最後の一夜、教会への道筋
その後も二人は夜明けまで歩き続けた。
リグは核心の部分を聞くのが怖くて、ずっと黙っていた。
そして、頰が腫れていた。
ネリーも静かに進み続けた。
事の発端は先程、リグがネリーを後ろから抱きしめ、「大丈夫だ、もう終わった。心配しなくていい。」と声をかけた時だった。
ネリーは急に震え出した。
「大丈夫だ。安心してくれ。」
リグがもう一度声をかけるとネリーが顔を真っ赤に染め、嫌悪感を露わにしながら振り向き、
「や、やめてください!」
と、怒鳴りつけてきた。
リグは急に目が点になり、ネリーを抱きしめていた手をすぐさま放すと同時にネリーからの怒りの篭った平手がリグの右頰を叩きつけた。
「急に女性に近付いて、いきなり抱きつくなんて最低です!全然大丈夫な事じゃないし、それにこれが安心していい事なんですか?こんなんじゃ安心して夜も眠れませんよ!」
腑には落ちなかったが、とにかく謝り、ここにいては日が昇って大変な事になるからと、何とかなだめて落ち着かせた。
しばらくはリグに近付こうともせず、ずっと
「最低です。」
「変態です。」
「狼です。」
「町ゆく変態です。」
などと、きっと罵声を浴びせた事がないのであろう、少ない語彙で思いつく限りの罵声を小声で言い続けていたが、落ち着くと今度は全く何も話さなくなった。
ネリーの持つ荷物を代わりに持ち、近くに咲いていた良い香りの花を一取ってくると、ようやく機嫌が戻り、嬉しそうに花の香りを嗅ぎながらいつもの明るいネリーになった。
気のせいかいつもより距離が近いような気がした。
そして、日が昇ってきた。
「リグ様!見てください!あそこの山の上に教会がありますよ!!」
「ついに来たか!明日には着きそうだな。」
二人はこの一夜で大分疲労困憊していた。
昼夜逆転しての移動に加え、敵との戦闘により、かなりの体力と精神力を奪われた。
日が昇り、日差しが強くなってきた頃、二人は近くの木陰に腰を下ろし、しばらく眠っていた。
「リグ様、リグ様!起きてください!」
眠い目をこすりながらネリーのはしゃいだ様子を見て、どうしたのか聞いてみた。
「湖!湖がありますよ!」
湖がそんなに珍しいのだろうか。
ネリーは湖が初めてらしく、海も見た事はあるが、日焼けは体に毒だから、と母になだめられ、浜辺にも行かせてもらえなかったらしい。
湖に行くと様々な種類の鳥がいたり、森の中では見かけなかった植物が数多く見受けられた。
珍しそうに眺めているネリーを見ているうちに、同じ感染者としての彼女が実際何を考え、何をしたいのかなどと考えるのはどうでもいいと思った。
実際、どの彼女が本物の彼女なのか混乱してきている。
これ以上考えると他の事に集中出来なくなってしまう。
「今日はこの近くで晩を明かそう。」
「そうしましょう!それがいいです!絶対そうするべきです。」
既にネリーは何か食べられそうな植物を採取していた。
夜は近くにある使われていない小屋があったので、少し片付けてから寝床にした。
リグも釣りの腕が上達してきたと自慢話をしながら魚を10匹ネリーに見せた。
どれも身が厚くて大きくネリーも「凄い!」を連発していた。
調理器具や古いが調味料もあり、久しぶりに塩以外での味付けを楽しんだ。
教会のある山は湖の東端に近く、湖畔沿いに歩いていけば近くに出るという。
「さっき、向こうの方まで行ったんです。草原を戻るよりも湖側lの方が沢山木が生えているので、日中でも木陰を通れますよ。」
夕方、出発しようとしていたリグはそれを聞いて明日の早朝出発する事にし、今日はゆっくり休もうと提案した。
夜、昼間のはしゃいでいたネリーだったが、何だか様子が変だった。
どこかぼんやりしたかと思うと急に考え込んだり、ため息をついたりしていた。
もし明日、順調にいって、薬が手に入れば、この旅も終わる。
ネリーと出会ってたった五日なのに、随分と濃い時間を過ごしてきたな、とこの旅の事を少し懐かしそうに振り返った。
リグは薬をもらっても自分には使わず、街へ持ち帰る予定だった。そしてそれを必要とする誰かに渡し、自分はまた旅に出て・・・・という計画を立てていた。
しかし、この旅に出てからのリグは自身の心の変化に戸惑っていた。
自分も薬を使って生きたい。
もっと自分の知らない世界に触れてみたい。一人ではなく自分以外の誰かと分かち合いたい・・・。
そう考えはしたが、どうすればそんな事が出来るのか想像もつかなかった。
翌日、最後の出発となった。
二人はどことなく寂しさを感じ、ネリーの口数も少なかった。
早朝の湖畔は少し霧が出ていて肌寒かったが、少し幻想的な雰囲気で、二人はいつもの明るさに戻り、最後は楽しく締めくくる事に努めた。
湖畔の東端に着くと山のすぐ裏側あたりに着いた。
ネリーは「ここでご飯を食べましょう。」と提案する。
まだ朝食を食べていなかったので、喜んで食べる事にした。
朝食を済ませた後、そのまま裏手から登る事にした。
表側よりかは少し険しいが、この時間は日陰も多く、登りやすかった。
山と言っても標高は低く、子供でも三十分で登れてしまうくらいの小山だった。
リグは違和感を感じていた。
こんな小さい山を登るのは訳もないのに妙に疲れるし、力も入らない。
頭が回らず常時眠気を感じていた。
そして山の上に着いた時、ついに倒れ込んだ。
ネリーは平然としていた。
「・・・ネリー・・お前・・・」
「申し訳ありません。リグ様、朝食に少し眠り薬を入れましたので。」
「な・・・何のつもりだ!?」
「もう・・・こうするしかなかったんです。
・・・リグ様を騙すつもりはなかったのですが・・・。」
「どういう事なんだ?」
「私、知らなかったんです・・・。」
「何をだ!?」
ネリーは何も答えず、ゆっくりと教会の方へ進んで行った。
ネリーは何を知らなかったのだろう。
思考も殆ど出来ないくらい睡魔に襲われていく中で、彼女の真意を考え、想像し、答えを導き出すなど不可能だった。
そして、リグは深い眠りに落ちていった。