◆ 思わぬ再会
「いらっしゃぁいっ!!」
ぎぃっ、と木の軋む音がして扉が開くと同時に、威勢のいい声がミナミたちを迎えた。
夜は酒場、昼は食堂として営業しているこの店『ウィル・オ・モデム』は、昼時ということもあって込み合っていた。
充満する酒の匂いと、そちこちから漂う肉の焼ける匂い。
マサアの空腹に訴えるそれらの匂いは店の隅から隅まで満たしていて、彼の目がキラキラと輝いた。
六人が店に足を踏み入れた時に大声で出迎えたウェイトレスが、人とテーブルの合間を縫うようにパタパタと駆け寄って来る。空いた皿を積み上げたトレイを両手に持っているとは思えない器用さである。
「にいさん、そっちの女の子たちも一緒かい?」
大きな目を瞬かせて訊ねてくるウェイトレスにタヤクが頷いて見せる。
「あぁ。混んでいるところ悪いが、六人でかけられるテーブルはあるか?」
「それはあるけど……」
彼の言葉にウェイトレスは眉根を少し寄せ、ミカノとキーナ、ついでにミナミを見る。そしてちらりと視線を店内に移し、ミナミもつられて同じように店の奥を見た。
「ご覧のとおり、うちは野郎が多い店なんだよ。夜に酒場なんてやってるからね。手癖の悪い奴もいるからさ……もちろん、ランチはおいしいよ!」
言葉を選びながら小声でそう言うウェイトレスに、ケイヤとタヤクは首を傾げる。
一方、ウェイトレスの言わんとすることが理解出来たらしいミカノは「気にしないで」と手をひらひらと振ってみせる。
人のいいウェイトレスは、要するに“女性陣にちょっかいをかけるような輩もいる”と暗に言っていることに、キーナも遅ればせながら気が付いた。
実際にいまこうしている間にも、周りのテーブルに腰掛けている男たちの視線がミカノに注がれているのだ。
吊り上った緑の瞳に高く結い上げた艶やかな深紅の髪が魅力的なミカノは、まず間違いなく誰もが認める美少女である。
均整のとれた肢体に、ミニスカートから惜しげもなく覗かせるすらりとした白く長い脚、薄く桃色に色づいた唇など、酒場の男どもを魅了してやまないのだ。
キーナは気が付いていないが、彼女にも舐めまわすような視線が纏わりついていた。
けれども自分の容姿など全く顧みないミカノは、男たちの視線などものともせず、
「問題ないから! ここに盾が三つもいるし」
にっと笑いながら一、二、三と、マサア、タヤク、ケイヤを順番に指していく。彼女の言葉にミナミとマサアはきょとんとした表情で顔を見合わせた。
ウェイトレスも少し目を丸くして驚いていたが、やがて少しの間の後に「ぷっ!」と吹き出した。
「ツェールっ!!」
けらけらと声を出して笑う彼女を不審に思ったのか、厨房から恰幅のいい中年の女性がひょいと顔を覗かし、店を震わせるような大声で怒鳴る。
「お客さんを待たせんじゃないよっ! 二階へ案内してやんなぁっ!」
「あーい! ごめんなさい、おかみさんっ! じゃ、あんたたちこっちへおいで。二階席なら空きがあるから」
ばつが悪そうにぺろっ、と舌を出すその仕草がかわいい。
ツェルと呼ばれたウェイトレスはオレンジ色のミニスカートをひらりとひるがえし、厨房に回収した食器を置くと、隣にある階段へと六人を案内した。
◆ ◆ ◆
「わぁっ!」
ウェイトレスのツェルを抜かして階段を駆け上がったミナミは、広々とした二階の様子に思わず声を上げた。
下と変わらず木目を基調とした二階は、天窓からの光が溢れた心地の良い場所になっていた。階段を上がって見える席は四人掛けがほとんどで、人の姿はあまり見えない。
というよりも、奥のテーブルで男性が一人食事をしているだけである。六人が来るまで彼の貸切状態だったようだ。
一階の喧騒は嘘のように遠くに聞こえ、食事を楽しむだけならば二階の方が落ち着くであろう。
「んー……?」
遠目に見た男性は、アーモンド色の髪を適当に首根っこのあたりで結わえており、長い足を邪魔そうにテーブルの下で投げ出している。その姿は“だらしない”と言うよりも、サマになっていて格好良いと言えた。
どこかで見覚えのあるその顔をミナミはまじまじと見つめ、後から上がってきたミカノたちも同じように首を傾げたり眉根を寄せたりしながら目をやる。
と、
「なんで……」
嫌悪を孕んだミカノの呟きが場に零れた。
彼女の声に気が付いたのか、男性は食事をする手を止め、階段を上がった辺りで足を止めていた六人を……ミカノのことを真っ直ぐに見つめた。
眠たそうな、それでも十分に大きな目が魅力的な男性ではあったが、口から出ているスパゲッティが、それを台無しにしていた。
――カッコイイけど、なんか三枚目な感じ
そんなことをミナミが思っているとは露知らず、男性は口から出たスパゲッティをちゅるりと一気に飲み下すと、
「――よう、久しぶりだな」
と、フォークを握った手を軽く上げて笑った。
「なんであんたがここにいるのよ」
「なんでって……お前とオレの運命が繋がってるからじゃね?」
男がそう言った瞬間、ミカノは苦虫を噛み潰したような嫌悪の表情を浮かべ、その後ろではミナミが瞳を輝かせて二人を交互に眺めていた。
――やだ、ミカノってばこんなカッコいい人と知り合いだったの?!
色恋沙汰の好きなミナミとしては、かなり胸の高鳴る展開であった。
同性のミナミから見ても、ミカノは心底から“美人”と讃えるべき美しさを持っているのだが、如何せん当の本人がそういったことに疎く、行く先々で男性から向けられていた視線も、全くなんとも思っていなかったらしい。
ミカノとキーナはいわゆる“恋バナ”に全く興味がなく、恋愛に関するような話をしたこともない。
ミナミから見て、ミカノはタヤクと、キーナはケイヤとお似合いだと考えているのだが、当人同士の間にどういった感情が行き交っているのかは分からず、日々もやもやと想像するばかりである。
ミカノとタヤクは仲の良い友人、息の合ったコンビという呼び方がぴったりくるのだが、時々タヤクの視線にそれ以上の何かをミナミは感じ取っていた。彼女はそれを、ミカノへの恋慕の気持ちが混ざったものだと解釈しているのだ。
――タヤクったらタヤクったら! どうするのかしらっ!
思わず緩む口元を両手で隠しつつタヤクの表情を盗み見るミナミであったが、それもすぐに「あれ?」という不思議そうな顔に変わった。彼女の考えていたどの表情とも違い、眉間に皺を寄せた、険しい表情をタヤクはしていたのだ。
首を傾げるミナミに気付かず、六人を二階に案内したツェルは男性とミナミたちが知人だと思ったようで、
「なんだ、あんたたち知り合いだったのかい?」
と、弾むような声音で言った。
「だったらほら、他に客もいないんだからテーブルくっつけて一緒に食べなよ!」
「えっ?!」
言いながら、ミナミたちの返事も聞かずに男性が座っている隣のテーブルをくっつけてしまった。これには座っていた男性も驚いて、大きい目をさらに丸くする。
てきぱきとテーブルを整え、上がる時に持ってきていたピッチャーとコップを人数分トレイから並べる。
「ランチは二種類しかないから、それを三つずつ用意すれば分けられるからいいね?」
一方的にそう告げて階下へ降りていくツェルの後姿を、その場にいた全員がやや呆気にとられて見送ったのであった。
「まぁ、なんだ……とりあえず座ればいんじゃね?」
いち早く口を開いたのは席に着いていた男性であった。
見た目は二十代に差し掛かった頃だと思われるが、その口調はやや幼く雑である。
にやにやと笑いながら手を招かれ、ミナミは隣に立つミカノを見上げた。
「……」
「ミカノ」
目を細めて訝しむように男性を眺めていたミカノだったが、タヤクに名を呼ばれて「大丈夫でしょ」と手を振り応える。
そのままカツカツと、ブーツのヒールで床を鳴らして男性と向かい合う位置に彼女が腰を掛け、ほぼ同時に足を進めたタヤクはさりげなく男性の隣に座る。男性は隣に座ったタヤクに「よう」とだけ言って、そのあとはずっとミカノに視線を注いでいた。
……はぁ、という大きなため息は、誰が漏らしたのだろうか。
「あんたとあたしが運命の相手とか? 冗談でもヤメテよね」
「いいじゃねーか。オレはまじであんたに一目ぼれしたぜ?」
「……寝言でもやめろってーの、ハイネ」
うんざり、という面持ちで溜息をつくミカノ。それにも構わず男性――ハイネは、彼女を見つめながらにやにやと笑っていた。