夜の戦闘、本当の姿
二人は夜になって草原を歩き始めた。
夕方出発するはずが、ネリーが遅れ、ご飯だ、準備だと言っているうちに日が暮れてからの出発となった。
二人は月の明かりを頼りに進んでいった。
旅路も順調で盗賊に会う事も感染者に遭遇する事もなかった。
月も大分高い位置に昇っていた。
ネリーは周りを楽しみながら進んだ。
草木の揺れる音、飛び交う虫の音色、どこからか漂う花の香り。
昼間とは違う趣きにネリーの心臓は高鳴った。
敵に遭遇するまでは・・・。
最初に気付いたのはもちろんリグだった。
二人は相手に気付かれないよう、真っ直ぐ前を歩きながら連携を図った。
「今回はかなりヤバい状態だ。」
「複数いますしね。私の横に一人と前に二人
、後ろにもいるかもしれないですね。」
「どこかで待ち構えている奴もいるかもしれない。左前方の岩陰と右側の草むらあたりが怪しいな。」
「どうしますか、歩く方向を変えますか?」
「いや、もう遅い。どうやらネリーの予想通り、既に俺達は囲まれている。」
リグは出来るだけ落ち着いた口調で話し、敵の数の把握に努めた。
恐らく六人はいる。大体の位置も把握出来た。
後ろに相当な手練れが潜んでいる。異様な気が嫌というほど伝わってきた。
「ネリー、左前方に見える岩が俺達の真横に来る直前、一気に走り始めてくれ。あそこまで行けば前方の敵は三人になる。何とか正面突破出来そうだ。」
「わかりました。」
二人は全く表情を変えず、歩く歩幅を変えないよう全神経を集中させた。
「今だ!走れ!!」
リグは全速力で走り始めた。敵の一人が舌打ちしながら全員で一斉に出てきた。
やはり敵の数はリグの予想通り六人。
今いる位置からだと前方に一人。左右前方にそれそれ一人。
後方にも自分達を囲むように三人いる。
一度に六人は無理でも三人なら・・・。
後は後方の手練れにどう対処するか、それは後で考えて、今は前の三人に集中しよう。
リグはすぐに異変に気が付いた。
ネリーの姿がない。
全くの同時に走り始めたはずなのに、姿が見えないどころか足音すら聞こえないのはおかしい。
リグは走りながら後ろを振り返りネリーの姿を確かめた。
ネリーはうつ伏せになって倒れていた。
どうやら走り出した瞬間に足がからまったのだろう。
ネリーは顔を上げると鼻血を出していた。
思いっきりいってしまったようだ。
リグはすぐさま体の向きを変え、ネリーの方へ向かう準備をした。
「リグ様は前の敵をお願いします!私は大丈夫ですから!」
全く信用出来なかった。
だが、前方の敵は既に目の前まで迫ってきている。
一刻も早く敵を倒し、ネリーの救出に向かわねば、とナイフを取り出した瞬間、一番近付いた敵を斬撃した。
そこからリグは息を止めて、体の神経を左右のナイフを持つ手に集め、二人目の剣をかわし一撃を食らわした。まだ浅い。
もう一撃、更にもう一撃を切りつけ、相手の心音が止まったのを確認した直後、最後の敵に向かっていった。
最後の敵はリグを警戒し、間合いを広げた。
リグは速度を上げて敵に向かっていった。
敵も中々強い。リグの攻撃を寸前で何とか避けている。防戦で手一杯のようだったが中々仕留める事が出来なかった。
リグは焦れてきた。早く倒さなければネリーが殺られてしまう。
早く倒さなければ・・・。だが、攻撃が当たらない。
焦るあまりネリーが気になって、つい彼女の方へ目を向けた。
その時、リグは信じられない光景を見てしまった。
ネリーが「跳躍」をしていたのだ。
感染者の高い身体能力だからこそ成り立つ、いかなる姿勢からでも鳥が羽ばたいていくような高い跳躍を感染者でもない彼女がやってのけた。
ネリーにそこまでの筋力はない。
しかも彼女がしたのは足ではなく、「腕」を使った跳躍だった。
ネリーが起き上がらないうちに左右から敵が走り出してきた。
後ろの一人はあえてなのか、二人から出遅れた。
まずはネリーの左側の敵が近付いて斬り込み動作に入る。
それを確認し、瞬時に刀を左に持ち替え右手で全身を宙に舞い上げた。舞い上がりながら上半身で左に捻って回旋していく。
左半身が上に捻られていく遠心力を使って短刀を横に伸ばすだけで敵の体が切り裂かれていく。
リグと戦っていた敵は、思わず戦う手を止めた。
一瞬、リグと目を見合わせて、こっちの戦いは向こうが落ち着いてから再開するという事で合意した。
体が半回転し、高度が最高点に達した所で短刀を右手に持ち替え、右側から出てきていた敵に向かって更に半回転しながら刃を振り下ろす。
防御姿勢も虚しく破られ、剣ごと斬られていく。
しかし、傷は浅く、もう一撃を首の付け根に叩き込んだ。
刃は背骨まで斬り進んだ後、骨に食い込み、動かなくなった。
ネリーは両足を相手の骨盤に当て、思いっきり蹴り上がった。その反動で刃が背骨から外れ、今度は後ろ向きで跳躍した。
リグは、ふと我に返り、休戦中の敵に目を向けた。
敵は走り去った後だった。敵の背中が遠くなっていく。
多分、きっと一番後ろにいた相手が頭だったのだろう。頭でさえ勝てないであろうと予想するや逃げ出したようだった。
リグは追う事もせず、ネリーの救出へと向かった。
ネリーを見ると、最後の敵には『跳躍』からの攻撃を受け返されていた。
ネリーの振り下ろした刃を受け止めた後、剣を押し返し、ネリーはまた後ろ向きに『跳躍』をした。
その刹那、男はネリーに向かって一直線に『跳躍』していった。
リグの顔から血の気が引いていく。
『跳躍』には時と場合により、いくつかの跳び方がある。
どんな体勢からでも跳ぶ事の出来る全身での『跳躍』と、脚力にのみ力を集中させ、速さと力を一気に放出させていく一点集中型の『跳躍』などがあるのだが、ネリーは全身型の『跳躍』をしてしまった。
あの場面で敵に背中を見せながら高く飛ぶ全身跳躍はまずい。
案の定、敵に追いつかれ、ネリーの背中に膝が入り、激しい痛みが走る。
男は剣を上に上げてから溜めを作り、力一杯に剣を振り下ろした。
ネリーは痛みでうまく防御姿勢が取れず、
斬られはしなかったものの、真下の岩に向かって凄まじい速さで落ちていった。
リグは全速力でネリーの落ちていく方へ向かった。
足に力を集中させ、一直線に跳躍をしていく。
『跳躍』の瞬間、ナイフをしまい、ネリーを受け止める事だけに集中し、跳躍してから出来るだけ腕を遠くに伸ばし、ネリーに届く事を祈りながら跳び続けた。
リグはネリーの落ちていく方へ右手を伸ばし、あと少しで岩に激突する直前、岩と身体の隙間へ手を滑り込ませる事が出来た。
右の腕力のみでネリーの身体ごと自分の方へ引き寄せ、リグは岩の上すれすれを通過していく。
岩を通過したあたりから跳躍による高度が下がり、リグは息をつく間も無く左腕で反対側からもネリーを抱え込み、上半身を左回りに捻りながらネリーの身体をふわりと持ち上げた。
間髪入れず左腕を首の後ろに回し、 右腕を膝の裏へずらしていった。
体勢を整えながら両足で丁寧に着地し、ネリーを近くの木にもたれさせてから男の方を振り向き、そして様睨みつけた。
ナイフがリグに向かって風を切りながら飛んできた。
リグはネリーの方を向いていたので、その事に気付いていないようだった。
ネリーがその事を言おうとした瞬間にはすでにリグは敵に向かって後ろ向きに高く、遠くへと『跳躍』をしていた。
今まで見た事のない高さまで跳躍していた。
いくらこの病にかかっているからと言って、あの高さまで跳ぶ事が出来るのだろうか。
しかも後ろ向きで・・・。
リグは上昇を続け、ネリーには本当に飛んでいるかのようで、ネリーはその光景に見とれていた。
夜の闇の中で月光に照らされて青白く光るリグは、ネリーが昼間に見かけた蝶のようで、とても幻想的に見えた。
最高点に達したところで、リグは背面から向きを変え、ナイフを握り、男の方に向かって降下し始めた。
男は再度『跳躍』し、リグの方へと向かう。
空中で刃を交わし、互いの力量を図る。
それぞれ別の位置に着地し、リグは男の方へ一直線に『跳躍』をした。
男もまたリグに向かって挑み、激しくぶつかり合った。
男の攻撃は力に加えて速さを増していき、
剣術にも長けているのか、次々と連続攻撃を仕掛けていった。
だが、リグはその全ての攻撃を避けきると
、防戦一方から一転、鋭い攻撃を仕掛けていった。
リグも多様に技を使い分け、打撃技も織り交ぜながら次々と攻撃を当てていく。
男は力の差が歴然だとわかっても逃げる事なく攻撃と防御の手を止めず、リグに挑み続けた。
多分、この病になってから死を覚悟してきたのだろう。
最後にはバッサリと斬られ、最期を迎える時も暴れる事なく、「楽しませてもらえた。」と、微笑んでいたくらいだった。
リグは死んだ男へボソッと「安らかに眠られよ。」と呟いてから、ネリーの様子が心配になり、先程の木の場所へ向かった。しかし、その場所にも、辺りを見回しても、ネリーの姿はなかった。
しばらくその周辺を歩いてネリーを探した。
ようやく見つけたネリーは岩の後ろにいた。
いつかも見た光景と同じで、岩の方に向かって片手を付き、そして震えていた。
きっと人を斬るのが辛かったのかもしれない・・・とは思えなかった。
少しネリーに近付いて様子を見たリグは言葉を失った。
ネリーは自分の腕を噛み、その箇所から血がしたたり落ちている。
そして、ネリーの周りから自分がいる訳でもないのに、あの甘い香りが漂ってきた。
更に近付くがネリーはリグに気付かず、声を殺して泣いていた。
ネリーは罪悪感と発作による朦朧とした意識の中で後悔し続けていた。
やっぱり私は駄目だ。
どうしてこんなに弱いのだろう。
気が付けば発作に任せて人を斬っていた。
戦闘不能にするだけで十分だったのに・・・。殺すつもりなんてなかった。
自分を抑える事が出来ていれば十分可能だったはずだ。
背中の痛みが引いてからまた発作がが強くなったネリーは、自身に香水をかけながら泣き、ごめんなさい、と泣きながら腕を噛み、発作を抑えていた。
リグは何も気付けなかった自分を嫌悪した。
ネリーは毎晩、発作が起きていたのだ。
人によって発作の起こる頻度や止め方は様々らしい。
自分の血を出す事で衝動を抑える事が出来るという話を聞いた事がある。
だがそれは相当な精神力がなければ出来る事ではない。
それを毎日やっていたのだろう。
そんな事を毎日出来るネリーのその強さはどこから来ているのだろうか。
どうしてこんなに辛い事があっても自分に優しく接してくれていたのだろうか。
彼女の生きる目的は何なのだろうか。
大して自分と歳も変わらないはずなのに、自分なんかとは全然違う。
経験の差なのだろうか。
納得する答えが見つからなかったが、でも一つ言える事がある。
自分の目的はあくまで自分のために死ぬ事だし、それは今も変わらない。
でもこんな人のために死ぬのも悪くはない。
この人のために生きる事も・・・。
リグはそっと彼女を後ろから優しく抱きしめた。