ナビゲーター花渚ロボ
初夏なのに、暑苦しい青いジャンパーを着た少女のキャラクターは紫の瞳をさとみに向けて笑っている。アプリのキャラクターならもう少し季節感があった方がいいとさとみはそんな事を思っていたけど、よく考えると大変な事が起きていた。時が止まってモノクロームな教室。動かない先生とお母さん。動いているのはさとみと、スマホの中のキャラクター“花渚ロボ”だけだった。
さとみはちょっとだけ驚いたけど別にイヤな感じではなかった。
「ねぇ、花渚さん。不思議の国って、アリスなの?」
「まぁそういうことです。段取りを説明させていただきますと、次はうさぎの穴に落ちていただきたいのですが」
「はぁ、うさぎですかぁ。うさぎと言えば花渚さんは何故うさぎ耳つけてるの?」
「不思議の国のナビゲーターと言えばうさぎと相場が決まっておりますので、うさぎの方が親しんでいただけるかと思いまして。ダメでしょうか?」
「ダメじゃないけど、ツインテールにうさぎ耳はちょっと似合わないかも」
「解りました。じゃうさぎ耳は外させていただきます」そう言って花渚ロボはうさぎ耳を外した。コッチの方が見た目のスッキリしていい感じだとさとみは思った。
「うさぎの穴には落ちていただけますでしょうか?」花渚ロボは続けて言った。
「うさぎねぇ。小学校では飼っていたけど、中学校ではねぇ。それにアリスのお話って夢オチでしょ」
「まぁ夢オチなんですけど、夢でないと伝わらない真実もありますし、バカにしたものでもないと思いますよ」
「ねぇ」
「なんでしょう」
「そういうセリフ言うのは“猫”じゃないの? うさぎは騒いで逃げたり、メイドと間違えたりするんじゃなかったかしら?」
「お茶会もさせていただきますよ」
「さとみの知ってる物語とは、少しちがうみたいね」
「そんな事ございません。さとみ様の夢ですし、さとみ様の思った通りに行動していただいてかまいません。とりあえずは段取り通りうさぎの穴に落ちて……」
「落ちないわよ。うさぎの穴なんて見た事ないもん。それに夢の中くらい好きにさせて欲しいわ」
「わかりました。では思った通りにしてください。それで何をされるんですか?」
「アリスみたいに冒険してみようかしら。こんな不思議なところを旅してみたかったの」
「気に入っていただけてなによりです」
花渚ロボとの説明くさい会話が終る。さとみは止まっている2人を残して教室を出た。いつも見ている廊下の再現率がハンパじゃない。けど、モノクロで止まった世界なので気味が悪い。歩きながら止まってる生徒とか、笑ったままの表情はリアルなだけにかなりシュール。さとみはちょっと恐くなった。
「ねぇ花渚さん。まだいる?」
「おりますが、穴に落ちていただけないので、ナビのしようがございません」
「穴もないのに、どうやって落ちるのよ」
「穴がなければ、ご自分でお作りください」
「掘るの?」
「イイエ。思うだけで結構でございます。さとみ様が思うだけで穴もできます。小人になって芋虫と話もできるでしょうし、巨人になって裁判をひっくり返せるでしょう」
季節感のない美少女の丁寧口調が偉そうに聞こえる。同じツインテールでキャラも被ってるし、さとみはちょっと気に入らない。それでもヒントは貰えた。どうやら、さとみが思うだけで何でもできるらしい。
「天よ、地よ、さとみの名において命ずる。ここにうさぎの穴を開けたまえ」
「さとみ様、ノリノリでございますね」
「どうせ誰も見てないし、魔法を使う時ってこんな感じでしょ」
その時、モノクロの世界が大きく揺れた。さとみは立ってられなくて、その場にしゃがみ込んだ。揺れはすぐに収まったが、廊下が曲がっていて遠近感が少しおかしくなった。歩いてる生徒たちはそのままの姿勢で倒れてしまった。
なにより、直径10センチ程度の穴がそこかしこに開いていた。
「ねぇ、廊下が曲がってるよ」
「さとみ様、あまり絵が上手くないんですよね」
「そうよ。悪かったわね。なんか関係あるの?」
「この世界は、さとみ様が夢の中で描いた世界ですので、さとみ様の画力そのままの世界なのですよ」
「なかなかシュールね。イヤな世界だわ。でも生徒の顔は割とマトモじゃない」
「それは、さとみ様が無意識に記憶で補完されてみえるんです」
「まぁだいたいわかった。でっ、この小さな穴にどうやって落ちればいいのよ」
「まだわかりませんか? さとみ様の好きな魔法で小さくなればよろしいではありませんか」
花渚ロボは一応無表情を崩さずにさとみを見てる。いっそ笑われた方がスッキリするかもしれない。さとみは花渚ロボが憎らしくて仕方なかったけど、言ってる事ももっともなので、渋々従う事にした。
「あぁ、もうわかったわよ。小さくなぁれ」
「あれ? 今度は呪文じゃございませんの?」
「そんな気分じゃないのよ」
そう言って30センチになったさとみはうさぎの穴の1つに飛び込んで行った。
長い穴の先はどこかのホテルのロビーのような場所だった。柱は曲がってるし、遠近感もおかしい。やっぱりさとみの想像の世界だ。少し凹む。さとみはもう少し上手に絵を描けるようになりたいと実感した。
回りに人がいないし、出入り口も閉まってる。ここは大きくなったり小さくなったりして、泣いて“涙の池”を作るイベントが発生する場所だと、さとみは『不思議の国のアリス』を思い出しながら考えた。
「ねぇ花渚さん。ここはさとみの夢の中なのよね」
「そうでございます」
「じゃ、好きにやってもいいよね」
「お好きなようになさってください」
「そっ、ありがとう」
さとみはそう言うと、右手を高く突き出して、叫んだ。
「チェンジバトルモード。マジカル・サトミー参上!」
ロビーの中に大きな風が吹きはじめて、さとみを中心に大きな渦になる。その中心にさとみの裸体のシルエット。まぁその、魔法少女の変身シーンです。
風が収まって、中央にスッとヒロインが立っているって感じ。そこまでは上手くいったとさとみは思った。思ったんですけど、バトルコスチュームがちょっと、カッコ悪い。さとみの画力そのままの服だった。
こんなチャンスめったにないのに、絵が下手だから好きなカッコウできないなんて残念すぎる。
さとみは泣く泣く、服をいつものセーラー服にもどした。さとみのテンションはだだ下がり。それでも“魔法”でロビーのドアをこじ開けて表に出た。
ロビーの外は、一面の海。猫や鶏、犬、ハムスターなんかが溺れる様に泳いでた。
「ねぇ花渚さん。さとみは泣いてないのに涙の池があるんですけど、コレはどういう事?」
「人が泣いても、池ができるほどの涙も出ませんので、あらかじめ準備しておきました」
「夢の世界なのに、そんな現実的な話する?」
「夢の世界は、夢の主に合わせた世界観で成立しているんです」
「つまり、コレがさとみの世界観という事?」
「まぁ、そうですね。こういった現実的な所がさとみ様の良い所かと」
「なんか、さとみって夢のない少女なのね」
「そんな事ないと思いますよ、先ほどの魔法の呪文なんて、夢一杯で素敵でございましたよ」
「うるさいわね。黙って! あんたも消すわよ」
「なんか、アリスというよりハートの女王みたいな発言をなさいますね」
「……。悪かったわよ。さとみが悪かったわよ」
「そうですね、それでこそさとみ様です。それに私を消してしまうと、元の世界に帰る事ができなくなるかもしれませんよ」
「どういう事?」
「この夢は意図的な夢なんです。そして私はナビゲータ。ナビゲータがいないと夢の中で彷徨って出られなくなるかもしれません」
「花渚さんは、さとみに何かを伝えに来たの?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません。受け取るのはさとみ様の自由です」
「何よそれ」
「まぁ、そう気にしないで旅を続けてくださいまし」
「そうね、チシャ猫とか、グリフォンとかにも会いたいし」
「帽子屋と代用ウミガメはいかがなさいますか?」
「パス」