同病の敵、発作の始まり
ネリーはムッとしていた。
森に入って1日目の夜、ミミからもらったご飯を食べながら、彼女はずっと戦い方を教えてくれとせがんできた。
足でまといになるのは嫌だと。
森に入ってしばらく進むと二人は盗賊に襲われた。
ただの盗賊ではない。リグと同じ「感染者」だった。
最初に襲撃に気付いたのはネリーだった。
後ろから何か気配を感じ、振り向いた時には既に飛びかかって、ナイフを振り上げていた。
気配をを感じてから一瞬でここまで近づいてくるのは・・・きっと『跳躍』したのだろう。
瞬時に右に倒れこむように相手の制空圏から逃れ、リグに呼びかける。
リグも気付いており、既にナイフを握っていた。
背負っていた荷物を置くと同時に男の方へ跳躍をし、飛びかかった。
男は女のネリーに傷一つ付けられなかった事に苛立った表情をしながらも、すぐさま木に飛び移り、攻撃を回避した。
リグはネリーを木の陰に隠れさせた。
ネリーは自分も戦うと言い張ったが、最後は無理やりミミからもらった籠と荷物を押し付けて納得させた。
男の方はは森の奥に入り、好機を伺おうとしているようだった。
リグも男を追いながら森の奥へと進んでいく。しかし、何か嫌な予感がしてきて、ようやく気付いた。
男は周りの木や草の位置を計算し、自分の戦いやすい場所に誘い込もうとしている。
リグはそれ以上追うのを止め、元の場所jへ戻ろうとする。
どこかから舌打ちをするような音が聞こえてきた。
男は木と木の間から姿を現し、上から刃を振り下ろしてはまた木の上に戻っていく。
一方、リグは攻撃を当てようとするも、木の幹や枝に邪魔され、思うようにナイフを振れない。
柄が短い事が唯一の救いではあったが、敵はそれも計算に入れ、距離を空けて攻撃を仕掛けてきた。
男の姿が見えたところへナイフを突き通す。しかし、男は軽くかわしたかと思うとリグの伸ばした腕にナイフを当てる。
すぐに避けるが、右腕から血が流れ始めた。
リグもムキになり、枝に足をかけて跳躍し、男の後を追った。
男はわざとゆっくり追いつかれtるように逃げてリグが攻撃してくるのを待った。
リグが追い付き、右手の刃を振るう。男は左隣の木に移り、刃先も木の幹に当たった。完全に遊ばれている。
それでも攻撃を続けたが、当然当たる事なく、今度の攻撃は空振りに終わる。
それでも男はわざとリグの射程距離圏内に入ってきては攻撃を誘ってくる。
木ふるでナイフを振ると体勢が崩れ、よろけそうになったところを男がナイフを振りかざし、脇腹に長い傷が出来た。
男はこれを狙っているとわかった瞬間、リグは木から降りる事にした。
攻撃は相変わらず当たらない上、傷が増えていく。
苛立ち始め、余計に攻撃が当たらなくなってきた。
敵はより注意深く冷静にこちらへ攻撃を仕掛けてきた。猿と勘違いしそうになる程軽々と木から木へ飛び移り、上から小枝や小型のナイフなんかを落とし、ひるんだ隙に男は素早く飛び降りてリグの背中にまた傷を作る。
攻撃が当たると、すぐに跳躍し、木の上まで飛んでいった。
少しずつ、ゆっくり、相手が肉体的・精神的に疲弊するまで丹念に攻撃を当てる。リグの動きもさっきに比べ鈍くなってきていた。
それらの油断のない「狩猟」は仕留める直前の段階に入ってきていた。
木の上から『跳躍』を使い、降下しながらリグの右腕に切り込みを入れた。
リグは左手のナイフを男に向かって振り回したが、男は踊ってでもいつかのように上半身だけをそらして避けた後、木の幹に足をかけ跳躍しながら別の木に飛び移り、また同様の攻撃を仕掛けてくる。
そのうち男は茂みの方に隠れ、リグは敵を見失った。
気を集中させ相手を探してはみたが、見つける事が出来ない。
段々と恐怖心に襲われてきた。
完全に相手の術中にはまっていると頭ではわかっていても、どうする事も出来ない。何とか抜け出そうと考えば考える程、恐怖心は増してゆき、動きも判断力も更に鈍くなっていく。
「リグ様!上!!」
ネリーの声が聞こえてきた。
後上方へ振り返ったが既に時遅く、相手の射程距離圏内に入ってしまっていた。
リグは先程よりも深く背中を切られ、倒れこんだ。
男はゆっくりと調理してやろうと言わんばかりにニヤけ顔で涎を垂らしながら近付いていく。
そして、男もまた地面に白目を向きながら倒れこんだ。
男の後ろにはネリーがいた。
男はネリーの位置を確認する事すら忘れ、相手を舐り殺せる事に歓喜していた。
背中にはリグの見た事のない短刀が男の背中に突き刺さっていた。
ネリーはリグに手当てをしてくれた。
その間、ずっと「私に手伝わせないからこうなったんですよ。リグ様は何でもお一人で出来るとお思いなんですか?とんだ過信ですね。私も戦いに参加しますから。」と文句ばかり言っていた。
それでもその後しばらくリグは中々了承しなかったので、ネリーはずっと
「私がいなかったらどうなっていたことか。大体勢いに任せて森の奥へ一人で入るなんて・・・。」と延々繰り返し愚痴をこぼしていた。
このままでは空気がどんどん悪くなる事を危惧したリグは、やむなく了承し、明日から休憩の合間を使って、刀の稽古に付き合う事も約束させられた。
短刀はミミからもらったらしく、嫁入りの際に父親が護身用にと持たせてくれたが、今はこの斧の方が扱いやすいので必要ないから、とくれたそうだ。
リグはミミの最初に出会った時の姿を思い出し、身震いした。
今日は敵と遭遇し、疲れも出ていたので、そんなには進めなかった。途中、あの男が使っていたと思われる小さな小屋があったので、そこに泊まる事にした。
ミミのくれた食べ物はどれも美味しく、ネリーの機嫌もみるみる良くなっていった。
心の底からミミに感謝をした。
終始ミミの話題で大いに盛り上がった。
食べ終わると話題は「吸血の病」に移っていった。お互いこの病については知らない事が多く、少しでも情報を集めておきたかった。
やはり、お互いに知っている事と知らない事が多々あった。
二人共、病にかかった者は「感染者」と呼ばれ、感染者の血が非感染者の傷口か血管内に直接接触した時のみ感染する事や、感染した者は末期になるまで爆発的に身体能力・治癒力が増大する事、他人の血を飲みたくなる発作が起こる程度は把握していた。
「じゃあ、感染後約半年経つと、急に身体機能が衰えて体が動かなくなり、それが最期だというのは?」
「そんな期間までは・・・そういえばハンス様も半年経った頃、急にベッドから起き上がれなくなって段々体も弱くなり・・・。」
「ご、ごめん。辛い事を思い出させて・・・。」
「いいえ、大丈夫です。もう気持ちの整理はつきましたから。」
「そ、そういえばこの香水、発作が止まる人と止まらない人がいて、リグ様は止まったので安心しました。」
「そうか、同じ感染者でも効かない人がいるんだな。」
「そうなんです。リグ様が効くかわからなかったので、とりあえず多めに香りを付けようと思って・・・。」
最初に出会った時、彼女が抱きしめてくれたのは身体中にその香りが広がりやすいからで、こっちが発作で暴れるかもしれないというのに、危険を承知で発作を和らげてくれたのだと気付く。
「・・ありがとう。」
ボソッとリグは呟いて感謝の言葉を呟いた。
その後もこの恐ろしい病について話した。
お互いが共有出来たところで、話題は街の様子やネリーのお屋敷勤めの話などに移っていった。
夜はまだ早かったが、明日は明るいうちに出来るだけ進もうという提案をリグがして、ネリーもそれには賛成だったので、二人は就寝する支度を始めた。
ネリーは近くの川に水浴びをすると言い、小屋から離れていった。
しばらくしてネリーが戻ってきた。
小屋を出る前より少し疲れているような気がした。
きっと慣れない事の連続で疲れが出てきたのだろうと思い、あまり気にはしなかった。
寝床は狭く、二人は背中合わせで横になった。
夜が明けてきた。森の中はまだ暗く、二人は日の出まで出発を待つ事にした。
ネリーはリグを誘い、小屋の裏にある小高い丘を登った。
一番高い所まで来ると森全体を見渡す事が出来た。
「リグ様、向こう。」
ネリーは東の方角にある山を指差した。
空が段々と明るくなり、山の山頂から光が漏れ始めた。
二人は日が昇る瞬間を瞬きするのも忘れ、ずっと見守っていた。
山頂から光が漏れ出た時は、その神秘的な光景に思わず、「おぉ!」と感嘆の声を上げた。
ネリーは、ちらとリグの方を除き見た。
出会ってからのリグはずっと苦悩と絶望が見え隠れする暗い表情をしていた。
リグの透き通る青の大きい瞳はキラキラと輝き、相変わらず表情は薄いものの、子供のように無垢な笑顔をしているんだと、心の中で信じていた。
日が昇り、出発の準備をした。
道中、食べられそうな葉やキノコを探しながら歩いた。森もだいぶ深い所まで進み、最近まで人がいた形跡はなさそうだった。
今日は敵に出くわす事もなく、森を通り抜けれそうだ、と安心しながら進む。
ネリーは食料を探すのが上手く、出発して昼前には1日分の食料は確保出来た。
通りがかった川でリグは魚を6匹釣り、半分をお昼に食べ、残りは内臓をとって塩をまぶし夜の分に残した。
歩いている途中、ネリーはずっと上機嫌で、森に咲く草花に目を奪われていたり、小鳥の囀りに耳を澄ませ、道中を楽しんでいた。
また、今まで見かけた事のない動物も数多く見かけた。小さくて可愛らしい動物には心から癒され、おっさん顔の動物を見かけた時はずっと笑いっぱなしだった。
料理も二人で作った。魚を焼いたり、野菜やキノコに塩と調味料を混ぜて大きい葉で包み焼きにした。
調理自体は単純なものだったが、ネリーにもリグにとっても新鮮で、リグはネリーといるこの時間や嬉しそうにはしゃぐ所を見るのが好きだった。
今日は二人が驚く程に邪魔者が多く、予定していた距離を順調に進む事が出来た。
夕方、川の近くに大木があり、その木の下にある窪みの中で一晩を越す事になった。
足も伸ばせず、あんなに狭い昨日の小屋でも懐かしく感じてしまうが仕方のない事だ。
夜、食事を済ませた後、リグは剣の使い方を教えた。
ところが、ネリーは筋が良いどころではなく、リグと互角に闘える程強かった。
ネリーの話しでは、子供の時はよく弟と玩具の剣で遊んでいたという。
しばらく触っていなかったので勘が鈍っているというが、勘を取り戻したらリグは勝てるのだろうか、と不安になった。
就寝前にネリーは水浴びに出かけた。
程なくして、リグも用を足しに寝床を離れた。
リグはふと、川の方に顔を向けた。
無意識のうちにネリーの姿を探す。
気にならない訳ではない。
むしろ、あんなに綺麗で優しく、どこか気品さえ感じてしまう女性が、こんな危険な旅になぜついてきたのか疑問になるくらいだった。
ネリーについてはまだまだわからない事だらけだった。だから少しでも彼女の事を知りたい。
だがそれらの秘密と彼女の裸は関係ないな、と苦笑いしつつ、こっそりと茂みに身を潜めてからネリーを探した。
リグは理解するまでに時間がかかった。
彼女の姿はすぐに見つかったが、水浴びをしていなかった。服すら脱いでいない。
ネリーは川岸に生えている木に片手をつき、もたれながら震えていた。
リグの方からは後ろ姿しか見えず、何をしているのかわからなかった。
きっと泣いているのかもしれない。
自分を心配させないように普段は毅然と振る舞い、見えないところで、一人苦しんでいるのかもしれない。本当は辛いんだ。
心配で声をかけようかと思った。
しかし、今声をかけると完全に覗きにやってきたと思われる。それは後々よくはないだろう。
リグはそっとその場を離れ、寝床に戻った。
戻る途中、空を見上げた。
今夜は満月だった。
そういえば、ジンが満月の夜は外を出るなと言っていた事がある。
満月の光はとても強く、光を長く浴びると感染者の力が増大しやすいらしい。
案の定、発作が始まった。
それもいつもより強く、自制心を失うのにさほど時間がかからなかった。