◆ とある暗がりでの雑談


誰も語らず
誰も見ず

それは 誰かの決意


◆ ◆ ◆



 薄暗い部屋だった。

 味気ない土壁の、窓のない部屋。
 等間隔にランプが釣り下げられてはいるが、弱々しいオレンジの明かりはあちこちに暗がりを作り出している。

 粗末な長机と、併せて置かれた椅子。
 そこに、高さの違う影が三つ。

 一番背の高い影が苦々しく口を開いた。

「なぁ、お前は全部知ってるだろ?」
「……」
「あいつらが探してるもんの在処も、あいつらがどうすれば“アレ”を殺せるのかも」
「……」
「だからお前はあの女と裏で手を組んで、情報を調整してあいつらに与えていたんだろ?」
「……」
「なぁ、なんとか言えよ!!」

 黙して語らない小さな影に苛立ち、テーブルをだんっ!と激しく叩く。それでもその小さな影は顔を伏せたまま、何も反応しない。

 ちっ、と舌打ちをした高い影は、正面に座る影へと語り掛ける

「お前もなんとか言えよ。いいのか、こんなばらばらなままで」

 声をかけられた影はしばし考えるように黙し、答えた。
 シンプルに一言。

「問題ない」

 首を振るのと一緒に白銀の髪がさらりと揺れた。

「元々俺は一人で動くつもりだったんだ。それをお前たちが好意から手助けをしてくれた。だから、ロウが動きたいように動くことは構わない」

 その言葉に小さな影――ロウは肩をびくりと震わせた。彼の表情は紙のように白かったが、羞恥に満ちていた。

「シア」
「お前もだ、ハイネ。俺のことは気にするな。動きたいように動けばいい」

 そしてシアは席を立とうとする。その手をハイネが咄嗟に掴んだ。
 訝しげにこちらを見るシアに、ハイネは言葉が出ない。


――それはないだろう!?


 そう叫んでしまいたかった。けれど、そうすると自分達の繋がりがなくなりそうで恐くなった。

 大きく息を吸って、吐き出す。
 昼間に会った小さな“花嫁”。彼女に言ったのだ。


『オレたちも根性みせる』と。


「……っ」

 全ては憶測でしかない。
 けれども、ロウはリイセに六人の情報を流し、その強さを伝えた。それを聞いたリイセは“破壊神を殺せる”と、そう喜んだのだ。

 もしも、もしも本当にロウとリイセが“破壊神”の殺し方を知っているのならば、あの六人に加勢したほうが良いのではないか。
 いつ解かれるかと心配するような封印よりも、永遠の平穏のほうが望ましいのではなかろうか。

 そう問い掛けると、「何を言っているんだ?」というようにシアは端正な顔を不快気に歪めた。

「成功すればたしかに良いだろう。だが、失敗すれば全ての生命がそこで死に絶える。全ての生命だ。それほどに重いものを、お前は背負って生きていけるか?」

 淡々と告げられる内容を、ハイネはただ黙って聞いていた。唇を噛み締めて俯く。

 たしかに、“破壊神”を殺せなかった時のリスクは大きい。
 “破壊神”が目覚めるというのは、三柱の女神や歴代の“花嫁”たちが施していた封印の解放を意味する。
 あちこちで語られる伝承の通りなら、“破壊神”は再びこの世を破滅へと導くのだろう。

 冬の湖面のように冷たく透明な菫色の瞳は、ただ静かにハイネを貫くように見つめる。

「より良い理想は幾らでも語れる。けれど、良い現実はそうそう生み出せないものだ。幻想に溺れ死ぬくらいなら、少しの犠牲で大多数の幸せが生まれることを願え」

 淡々とそう述べたシアは掴まれた腕を振り解き、今度こそ部屋を出ていった。

「……」

 二人きりになった部屋。しばし戸惑うように視線を彷徨わせた後、ロウは意を決したようにハイネを慰める。
 その表情や声音は六人に相対した時とは違って、酷く温かみがあり、慈愛の籠ったものであった。

「――ねぇ、ハイネ。ハイネとシアは、ただやりたいことをやってくれればいいよ。無駄に悩んだり変な知恵を働かせるのは、僕ら寿命の長い種族の仕事だから」

 がくりと肩を落として俯き続けるハイネを、それでも辛抱強く見守り、ロウは微笑む。

「僕はハイネたちが笑ってくれるように、ただそれだけの為に頑張っているんだから。……シアだって、じきに“崇拝”から目が醒めるよ」


――崇拝。


 その単語を苦々しく吐き出す。

 シアの両親は“花嫁”と“騎士”の候補であり、“鳥籠”に監禁されてからシアが産まれた。彼は産まれた時から“飼育者”たちに育てられた、たいへん稀有な存在なのである。

 物心つく前から延々聞かされてきた“花嫁”たちの役割と、生き方。
 “飼育者”のする問い掛けに、シアの母はにっこりと穏やかに笑っていた。


――世界の為に命を捧げるのは 幸せなことか
――はい 幸せです


 そんなやりとりを何百、何千、何万回と見て聞いてきたシアは、それが当たり前のことで、いたって普通のことだと思っていたのだ。
 今も彼があの六人に執着するのは、ギルドを通して伝えられる“飼育者”の命に従っているからだ。

 そんなシアを、ハイネとロウは慈しみと哀れみを持って接していた。

 初めは小馬鹿にしていたこともあった。
 ハイネは攫われて“鳥籠”に連れられたので、シアのことを頭のおかしい奴と捉えていた部分もある。

 そんな折り、ある日の“鳥籠”の実験で、シアが死にかけたことがあった。

 剣の一振りと下位の攻撃魔法、それがシアの武器であったが、七歳の少年がたったそれだけでキマイラと戦うには無理がありすぎたのだ。

 あっという間に追い詰められたシアの首やら手足やらは鉤爪によってぱっくりと裂け、細い体はずるずると血の海に沈んでいく。
 彼が気を失った後も、キマイラはその小さな体をボールのように蹴っては噛み、放っては踏みつけたりして遊んでいたのだ。

 その姿を見て、ハイネは初めて彼を“憐れ”だと思った。
 拒絶することもできず、粛々と、全てを全てと受け入れるその姿が、心を締め付けた。

 高位の治癒術が駆使され奇跡的に生き残ったシアは、傷を負った首もとを隠すためにいつもハイネックを着用する。
 それがまた、痛々しい過去を忘れさせてくれない。

「――なぁ、ローウェン」
「……なに、ハイネ」

 愛称ではなく呼ばれた名前に、背筋がピッと正される。

「なぁ、ロウ。オレらは、仲間だよな」

 問われた言葉に一瞬惚け、力強く頷く。

「何があっても」
「……だよな」

 迷いのないロウの相鎚に、内心でほっと息をつく。それは内心だけで留めたつもりであったが、自然と強張っていた頬が緩んだ。

 先ほどからずっと自分を見守ってくれている友人に向き直り、ハイネは泣きそうな顔で笑って見せた。

「オレ、やっぱりあいつを放っておけねぇや。正しいかはわかんねぇけど、それでも」

 それでいいと思った。

 シアが、ロウが、この二人が生きていける世界なら、なんでもいいと思った。
どんな手段になろうと、結果になろうと。


――知恵の姐さんも、こんな考えだったんかね


 自分の考えに自分で苦笑する。
 封印するも、消滅させるも、どちらも“生きる為の手段”。

「さって! シアを追い掛けようぜ。あいつ、意外に暴走タイプだからな」
「だよね」

 ロウの考えも、今は分からない。けれど、仲間だと、それだけはきっぱりと言い切った。
 だから、今はそれでいい。


 灯してあったランプの明かりを消す。
 部屋は一瞬で、暗闇へと落ちた。

伽世
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伽世

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