◆砂船屋



この両腕が届く範囲じゃ足りない。
あいつらには、届かない。


抱きかかえられるほどの、強さを。


◆ ◆ ◆



 シエルナの町を後にしたのは、砂漠での出来事から十日ほど経った頃だった。

 強大な魔力を急に扱った影響で衰弱したミナミは意識が戻らず、キーナも手足のひどい傷が原因で、高熱を出して寝込んでしまったのだ。

 二人のことを心配しているマサアであったが、彼自身もしばらく体中の傷が疼いて仕方なかった。ミナミのおかげで命の危険は去ったものの、それでもまだ細かな傷は残っているし、消耗した体力までは回復できない。

 宿屋から動くことができない三人に換わり、タヤクとケイヤ、ミカノがアイテムの補充や看病を交代で行っていた。
 その甲斐もあってか、マサアもキーナも四日という短期間で快癒し、さらにその二日後にはミナミも目覚めることが出来たのだ。

「もう大丈夫よ! バッチリだわっ!」

 そうにっこり笑って言うミナミをよそに、心配性のタヤクが、

「もう少し様子を見よう」

 とシエルナに留まることを強く推したため、出発に十日もの時間がかかったというわけだ。

 荷物を全てケイヤの“次元”の中に放り込み、朝食を食べてから宿を発つ。砂漠越えに必要だという砂さ船せんを借りるため、宿の主人が勧めてくれた砂船屋へと六人は向かった。

◆ ◆ ◆

 宿から歩いて十分ほどにあるその砂船屋は、扱っている船や店員の質が非常に良いらしく、宿の主人は砂漠を越える客には必ず勧めている店だという。
 朝食を取ったとはいえまだ八時を回ったばかりだったので、さすがに開店していないだろうとマサアが思っていると、

「あっ!」

 というミナミの声が耳を打った。その声に全員の足は止まり、彼女が見つめる方――砂船屋の前に視線が集まる。そこにいたのは一人の男性であった。

 浅黒い肌に砂のように白んだ金色の髪、なぜか砂漠の暑い気候に黒のスーツ姿。わずかにシャツの襟元は開けられていたが、ビシッとした佇まいはとても様になっている。見た目に少々暑苦しいのが難点ではあるが。

「……」

 男性の手には水を張った桶が握られ、柄杓でひたすら水を撒いている。撒いた瞬間は地面も黒くなっているのだが、それもすぐに乾いてしまう。それでも男性は構わず水を撒き続けていた。

「え、なにあれ。暑苦しい」
「んー……砂漠にスーツは、ちょっとな」

 砂漠の町には似合わないその姿に、ミカノだけでなくタヤクも苦笑しつつ同意する。


――ていうか、砂漠地帯に住んでて打ち水なんて意味があるのかな?


 声には出さなかったが、マサアも不思議そうに首を傾げた。

「熱中症とか大丈夫なのかしら?」

 一人男性の心配を口にするミナミに苦笑する。

「とりあえずこんなとこでぼーっとしてたら、おれらのほうが暑さにやられちゃうしさ、声かけてみよっか」

 マサアの提案に全員が頷き返し、目的の砂船屋の前に居る男性に歩み寄る。

 傍に近寄ると、男性の背が思ったよりも高いことに気が付く。百八十センチ以上あるマサアに勝るとも劣らない長身であったが、男性の方がやや細身な体つきではあった。

「あのー、もうお店やってますか?」
「……?」

 マサアが声をかけたことでようやく人がいたことに気が付いたらしい男性は、ゆっくりと顔を上げる。薄いブロンドの隙から、水色の眼が六人を舐めるように見てきた。やや吊り上った切れ長の目であったが、どこか覇気がない。

 彼は手にしていた水をもう一度だけ撒き、そうしてようやく口をきいた。

「……客か?」
「客じゃなかったら開店してるかどーかなんて聞かないと思うケド」
「客か。……そうか」

 ミカノの一言もするっと躱し、手にした水桶を店の入り口の傍に置く。
 緩慢なその動きをじっと見られていることも気にしていないのか、男性は入口の派手な暖簾を腕で上げて「入れ」と言って、そのまま奥へと消えてしまった。

「……あの人、あんなんで客商売やってけてんのかな?」

 思わず余計なお世話を思うマサアであった。

 それとは対照的に男性の態度に腹が立ったミカノは、猫のような目をさらに吊り上げて苛々としていたが、キーナに宥められてなんとか押し留める。

「オレ達も中に入ろう」

 タヤクが促して、ようやく六人は店に一歩を踏み入れたのであった。

◆ ◆ ◆

 渋い色合いの赤暖簾には『砂さ船せん屋 号ごう屋』と太い筆で豪快に書かれていた。

 中に入って一歩目、眩しいばかりの光に驚いたマサアが上を見上げると、屋根には大きな窓が付いていた。二階建て以上の高さが吹き抜けになっており、太陽は店の隅々まで照らしている。光は波のようにうねっていて、床の上でたゆたっていた。

「ふわぁ……」

 店の中を物珍しげに眺めているのは思わず声を上げたミナミだけではない。
 外から見た時には大して気に留めていなかったのだが、中に入って見れば存外広い店だということが分かる。奥行きがかなりあるのだ。


――やっぱ、船を扱ってるからデカいのかな?


 従業員と思しき者たちが店内を忙しなく動き回る中、きょろきょろとマサアが辺りを見回していると、

「――こんな朝早くにお客さんなんて、珍しいですね」

 そう柔らかな声がかけられた。

 多くの人間がバタバタと動き回り声を掛け合っている中、その声はやけに鮮明に聞こえたので驚いて目を丸くする。先ほど表で会った男性とはまた違った、落ち着きのある温かな声音。

 声の主を探そうとマサアがあちこちに目を凝らすと、光が眩しいほどに集まる部屋の一角にある椅子に、その人は座っていた。

 年は二十代半ば頃であろう、声に似合った優しげな風貌をした男性である。
 ふわふわとウェーブを描くダークブラウンの髪は一つに束ねられており、丸眼鏡の奥の瞳はにこにことマサアたちを見つめていた。ミナミのものよりも幾らか赤みの強い紫の瞳は、花弁のように美しい色合いである。

 その瞳に似通った紫紺の色のローブに樫の杖。ローブの下には裾の長い真っ白な法衣を着込んでいる。胸元に《シエルナ魔道士協会 セイ・イベリア》と書いてあるネームプレートが付いているのに気が付いたマサアは、わずかに眉を顰めた。

「――魔道士協会?」

 彼と同じくそれに気が付いたタヤクが声に出して、首を傾げる。
 六人の警戒と疑問が混ざった視線も意に介せず、目の前の男性は口元に手を添えながらくすくすと笑った。

「はい。魔道士協会からこの号屋さんに派遣されているセイ・イベリアといいます。よろしくお願いしますね。セイ、って珍しい名前でしょう? ぼくの曾祖父が神官をやっていたんですが、神官という職業や彼らが使う聖書というものを知ってますか? 大昔にあったんですけどね、それに出てくる言葉に“誓約”とか“誓い”って言葉があったそうですが、そこからとったらしいんですよ」

 たおやかな外見とは裏腹に一気にまくし立てるセイを、マサアたちは呆気にとられて眺めていた。にこにこと微笑んだまま、おっとりとした声音にあまりにもそぐわないのである。

 普段は表情を崩さないケイヤとキーナですら、ぽかんと目を丸くして目の前の男をまじまじと見つめていた。

 そんなキーナの後ろに影が差したのをマサアが気付き、

「……客が、困っている」
「!!」

 呟くような声に他の面々も振り向けば、外で会った男性がキーナの両肩に手を乗せていた。


――いや、なんでキーナの肩に手を置くんだ?


 マサアの内心をよそに男性はキーナの顔を後ろから覗き込むようにして、「すまない」とだけ呟いてすぐに離れた。囁かれた本人は大きく見開いた目をぱちぱちと忙しなく瞬かせている。
 こんなキーナの姿など、長年傍にいたマサアやケイヤですら滅多に見ない。

「キーナちゃん落ち着いて」

 緊張して自身の手を強く握り込んでいた彼女をミカノが宥める。その言葉に無言で首を振って応えるキーナだったが、やはりその様子はどこか落ち着かなげであった。

 一方で、彼女たちの様子など全く意に介さず、セイは自分の傍に寄ってきた男性に向かって、

「やぁ、ハルセくん。今月は君も当番なのかい?」

 などと微笑みながら声をかけた。問われたハルセという名の彼も「あぁ」とだけ返し、再び沈黙する。そのやりとりから、ハルセはケイヤのように落ち着いている、というよりも、どこか人形のようだとマサアは感じていた。

 そんなことを考えていたマサアの意識は、先ほどと同じくタヤクの訝しげな声で引き戻された。

「あのさ、その“当番”ってなんなんだ? あんたが店の主人じゃないのか?」

 当然といえば当然の質問に、マサアの口からは「あぁ」と思わず声が出る。

 セイはこの店の中にあって、どこか堂々とした雰囲気を醸し出していた。威圧的だとかそう言った類ではなく、それこそこの店の主であるかのような。

 しかし、先ほどハルセに投げかけた「君も当番なのかい」という言葉が、二人が共に雇われている身であることを物語っていた。

 セイとハルセはタヤクの言葉にきょとんとして顔を見合わせる。同じように首を傾げ、そして六人に向き直り、

「知らないのか……?」
「ここは砂船屋の中でも特殊だから来たんだと思ったんだけどねぇ」

 そう、実に不思議そうに言った。

「だーかーらー! 知らないから聞いてるんでしょうがっ! あたしらはただここが一番いい、って聞いて来ただけなんだからっ」
「あぁ、うぅ、分かりました。怒らないで下さいよ」

 火を噴きそうなミカノの形相に、セイは情けないほどに眉を寄せてハルセの後ろに隠れる。
 ミナミのようにいたいけで愛らしい少女がやれば別だが、セイの姿を見ても「おっさんがやっても可愛くもなんともないなぁ」としかマサアには思えなかったが。

 眉をハの字にしながら、セイは再び口を開く。

「他の砂船屋さんはたしかに個人経営のお店が多いんですよ。一般の方が普通にお店を出して、普通に営業している」
「ここは違うの?」

 ミナミの質問に、セイはハルセの陰からすっと前に出て姿勢を正し、誇らしげに頷いた。

「はい。ここ“号屋”は、魔道士協会とギルドが共同で経営している、国立の建物になります」


伽世
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伽世

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