聞こえる。キーナが使えなくなることで“花嫁”がまた一人足りなくなることを危惧しているのだ。

 キーナ自身を封印するために彼女が創り上げたこの術を解除できる人間など、この世にいるはずないことを、ソエルは知っている。なにせ彼女は魔力で敵う者などいない、“世界最高の魔術師”なのだから。


――“花嫁”は、三人そろっていなければ意味がないのだから……


 そう思うキーナの伏せた睫が微かに震える。凍りついていく寒さの為か、或いはなにかしらの感情の為か。

 “鳥籠”を出てから出会ったミナミのことはまだ、ソエルや“飼育者”に知られていないだろうが、それも時間の問題であろう。

 キーナが使えなくなることで“鳥籠”が別の“花嫁”を探し、その間に五人が逃げてくれればいい。そうしてこの旅の目的さえ果たしてくれれば、自分の死も報われる。

 そう思ったら、ふと楽になれた。




―― 一人残された部屋。



 ソエルは、目の前にある“氷の像”に目を奪われる。

 厚い氷の中に沈む、目を瞑っていて、まるで眠っているかのように見える、少女の姿。

 今にも吐息を漏らしそうな薄い唇は真一文字に結ばれており、絹糸のように細い髪は優美に氷の中に漂っている。
 伏せた目を飾る睫はぴくりとも動かず、少しずれてかかっているメガネが気にはなるが……


「……美しい」


 静謐な、美しさ。
 心からの感嘆の声が、ため息とともにソエルの喉を震わせた。

伽世
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伽世

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